第十七話 ウイルスって何ですか?(ラビエス、マール、リッサ、パラの冒険記)

   

 俺――ラビエス・ラ・ブド――たちを包み込むのは……。

 あたたかくて、やさしくて、それでいて強烈な光だった。

 今この状況で目を閉じるのは自殺行為だという気もしたが、とても目を開けていられるレベルではなかった。

 閉じた瞼の上からでも、眩しさを感じるくらいの光。だから目を閉じていても、その光がすぐに収まったことは理解できた。

 そして。

「ここって……」

 マールの呟きに釣られて、俺も目を開けて、周囲の様子を確認する。

 洞窟ダンジョンの外、ちょうど入り口の辺りだった。

 すでに日は落ちて、ただでさえ薄暗かった森が、すっかり暗くなっている。

 来る時にリッサが言っていたように、コウモリが、が物顔で森の中を飛び回っていた。

「……何が起こったの?」

 まだマールは事情が飲み込めないらしい。

 こういう場合、この世界の常識にとらわれたマールよりも、時には元の世界のRPGゲームの知識に照らし合わせて考える俺の方が、理解は早い。

「洞窟の入り口まで、リッサの魔法で転移したんだな」

「転移?」

「ああ。ほら、ちょうど『さまよいの森』のワープポイントみたいな感じさ。一瞬のうちに離れた場所に移動する……。それを可能にする魔法が、リッサの手持ちの魔法の中にあったんだろう」

 本来ならば、こうした説明をするのに最も適した人物は、他ならぬリッサ自身のはず。

 しかしリッサは、完全に体の力が抜けて、意識も失っていた。今は左右から俺たちに支えられて、強制的に立たされた状態になっているが、俺とマールが手を離せば、その場に崩れ落ちるに違いない。

 ちょうど、リッサの前で倒れているパラのように。

「まあ、これも禁断の秘奥義に相当する魔法だったんだろう。パラ同様、リッサもこの有様だからな」

 リッサとマールの間に挟まった左腕にグイッと力を込めて、それでもリッサに何の反応もないことを、マールに示してみせた。


 前回パラが意識を失った『西の大森林』の場合とは異なり、今回はリッサも意識不明だ。つまり、二人で二人を運ぶこととなる。

 戦士であるマールが背の高いリッサを背負い、俺が小柄なパラを担当。

 パラの豊満な胸の感触が、ローブ越しに――俺も今日は皮鎧ではなく白ローブなので――背中に伝わってくる。

 ちょっと恥ずかしい気持ちになると同時に、先ほどリッサたちと体を密着させた時とは違うと実感できた。

 そう。

 先ほどまでとは異なり、こうした感触に想いを馳せる余裕が出来たのだ。つまりそれは、ダンジョンのボス・モンスターとの戦いから、無事に生き延びたということ。

 思っても見ない形で、俺は戦闘終了を実感したのだった。


「おお、皆様!」

 ラゴスバット城に戻った俺たちを迎えたのは、あの『爺や』一人だった。

 もはや透明人間ではなく、姿も普通に見えるし、健康な人と同じく、普通に動き回っている。

「私は、このように動けるようになったのですが……」

 他の者たちも、透明化が弱まり、うっすらと姿は見えてきた。だが依然として、体を震わせるだけで、口をきくことも、自由に体を動かすことも出来ないのだという。

「ああ、それは……」

 あの『炎の精霊』が倒されたことで、呪いは解けたはずだが、そもそもの原因は呪いではない。例のウイルスによって引き起こされた症状を、呪いで増幅ブーストしていたに過ぎない。

 この『爺や』のように――おそらくネクス村の鍛冶屋の子供も同様に――、元凶となるウイルスを除去された者は、呪い解除と同時に快方に向かうとしても、ウイルスが残っている者は話が違うのだろう。

 しかし、こうやって考えると、そもそも『炎の精霊』の力だけでは呪いを解くことは無理だったのではないだろうか。病原体であるウイルスが風の魔王の手作りであるなら、それをもらっただけの『炎の精霊』は、ワクチンすら持っていなかった可能性もある。

 あいつ、交換条件として「魔法の分類を変える」などという俺たちには不可能なことを要求しておきながら、自分にとっても「呪いの解除」が不可能だったとは、愚かな笑い話だ。

