第九話 事件の後始末(ラビエス、マール、パラの冒険記)

   

 俺――ラビエス・ラ・ブド――は、言葉も出なかった。

 大変な事態となったのだ。

 普通ならば。

 いくら森の中であっても、モンスターに向けて放った炎が木々に燃え移ることなど、まずありえない。周囲に影響を及ぼすほど炎は大きくないし、長く燃え続けたりもしない。

 今回は特殊なケースだ。それだけパラの魔法の威力が凄まじかったというあかしだろう。いやはや、彼女の「学院では『呪文詠唱が美しい分、魔法の威力も凄まじい』と評判でした」という発言は、嘘でも誇張でもなかったわけだ。

 少しの間、俺は呆然と立ちすくむだけだったが、

「ラビエス!」

 マールの凛とした声で、我に返った。

「そうだ。ここは俺とパラの氷魔法で、消火を……」

 もちろん、白魔法士である俺より、黒魔法士のパラの氷魔法が主力。そういえば、パラは黙ったまま……。

 そしてパラに目をやった俺は、再び驚いた。

 パラは意識を失って、倒れているのだ。

「パラは私が面倒見るから! ラビエスは早く消火を!」

「あ、ああ……。イアチェラン・グラーチェス・フォルティテル!」

 すぐに俺は理解した。

 パラは魔力を使い切ったのだ、と。疲労で倒れたのだ、と。

 初心者にありがちなミスである。自分の魔力が空っぽになるまで魔法を使う、というのは。

 もちろん今回の場合、初めての『副次詠唱付き』魔法ということで、パラ自身が想定した以上に魔力を食われたのだろうが……。

 一発で全魔力を消費するとは。

 それほどならば、桁外れの威力となるのも、不思議ではないかもしれない。

 それにしても……。

 火事になったとはいえ、森のような、ひらけたダンジョンで幸いだった。もしもこれが洞窟ダンジョンのような閉鎖的な空間だったら、洞窟が崩壊して天井が落ちてきて、俺たちは生き埋めだったのではないか。そう考えると、ゾッとする。思わず、俺は身震いしてしまった。


 やがて。

 他の冒険者たちも駆けつけてきた。

 この『西の大森林』はダンジョン自体が広大で、また宝箱もランダムに位置を変えるダンジョンなので、一つのパーティーが一度の冒険で使う領域は少しだけ。そのため、同時に複数の冒険者グループが探索していることが多い。

 今日も、他の冒険者が大勢、森に入っていたのだろう。もしも、パラの爆炎で吹き飛んだ範囲内に誰かいたら、それこそ大惨事――人的被害を伴う惨事――なのだが……。大丈夫だろうか。

「イアチェラン・グラーチェス!」

「イアチェラン・グラーチェス・フォルティシマム!」

 救援の冒険者の中には、弱氷魔法フリグラまでしか使えない者もいれば、俺には無理な超氷魔法フリグガを扱える者もいた。

 微力ながら手助けを、というのもありがたいし、強力な魔法で手助けを、というのも当然ありがたい。

「ラクタ・ラピス!」

 水系統が苦手で土系統が得意な魔法士は、上から土をかぶせようと、弱礫魔法ストナラを唱えている。本来は大気中の塵芥を固めて石や岩にして投げつけるのだが、敢えて弱く調整して、土にしていた。炎に土砂をかける消火法は、酸素の供給を妨げるものだから、石や岩では隙間が多くなって駄目なのだろう。

「俺はこっちを切るから、あっちは任せた!」

 戦士や武闘家など、魔法が使えない冒険者たちは、燃えている木々のさらに周囲で、木や草を刈り取っていた。これ以上、火が燃え広がらないように、という対処だ。

 魔法士以外の集団を仕切っているのは、モヒカン刈りの男だった。防御よりも動きやすさ優先の――己の肉体を武器とする者が好む――武闘家用ハーフタイプの皮鎧を着ている。いかにも武闘家といった感じで、現に今も、彼は素手で木を殴り倒していた。

