第二章 魔の山に吹く風

第十八話 リッサの新生活・前編(ラビエス、マールの冒険記)

   

「やっぱり目立つわね、この馬車」

 俺――ラビエス・ラ・ブド――の隣で、マールが呟く。

 俺たちを乗せた馬車は既にイスト村に入り、現在は、広場へと続く大通りをのんびりと進んでいた。村の外では、かなりのスピードで走っていた馬車だが、あれでは村の中では危険だと御者が判断したのだろう。

「まあ、仕方ないだろうな」

 マールと俺が嘆いたように。

 俺たちは、村人の好奇の視線に晒されていた。

 通りに面した家に住む村人の中には、窓から顔を出して、こちらを眺める者もいた。

 夕方の大通りを歩く村人の中には、足を止めて、噂話を始める者もいた。

「立派な馬車だなあ」

「もしかして、領主様の使者でも来たのかい?」

「領主って、名ばかりの領主だろ? イスト村は放任のはずだよな?」

 まあ『当たらずといえども遠からず』な声も聞こえてくる。

「……こういうのって、あまり、気持ちの良いものではありませんね」

「それ、十二病のパラが言う? 十二病の格好も、十分目立つわよ?」

「いえいえ、それとこれとは……」

 パラとマールの会話を何気なく聞き流しながら、俺は思う。

 村人たちの反応も無理はないだろう、と。

 なにしろ。

 俺たちの馬車は、いつもイスト村で見かけるものとは、明らかに違うのだ。

 金色の装飾が施された、純白の馬車。

 中の俺たちは、気恥ずかしいやら、照れくさいやら……。

 往路で使った荷馬車の荷台とは違って、密閉式のキャビンなので、外から俺たちの姿は見えないのが、不幸中の幸いだろう。

 そんな中。

 俺たちとは対照的に、リッサだけが、窓から身を乗り出さんばかりの勢いだった。なにやら微妙に勘違いして、喜んでいる。

「なあ、パラ。外の皆が、こちらを見ているぞ。私たちを歓迎しているのか?」

「まあ、そんな感じですかね。だいたい合ってます」

 いやいや。

 そこはきちんと訂正してくれよ、パラ……。


 ちなみに。

 村に入る時の俺の失言――「しかし……あんなウイルスがあるとはなあ」――に対して、マールとパラから、

「……ウイルス?」

「ウイルスって何ですか?」

 と聞かれた件に関しては……。

「透明化の原因となった病原体だからな。しかも、風の魔王が用意したって話だったろ? もうプラス型とかマイナス型とかじゃなくて、何か全く新しい名称が必要だと思ってさ」

「で、その『ウイルス』って言葉は、どこから来たの?」

「どこからでもないさ。今までにない言葉として、適当に考えてみたんだが……。どうかな?」

「うーん。なんだか語感が悪いわね。パラもそう思わない?」

「私は……。別に構わないと思いますけど」

「あら。パラはラビエスと同じ感性なのかしら。……で、どうするの、ラビエス?」

「いや、マールがそう言うなら……。いったん保留にして、帰ってからフィロ先生と相談してみるかな」

 こんな感じで、なんとか誤魔化すことが出来た。

 あの場で迂闊にマールが賛成しようものなら、完全に『ウイルス』という言葉が定着するところだったから、むしろマールには感謝したいくらいだ。元の世界の言葉が、たとえ別の意味としてでも、この世界で頻繁に使われるようになるのは避けたい事態である。パラのように、その言葉を耳にした転生者が「それって……」と追及してくる可能性があるわけだから。