「……まず、病原体を取り除くのが必須なのでしょう」

 簡単にそれだけ『爺や』に告げて、城の全員の治療に取り掛かった。

「爺やさん。俺一人では魔力が足りないので、手伝ってください」

「ですが、私では……」

 もちろんこの『爺や』には、病原体となるウイルスをイメージすることなど、できやしない。

「はい。解毒にはコツがあります。口頭で伝授できるものでもありません。なので、解毒は全部、俺がやります。その代わり、回復魔法はお任せします」

「ああ、そういうことでしたら」

 回復そのものには、それほど特別なイメージはないのだ。「透明じゃなくなれ」と念じるだけだ。俺でなくても、十分だろう。

 しかし……。

 城の全員分の解毒か。

 それも特殊なイメージで。

 これでは俺も、精神力や魔力を使い果たして、倒れるかもしれないなあ……。


――――――――――――


 朝。

 私――マール・ブルグ――は、ベッドの中で目覚める。

 今日はダンジョンに出かける予定もなかったが、目覚めの瞬間から、頭が覚醒していた。

「うん、大丈夫」

 軽く体を動かしてみたが、昨日の激闘の疲れは、すっかり体から抜けているみたい。

 色々あったが、まだ冒険旅行に出かけてから三日目の朝だ。

 顔を右に向けて、ふと私は呟いてしまう。

「やっぱり……可愛いわね」

 隣のベッドでは、ラビエスが眠っている。

 昨日の朝、ネクス村の宿屋でも感じたことだが、ラビエスの寝顔は可愛い。

 冒険者となって、少しは男らしく、たくましくなったかもしれないけど、無防備な寝顔は、小さかった頃と変わりがない。私の大好きなラビエスだ。

 でも、そのラビエスが。

 昨日は遅くまで城の中を駆け回って、治療に尽力していた。城の白魔法士とも協力していたようだけど、肝心の解毒の部分はラビエスにしか出来ないということで、一人で全員分をやってのけた。その甲斐あって、全員が元に戻った。

 もちろんラビエスは疲れ果てて、現在ぐっすり眠っている。

 今だったら、私が少しくらい悪戯イタズラしても気づかないだろう。

 ふと、幼き日の思い出が蘇るが……。

 いや、やめておこう。もう私たちは、小さな子供ではない。一人前の、立派な冒険者なのだから。


 ラビエスだけでなく、他の部屋で寝かされているリッサとパラも、当然のように眠り込んでいた。

 朝食の時点で、起きていたのは私だけ。

 私は一人で、ラゴスバット伯爵の朝食の席に招かれた。

 ラゴスバット伯爵は、どこかリッサを彷彿とさせる顔立ちの、口髭が似合う中年男性。

「今回は、娘のことも含めて、色々と世話になった。ありがとう」

 伯爵家の関係者が村を訪ねたという話は聞かないが、名目上は、イスト村も伯爵領に含まれていたはず。つまり私は、自分のところのお殿様から、面と向かって礼を言われてしまったことになる。

 同じ冒険者であっても上級の冒険者になると、庶民とは別世界の、難易度の高い依頼を受けることもあるみたい。その関連で、身分の高い者と直接会話する機会もあるのだという。でも私やラビエスは、安全な初心者向けダンジョンばかり回ってきた冒険者。

 正直、少し萎縮してしまう。

 私の恐縮を見てとった伯爵は、あまり会話を長引かせることなく、

「褒美に関しては、全員が揃ってからにして……。とりあえず今は、一つだけ聞いておきたい。この後の旅の予定は?」

 聞かれて、私は少しだけ考え込む。

 今回の冒険旅行の目的は、ネクス村で発生した病気の調査、ネクス村近辺の探索、しばらくイスト村から離れてほとぼりを冷ますため……。

 まあ色々あったが、もう十分。『ほとぼりを冷ます』にしては早すぎるけれど、もう疲れた。

 きっと、ラビエスやパラも同じに違いない。

 うん。

 私が勝手に決めてしまって構わないだろう。二人なら、文句も言わずに従ってくれるはず。

「仲間が目覚めたら、イスト村に戻ろうと思います。旅の第一目的は、ネクス村の病気の解明。結果として病気ではなく呪いでしたが、その件は、完全に解決しましたから」

「そうか。ならば、帰りの馬車は、こちらで用意させてもらおう」

 旅行用の革袋や、ラビエスの保冷箱など、ネクス村の宿に残したままの荷物もあった。それについて述べると、それらは全部、城に運んでくれるという。

 ということは。

 宿代も、この伯爵家の方で払ってもらえそうだ。あの宿屋の女将さんが、はたして城からの使者に宿代を請求するほど肝が座っているのか、それはわからないが。


 思えば。

 今回の一件は、本当に大変だった。

 かつて、ラビエスが崖から足を滑らせて、昏睡状態に陥り、記憶を失った時。

 私は初めて「いつか私はラビエスを失うかもしれない」という恐怖に襲われた。

 あれ以来「冒険者は危険なモンスターと遭遇して命を落とす可能性もある」という考えも頭に浮かぶようになった。

 冷静に考えるならば、今回こそが――『炎の精霊』というボス・モンスターとの戦いこそが――、その最大のピンチだったのだろう。

 でも、いざ強敵を前にして。

 あの時、私の中に「ラビエス失うかもしれない」という恐れはなかった。

 なぜだろう?

 パラやリッサという仲間が一緒だったから?

 私たちは死なないという、いわれのない自信があったから?

 いや、もしかすると……。

 私の中に「ここで死ぬとしても、ラビエスも私も一蓮托生」という考えが――「一緒に死ぬのならば怖くない」という想いが――あったのかもしれない。


 想像してみよう。

 ラビエスを『失う』のではなく、共に天に召される……。

 ああ!

 考えると、むしろ心が温かくなる。安心感、とでも言うべきか。

 ただ、そうやって考えてしまう自分が、少し怖くなる。

 私には、自殺願望も心中願望もなかったはずなのに。


――――――――――――


 朝。

 私――リッサ・ラゴスバット――は、いつものように自分の寝室で目が覚めた。

 でも窓から差し込む日の光は『いつものように』ではない。

 明らかに、朝日ではなく夕日の色をしている。

 何ということだ……!

 最初に『朝』と書いてしまったのが、嘘になるではないか!

