第二話 ウイルス研究者の転生(ラビエスの冒険記)

  

 ここイスト村の冒険者組合は、女性冒険者の住まいとして、女子寮を用意している。そのため「イスト村では女性冒険者が優遇されている!」なんて噂もあり、冒険者の男女比を見ても、女性の割合が他の支部よりは高めになっているらしい。

 女性冒険者の中には、女子寮を利用せず、男性冒険者のように自分で住まいを探す者もいるようだが、大半は女子寮に住んでいると考えていいだろう。

 俺――ラビエス・ラ・ブド――の相棒であるマールも、女子寮に住む冒険者の一人だった。

「帰りましょう」

「ああ」

 俺たち二人は『赤レンガ館』を出た足で、建物をぐるりと回って、裏手にある白い石造りの女子寮――通称『白亜の離宮』――へと向かう。

 もちろん俺は女子寮に住んでいるわけではないが、マールと一緒の帰りは、玄関前まで彼女を送り届けて、そこで別れるのが習慣となっていた。

「ねえ、ラビエス……」

 歩きながら、マールが俺に声をかける。

「……明日は、冒険には行けない日よね?」

 今日が金曜日なので、明日は土曜日だ。俺にとっての『土曜日』は……。

「ああ。フィロ先生を手伝う日だからな」

 俺は、この村の治療院に下宿させてもらっている。週二回、水曜日と土曜日に、フィロ先生の仕事――回復魔法で村人の怪我や病気を治療する――を手伝うことが、下宿代の代わりになっていた。

 俺に用事がある日は、あらかじめマールには伝えてあるのだが、彼女は俺の予定を全部きっちり覚えていてくれるので、とても助かっている。

「じゃあ、次に会うのは明後日の朝ね」

 などと話しているうちに、もう『白亜の離宮』に着いた。

 見るたびに思ってしまう。明らかに名前負けしている、と。

 何がどう『離宮』なのかわからないし、そもそもそんなに立派な建物でもないのだが……。たぶん昔の、誰か見栄っ張りな住人が言い出したのだろう。そして、その呼び名がそのまま定着したのだろう。俺は勝手に、そう推測していた。

 玄関前。

 いつものように、ここでバイバイの意味で、俺が手を振りかけた瞬間。

 マールは小首をかしげながら、

「寄ってく?」

「え?」

「……私の部屋に」

 俺は一瞬フリーズして、今度は「え?」すら出てこなかった。

 直後、からかうようなマールの笑顔を見て、再び頭が動き出す。

 ……マールは俺の反応を見て、楽しんでいるのだろう。

 これが初めてではない。最初はわからなかったが、何度か似たような経験をするうちに理解できた。

 ただ単純に、彼女は俺をからかうのが好きなのだ。

 まあ、マールは『ラビエス』の幼馴染なわけだし……。これが二人の自然な関係なら、俺も素直に従っておこうと決めている。正直、そんなに不快ではないし、むしろ心地よく感じる場合もあるくらいだった。

 ……ともあれ。

 たとえ冗談であっても、部屋に寄っていくかと聞かれた以上、はっきりと返事はするべきだろう。

「いや……。少し明日の準備もしておきたいからな」

 女子寮といっても学生寮ではないので、男は立ち入り禁止と決められているわけでもない。

 そもそも、兄弟姉妹のような幼馴染の間柄で、誘ってるだの何だのは無いだろう。

 そういう意味ではない、と頭では理解していても……。

 俺には元の世界での感覚も残っているせいか「若い男女が二人きりで同じ部屋に」というシチュエーションには、何か特別な意味があるように感じてしまう。

「……そう。じゃあ、また明後日に」

 そう言って、くるりと後ろを向き、玄関へ入ろうとしたマール。その後ろ姿が、何だか残念そうに見えて、つい俺は声をかけてしまった。

「今日に限って……どうした?」

 考えてみれば、マールが俺をからかうことは多々あったが、部屋に招いたのは初めてだった気がする。

 マールは再び俺の方を向いて、話し始めた。

「あのね、明日……」

 彼女の説明によると。

 今まで両隣の部屋には誰もいなかった。左は完全な空室、右は一応住んでいることになっているが名義だけで、長期冒険旅行中。一度も姿を見たことがない。

 でも、その環境も今日で終わり。空室だった左隣に、明日から住人が入る。

 事情は理解できたが、

「……」

 俺は何と言えばいいのだろう。

 だから何? 騒げるのは今日までだから? それで何がしたい?