 こうして。

 時間はかかったが、なんとか消火活動は終わった。


 協力してくれた冒険者たちに何度も頭を下げてから、俺たちも『赤レンガ館』に戻った。いつものダンジョン探索とは別の意味で、冒険者組合に報告する必要があったからだ。

 今回の火災は、村の中からも見えており、既に村人の間で噂になり始めているらしい。先に戻って来た冒険者たちからも話を聞いたようで、窓口のお姉さんは、かなり正確に事情を把握していた。

 俺とマールは、こっぴどく叱られた。

「自分たちが何をやらかしたのか、理解していますか? せっかくのダンジョンが、ダンジョンそのものの一部が、失われたのですよ! 犠牲者も怪我人もゼロだったことが、不幸中の幸いですが……」

 さすがは冒険者組合。被害のあった範囲内に誰も冒険者がいなかったことは、既に確認済みだった。

「これは、あなたたち二人の監督責任ですからね! 新人冒険者を連れて行くなら、きちんと面倒を見てあげてください!」

「……はい」

 この調子では、パラも目覚めた後で、かなり怒られるのだろう。だが、悠長にパラを心配していられる場合ではなかった。

「二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、今後はパラさんから目を離さないように! 三人パーティーとして、プロフィールに記載しておきますから!」

 ……あれ?

 パラと一緒にダンジョンへ行くのは、あくまでも「パラが冒険に慣れるくらいまで」という約束であって、一時的な話だったのだが……。

 そんな異論を挟める状態ではなかった。

 転生者であるパラと親しくするつもりはない、という俺の思惑から、どんどん事態は外れていく……。


 マールに背負われたパラは、俺たちが女子寮――『白亜の離宮』――の前まで来ても、まだ眠り続けたままだった。

「どうせ隣室だから、このまま私が運ぶわ」

「そうしてくれ。頼む」

 帰りの道中ずっと、マールはパラを運び続けていた。「男の俺ではなく女のマールが」というのは少し変かもしれないが「白魔法士の俺ではなく戦士のマールが」と考えれば不思議ではない。そう思って、俺は従っていた。このまま最後まで、マールに任せよう。

「じゃあ、今日はこれで」

 そう言ってマールが玄関に入っていく時、ちょうど、寮から出てくる冒険者とすれ違った。

 名前こそ知らないが、広場で頻繁に見かける女性冒険者だった。いや「広場で頻繁に」どころか、先日ここで俺とマールが立ち話をしていた時にも、迷惑そうに声をかけてきた彼女だ。

 今日は長話ではないから大丈夫……と思ったが。

 女性冒険者は、俺とマールを一瞥して、

「『西の大森林』……手頃なダンジョンだったのになあ。ごっそり削られちゃったのかあ……」

 非難がましい口調で、俺たちにも聞こえるくらいの声量で、独り言を口にしていた。

 どうやら、既に噂は女子寮にも届いているらしい。


 翌朝。

「おはようございます」

「おお、ラビエス。昨日は大変だったのう」

「はい、まったくです。なにしろ……」

 朝食の席での話題は、当然のように昨日の火災の件となった。

 いつも日曜礼拝の時に色々と噂話を仕入れてくるフィロ先生だ。たまには、フィロ先生の方から情報を提供したくもなるだろう。村でも噂になっている『西の大森林』の一件は、恰好のネタとなるに違いない。