 しかし寝起きで頭がぼうっとしているせいか、状況が理解できないまま、

「まさか夕方まで眠っていたというのか……?」

 呟きながら、私は上体を起こした。

 その時、自分に向けられた視線に――もう一人部屋にいたことに――気づいた。

 私と目が合うと、視線の主は、私に笑いかけてきた。

「おはようございます、リッサさん」


――――――――――――


「ここは……?」

 目が覚めた私――パラ・ミクソ――は、少し戸惑いました。

 イスト村の女子寮でもなければ、ネクス村の宿屋でもありません。個人の寝室のようですが、室内の豪華な装飾品は、あちらの世界のドラマやアニメでしか見たことないレベルの高級品でした。

 隣のベッドでは、リッサさんが眠っています。胸の辺りまで布団が掛けられて、両手は外に出した状態です。

 白魔法士のローブでもなく武闘家の格好でもなく、今のリッサさんは、ドレス状の寝間着を着ています。袖や首回りに可愛らしいフリルのあしらわれた、見事な寝間着です。布団で隠れている部分にも、おそらく似たような装飾が施されていることでしょう。

 冒険者ではなく、伯爵家の令嬢『リッサ姫』です。

 つまり、ここは姫様の寝室なのでしょう。

 ならば、一応は、私が寝ていたベッドも『姫様のベッド』ということになるのでしょうか。

 普通、私のような一介の冒険者が『姫様のベッド』で眠る機会などありません。それこそ、あちらの世界で遊んだRPGゲームの中には、宿屋のベッドであれ王族のベッドであれ、全て同じ『ベッド』扱いで泊まれるゲームもありましたが……。

 そんなことを考えながらリッサさんの寝顔を見ていたら、リッサさんも目を覚ましたようです。起きがけに、何か呟いています。

「まさか夕方まで眠っていたというのか……?」

 おやおや。

 私は言われるまで、気が付いていませんでした。確かに、窓から差し込む日の光は、そんな感じですね。

 教えていただきありがとうございます。

 感謝の気持ちを笑顔に乗せて、リッサさんを眺めていると、彼女もこちらを向いて、見つめ返してきました。

 まずは、私から挨拶します。

「おはようございます、リッサさん」

「ああ、おはよう。お前は……」

 おやおや。

 私より先に夕方だと気づいたくせに、まだ頭がぼうっとしているようですね。

 まあ、無理もありません。

 リッサさんもこの時間まで眠っていたということは、私と同じく、魔力を使い果たしたのでしょう。おそらく、洞窟の崩壊に対処した際の魔法が、私の『封印されし禁断の秘奥義』に匹敵するレベルの、凄い魔法だったに違いありません。

 私も初めて魔力を使い果たした時は、目覚めたばかりは夢現ゆめうつつの状態でした。今のリッサさんも同じようです。

「私ですよ、リッサさん。パラ・ミクソです。忘れちゃいましたか……?」

「パラ・ミクソ……? パラ……」

 リッサさんは目を見開きました。思い出してくれたようです。

「おお、パラ! が友パラじゃないか! 忘れるものか!」

 ガバッとベッドから飛び出して、リッサさんは私に抱きついてきました。

「もう……。リッサさん、大げさなんですから……」

 少し照れくさいですね。

 かつての私は人付き合いなど苦手でしたし、今でも親友と呼べる存在は皆無ですから、女性同士であっても――男の人相手はもちろん――こうしたハグの経験は……。

 今「ありません」と書こうとして、思い出しました。ネクス村の宿屋で私が泣いてしまった夜、マールさんに優しく抱きしめられましたね。でも、あれは泣きまぬ赤子をあやすような感じでしたから、いわゆる『ハグ』とは違う気がします。

「いや、これは私の素直な気持ちだ」

 リッサさんは、少し私から離れて、

「私は今でも、はっきり覚えているのだ。パラが『せっかくお友だちになれたのですから』と言ってくれたことを。あれは嬉しかった」

「そう言ってもらえると、私の方こそ嬉しいです」

 正直な気持ちです。あの時、姫様であるリッサさんに対して『お友だち』は失礼かなとも考えましたが、本当に「お友だちになれた」と思って、つい口に出てしまったのですから。

 それをリッサさんも受け入れて、喜んでくれた……。改めて告げられると、なおいっそう嬉しくなります。

「そうか。ならば……」

 リッサさんは、少し考え込むような顔になりました。

「……私に対して、他人行儀な口調はやめないか?」

 あらあら。

 でも……。

「ごめんなさい。これは口癖というか、私のスタイルというか……。長年、染み付いた口調なので、今さら……」

「ふむ。これが自然な話し方であるなら、意識して無理に変えるのもおかしいな。友人同士の間柄ならば、それこそ『自然に』気楽に話せるのが一番だろう」

 そして、何か思いついたような顔になりました。

「そうだ! 私のことは『リッサさん』ではなく『リッサ』と呼べ。ラビエスやマールは、先輩冒険者だから『ラビエスさん』と『マールさん』。私は先輩ではないから『リッサ』」

 ここで少し照れくさそうに、おずおずと、

「……私だけ呼び捨てなら、それはそれで特別感もあってな。ほら、一番の友だけは呼び捨て、みたいな。いや、私などを『一番の友』などと思うのは、おかしいかもしれんが……」