 そして。

 馬車は、広場に到着した。

 乗合馬車のような他の馬車の場合と同じく、中央の日時計の近くに停車する。

「おお! ここが私の新生活の舞台となる村か!」

「そうです。イスト村へようこそ、リッサ」

 嬉しそうに降り立つリッサと、その後ろに隠れるように続くパラ。

「私たちも降りましょうか」

「そうだな」

 この雰囲気の中に出たくはなかったが、いつまでも乗っているわけにもいかない。マールと俺も、馬車の外へ出た。

 大通りを進む時点で、あの状況だったのだ。ここでも当然のように、村人たちが野次馬として集まってくる。

「いつもの大陸縦断馬車とは違うぞ?」

「でも、いつもみたいに新しい冒険者さんが降りてきたから……」

「おやおや、治療院の若先生もいるじゃないか!」

 そんな野次馬の群衆をかき分けて。

 俺とマールは、逃げるように『赤レンガ館』――冒険者組合イスト村支部――へと駆け込む。

「ほら、リッサ! 私たちも行きましょう!」

「ああ、そうだな。ここの様子なら、後からでも見られるか……」

 物珍しそうに広場を見回すリッサを引っ張りながら、パラも俺たちに続いた。


 必要な手続きを行うため、窓口へと向かう。

 俺には何もないが、俺だけ一人で待つのも何なんで、三人に付き合って、同行する。リッサたちには、三つほど用事があったのだ。

 まずは、リッサの登録手続きだ。今までは自称冒険者であった彼女も、ここで登録することで正式な冒険者となり、イスト村支部に所属となる。

 俺やマールやパラのように、魔法学院を卒業して冒険者になる場合は、魔法学院卒業という資格が、身元を保証するものとなるのだが……。リッサの場合は、どうなるのだろう? まあ機会があったら、いつか聞いてみよう。

 リッサの場合、今すべき手続きがもう一つある。女子寮『白亜の離宮』の入寮手続きだ。冒険者は住まい探しに苦労することもあるのだが、イスト村の場合は女子寮があるため、少なくとも女性ならば、その手間を免れるのだ。

 リッサについては以上だが、マールとパラも、今日やっておく手続きがあった。

 女子寮に住む冒険者が冒険旅行に出かける場合、冒険者組合に届けを出さなければならない。退寮するわけではないので、旅行中の分も部屋代は請求されるが、その間の部屋代は、かなり安くしてもらえるのだという。その支払いも旅先の冒険者組合支部で行うことが可能であり、また、そちらの支部で宿泊などの便宜を図ってもらえることまであるそうだ。

 当然、戻ってきたら『冒険旅行中』の状態を解除してもらう意味でも、報告の義務がある。今、マールとパラの二人は、その手続きをしているのだった。

 三人が色々と書類に記入しているのを何気なく眺めていたら、窓口のお姉さんが俺を手招きしているのに気づいた。

 何だろう?

 近寄ってみると……。

 彼女は窓口から腕を伸ばして、俺の耳を掴んでグイッと引っ張る。

「おいおい、何を……」

 彼女は俺の耳に口を寄せ、まるで直接言葉を流し込むかのように、ひそひそ声で話し始めた。

「大事な話です。秘密の話です。黙ったままで『はい』なら首を縦に、『いいえ』なら横に振ってください。いいですね?」

 よくわからないが、とりあえず了承しておこう。冒険者組合に逆らっても、何の利益にもならない。

 うん。

 俺は首を縦に振る。

 すると彼女は、少し離れたところにある筆記用テーブルへと、視線を向けた。ちょうど今、マールとパラとリッサが使っている台だ。その三人の中で、リッサのことを目で示したつもりらしい。

「あの、新しく登録なされたリッサさんのことなのですが……」

 ん? 『登録なされた』だと?

 お姉さんの言葉遣いが微妙にいつもと違う感じに聞こえて、少し俺の心に引っ掛かる。

「秘密だけれど……。ラゴスバット伯爵家の、お姫様なのでしょう?」

 ああ、そういうことか。

 俺は納得した。先ほど「リッサの身元保証は?」などと考えたものだが、何てことはない、既に伯爵家の方からこちらの冒険者組合に連絡済みだったわけだ。娘が行くからよろしく頼む、みたいな感じで。

 わずかな時間だが、そうやって俺が考え込んでいたら、お姉さんは俺の答えをかすかのように、耳を掴む指に少しだけ力を込めた。

 いや、もう耳から手を放して欲しいのだが……。

 今は書類にかかりきりのマールたちだが、書き上げて、顔を上げてこちらを見たら、不審がるに違いない。

 とりあえず、この状況を早く終わらせたくて、俺は急いで「うん」と首を振った。

「では次です。あなたたちは三人とも、姫様の正体を知っているのですね?」

 うん。

「でも姫様としては、あくまでも仲間内の秘密として、他の者たちには知られたくない……。そう思っておられるのですね?」

 うん。

「では……」

 ああ、ようやく終わりそうだ。要するに、状況確認をしたかったらしい。

「姫様の正体に関しては他言無用。村の者には、絶対に知られないように」

 うん。

 俺たち三人は、もう同じ『冒険者』として、仲間として付き合えるからいいけれど……。他の者たちに知られたら『姫様』扱いだろうしなあ。それはリッサが一番嫌がる事態のはずだ。