 そう考えて俺は、昨日の出来事を詳しく、不謹慎にならない程度に面白おかしく、フィロ先生に語ってみせた。

 一通り聞き終わったフィロ先生は、何やら考え込みながら言う。

「ふむ。そのパラというお嬢ちゃん……。まだ眠ったままかのう?」

「さあ、どうでしょう。普通に魔力を使い果たしただけなら、一晩寝れば回復するでしょうし、それで目も覚めると思いますが……」

「もしも目覚めず、昏睡状態が続くようなら……。コダイトショカンに行ってみる、という手もあるじゃろうな」

「コダイトショカン……。古代図書館……ですか?」

 いかにも、いにしえの秘術など眠っていそうな名称である。

「いや『古代図書館』ではなく『誇大図書館』じゃ」

 初めて聞く名前だった。フィロ先生は様々な噂話を聞き知っているわけだから、良く言えば『物知り』ということになる。

「はるか南の地にあるという施設で、そこには無数の蔵書があって……」

 フィロ先生の話によると。

 誇大図書館には、伝承や逸話、伝説や神話などを記した書物が集められているらしい。そうした書物の中には、伝説級のダンジョンに関する手がかりや、魔法学院では教えないような魔法についてのヒントもあり、探究心の強い冒険者や魔法士などが訪れることも多いという……。

「……とはいえ、ほとんどは眉唾ものの情報ばかりらしいがな。何しろ『誇大図書館』と呼ばれるくらいじゃ。信憑性の低い、誇大妄想のような話が大部分なのじゃろうて」

 ああ、なるほど。いわゆる都市伝説のたぐいを集めた図書館なわけか。

 そんな誇大図書館の話を、なぜフィロ先生は持ち出してきたのだろう?

 疑問が顔に出ていたと見えて、俺が質問するまでもなく、フィロ先生が答えを語ってくれた。

「実はな。わしも行ってみようかと思ったことがあるのじゃ。ほら、お前さんが意識不明に陥った時……」

 俺……というより、オリジナルの『ラビエス』が、足を滑らせて崖から落ちた時の話だ。

 意識不明は回復魔法でも治せない。それは治療師として仕方ないことだとフィロ先生も割り切ったのだが、『ラビエス』の傍らで心配するマールを見て、気の毒に思ったのだという。