 一番の友。

 つまり親友ということでしょうか。

 それは……。

「……いいのですか?」

 私の方から、聞き返してしまいました。

「ん? どういう意味だ?」

「リッサさんを……。いや、リッサを。リッサのことを親友だと思って、本当に良いのですか? 私としても、願ったり叶ったり、って感じで……」

「もちろんだ!」

 彼女は再び、私に抱きついてきました。触れ合った体から、その気持ちが伝わる勢いです。

「おお、が親友パラ! これからもよろしくな!」

「はい、こちらこそ! 私の親友、リッサ!」

 親友。

 庶民と姫様、という身分の違いを越えて。

 あちらの世界からの転生者と、こちらの世界で生まれ育った者、という出自の違いを越えて。

 私にとっての、初めての親友が――転生前を含めても初めてとなる親友が――今、ここに生まれたのでした。

 なんだか、胸がジーンとします。


 そうして。

 私たち二人は、ベッドに座って。

 親友同士のおしゃべりを楽しんだのでした。

 お城のこと、伯爵家の一人娘という立場のこと、自分に仕える者はいても友と呼べる者はいなかったこと……。

 リッサは、色々と話してくれました。

 私の方からは、残念ながら、転生者であるという告白は出来ませんでした。

 自分一人の問題ならば――親友同士の秘密ということで――話しても構いませんが、同じパーティーにはラビエスさんという転生者がいます。転生について話をしていくと、どこかでラビエスさんの話にも関わり、ラビエスさんに迷惑をかけると思ったからです。ラビエスさんとは同じ転生者として語り合いたいという気持ちはあるのですが、だからといってラビエスさんの正体を皆に明かして困らせたいわけではありませんから。

 代わりに私は、魔法学院時代の話をしました。厳密には転生前の人格に関わる話になってしまいますが「元々は人付き合いが苦手で、友人関係に憧れていた」と言ったら、リッサは驚きながらも「そういう気持ちは、私にもわかる」と共感してくれました。


 色々と話す中で、リッサは昨日の魔法に関しても詳しく教えてくれました。

 私が倒れた後でリッサが使った魔法は、転移魔法オネラリというそうです。

「離れた場所まで、一瞬で移動できる魔法なのだ」

「凄い! ワープ系の魔法ですね!」

 以前に『さまよいの森』の話を聞いた時に想像したように、この世界にもワープ系の魔法は存在したのですね。

「基本的には『入り口』まで転移する魔法なのだが……」

 リッサは今までダンジョンに入る機会はなかったため、山や森、城の中などで使ってきました。本来はダンジョンから脱出するための魔法だと思われるので、昨日が初めての『正当な使用法』だったようです。

「まさか、ダンジョンで使うとあれほど魔力を消費するとは思ってもみなかった。一瞬で魔力を完全に使い果たすなんて、初めての経験だったぞ」

「昨日の場合は、それまでも魔法をかなり使ったからかもしれませんね。ほら、あの防御魔法だって、魔法学院では教えないような高度な魔法ですし」

「そうかもしれん。防御魔法デフェンシオンと転移魔法オネラリは、爺やですら使えないからなあ。特に、転移魔法オネラリは凄いぞ。伝承によれば……」

 転移魔法オネラリ。

 初級レベルではダンジョンからの脱出ワープしか出来ないのですが、上級者になると、村と村、村と町、町と城といった長距離ワープも可能となるそうです。

 おお!

 それこそRPGゲームで何度も見た魔法です。ゲームではダンジョン脱出と長距離移動は別魔法扱いだった場合がほとんどでしたが、なるほど、現実的に考えれば、どちらも同じ転移魔法。原理が同じならば、同じ魔法になるのですね。