「姫様のこと、しっかり面倒みてくださいね」

 うん。

 それこそ、言われるまでもない。

「姫様は、わがままもおっしゃるかもしれませんが……。出来る限り、その要望は聞き入れるように」

 うん。

 あくまでも『出来る限り』だが。

「一応言っておきますが、こうして私が言い含めているというのは、姫様には内緒ですよ?」

 うん。

 リッサは、このような根回しは嫌がるだろうしな。これも特別扱いってことになるわけだから。

 彼女は、あくまでも庶民と同じ立場で、一介の冒険者として暮らしたいはずだ。

「では……。この件は、他の二人にも伝えておいてくださいね」

 うん。

 俺が頷いたところで、ようやく彼女は、俺の耳から指を放してくれた。

 かなり強く掴まれていたとみえて……。

 手が離れても少しの間、まだ俺の耳には、お姉さんの指の感触が残っていた。


――――――――――――


 私――マール・ブルグ――は、パラやリッサと一緒に、筆記台に集まって書類作成をしていた。

「おい、パラ。これ、どう書くんだ? 教えてくれ。パラは少し前に同じのを書いたばかりだろう?」

「その書類なら、確かに……。でも、ごめんなさい、リッサ。今は私も、自分の方で手一杯で……。帰寮申請書、まさか、こんなに記入するべき欄が多いとは……。ねえ、マールさん」

「私に聞いても駄目よ、パラ。私だって、これ書くのは初めてなんだから。あ、でも、この『冒険旅行の詳細』の項目は、二人同じにしておかないと問題だから、一緒に……」

 思ったより色々と書かなければならないようで、少し手間取りながらも、そして口ではああ言っておきながらも、先輩冒険者としてパラとリッサの面倒を見ようという気持ちもあった。

 同時に。

 ラビエスが窓口のお姉さんに呼ばれる姿も、ちゃんと視界の隅で捉えていた。

 いったい何をやっているんだろう?

 よくわからないが、ラビエスは、窓口のお姉さんに耳を引っ張られている。

 彼女がラビエスの耳に、キスするかのように口を近づけたので、一瞬ギョッとしたが……。

 そうではなく。

 どうやら、耳に口を近づけたのは、内緒話のためみたい。その証拠に、ラビエスが何度も「うん、うん」といった感じで頷いている。

 でも内緒話なら内緒話で、今度はその内容が気になってしまう。

 私の相棒、幼馴染であるラビエスに、いったい何の話を……?

 まあ、いい。

 後でラビエスをとっちめてやろう。

 私が少しでも強い態度に出れば、ラビエスは簡単に白状してしまうはずだから。

「出来ました!」

「あら。パラの方が、私より早く終わったのね」

「おお、パラ! では私の方を見てくれ。これでいいのか?」

「えーっと……。はい、大丈夫ですよ、リッサ。ちゃんと書けています」

 どうやら、パラもリッサも書類を仕上げたようだ。

 ラビエスの件は後回しにして、今は私も書類に集中しよう。


――――――――――――


 俺――ラビエス・ラ・ブド――は、三人の手続きが終わった後、いつものようにマールたちを女子寮まで送り届ける。

 厳密に言えば『いつものように』ではない。今日からはリッサも加わり女子三人になったわけだが、これを『いつものように』と思ってしまうくらい、マールだけでなくパラやリッサも一緒にいることが、いつのまにか当たり前で、自然な感じになっていた。

 歩きながら、簡単に明日の予定も話し合って……。

 女子寮の玄関前で、三人と別れようとした時。

「ちょっと待って、ラビエス」

 マールが俺に声をかけて、続いて残りの二人に対して告げた。

「悪いけど、パラとリッサだけで、先に入ってもらえるかしら? 私、少しラビエスと二人だけで話したいことがあるの」

 パラとリッサは、一瞬顔を見合わせてから、

「いいですよ。幼馴染同士の会話ってやつですね? お邪魔はしません」

「よくわからんが……。私も構わないぞ。それより、早く部屋を見てみたい。なにしろ、となる場所だからな!」

 表情を見る限り、パラは少し気になったようだが……。

 新居を前にして気がはやるリッサに連れられて、大人しく寮へ入っていた。

 二人の姿が見えなくなると、

「さて……」

 あらたまった感じでマールが、姿勢正しく、俺の正面に立つ。

「……?」

 いったいマールは何をするつもりなのか、と不思議に思ったのも一瞬。彼女の手が伸びてきて、俺の耳を掴んだ。先ほど窓口のお姉さんにやられたのとは、反対側の耳だ。

「いててて……。おい、マール! 何するんだ?」

「あら。痛いの?」

「当然!」

「へえ……。私にされると痛いのかしら? 窓口のお姉さんに同じことされた時には、痛がるどころか、むしろ気持ち良さそうな表情かおしてたのに」

 待て待て待て。

 どうやらマールに、先ほどの場面を見られていた、というのはわかった。だが、彼女は誤解している。この誤解だけは、絶対に解いておかねばならない。

「いやいや! 気持ち良さそうな顔なんてしてないから! そう見えたなら、ただの勘違い! さっきのも十分痛かったし、今のマールのは、もっと痛い!」

「ふーん……。私の方が上なんだ……」

 マールが、少し満足そうな笑顔になった。

 わかってもらえたなら良いが……。

 いやいや。

 むしろ耳を掴む指先に、今まで以上に力を込めているような……?

