第十一話 隣村の宿屋にて(ラビエス、パラの冒険記)
「……でもね。ありゃあ、病気じゃなくて呪いですよ」
「呪い?」
俺――ラビエス・ラ・ブド――は、思わず聞き返してしまった。
「そうです。呪いですよ、呪い。村の治療師もお手上げですからね。だいたい、人間が透明になる病気なんて、あるわけないでしょう?」
「人間が透明に?」
今度は、マールが声に出して反応した。いや口には出さなかったものの、俺も十分驚いている。おそらく、パラも同じだろう。人間が透明になる呪い、とは……。
「それで……。その呪いは、どれくらい広まっているのです?」
「どれくらいも何も。呪いを受けたのは、鍛冶屋のところの坊やだけですよ。あの子、いつもお城まで遊びに行くもんだから、バチが当たったんでしょうねえ。そうそう、お城というのは、この辺の領主の、ラゴスバット伯爵様のお屋敷のことで……」
女将さんの話は、呪いの件から、ラゴスバット伯爵に関する噂話へと変わっていった。パラは律儀に耳を傾けており、時折「へえ」とか「そうなんですか」とか合いの手を入れているが、もはや俺は聞いていなかった。
人間が透明になるという呪い。
しかも鍛冶屋の子供一人だけ。
フィロ先生から聞いた話――「隣村で、全く新しい病気が流行り始めたという噂があってのう」――とは、かなり違う気がするが……。しょせん噂などというものは、その程度の信憑性なのだろうか。
「そうそう。さっき言った、もう一人のお客さん。彼女も白魔法士だそうで、呪いの話には興味津々で、鍛冶屋まで見に行きましたよ。今から行けば、ちょうど向こうで鉢合わせするんじゃないですかね」
最後にそう言って、女将さんは去っていった。
残された俺たちは、誰言うともなく、互いの顔を見合わせた。
「どうします?」
「とりあえず、私たちも見に行きましょうか。この村に来た目的の一つは、その呪い関連なのよね?」
二人の言葉に、俺は頷いた。病気ではなく呪いだというなら、どうせ俺にも何とも出来ないだろうが、
「そうだな。とりあえず、そうしようか……」
――――――――――――
私――パラ・ミクソ――とマールさんに向かって、ラビエスさんが話をまとめました。今から問題の子供を見に行こう、という方針です。
最終的には彼の判断になりましたが……。
ラビエスさんは最初から最後まで、宿屋の女将さんの対応を、ほとんど私に任せきりでした。この『呪い』の一件に一番関心あるのは、ラビエスさんのはずなのに。
それにしても……。
「……よく喋る女将さんでしたね」
ふと、言葉に出してしまいました。
イスト村の広場の果物屋さんも饒舌でしたが、彼女と比べても、勝るとも劣らないくらいです。もしかすると、宿屋は客商売なので、話好きの人の方が向いているのかもしれません。
「パラ、ご苦労さま。私も適当に口を挟んだ方がいいかな、とも思ったけど……」
マールさんは、軽く笑いながら、
「こういうのは、あなたの方が向いているように思えたから」
どういう意味でしょうか?