「しかも、究極的に使いこなせれば、攻撃魔法としても働くらしい。遠く離れた場所からモンスターを自分のところに転移させて、代わりに戦わせるという使い方で……」

 おやおや。

 ゲーム的に考えると、それは、もはや白魔法とは違う気もしますが……。まあ、これも『転移』といえば『転移』なのでしょうけど。

「……ただ、それにはモンスターを飼いならす能力も必要なのだそうだ。だから私には無理だろうがな」


 そして。

 ひとしきり話した後で、リッサは呟きました。

「……そろそろ行くか。私たちが目覚めるのを、皆も待っているだろうからな」

 あ。

 そうです。

 いつまでも二人でおしゃべりしているわけにもいきません。

「まずは、着替えるか」

 寝間着を脱いで、支度をするリッサ。

 着替えをする背中が、少し寂しそうです。

 そういえば。

 リッサは、この後どうするのでしょうか。

 彼女のパーティー加入は、一時的なものだったはずです。

 冒険者への憧れを胸に抱いたまま、お城の姫様として、一生を送るのでしょうか。

 私まで悲しくなります。

 ようやく出来た、私の親友、リッサ……。

 ふと。

 私の頭に、突拍子もないアイデアが浮かびました。

「ねえ、リッサ」

「……ん? どうした?」

 着替えの手を止めて振り向くリッサに向かって、

「せっかく私たち、親友になれたのだから……」

 私は、一つの提案をしました。

 リッサも、大喜びで受け入れてくれました。

 それは……。


――――――――――――


 激闘の翌日。

 俺――ラビエス・ラ・ブド――が目覚めたのは、昼過ぎだった。

 フランマ・スピリトゥとの戦いそのものより、その後の治療――城全員の解毒――の方が、むしろ俺にとっては『激闘』だったのかもしれない。

 魔力が空っぽになったわけでもないのに、この有様だ。当然、パラとリッサはまだ眠っていることだろう。

 首を横に向けて、俺は気づいた。隣のベッドに腰掛けたマールが、頬杖ついた姿勢で、無言で俺を眺めている。

「おはよう、マール」

「ようやく起きたわね、ラビエス」

「何か俺の顔についてるか? まさか……寝ている俺の顔に落書きでもした?」

「そんな子供みたいな真似、するわけないでしょ」

 マールは笑って、

「ただ……。こうして見ていると、昔のままのラビエスだなあ、って思って。それで」

「ああ、そういうことか」

 適当に返しておくが……。

 すまない、マール。俺は『昔のままのラビエス』ではない。中身は別人なのだ。

 口に出しては言えないので、心の中だけで謝罪する。

 しかし、今の俺が『昔のままのラビエス』に見えるのだとしたら、それはそれで嬉しいことだ。

 元の世界の俺には幼馴染なんていなかったし、ドラマや小説に出てくるそういう関係に少し憧れてもいた。この世界でマールと、本当の意味での『幼馴染』になれたらいい、と思うくらいだ。まだ今は無理でも、元の『ラビエス』と過ごした時間よりも、俺との時間の方がはるかに長くなったら、その時には……。

「ラビエスが寝ている間に、決めちゃったけど……」

 マールは、伯爵と面会したことを教えてくれた。その場で、もうイスト村に戻ると告げたという。

「ああ、それでいいんじゃないかな」

 俺も同意しておく。


 思えば。

 俺と、『ラビエス』の幼馴染であるマールと、転生者であるパラと。

 三人で旅をすると決まった時には、未知の冒険に心を踊らせるよりも何よりも、不安の方が大きかったかもしれない。

 しかし、今。

 以前のような、何が何でもパラを遠ざけたいという気持ちはなくなった。パラはマールの前で俺を転生者だと暴露するつもりはないようだし、それに、パラに対して同じ転生者としての親近感のような気持ちも、俺の中に生まれてしまった。

 これならば、一時的ではなく、ずっと三人パーティーとしてやっていけそうだ。いや「やっていけそう」ではなく「やっていきたい」という方が、俺の今の心情きもちを正確に表しているかもしれない。それくらい、俺の心は大きく変化したのだった。

 そして、リッサに関しては……。

 少しだけ名残惜しいが、これでお別れだろう。リッサは正体を告げた時「今だけでもパーティーの一員に」と言っていたし、そもそも地方領主の一人娘である姫様を、これ以上冒険に連れ回せるはずもない。


 頭の中で総括して、俺は再びマールに告げた。

「帰ろう、俺たちのイスト村に。俺とマールとパラの三人で」


 もはや昼食の時間も過ぎていたが、俺は朝も食べ損ねているので、夕食までの繋ぎとして、軽い食べ物を用意してもらった。

 その後は、のんびりと、マールと二人で過ごし……。

 パラとリッサが目覚めたのは、夕方も遅い時間だった。

 早速、俺たちはラゴスバット伯爵に呼ばれる。


 床には赤い絨毯が敷き詰められ、壁や天井は木目調で整えられた部屋。

 立派な部屋ではあるが、よそいきの感じはなかった。接客室というより、伯爵の私室の一つではなかろうか。

 横に長いテーブルを挟んで、俺たちは伯爵の前に座らされた。

「ラビエス、マール、パラ。そなたたちには、本当に世話になった。ありがとう」

 俺たち三人を前にして。

 まず伯爵は、偉い人に似つかわしくなく、深々と頭を下げた。続いて、

「よくぞ、この難事件を解決してくれた! よくぞ、あの恐ろしい精霊を前にして、娘を無事に連れ帰ってくれた!」

 伯爵は、かたわらに座るリッサをちらっと見てから、俺たちに視線を戻す。

「本当に、感謝の念に堪えないくらいだ。だが口では何とでも言える。だから『褒美』という形で、私の気持ちを示そうと思う」

 ここでガバッと立ち上がり、伯爵は仰々しく両手を広げた。

「さあ! 言ってみよ! 私に出来ることであれば何でもしよう! 何でも与えよう!」

 しかし。

 突然そんなことを言われても、思いつかない。

 まあ事前にマールから「後で褒美についての話がある」とは聞かされていたが、こんな感じで「何でも」などと言われるとは、思ってもみなかった。

 俺たち三人は誰も答えない。

 その一瞬の沈黙を破って、

「父上!」

 リッサが席を立つ。

「褒美なら、既に決まっております」

 ……え?

 こいつ、いったい何を言い出したのだ?

 驚いた俺をさらに驚かせる言葉が、リッサの口から飛び出した。

「今回の一件に関する褒美は……私自身です! 彼らは、この私、リッサを所望しております!」


「なんと……」

 開いた口が塞がらない、といった感じの伯爵。

「父上、誤解しないでください。何も彼らは、私を娶りたいと言っているわけではありません。冒険者としての私をほっしているのです。優秀な白魔法士である私を、パーティーに加えたいと望んでいるのです」

「しかし、お前は……」

「今回の一件にしたところで、彼ら三人だけでは解決できませんでした。もちろん私一人でも不可能でした。四人で協力し合ったからこそ、成し遂げた奇跡です。その中で生まれた四人の絆を、これからも活かしていきたいのです」