 男である俺の頭には、少しだけ甘い――ラブコメっぽい――想像も浮かんでしまったが、これは良くない。マールと『ラビエス』は、そんな関係ではないはずだ。

 俺は頭の中をクリアーにして、

「そうか。お隣さんが引っ越しなら、マールも明日は大変かもしれないな」

「……何言ってるの? だいたい冒険者の荷物なんて少ないんだから、引っ越し作業も騒々しくはないはず。それに冒険者寮の隣近所なんて、偶然顔を合わせたら挨拶を交わす……って程度でしょ」

 少し怪訝な顔をするマール。

 慌てて俺は、おかしなことを口走ってしまったらしい。

 確かに、この世界の冒険者ならば、マールの言う通りだろう。

 引っ越し荷物が大量にあったり――田舎など場合によっては近所の人が手伝ったり――、新しい入居者が隣近所へ挨拶に出向いたり……。

 そうした想像は、元の世界の常識に引っ張られた考えだ。元の世界の考え方で喋るなんて、ほとんどしなくなっていたはずなのに。

 たった今、いかに俺が動揺していたのか。その表れだろう。これ以上ボロを出さないように、今日は……。

 そこまで俺が考えた時。

「あのう……。玄関前で、長々と立ち話は……。どこか別の場所で、座ってゆっくりとお話ししたらどうですか」

 迷惑そうな声が、背後から聞こえてきた。直接その言葉は使わずとも、声の調子で「邪魔!」と言っているのは明らかだ。

 見れば、名前こそ知らないが、広場で頻繁に見かける女性冒険者だった。

「すいません、すいません」

 俺とマールは頭を下げて謝って、そこで二人の会話も切り上げた。


 女子寮から治療院まで、一人で帰る道すがら。

 先ほど玄関前での会話中に、元の世界の感覚や考え方を思い出したせいだろうか。

 あるいは『赤レンガ館』の掲示板前での会話中に、元の世界で読んだ漫画――悪魔に憑依される話――が頭に浮かんだせいだろうか。

 久しぶりに俺は、元の世界について、深々と回想してしまう……。


 元の世界での俺は、ウイルス学を専攻する研究者だった。

 まあ「ウイルスの研究をしています」などと言うと「バイ菌の研究なんですね」と言われることもあったが、この『バイ菌』という表現が、俺は嫌いだった。

 たぶん『バイ菌』という言葉を使う人は、ウイルスも細菌バクテリアも同じものとして、引っくるめて呼称していたのだろうが……。

 ウイルスは菌――細菌バクテリア――ではない。

 いやそれどころか、ウイルスは生物ですらない。

 ウイルスが人や動物などに感染して、その中で増殖することくらい、たぶん元の世界なら一般常識だろう。だが、この『感染して、その中で増殖する』というのを、寄生虫や体内細菌と同じイメージで捉えている人も多いようだった。

 ウイルスは代謝――いわゆる新陳代謝――をしないし、自己増殖も出来ず、増えるためには宿主細胞のシステムを借りないといけない。だから、学術的には「生物の定義を満たしていない」となるわけだが……。

 この説明をしたら、生物学に疎い人から、次のように返されたことがある。

「宿主の力を借りる……? つまり、寄生虫とか、体内に寄生している細菌と同じってこと……?」

 ……。

 …………。

 いやいや、全然違う。

 それらの場合、あくまでも代謝や増殖は自前のシステムを使っており、主に宿主の栄養分を盗み取る形で寄生しているだけ。言わば五体満足の健康なニートが、親の経済力を頼りに暮らすようなもの。

 一方ウイルスの場合、生命活動のシステムそのものがないわけだから、言わば生命維持装置に繋がれた重病人――重要な体内器官を欠いた人間――が、そのシステムのおかげで生きているようなもの。

 同じ『宿主の力を借りる』でも、根本的に異なるのだ。


 まあしかし、この手の話は、言葉だけでは理解しにくいだろう。

 いわゆる分子生物学と呼ばれる生物系の研究では、模式図を使って説明されることも多い。ただ模式図であっても、そうした研究に疎い者が見たら――使われている個々の名称は専門用語だから――「なんだかカラフルだけど、意味わからない絵」と思われるに違いない。

 そこで一般人向けの、比喩的な意味でのウイルスの模型や模式図を考えた場合、いつも俺の頭に浮かぶ物体があった。

 ガチャのカプセルだ。

 ここで言う『ガチャ』とは、平成になってから現れた課金ガチャではなく、昭和の世から存在した、実体あるガチャの方だ。それも、小さな塩ビ人形――当時は消しゴムと言われていた――が入った20円のカプセルではなく、少し大きめの100円のカプセルの方。

 100円のカプセルにも、大抵は一回り大きい塩ビ人形が入っていたが、プラ製っぽい組み立て式の玩具が入っている場合もあった。パーツ数も少なく、組み立ては簡単だが、それでも組み立て方や遊び方の書かれた説明書が一緒に同封されていたはず。しかも、その説明書の方が、カプセル内の結構な容量を占めていた……。

 あれだ。あれがそのまんま、ウイルスの模型だ。


 先ほど『ウイルスは宿主細胞のシステムを借りて増殖する』と述べたが、細胞には本来、構成するパーツを作るために、設計図や道具や工場設備が備わっている。

 しかしウイルスの場合、パーツである『タンパク質』と、設計図である『遺伝子』と、それらを包むカプセルである『エンベロープ』しか持っていない。

 イメージして欲しい。少量のパーツとメインの設計図が入ったカプセル……。これって、100円のガチャのカプセルに見えてこないだろうか?