「ひょっとして、瞬時に目覚めさせることも出来るような、失われた古代魔法でもありはせんかと思ってのう」

「それで、その手がかりを求めて、誇大図書館に……」

「うむ。じゃが、この治療院を留守にするわけにもいかん。かといって、マール嬢ちゃんを誇大図書館に行かせるわけにもいかんじゃろ」

「そうですね」

 幼馴染のマールとしては、大切な『ラビエス』が意識を取り戻す時には、絶対立ち会いたいはずだ。真っ先に、彼に駆け寄りたいはずだ。

 フィロ先生は、そう考えたらしい。彼女は実際、そうしたのだから、フィロ先生は間違っていなかった。

「だからの。少し考えただけで、結局、断念したのじゃ」

 フィロ先生は、そうして話を締めくくったのだが……。

 誇大図書館。

 そんな場所がある、ということだけでも、胸に留めておこう。

 もしかすると、異世界転生に関わる文献もあるかもしれない。


 朝食後。

 いつものように、俺は広場へと向かった。

 昨日はあんな状態だったから、特に今日の予定を決めずにマールと別れてしまったが、それでもマールなら待ち合わせ場所に来るだろう。そう思ったからだ。

 やはり、

「ああ、もう来てたのか」

 俺より早く、既にマールは来ていた。いつも俺がしているように、噴水の縁石に浅く腰掛けている。

「まあね。考えることは同じでしょう?」

 幼馴染同士なら、互いの考えもよくわかるのだろう。こんな時『ラビエス』はどうするのか、これまで『思い出した』過去の記憶を探ってみたが……。

 いや、やめよう。

 そこまで『ラビエス』を演じるのも面白くない。とりあえず、俺は俺の考えで「マールも来るだろう」と思って、ここに来たのだ。この先も、俺は俺の意思で行動しよう。

「ああ。でも今日は、二人で冒険に行こう、って気分にはなれないな」

「そりゃあそうよ。ラビエスは、パラのこと心配じゃないの?」

 パラなら、魔力が尽きただけなのだから、寝れば回復するだろう。回復すれば目覚めるだろう。それほど心配する必要はないと思う。

 フィロ先生にしろマールにしろ、大げさに考え過ぎではないだろうか。

 それとも、もう目覚めたけれど、昨日のことに大きくショックを受けている……という心配だろうか。

「ここへ来る前に、隣の部屋に立ち寄って、様子を見てみたんだけど……」

 マールが言うには、パラは昨晩から眠り続けており、まったく起きる素振りを見せなかったそうだ。

「さすがに、朝寝坊にしても、眠りすぎじゃないかしら」

「うーん……。それだけ疲労が激しかった、ってことかもしれないな。魔力を使い果たした経験はないから、俺にはわからないが……」


 そのまま噴水のところで話し続けそうになったが、マールの方から「立ち話もなんだから」と言い出してくれたので、俺たちは『赤レンガ館』の食堂へと場所を移した。

 もちろん昼食には早い時間だが、食堂では、何人かの冒険者たちが飲んだり食べたりしている。俺たちは腹が減っているわけでもないし、かといって酒を飲む気分でもない。水代わりの薄いジュースだけを頼んで、二人でテーブルについた。

「それにしても……」

 飲み物に口をつけながら、マールが呟く。

「まさか、あれほどの威力になるとはねえ。副次詠唱なんて言い出したのは私だから、責任感じちゃうわ」

「まあ、気にするなよ。マールが言い出さなくても、十二病なら、いずれ自分から副次詠唱やってただろうさ」

 昨日のパラの魔法についての話だ。

 そもそもパラは「魔法学院時代から魔法は凄かった」と自慢していた。最初に聞いた時点では半ば聞き流していたが、今となっては「なぜ凄かったのか」も少し推測できる。

 おそらく、パラは呪文詠唱の語句の意味を理解した上で使っているのだ。

 日曜礼拝の最中に俺に伝えてきたように、呪文詠唱などに使われる言語がラテン語――あるいはラテン語に類似した言語――であることを、パラは知っている。ラテン語だと見抜くくらいだから、ラテン語の単語の意味も、当然わかるのだろう。意味を理解しつつ詠唱しているのであれば、よりイメージしやすくなり、凄い威力となるのも当然だ。

 しかし、こうした説明をマールにするわけにもいかないので、代わりに、

「ほら、パラの呪文詠唱って、まるで歌でも歌っているかのような感じだろ? 元々それで威力あったみたいだからさ。それと副次詠唱の相乗効果だろうな。マールの責任じゃないさ」

「無理に変な理屈、つけなくていいわ。慰めてくれてありがとう」

「いや、無理とか慰めるとか、そういうんじゃなくて……」


――――――――――――


 私――マール・ブルグ――の前で、ラビエスが、少しおろおろしている。そんなラビエスも可愛いが……。

 せっかく私を慰めようとしてくれたのに、少し私も悪い返し方をしてしまったかもしれない。言い直す必要を私が感じたところで、

「でも、副次詠唱くらいであれほど変わるなら、俺も今度やってみようかな」

 冗談めかして、いくらか話題を変えようとするラビエス。

 だが、それこそ冗談では済まない。

「あなたは、やめておきなさい。それでなくても……」

「……ん?」

「いや、なんでもないわ」

 ただでさえラビエスは、呪文詠唱そのものを改変しているのだ。さらに副次詠唱を付け加えるなど、冒涜に冒涜を重ねるようなものではないか。もちろん、副次詠唱そのものは『冒涜』扱いではなく許されている行為だが、元々『冒涜』していたならば事情が違ってくると思う。

 だけど、今この場で詳しく言うつもりはなかった。せっかく、今まで「私が改変に気づいている」ことを言わずに来たのだから。まだまだ、このまま様子を見ていたい。

 ここは、私の方から大きく話題を変えよう。

「ねえ、ラビエス。今朝、寮で朝食の時も感じたのだけど……」

 言いながら、私は軽く周囲を見回す。

「……私たち、なんだか白い目で見られてないかしら?」


――――――――――――


 そんなことをマールが言うので、俺――ラビエス・ラ・ブド――も、釣られるようにして周りを見渡した。

 俺たちが言うのも何だが、今ここにいる冒険者たちは、平日の昼前から食堂にいるような連中だ。俺の目には、胡散くさい奴らに見えてしまう。そんな彼らが、時折こちらに冷たい視線を向けていた。