「マール、お願いだから! 俺に与える痛みなんかで、誰かと競ったりしないでくれ!」

「まあ、そうね。今日のところは、これくらいにしておいてあげる」

 マールは、ようやく指を放してくれた。

 そして、いったん少しだけ体を沈ませ、見上げるような感じで、ぐいっと俺に顔を近づけて、

「それで? あの女の人と、どんな秘密の話があったのかしら?」

「ああ。それについては、機会があり次第、俺の方から話すつもりだったんだが……」

 用件を話し始めようとした時。

 ちょうど、寮から出てこようとする女性冒険者の姿が、俺の視界に入った。

 名前は知らないが、以前に俺たち二人がここで立ち話をしていた時に「どこか別の場所へ行ったら?」と迷惑そうに声をかけてきた、あの彼女だ。その後この同じ場所で『西の大森林』の火災に関して「せっかくのダンジョンが」と聞こえよがしに呟いていた、あの彼女だ。

 また文句をつけられては、たまらない。

 俺は横に寄って、マールの体も引き寄せた。

 うん、これで今日は、何も言われないぞ。

 しかしくだんの女性冒険者は、俺たちの横を通り過ぎる際、ぼそっと呟いた。

「いちゃつくなら、部屋でやればいいのに……。わざわざ女子寮の玄関前で、見せつけることないのに……」

 いや、違うから! そういうつもりでマールの体を抱き寄せたわけじゃないから! 俺は道を譲っただけだから!

「ねえ、ラビエス。私たちって、そういう関係だったかしら?」

「マールまで、そんなこと言わないでくれ。しかも顔まで赤らめて……」

「冗談よ。それくらい、わかりなさい。もう子供じゃないんだから」

 よく見れば。

 別にマールは顔を赤らめたわけでも何でもなく、ただ夕日に照らされて、そう見えただけだった。


 そんなこんなで、事情説明を始めるまでに、少し手間取ってしまったが。

 良い機会なので、窓口のお姉さんから言われたことを、俺は全てマールに伝えた。

「なるほどね」

 聞き終わったマールの第一声が、これだった。

 何やら思い当たるフシのありそうな口ぶりだ。

「書類が、妙に複雑だったのよ」

 マールの説明によると。

 二人が書かされた帰寮申請書は、具体的に長々と記入しなければならない項目が、あまりにも多かった。

「ちらっと見たけど……。リッサの方の、冒険者登録とか入寮手続きとかの書類。あれも、私の時より大変だったわ」

「最近、書式が変わった可能性は……?」

「それはないと思うわ。最後に確認のために見てあげてたパラだって、少し変な顔をしていたから。それこそ、パラは『最近』でしょう?」

 つまり。

 窓口のお姉さんが俺と内緒話するために、その時間を作るために、細工していたのでないか……。

 マールは、そう考えたのだった。

「いや、それは変じゃないか? じゃあ偽の書類を書かされた、ってことになるぞ?」

「うーん……」

 マールは、少し考えてから、

「おそらく今回のが正式版で、いつもは簡易版で済ませてる……。そんな感じじゃないかしら」

 どうだろう?

 マールの考え過ぎではないかと、俺は思うのだが。

 それよりも。

 マールが『考え過ぎ』なくらい、思考を巡らせていたことに、俺は驚く。

 もしかしたら、今までも俺が気づいていないだけで、彼女は彼女で結構あれこれ考えていたのかもしれない……。

「まあ、それについては、どちらでもいいかしら。特に実害もなさそうだし。それより……」

 マールは話題を戻して、

「この話、パラには私の方から言っておくわ」

「ああ、頼む」

「適当に『リッサのため』って強調して、上手く伝えないとね。これはこれで、リッサに隠し事することになるから、あの子は嫌がりそう。もうすっかり、リッサと仲良しだから……。それに、意外と繊細な部分もあるみたいだしね」

「ああ、そうだな」

 俺は適当に頷いておいた。

 まあ、パラに「意外と繊細な部分もある」のは、俺も否定するつもりはない。特に、ネクス村の宿屋での一件を見た後だけに。

 しかし、そもそも。

 隠し事を嫌がるも何も、パラは「転生者である」という大きな秘密を抱えているんだよなあ……。

   

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