 ――ちなみに、エンベロープを持たないウイルスもあるのだが、それらを含めると「100円のガチャのカプセル」では説明できなくなるので、今は除外しておこう。


 ともかく。

 要するにウイルスなんて、遺伝子という設計図の入ったカプセルなのだ。

 だからウイルスが細胞に感染するというのは、そのカプセルを強引に細胞内に突っ込むようなもの。そんなことをすれば、当然カプセル自体は壊れてしまう――ウイルス自身は死んでしまう――わけだが、細胞内でばらまかれた設計図から、宿主のシステムを借りて新たなパーツを大量生産し、設計図自体も大量にコピー。細胞膜の一部をぶち破って、ぶんどって、それを新たな『カプセル』として、中に出来立ての設計図やパーツを詰めて、子孫ウイルスの出来上がり……。

 これが一般的なウイルスのライフサイクルだ。

 だから理屈の上では、親ウイルスと子孫ウイルスは、基本的に同一の存在となるはずだが……。

 実はウイルスは、設計図をコピーする際、結構頻繁にコピーミスをやらかす。少しくらい間違った設計図を使っていても、完成品に大きな影響は出ないのが通例だが、時には偶然、ミスがプラスに働くこともある。そのウイルスの生息環境に有利な子孫ウイルスが出来たりするのだ。

 いわゆる突然変異というやつだ。

 ただ単純なシステムであり、全ては設計図次第なので、ウイルスの設計図を人為的に書き換えることで、逆に人間様に有利な、人間様の思い通りのウイルスが作れたりもする。

 この辺りが、遺伝子操作しやすいシロモノとして、研究者にとっては興味深いところでもある。


 ……とまあ偉そうに解説しているが、こういった話を俺が理解したのも、大学四年目に――卒業研究のために――研究室配属となってからのことである。

 本来ならそれ以前に授業で習う内容も多かったが、残念ながら、俺は不真面目な学生だった。

 浪人したり、留年したり、院浪したり……。結果、人より何年も遅れて博士号を取得した。

 この時点で普通の会社就職は難しく――まあ会社勤めは自分には向いていないという気もしていたから構わないのだが――、かといって日本には研究所や大学の研究員の職は少ないため、やむなく海外へ。

 海外の大学の研究室で、研究員として最初の仕事は、組換えウイルスの作成だった。先ほどの例え話で述べた『ウイルスの設計図を人為的に書き換える』というやつだ。

 具体的には、宿主側の遺伝子を組み込んだワクチンウイルスの作成。理屈としては、ウイルス遺伝子の一部に免疫系の遺伝子を組み込んでおけば、ワクチンウイルス投与時に、ウイルスのタンパク質と同時に宿主の免疫系タンパク質も大量に作られるので、より一層の免疫効果が期待できる……。そんな感じだった。

 この研究は当然、組換えウイルスを作っただけでは意味がない。培養細胞レベルではなく、実際にワクチンとして実験動物マウスに接種して、その結果を詳しく解析する必要があった。

 ちなみに、この時の『組換えウイルスの作成』や『実験動物の扱い』といった経験が、こちらの世界で冒険者として生きていく上で、微妙に役に立っているのだが……。それは今ではなく、後で述べる機会があるだろう。

 話を戻すと。

 こうした研究員の仕事は、だいたい一年や二年の短期契約なのだが、最初の研究室では契約が延長されて、俺は合計三年働いた。最初こそ苦労したが、それなりの研究結果が得られたからだ。

 続いて、同じ大学の別の研究室に雇われた。

 そこで俺は、再び頓挫する。浪人や留年以上の『頓挫』だった。

 期待されたような研究成果は上げられず、契約も一年で終わった。


 こうして海外での仕事が終わり、俺は日本へ戻ることとなった。本格的な職探しは帰ってからだが、一応「ちゃんとした仕事が決まるまでの間だけなら」という形で、置いてもらえる研究室は見つけた上での帰国だ。