「ああ。まあ、昨日の噂を聞いているのだろう……。仕方ないか」

「そうね。しばらくは居心地も悪いでしょうね」

 ため息をつくマール。

 フィロ先生のところに下宿している俺とは違って、マールは、冒険者の女子寮で暮らしている身だ。これでは、さぞかし肩身の狭い思いをすることだろう。

 なんとかしてやりたいものだが、女子寮内の問題なら、男の俺にはどうにも出来ない……。

 いや。

 突然、一つのアイデアを思いついた。

「ほとぼりが冷めるまで、しばらく村を離れて、冒険旅行に出かける……というのはどうだろう?」

「冒険旅行……?」

「ああ。フィロ先生から聞いたのだが、西のネクス村で、何やら新しい病気が発生したらしい。しばらく隣村に宿泊して、その病気について調べたり、近隣のダンジョンを探索したり……というのは、どうかな?」

 我ながら良い考えだと思ったのだが、

「眠り続けたままのパラを見捨てて、二人で出かけるの?」

 あ。

 パラのことは、すっかり忘れていた。

「いや、そんな薄情なことは言わないさ。もちろん、パラが目覚めてからの話さ」

「つまり、パラも連れて三人で、って話ね?」

「そうそう」

 ……ん?

 ついつい肯定してしまったが、慌てて取り繕ったせいで、思ってもみない流れになっていた。

 昨日「三人パーティーとして記載」と窓口のお姉さんに言われた時も、頭の痛い思いをしたものだが、それ以上の問題事だ。

 転生者であるパラと、『ラビエス』の幼馴染であるマールと、三人で冒険旅行とは……。

 そんなつもりで持ち出した話ではなかったのに……。

 しかしマールは、この提案が気に入ったようで、軽く何度も頷いている。

「……うん、それは悪くない話かも」

 俺は内心では思いっきり動揺していたが、このタイミングで、後ろからポンと肩を叩かれた。思わず体をビクッとさせた俺に、聞き慣れない声が降ってくる。

「まあ、そう落ち込むな」

 振り返りながら仰ぎ見ると……。

 そこに立っていたのは、青い皮鎧を着たモヒカン刈りの大男。椅子に座る俺から見ると、実物以上の巨躯に感じるが、特徴的な髪型にも、武闘家用ハーフタイプの皮鎧にも見覚えがあった。昨日、消火を手伝ってくれた冒険者の一人だ。

「冒険者やってりゃあ、色々あるさ。まあしばらくは噂されるだろうが、そんなもん、時間が経てば自然に消えるさ。あんまり気にするなよ」

 野太い声に似合わず、彼は軽い口調で言う。

 とりあえず、礼を言わねば。

「昨日はありがとう。手伝ってくれて」

「いいってことよ。困った時はお互い様さ。……俺はセン・ダイ。センと呼んでくれ。よろしくな」

「俺はラビエス・ラ・ブド。こちらこそ、よろしく」

「私はマール・ブルグ。このラビエスの相棒よ」

 マールが名乗っている間に、俺は気づいた。センが手にしたグラスの中身は、少ししか残っていない。

「そうだ。昨日の礼に、一杯おごらせてくれないか?」

「いやいや、そんなつもりで声をかけたんじゃないさ。お前たちも何かと物入りで、余裕ないんだろ?」

 センは俺のおごりを断りながら、少しおかしなことを言う。「何かと物入り」とは、どういう意味だろう?