「いやいや、リッサよ。お前は私にとって、大事な大事な一人娘。それを……」

「何を言うのですか、父上! 可愛い子には旅をさせよ、とも言うではありませんか! 実際、今回のことは私にとって大きな勉強となりました」

「いや、お前は、この城で……」

「城の中に閉じこもっていては知ることの出来ないものが、この広い世界には、たくさんあるのです! 私は今回、それを実感させられました! 今後この者たちと共に冒険を続けることで、まだまだ多くのことを私は学べるでしょう! それらは当然、私が将来この伯爵家を継ぐ上でも、有益な経験となるのです!」

「しかし……」

 立て板に水の勢いで、リッサは、まくし立てている。

 いやはや。

 肝心の――『褒美』をもらうはずの――俺たちそっちのけで、もはや親子の会話だ。

 しかし……。

 俺は心の中で「リッサのやつ、やりやがったな」と呟いてしまった。

 おそらく、この機会をリッサは利用したのだろう。冒険者になりたくて、城を飛び出したくて、うずうずしていたリッサだ。それくらいのことは、一緒に行動するうちに、俺にもわかったくらいだ。

 だから『褒美』という名目で、俺たちと同行することにしてしまえば、これで冒険の旅に出られる……。そんな魂胆に違いない。

 ふと右を見れば。

 隣でマールが、驚きと呆れと納得の入り混じったような、複雑な表情をしていた。まあ、俺と同じ考えに違いない。

 そして左を見れば。

 パラも俺たちと同じ顔を……。

 いや。

 ここで、俺の予想は大きく裏切られた。

 なんとパラは「してやったり」という感じで、にんまりと笑っていたのだ。

「パラ。ひょっとして、お前の入れ知恵か?」

「さあ? 何のことですか?」

 パラは、うそぶいているが……。

 この顔を見る限り、間違いない。これはリッサではなく、パラが描いた筋書きだ。

 確かパラとリッサは、同じ部屋で寝かされていたはず。目覚めてから二人で相談する時間もあったのだろう。そこでパラは、リッサの「冒険の旅に出たい」という気持ちを汲み取って、このプランを提案したのだ。

 やはり以前に思った通り。

 パラという少女は「意外と策士」じゃないか!


「ねえ、ラビエス」

 考え込んでいた俺に、マールが声をかける。

 俺たちの前では、リッサと伯爵が、まだやり合っている。既に事態は俺たちの手を離れたらしい。ならば、俺たちは俺たちで、勝手に話をしていても構わないだろう。

「なんだ?」

「別にいいんじゃない? リッサを連れて行ってあげても」

 少し意外だが……。

 パラの加入以来、マールは、幼馴染と二人きりの冒険というものに固執しなくなったのだろう。今さら一人増えても、ということか。

「ラビエスやパラには使えない魔法も使えるなら、戦力にはなるでしょう?」

 まあ、確かに。

「それで『褒美』がなくなっちゃうのは、少し残念だけど……。洞窟で手に入れた剣が褒美だった、と思うことにしましょう」

 そうだ。

 今回、俺たちは、見たことも聞いたこともないようなレアアイテムを獲得した。

 最後の最後で俺が拾った、炎魔剣フレイム・デモン・ソード。『炎の精霊』フランマ・スピリトゥの用いた武器だけあって、他では絶対、手に入らない代物シロモノだ。

 本当は、もう一本、あの洞窟に眠っているはずだが……。

 洞窟は完全に崩れてしまった。最初の祭壇の部屋までは、かろうじて行けるそうだが、その奥は完全に無理。掘り進めるのも困難だという話だった。


 そして。

 伯爵は、リッサに説得されて。

 リッサは正式に、俺たちのパーティーの一員となった。

 その結果。

 俺たちに対する御礼おんれいの意味で開かれるはずだった夕食会は、リッサの旅立ちを皆で祝福する、壮行会を兼ねたものとなった。


「うわあ!」

 一目見た途端、パラが感激して叫んだように。

 夕食会の料理は、素晴らしい御馳走だった。

 初めて見る料理も多かったため、その詳細を記述できないのが、少し口惜しい。

 しかし、そうして珍しい料理を口にすると……。

 ふと俺は、元の世界にいた頃のことを、外国で暮らしていた頃のことを思い出してしまう。


 俺が勤務した『外国』は、ヨーロッパではなくアメリカだった。

 アメリカという国は、人種的に、国際色豊かなところだ。その点、日本とは対照的だったと思う。

 元を辿れば様々な人種というだけでなく、インターナショナルと呼ばれる外国人――アメリカ人にとっての外国人――もたくさん暮らしている。特に、俺が働いていたのは大学の研究室だったので、留学生も多かった。アメリカ人以外に、ブラジル人、南米のどこかの国の人、アフリカのどこかの国の人、インド人、中国人、韓国人、東南アジアのどこかの国の人……。様々な国の人々と接する機会があった。

 彼らと外食に行けば、彼らの国の料理を出すレストランに行くこともあり。

 彼らとホームパーティーに参加すれば、彼らは自分の国の料理を持ち寄り。

 彼らには彼らの文化に基づいた、独自の料理があった。だから彼らにしてみれば、日本人は和食を食べるものと考えるし、和食の代表は寿司だと思ったのだろう。

「日本人って、毎日、朝から寿司を食べるの?」

 と聞かれたこともあった。

 この質問は笑い話になってしまうだろうが……。

 彼らと食事をすることで、俺は改めて実感した。日本人は『和食』ばかり食べるわけじゃない、と。

 だいたい、ハンバーグやオムライスやスパゲッティやカレーライスなど、子供が好きな食事リストの上位に入るこれらは、和食ではなくて洋食ではないか。日本人が自分たちの口に合うように改変してきた、オリジナルとは異なる『洋食』ではないか。


