第一章 コウモリ城の呪い

第一話 冒険者の日常(パラ、ラビエス、マールの冒険記)

   

 土曜日の午後。

 私――パラ・ミクソ――は、長旅の途上にあり、相変わらず馬車で揺られていました。

 屋根のない開放的な馬車なので、頭上には、清々しいほどの青空が広がっています。

 このような晴れ渡った空の下では、真っ黒な自分の姿が、少し場違いに思えてきました。

 つばの広い、黒いとんがり帽子。そして黒いローブに黒いズボン。私の格好は、典型的な黒魔法士のスタイルなのです。

 周りを見ても、これほど全身で「黒!」って主張しているのは、私一人だけでした。

「そうだ! こうすれば……」

 ふと思いついて私は、ローブの前をきちんと閉じるのはめにして、だらしなく開いた状態にしました。内側に着ているのは、オレンジ色のシャツです。動きやすい服装です。魔法使いっぽくないでしょうから、それがおもてに見える形になったら、少しはイメージも変わるはずです。

 まあ、こんなことをしても「今さら」なのですが。

 だって、この旅も、ようやく終わりが近づいてきたようですから!


 真ん中を通る街道で南と北に分断された、広大な森。そこを抜けると、目指す村が見えてきたのです。

 山に囲まれた、のどかな田舎村といった雰囲気を漂わせています。きっと過ごしやすい村なのでしょう。

「あれがイスト村か……」

 馬車の同乗者の一人が、感嘆の声を上げました。彼も私と同じく、この村を初めておとずれる者なのでしょう。乗合馬車なので、名前も経歴もわからぬ、見知らぬ他人が、何人も一緒に乗っています。

 私はもう一度、村の方に視線を向けて、

「……よし!」

 自分に気合いを入れるように、そう声を発しました。

 イスト村。

 今日から私が住む村です。

 魔法学院を卒業した私の、女性冒険者としての生活が、いよいよ幕を開ける……。その舞台となる村です!


――――――――――――




  「ウイルスって何ですか?」

――ウイルス研究者の異世界冒険記――




――――――――――――


「ごめん、ラビエス。遅れちゃった。かなり待った?」

 澄んだ透明感と、しっかりした存在感とを併せ持った、お嬢様っぽい声質。

 俺の大好きな、耳に心地よい声が、斜め後ろから聞こえてくる。


 ぼうっと金曜日の青空を眺めていた俺――ラビエス・ラ・ブド――は、噴水のへりに腰を下ろしたまま、首だけで振り返った。視界に入ってきたのは、少し申し訳なさそうな顔をした、女性用スカートタイプの皮鎧を着た少女――マール・ブルグ――の姿だった。

「いや、そんなに待ってない」

 軽く手を振りながら俺が答えると、マールは安心したように、いつもの笑顔を浮かべた。少しタレ目の細い瞳が、笑うといっそう細くなり、可愛らしく見える。

 マールは、俺の冒険者仲間だ。先ほど述べた『お嬢様っぽい声質』のせいか、一見おとなしそうな印象を受けるかもしれないが、実際のところは、芯のしっかりした活発な女性である。

 青空の下で、彼女の髪がキラリと光った。こういう色を『濡羽色』と表現するのだろう。青みを帯びた長い黒髪は美しく、顔立ちも悪くない。

 まあ胸は大きくないが、スレンダーな体型には良く似合っていて、むしろプラスに思えるくらいだ。装備している皮鎧は、上半身が白、下半身が赤のツートンカラー。腰には使いやすい軽片手剣ライトソードを下げている。

「遠くまで行くわけじゃないし、時間はたっぷりあるさ」

 そう言って俺は、広場中央の日時計を指し示した。

 ここはイスト村の中心にある広場であり、日時計やら噴水やら露店やらもある盛り場だ。でも俺たち冒険者にとっては、村の中心に位置することより、冒険者組合の目の前に位置することに意味があるといえよう。『赤レンガ館』と呼ばれている、この辺りでは珍しいレンガ造りの建物――冒険者組合イスト村支部――が、広場の北側正面にデンと構えているのだ。

 現に今も、俺やマールと似たような皮鎧姿の冒険者たちが、ある者は冒険者組合にせわしなく駆け込んだり、またある者は仲間をまったりと待ったり、広場周辺で思い思いに過ごしている。