 俺の疑問は顔に出ていたようで、センは笑いながら言った。

「ハハハ、誤魔化さなくてもいいさ。俺は聞いたぞ。今、夜逃げの算段をつけてたじゃないか」

 いやはや。

 冒険旅行の件が、夜逃げの計画に聞こえてしまったらしい。

 しかし、ほとぼりが冷めるまで姿をくらまそうというのだから、あながち間違っているとも言えないか……。


 早めの昼食を軽く済ませてから、俺とマールは『白亜の離宮』へ。

 いつものように玄関前で別れるつもりだったが、マールが小首を傾げながら、

「……入らないの?」

「え?」

「パラの様子を見に行くんじゃないの?」

 二人で見舞いに行こう、ということだろう。

「ああ、そうだな」

 何気ない様子を装って、俺はマールに続いた。

 こういう点では元の世界での感覚が抜けきれず、どうも俺は、女子寮に入るのも女子の部屋に入るのも抵抗があるのだった。しかしこの世界で、特に冒険者としてやっていく上で、それでは奇異に見えてしまうだろう。

 冒険者ならば、それこそ冒険旅行にでも出かければ、野外でテントを張って、男女一緒に眠る機会も出てくる。「狭いテントで」「男女二人で」という場合もあるだろう。だからといって、いわゆる『男女の仲』になるわけではない。冒険者が、そんな体力の浪費になるような行為を、冒険旅行中にするはずもない。

 元の世界の常識とは大きく異なるのだ。もう転生して一年以上なのだから、俺も、早く慣れなければならない……。

「そういえば、ラビエスは『白亜の離宮』に入るのは初めてだったわね。……やっぱり、そういう反応になるのかしら」

 俺が考え込んでいたのを、マールは別の意味に捉えたらしい。それに便乗することにして、俺は周りを見渡しながら、

「ああ。外から見た感じとは、かなり違うんだな」

 女子寮内は、今まで外観から受けていた印象とは、大きく異なっていた。豪華というほどではないが、落ち着いた雰囲気の、やわらかい感じだ。いかにも女性が好みそうなムードが漂っており、これならば――外観とのギャップからくる好印象も考慮すれば――『白亜の離宮』と言い出す人間がいたのも、少しは理解できる。

 そんな通路を進み、パラの部屋の前まで来た。

「考えてみたら、ラビエスが女の子の部屋に入るのも、ずいぶん久しぶりね。小さい頃は、私の部屋に入り浸っていたのに」

「女の子って言っても、パラは冒険者仲間だろう。あまり『女の子の部屋』という意識はないな」

 完全に嘘八百で、本当は意識しまくりだった。しかも、部屋の主が寝ているところに入ろうというのだ。部屋で二人きりになるわけではなく、マールもいるので三人……というのが、せめてもの救いかもしれない。

 しかし、

「……そうかもしれないわね」

 マールは俺の言葉を信じたようで、扉をノックする。

 返事はない。

 まだパラは眠り続けているようだ。

 マールは静かに扉を開けて、部屋に入った。俺も彼女に続いたが……。

「うわあ」

 思わず声を上げそうになり、慌てて口を閉じた。

 壁もピンク、天井もピンク、カーテンもピンク、カーペットもピンク、ベッドカバーもピンク……。部屋の大部分がピンク色だった。さすがにピンクといっても、どぎついピンク色ではなく、壁や天井などは、ほとんど白とも言えるくらい淡いピンク色だったが、それでも明らかに、男なら使わないような配色だ。

 いかにも女の子の部屋、といった感じで圧倒されてしまった。これでは俺は「場違いな、別の世界に足を踏み入れた」という気分になってしまう。まるで、日本から外国へ行った時や、元の世界から異世界へ来た時と同じように。

「パラ、大丈夫? まだ眠ってるの?」

 ベッドで寝息を立てているパラに近寄り、マールが声をかけている。

 おそらく、昨日マールが運び込んだ状態のままなのだろう。

 マールは俺に振り向いて、

「……起きる気配はないわね」

「そうだな。俺たちには何も出来そうにない」

「見守るしかないわ。もうしばらく、ここで……」


――――――――――――


 私――パラ・ミクソ――は夢を見ていました。

 舞台は、私が通っていた高校です。

 夕暮れ時の教室で、窓際の一番後ろの席に、私は座っていました。

 いわゆる主人公席です。

 現実では、私が『主人公席』だった事実はありませんが、その夢の中では『主人公席』を完全に自分の席と認識しているようでした。

 私は一人で本を読んでいました。若い少女を主人公とした、英雄譚です。ファンタジーな世界で、少女が縦横無尽に駆け巡り、最後には世界を救って、英雄と呼ばれる……。そんな物語です。