 アメリカに他国から来ている者の中には、

「この機会だから」

 と、自国では食べられないような料理を、積極的に楽しむ者も結構いた。

 しかし、

「やっぱり口に合わない」

 と、少しは食べるものの、結局は、自国の料理を出してくれるレストランに足繁く通う者も大勢いた。

 そうやって『食』が合わなければ、さぞかし暮らしづらいことだろう。

 その点。

「日本人は恵まれている」

 と、当時の俺は感じた。

 日本人は元々、日本にいた頃から多種多様な国々の料理を食べてきた。もちろん、それらは日本人向けに改変されたものではあったが、いざ本場の料理を口にしても「どこか似ている」「慣れ親しんだ味とは異なるが、むしろ高級感を思わせる味」などと、違和感なく受け入れられるのだった。


 これは外国暮らしだけではなく、異世界暮らしでも同じことだと思う。

 もちろん、日本でも食べられる外国料理とは違って、異世界料理は転生前には食べられない。しかし多種多様な料理を食べることに慣れてきた日本人は、新しい料理に出会っても「前に食べたアレに似ているな」というように、自然に類似点を見つけ出して、順応できるだろう。違和感なく口に馴染むだろう。

 毎日の生活を営む上で『食』の問題は重要だ。

 だから、こうした意味で。

 俺は、敢えて断言したい。

 日本人は、外国人以上に、異世界にも馴染みやすい種族だ……と。


 そして、うたげの翌日。

 朝のまどろみの中。

 まだ目を閉じたまま、俺は夢現ゆめうつつな頭で、少し考え事をしていた。

 ラゴスバット城に来て三日目なので、冒険旅行としては四日目。つまり、今日は金曜日だろうか。

 正直、旅に出てから曜日感覚が薄れている。イスト村にいた頃は、日曜は教会で朝の礼拝に参加、水曜と土曜は治療院でフィロ先生の手伝いというように、規則正しい生活だったのだが……。

 そうして「曜日」「日曜礼拝」「フィロ先生」などと思い浮かべたところで、俺は重大な事実に気づいた。

 今回俺たちが解決した事件と、フィロ先生が聞きつけてきた病気の噂は、全くの別物だった……という事実に!

 そう。

 フィロ先生が「隣村で新しい病気が蔓延」という噂を仕入れてきたのは、今から十日以上の前の日曜礼拝だ。

 一方、リッサや鍛冶屋の子供の話から考えて、今回人々が透明人間にされたのは、ほんの数日前の出来事。

 つまり。

 時系列が合わない。これでは、事件が発生する前に、その噂が広まっていたことになってしまう!

 今回……。

 噂を聞いて隣村であるネクスまで来てみれば、流行ってはいなかったものの、確かに呪いという『新しい』異常現象が発生していた。そしてネクス村ではなかったが、近くのラゴスバット城で、それは確かに『蔓延』していた。

 だから俺たちは、これが噂されていた件だと思い込んでしまったわけだが……。

 いやはや。

 もう事件は解決した――目的は果たした――ということで、いざ帰ろうとしている今朝になって、ようやく気づくとは!

 なんとも皮肉な話である。

 今回の出来事が、聞いていた噂の一件ではなかったということは、もしかすると『隣村』ではなくさらに遠くの別の村で何か起きているのかもしれないが……。今さら、もうこれ以上遠くまで足を延ばすつもりもなかった。

 たとえ別の事件であったにせよ、俺たちは『呪い』の問題を解決して、困っていた人々を救ったのだ。それだけは確かな事実なのだ。胸を張ってイスト村に帰ろう!

 そもそも俺たちは、別に依頼されたわけではなく、興味本位で話に首を突っ込もうとしていたに過ぎない。想定していた事件とは別の事件を解決してしまったというのも、むしろ俺たちには、お似合いじゃないか!

 そう結論づけて、俺は目を開いた。

「あら、ようやく起きたのね」

「ああ。おはよう、マール」

「少し苦しそうな顔だったけど……。怖い夢でも見た?」

「ああ、そんな感じ。はっきりとは覚えていないが」

 俺は適当に誤魔化す。

 そんな『怖い夢でも見た』かのような『苦しそうな顔』だったというなら、これは俺の胸に留めておこう。マールやパラやリッサに告げる必要もない。


 今朝も昨日と同じく、マールは俺の寝顔を眺めていたようだ。

 この部屋には、俺とマールしかいない。

 俺とマールは、賓客用に二人部屋をあてがわれていたが、パラはリッサの部屋――いわゆる『お姫様の部屋』――で寝泊まりしている。そういえば、パラは相変わらず俺たちのことを「ラビエスさん」「マールさん」と呼ぶのに対し、リッサのことだけは「リッサ」と呼び捨てになった。すっかり二人は仲良しになったようだ。

「ほら、ラビエス。今日は村に帰る日よ。早く支度して」

「ああ、そうだな」

 いつのまにか俺は、マールと二人きりで同じ部屋ということにも、隣同士のベッドで眠ることにも、マールの目の前で――一応背中は向けるが――着替えることにも、すっかり抵抗がなくなった。わずか四日間の冒険旅行だったのに、慣れというものは凄いものだ。