私が尋ねるまでもなく、マールさんは続けました。
「……パラって、本当に人見知りしない子なのね。知らない人が相手でも、誰とでも友達のように話せるのでしょう?」
「そうだろうな。イスト村に来たその日に『腕のいい治療師』なんて噂を聞きつけて、俺のところに来たくらいだ。いったいどれだけの村人と喋ったら、そんな噂が耳に入るんだ?」
冗談っぽく笑っていますが……。
二人の言葉は、私にとって、嬉しい驚きでした。
いつのまにか私が「人見知りしない子」になっていたとは、私自身、全く気づいていませんでした。
自分でも不思議です。
もともと私は、むしろ引っ込み思案な人間で、人付き合いも苦手でした。そんな自分を嫌に思う気持ちもあって、大学入学を機に自分を変えようと思っていたタイミングで、異世界転生したわけですが……。
私が変わったのであれば、しかも、私の望んでいた方向に変わったのであれば。
それは、元々の『パラ』の陽気な性格が影響したのでしょうか。それとも、私自身の努力の成果なのでしょうか。
どちらにせよ、かつての「自分自身を変えたい」という望みが、いつのまにか叶っていたということになります。
思えば……。
この世界に転生してから今まで、色々なことがありました。
一瞬のうちに、様々な思い出が頭の中を、走馬灯のように駆け巡ります。
嬉しかったこと、楽しかったこと、苦しかったこと、辛かったこと……。それぞれの出来事を思い出すと同時に、その時々の感情も蘇ります。
ああ、いけません。
こうやって考えると、様々な感情がぎゅっと凝縮されて押し寄せてきて、なんだか涙ぐんでしまいそうです。
泣き出すような場面ではないのですが……。
自分を変えることが出来た、という達成感なのでしょうか。
だから、自分で自分を褒めてあげたいのでしょうか。
あるいは、その過程で味わった苦労を思い出しているのでしょうか。
正直、自分でもよくわからないのですが……。
黙って考え込んでいたら本当に泣いてしまうかもしれない……。そう思って、口を開きました。
「私、元々は人付き合いも苦手で……」
「そうなの? とても、そうは見えないけど」
「……だから、魔法学院入学を機に、自分を変えようと思って……」
ああ、感情の波に流されてはいけません。
冷静に話しましょう。
おそらく今、私は変な顔になっていると思います。
でも口に出して話し始めたのは、かえって逆効果でした。どう言葉で伝えたらいいのか考えて、転生してからの今まで――特にラビエスさんとマールさんに出会うまで――を振り返ってしまったら、余計に駄目でした。
今でこそ、ラビエスさんとマールさんに優しくしてもらっていますが……。
転生してから何年もの間、魔法学院では親しい友人もおらず、私以外の転生者と出会うこともなく……。
私は『異世界』という大きく変わってしまった環境の中で、ひとりぼっちで頑張ってきたのです。
今にして思えば、それは高校時代のような心地よい『ひとりぼっち』ではなく、心細さも感じてしまう『ひとりぼっち』でした。
「私……あれから色々と頑張って……」
私の中で様々な想いが溢れて、涙になってこぼれました。
「あらあら、ごめんね。私、変なこと言っちゃったかしら。そんなつもりじゃなかったのに……」
「いえいえ、こちらこそ、ごめんなさい。マールさんのせいじゃないです。ただ……色々と思い出して……」
本当にごめんなさい。
泣き出した私を見て、マールさんが少し困っています。
当然です。だって私自身、なぜ今泣いているのか、よく理解していないのですから。
私は、感情の整理がつかないまま、しばらく涙が止まりませんでした……。
――――――――――――
俺――ラビエス・ラ・ブド――もマールも、驚くしかなかった。
「私……あれから色々と頑張って……」
突然、パラが泣き出してしまったからだ。
マールは慌てて、
「あらあら、ごめんね。私、変なこと言っちゃったかしら。そんなつもりじゃなかったのに……」
「いえいえ、こちらこそ、ごめんなさい。マールさんのせいじゃないです。ただ……色々と思い出して……」
涙が止まらないパラを、マールは優しく抱き寄せて、「よしよし」といった感じで、背中を叩いている。
そんな二人の姿を見ながら、考えてしまう。
以前に俺は、パラのことを「意外と策士」と感じたことがあったが、今この場で見せた涙が偽りの涙とは思えなかったし、思いたくもなかった。
これが何らかの策だとしたら、明確な理由があるはずだが、こんな場面で泣き出す意図が想像できない。マールの関心を引きたいとか、マールに好印象を与えたいとか、そういう目的なのだとしたら、涙を流すべき場面は、少なくとも今ではないだろう。実際、今マールは困惑しているくらいなのだから。
だから、ここは素直にパラを信じようと思う。