「はあ……」

 ふと、ため息をつきながら、私は本から視線を上げました。

 窓の外を見ると、校庭で楽しそうに遊んでいる生徒たちがいます。もう夕暮れ時ですから、とっくに授業は終わっているはずです。部活なのでしょうか。ボールを蹴っているので、サッカー部のようです。

 教室の中に目を向ければ、まだ帰らずに、おしゃべりを楽しむ生徒も何人かいました。私は遠目で眺めるだけで、近づこうとはしません。会話の輪に加わりたい気持ちはあるのですが、一歩踏み出すことすら出来ませんでした。

 突然、それまで友達とおしゃべりしていた生徒が二人、私の方を向きました。恥ずかしくて、反射的に顔を背けてしまいましたが、一瞬目が合った隙に、二人の顔が確認できました。

 どこかで見たような顔です。明らかに他人ですが、兄弟姉妹きょうだい従姉妹いとこのような、妙な親しみを感じる二人です。

 私は本で顔を伏せていましたが、二人の会話が聞こえてきました。何やら、私のことを話しているようです。


「……起きる気配はないわね」

「そうだな。俺たちには何も出来そうにない」

「見守るしかないわ。もうしばらく、ここで……」


 そこで、私は目が覚めました。

 ぼうっとしながら、声がする方に顔を向けると、

「おおっ、起きたようだぞ」

「あら! ……おはよう、パラ。意識は大丈夫? 私たちのこと、ちゃんと覚えてる?」

 ラビエスさんとマールさんです。

 どうやら、夢の中で聞こえた会話のうち、最後の部分は、夢ではなく現実だったようです。

 ベッドから体を起こすと、だんだん頭もはっきりしてきました。

 そうです。

 思い出しました。

 私は『西の大森林』で、魔力が空っぽになって、倒れてしまったのです。

「おはようございます!」

 努めて元気よく、私は挨拶しました。

 周りを見回すと、女子寮の自室です。『西の大森林』で倒れたはずの私が、ここに寝かされていたということは……。

「お二人が……。ラビエスさんとマールさんが、部屋まで私を運んでくれたのですね? ありがとうございます」

「よかった。記憶は失ってないみたいね」

 マールさんが、安堵の笑顔を見せています。彼女の後ろで、ラビエスさんも安心した様子です。

「よかったな。まあ、あの後の詳しい状況は、おいおい話すとして……」

 ラビエスさんは、少し真剣そうに続けました。

「もう体は大丈夫か? 回復魔法、必要か?」

 私はベッドから出て、あちらの世界のラジオ体操のような感じで、軽く手足を動かしました。特に問題はありません。疲労感も完全に消えているので、魔力も回復しているはずです。

「はい、大丈夫です。魔力も元通りという実感があります」

「そうか、それなら……」

 ラビエスさんが何か言いかけましたが、それを遮るかのように、マールさんが言葉を挟みます。彼女は、がしっと私の肩を掴みながら、

「ねえ、パラ。体さえ問題ないなら……。三人で冒険旅行に出かけるのは、どうかしら?」

「冒険旅行……?」

「そう。パラが寝ている間に、ラビエスと話し合ったの。西のネクス村まで足を延ばして、その近辺を探索しようって……」

 冒険旅行と言われた瞬間は、意味がわからず戸惑いましたが……。

 マールさんの提案を頭が理解するうちに、すっかり私は感激してしまいました。

「はい、喜んで! 是非是非、行きたいです! ありがとうございます!」


 同じ転生者であるラビエスさんと共に。

 優しい隣人であるマールさんと共に。

 冒険の旅が、今、始まる!


 想像しただけでも、わくわくします。

 一つ気になるのは、マールさんの後ろで、ラビエスさんが顔をしかめていることですが……。

 おそらく、広大な世界を――RPGゲームのように――冒険するうちに、ラビエスさんの心も晴れ渡ることでしょう!

   

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