 今日は『治療師』ではない。『炎の精霊』フランマ・スピリトゥと戦う時は、白魔法士の格好になってしまったが、冒険旅行の最後くらい、俺の『冒険者』としての正装で行こう。

 そう考えて。

 俺は、愛用の皮鎧を着込んだ。


 ラゴスバット伯爵が用意してくれた馬車は、なんともまあ立派なものだった。

「これは凄いです……」

 感嘆の声をあげたのはパラ一人だったが、俺も同じ心境。おそらくマールも、内心では同じ気持ちだったに違いない。

 馬車を引く長行馬ちょうこうばは、もちろん黄色い馬なのだが、一般の長行馬ちょうこうばよりも毛並みが高級なのかもしれない。朝の日の光を浴びて、いくらか金色に輝いて見えるようだった。

 馬車のキャビンは、純白に塗られていた。ところどころ金色で、縁取りのような装飾も施されている。車輪まで同じく金色に塗られているほどだった。

 乗り込むと、キャビン内部には、おもむき深い、赤いソファー。このような色を『ワインレッド』というのだろう。

「凄いですよ! ふわふわと、沈み込みます!」

 パラは一人で、座り心地にも、はしゃいでいる。そんな態度が物珍しいのか、リッサはパラを「そうか、そうか」と言いたげな、穏やかな目で眺めていた。

「ねえ、ラビエス」

 俺の隣に座ったマールが、ぽつりと呟く。

「こんな馬車で帰ったら……。村の人たち、きっと驚くでしょうね」


 そして、城の大勢に見送られて、馬車は出発する。

 走り出して実感したが、素晴らしいのは外観やソファーだけではなかった。

 衝撃を吸収する構造も優れているようで、乗り心地も快適だった。もちろん往路の荷馬車と比べるのは失礼なレベルで、一般的に快適と言われる乗合馬車と比べても、段違いのレベルだ。

 速度も普通の馬車より優秀なようで、夕方になる頃には『西の大森林』に差し掛かった。

「リッサ、これが『西の大森林』です」

「広いな! 城の『裏庭』と比べても、勝るとも劣らないくらいだ! この森は既にイスト村の一部なのか?」

「そうとも言えるし、違うとも言えますね。この森全体が広大なダンジョンになっていて……」

「全体? この森の全てが、モンスターや宝箱であふれたダンジョンなのか!」

 窓から外を眺めて、リッサは興奮している。今のリッサにとっては、見るもの全てが新鮮なのだろう。なんとも微笑ましい、初々しい姿ではないか。

 俺とマールは、どちらともなく顔を見合わせ、同じ笑顔を浮かべた。

 やがて、馬車は森を抜けて、イスト村が見えてきた。

「おお! あれが、私の冒険者生活の拠点となる村か!」

「そうですよ、リッサ。私たちのイスト村です」

「ネクス村とは全然違うな! こんなに大きいのか! まるで村というより、町ではないか!」

 そんなリッサの姿になごませられたのか。

 あるいは、イスト村を目にして心が緩んだのか。

 どちらにせよ、油断したのだろう。

 ふと、今回の一件を振り返って、俺は口に出してしまった。

「しかし……あんなウイルスがあるとはなあ」

「……ウイルス?」

 聞き慣れない言葉を耳にして、反応するマール。

 俺は「しまった」と思うが、もう遅い。

 何か言い繕う必要がある。

 そうだ。

 あの呪いの原因となった病原体を、全く新しい種類だから、今までにない名称を使って『ウイルス』と命名したことにしよう。無理な言いわけかもしれないが、これで『聞き慣れない言葉』に対する説明になるかも……。

 だが、それを口にするよりも早く。

 俺の真向かいに座っていたパラが、にんまりと笑った。

 リッサが黙って外の景色を楽しんでいる間に、パラは魂胆ありそうな笑みを浮かべて、俺に体を寄せてきた。

 そして……。


――――――――――――


「しかし……あんなウイルスがあるとはなあ」

 私――パラ・ミクソ――は、感激してしまいます。

 なんということでしょう!

 ラビエスさんが、こちらの世界にはない、あちらの世界の用語を口にしたのです。

「……ウイルス?」

 マールさんが聞き返します。

 当然です。

 マールさんにとっては、初めて聞く言葉なのでしょう。

 しかし私にとっては、何度も聞いたことのある言葉です。

 ただし、私の知識では「細菌とかバイ菌とかと同じで病気の源になる」という程度。実は、それらの間には違いがあるようですが、そうした話に関しては、私は素人です。

 そうです!

 この機会に、私より詳しそうなラビエスさんに、きちんと教えてもらいましょう!

 ラビエスさんならば、転生者であることがバレないように取り繕いながらも、上手く教えられるはずです。

 思えば。

 これまで私から「京都キョート」や「ラテン語」のような言葉を――あちらの世界の言葉を――持ち出すことはあっても、ラビエスさんの方から話題に出したことはありませんでした。

 これが初めてです。

 どういう心境の変化なのでしょうか?

 もしかすると、私に向かって「もう察しているだろうが、俺も転生者だよ」というサインを送ってくれたのでしょうか?

 そう考えると、すっかり私は嬉しくなって、自然と頬が緩みます。

 その気持ちのまま、少し身を預けるような感じで、ラビエスさんに近寄って……。

 私は、心からの笑顔で質問しました。

「ウイルスって何ですか?」




(第一章「コウモリ城の呪い」完)

(第二章「魔の山に吹く風」へ続く)

   

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