そして素直に受け取るのであれば、今の話で、おおよその事情を察することが出来た。
もともと転生前のパラは、今とは違って、内向的な性格をしていたらしい。しかも「自分を変えよう」という気持ちを持ちながらも、元の世界にいる間は、そのきっかけがなかったのだろう。そうでなければ「魔法学院入学を機に、自分を変えようと」などと言うわけがない。
そして、さらに推測を重ねるならば……。
たとえ異世界転生などせず、元の世界で普通に暮らしていても、人は「環境が大きく変わった」という経験をすることがある。例えば、俺にとっての海外勤務という経験のように。
もしも自分を変えたい人間が『環境の大きな変化』を経験したら、それは自分を変える『きっかけ』になるはずだと俺は思う。だから「転生前には『きっかけ』がなかった」ということは、パラにとって、この異世界転生が人生初の『環境の大きな変化』なのだろう。
うん。
それは、俺以上に、大変だっただろうなあ。
しかも「魔法学院入学を機に」というのだから、それが異世界転生のタイミングとほぼ重なるのだろうと想像できる。
だから「あれから色々と頑張って」という発言の意味も、別の意味に聞こえてくるのだ。
マールから見れば「魔法学院に入学してから色々と」だろうが、俺から見れば、本当は「異世界転生してから色々と」なのだろうと理解できる。
うん、大変だっただろうなあ。
転生者には、転生者にしかわからない苦労があるはずだから。
俺は今までパラのことを「なるべく遠ざけておきたい」と思ってきたが、こんな姿を見せられると、妙な親しみを感じてしまうくらいだった。
俺は思うのだが。
人間というものは、孤独な環境にいる時より、孤独から抜け出した後の方が、かえって以前の孤独を実感できるのではないだろうか。
例えば、シングル生活を満喫していた者が、恋人が出来て、その温もりに触れることで初めて、かつてのシングル時代の寂しさに気づくように。
例えば、異国で外人だらけの中、一人で頑張っていた者が、同じ国の友人と出会って、助け合えるようになって初めて、外人だらけの環境がいかに大変だったのか感じられるように。
そう。
元々は人付き合いが苦手だったというなら、パラも似たようなものではないだろうか。
一人に慣れていたパラは、これまで、異世界生活も一人で普通にやってこれた。それが最近、同じ転生者である俺と出会って、気が緩んでしまう。ふっと「今まで自覚していなかった寂しさ」が自分の心の中にもあったと気づいてしまう……。
そんな心理状態だと想像すれば、突然パラが泣き出したのも、少しは理解できるような気がするのだった。
今。
俺の目の前で、マールの腕の中で、まだパラは泣いていた。かなり勢いは収まったが、とても今から外出できる雰囲気ではない。呪い関連の話は、明日に持ち越しだろう。
マールも「そんな状況じゃない」と目で合図を送ってきた。
俺は二人に近づき、パラには聞こえないように、そっとマールに耳打ちする。
「ちょっと食堂へ行ってくる。部屋でも食べられるような簡単な食事、用意してもらうから」
マールが黙って頷くのを見て、俺は階下へ向かった。
この様子では、外出どころか、一階の食堂まで夕食に行くのも無理だろうと判断したのだ。
もちろんルームサービスなんてないから、食堂で作ってもらって、俺が三人分――パラは食べられないかもしれないが――部屋に運ぶとしよう。
翌朝。
俺が目覚めた頃には、既に女性二人は起きていた。
「昨晩は、どうもすいませんでした。私のせいで……」
「その話は、もう終わり。それより、今朝は昨日の分まで、しっかり食べましょうね」
「はい。私も、お腹ペコペコです」
恐縮至極のパラに、マールが上手く対応してくれたらしい。
俺の起床に気づいたパラは、もう、いつも通りの元気な少女だった。
「あ、ラビエスさんも起きましたね。おはようございます!」
「おはよう、ラビエス」
「ああ、おはよう」
マールもパラも、既に冒険者の格好――いつもの皮鎧といつもの黒ローブ――になっていた。
俺も支度をする。ただし今日は皮鎧を装着せず、フード付きの白いローブを羽織った。今日は問題の鍛冶屋に出かける予定なので、『冒険者』ではなく『治療師』の気分だからだ。
「それじゃ、朝飯に行こうか」
「はい!」
パラが、元気良く頷いた。
「お客さんたち、結局昨日、鍛冶屋には行かなかったんですね」
食堂で朝食を注文しようとしたら、女将さんの方から、その話を持ち出してきた。
まさかパラが泣き出して行きそびれたとは言えないので、俺は適当に誤魔化す。
「ああ、まあ昨夜は、旅の疲れとか色々あったから……」
「そうですかい。ところで……」
女将さんは、こちらの事情なんて関心ないといった様子で、