 そして。

 帰国予定日の、ちょうど一週間前のことだった。

 日本では経験できないような雄大な自然を満喫しようと、一人でハイキングに出かけて、山道を歩いていた時に……。

 崖から落ちた。

 一瞬「やばい。死んだか?」という言葉が脳裏をよぎったが、俺の意識はそこまで。

 次に気が付いた時には、ベッドの上だった。まあ大怪我だろうし、病院で寝かされているのも当然で、そこに違和感はなかった。なんとなく呑気に「どこの病院だろう。海外で入院なんて初めてだな」くらいに感じて、周囲を見渡そうとした瞬間。

「ラビエス……。よかった……」

 いきなり俺は、見知らぬ女性に抱きつかれていた。

 状況がわからぬまま、俺の口から出た言葉は、

「ラビエス? それって誰? ……君は誰?」

「……!」

 彼女はパッと飛び退くようにして、俺から離れた。

 ほら、人違いだったのだろう。たぶん隣の病室か何かの……。

 そう思いながら彼女を見た途端、俺は自分の考えが間違っていると悟った。

 明らかに俺よりも若い女性。二十歳くらいの……いや、まだ十代後半だろうか。そんな少女の顔に、誰が見てもわかるくらいはっきりと、絶望の色が浮かんでいたのだ。

 ただの人違いで、こうはならないだろう。


 やがて、俺は状況を理解した。

 この世界が異世界であること。この世界の人間になってしまったこと。

 科学は発達していないが、代わりに魔法が存在する、典型的なファンタジー世界。ゲームやアニメで見たような世界。そこで生きる『ラビエス』という男――元の世界の俺よりも若い、まだ少年といっても構わないくらいの男。そんな男の体に、俺の魂――つまり意識や感覚や記憶といったもの――が入り込んでしまったのだ。

 幸い、ラビエスも大怪我で、しばらく意識不明だったらしい。意識不明の直後に一時的な記憶喪失に陥ることも、この世界では、よくある出来事らしい。この世界のことや、ラビエス自身のことなど、俺が知っているはずのことを知らなくても、全て『記憶喪失』という言葉で片付けてくれた。

 そして不思議なことに、きっかけもなく突然、色々と元の『ラビエス』の記憶が蘇り、俺の意識に流れ込んでくるのだった。

 まあしかし『不思議なことに』などと言うのは、おこがましいかもしれない。そもそも異世界転生なんて話自体、超常現象みたいなものなのだから。

 そういうシステムなのだ、この世界のシステムなのだ、と納得するしかない。

 ――ちなみに、最初に『思い出した』のは、目覚めた時に飛びついてきた彼女が幼馴染マール・ブルグであるということ。

 おそらく、それだけ『ラビエス』にとって大切な、深い繋がりのある女性ひとだったのだろう。マールが一番と知ったら彼女自身も喜びそうだが、間違っても告げることは出来ない情報である。


 ……などと回想しているうちに、いつのまにか治療院の前まで来ていた。

 俺の下宿先、イスト村の治療院。

 この辺りにありがちな木造建築だが、治療院のイメージカラーとして、壁から屋根まで真っ白に塗ってある。扉は茶色いままなので、建物全体が白い中、わかりやすく目立つ入り口になっていた。

 扉を開けると、奥から顔を覗かせたのは、白いローブ――白魔法士向けのフード付きタイプ――を着た、初老の男性。

 治療院のオーナーであり、村一番の治療師でもある、フィロ先生だ。

「なんじゃ、患者じゃなくて、お前さんか。……ふむ、もうお前さんが帰ってくるような、そんな時間になっておったか」

「そうですね。今日は、思ったよりモンスターも少なかったですし」

 治療師とは、村人の病気や怪我を治す人のこと。要するに、医者のような存在だ。

 医療技術も発達していない世界なので、病気や怪我の治療は回復魔法で行う。つまり白魔法士の仕事なわけで、実際には、白魔法が使える冒険者なら『治療師』同様に村人を治せる。しかし普通は、日常的に村人の治療などしないから、治療師とは呼ばれない。

 週二回フィロ先生を手伝う俺も、村人からは、治療師ではなく冒険者として認識されているようだ。俺のメインは冒険だと思われているのだろう。

 奥の部屋で、椅子に座りなおしたフィロ先生が、

「白魔法士は白魔法士でも、お前さん、冒険者なんぞより治療師の方が向いとるからのう。お前が手伝ってくれて、ワシも助かっとる」

「いやあ、それほどでも……」

 俺は適当に返しながら、階段を上がり、自分の部屋へと向かう。

 さあ明日は、治療師の仕事だ。元の世界における『ウイルス』の知識が、ささやかながら、異世界生活の中で一番役に立つ瞬間だ。


 マールと一緒に、ダンジョン探索の冒険をして。

 フィロ先生と一緒に、治療院で村人を治癒して。

 これが、今の俺、つまりラビエス・ラ・ブドの日常だ。

    

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