「……昨日話した、呪いを見に行ったという女性冒険者さん。ちょうど今、あそこで食事していますよ」
女将さんは、長いテーブルの端を指差した。
確かに、一人の女性が朝食中のようだ。ここから見ると、彼女の姿形よりも何よりも、そこに並べられている料理の量に驚かされた。明らかに二人前か三人前くらいありそうなのだ。
「凄いですね……」
パラが呟いている。俺と同じことを思ったのだろう。
そんな俺たちを見て、女将さんが少し笑いながら、
「あのお客さん、昨夜は帰ってきてすぐ、何も食べずに寝てしまいましてね。昨日食べ損ねた分、今日はガッツリ食べてるみたいですよ」
少し俺たちと似ているかもしれない。まあ俺たちの場合「何も食べずに」ではなかったから、まだマシなのだが。
「お客さんたちも鍛冶屋まで呪いを見に行くのでしたら、彼女に案内してもらうといいでしょうね」
そう言って女将さんは話を締めくくり、奥の厨房へと引っ込んだ。
なるほど、俺たちを女性冒険者に押し付けるつもりで、この話を始めたわけか。
まあ、その魂胆に乗ってやろう。
マールもパラも同意見らしい。
「いい機会だから、挨拶に行きましょうか」
マールに頷き、俺たちは女性冒険者の方へ向かった。
「ここ、いいかな?」
一言だけ声をかけてから、俺たちは彼女の前に座った。
彼女は一瞬、食事の手を止めて、
「構わないが……。何か用か?」
それだけ言うと、また食事に戻った。
俺やマールと同じくらいの年頃に見えるが……。
彼女の口から出たのは、大人びた感じの、色気のある艶っぽい声だった。
しかも、その声がよく似合う顔立ちをしている。目鼻立ちの整った、
座っているから明らかではないが、女性にしては高身長だろう。マールより高いだけでなく、俺と同じくらいかもしれない。
ただし大柄という印象がないのは、スレンダーな体つきのせいだろうか。しかもスレンダーなのに「出るところは出ている」という、女性としては何とも恵まれた体型だ。「出過ぎている」わけではないから、パラの『ロリ巨乳』のような「体格に不釣り合いな感じ」は全くなかった。
俺と同じタイプの白ローブを着ているが、フードは被らず、背中に垂らしている。
美しい赤髪はかなり長いようだが、銀色のリボンで結わえているので――いわゆるポニーテール――、正確な長さはわからなかった。前髪も少しだけ長めだが、左右のヘアピン――リボンと同じ銀色――で留めている。
金属の髪留めなんて、この世界では珍しい。金属製のアクセサリーといえば、もう一つ。右手の人差し指にも、銀色のシンプルな指輪をはめている。
こうしたアクセサリーだけ見れば、高貴な身分かもしれないと思えるのだが……。
ガツガツと食事する様は、それに似つかわしくなかった。会話の間も――「何か用か」と問いかけておいて、その返事も待たずに――食べ続けているというのは、間違っても「どこぞのお嬢様」のマナーには見えなかった。
とりあえず、俺は自己紹介をする。マールとパラも俺に続いた。
「俺はラビエス・ラ・ブド。イスト村の冒険者だ」
「私はマール・ブルグ。このラビエスの幼馴染よ」
「パラ・ミクソです! 駆け出しの冒険者です」
赤髪の女性冒険者は、また一瞬だけ食事の手を止めて、
「私はリッサ。ラゴスバット城から来た冒険者だ」
俺は少しだけ「おや?」と思った。
冒険者は普通、自己紹介の際、自分のフルネームを告げる。お互いにフルネームを聞いた上で、ファーストネームで呼び合うのが、冒険者の流儀だ。
しかし考えてみれば、リッサは「ラゴスバット城から来た冒険者」と自己紹介したくらいだ。もしも伯爵家お抱えの冒険者であるというなら、事情は異なるのかもしれない。『ラゴスバット城』というのは、女将さんが『お城』とか『ラゴスバット伯爵様のお屋敷』と言っていたところなのだろうから。
「その『用』なんだが……。食事の後で、鍛冶屋まで案内してもらいたいと思ってな。実は俺たち、奇妙な病気の噂を聞きつけて、この村にやって来たんだ」
「宿の女将さんからは、透明人間になる呪い……って聞きました。この目で見てみたいのです」
パラが俺の言葉を補足する。
これには興味を引かれたとみえて、リッサは一旦、食事を中断した。俺の白魔法士姿を見ながら、
「ああ、あれは病気ではなく呪いだ。解毒魔法も回復魔法も効かないぞ。なにしろ、私の魔法でも無理だったのだからな」
挑戦的な態度を見せる。随分と腕に覚えがあるようだ。
「まあ、鍛冶屋までは案内してやろう。どうせ駄目だろうが……」
そして意味ありげにニヤリと笑いながら、彼女は俺たちに告げた。
「……もしも、少しでも呪いを解除できるのであれば、こちらから頼みたいこともあるからな」
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