 そして俺とマールは、特に用事や約束がない限り、毎日同じくらいの時間に噴水の北側で待ち合わせるのが、決まりごとになっていた。

 今日は金曜日。その『特に用事や約束がない』一日であり、マールと共に冒険に出かける一日だ。

「そうね。じゃあ、行きましょうか」

 マールの言葉を合図に、俺は立ち上がって歩き始めた。


 俺やマールが冒険者組合イスト村支部に属しているように、冒険者は皆、近隣の冒険者組合に所属している。冒険者組合は、村人などの一般人が冒険者へ仕事を依頼する場合の窓口であり、同時に、冒険者が仕事を受ける場合の窓口であるのだ。しかしモンスター退治のような、いわゆる『冒険者にふさわしい仕事』は圧倒的に少ないのが現状で、仕事の多くは、冒険者じゃなくても出来るような雑用ばかり。

 というわけで、俺やマールのように、組合が斡旋する仕事には頼らず、自分たちで勝手にモンスター退治やダンジョン探索に出かける冒険者も数多い。

 ダンジョンにはモンスターがおり、宝箱も転がっているので、モンスターを倒せば経験値が、宝箱を開ければアイテムや金銭が得られるわけだ。しかも攻略済みダンジョンであっても「もう用済み」とはならない。不思議なことに、一度は空っぽになった宝箱の中身も、掃討されたモンスターも、しばらくすると復活するからだ。

 というより、そうやって宝やモンスターが自然に湧いてくる場所を冒険者は『ダンジョン』と定義している、と言ったほうが正しいかもしれない。

 俺たち二人が今向かっているのも、そうしたダンジョンの一つ。村はずれにある、通称『ヒルデ山の洞窟』だ。


「見えてきたわね」

 前を歩くマールが指差したのは、山道の入り口を示す立て札だった。

 村はずれのこの場所はヒルデ山と呼ばれているが、実際には山というより小高い丘といった程度のものでしかない。『登山道南側入り口』という立て札にも仰々しい感があるが、村の中央から来る冒険者にとっては、ここまで歩けば目指す洞窟まであと少しという実感を与えてくれる立て札でもある。

「歩き疲れた?」

「いや、さすがにそれはない。今からバテてたら、ダンジョンでモンスターと出くわしても戦えないぞ」

 振り返ったマールの軽口に、真面目に返す俺。マールは半分冗談半分本気といった感じで、

「そうね。だからこそ、もし疲れたらダンジョン突入前に一休みして、気力体力を回復させてから入りましょう」

 そして立ち止まり、右手で俺に「先に行け」と促す。

「わかった」

 頷いて俺はマールを追い抜き、先に山道に入った。

 中央広場からヒルデ山まではマールが前を歩き、山道からは前列後列をチェンジして、俺が前を歩く。このスタイルは、俺たち二人の恒例行事となっている。

 初めてここに来た時は、彼女の意図がわからず少し戸惑ったが、その日、山道を歩くうちに早くも理解した。どうやら彼女は「山道は危険なので後ろから見守りたい」と考えているらしい。

 ここの山道は、入り口こそ日の当たる開けた場所にあるが、入ってすぐに、鬱蒼とした木々の間を抜ける形になっている。木々に挟まれた林道部分はまだ安全だが、途中からは右手側に山の斜面、左手側に崖といった感じが続く。当然、石畳で舗装されているわけでもないし、転落防止の手すりが設置されているわけでもない。

 とはいえ、ここは普通の村人も利用する山道だ。今から行く洞窟はたいしたダンジョンではないが、それでもモンスターが出る以上、冒険者でなければ十分危険な場所。そこに挑もうとする冒険者が、一般人も通るこのような山道に怯えるのは、普通ならば笑い話になるのだが……。

 山道が大きく右へカーブし、道幅も急に狭くなる部分に差し掛かった。転落せぬよう崖側から十分距離を取り、俺は山側の斜面すれすれに寄る。

 その瞬間。

 わざわざ振り返ってみるまでもなく、背中越しに、マールの緊張感が伝わってきた。

 と同時に、マールの声が聞こえてくる。

「気をつけて、ラビエス」


――――――――――――


 私――マール・ブルグ――は、前を歩くラビエスに「気をつけて」と注意を促した。

 私の幼馴染、ラビエス・ラ・ブド。彼と二人で、冒険者の日課として、私は今日もダンジョンに向かっている。

 何度も利用した洞窟ダンジョン。あそこには、ゴブリンや青ウィスプといった低レベルのモンスターしか出てこない。肩慣らしや暇つぶし程度で行ける、初心者向けダンジョンだ。

 でも。

 ダンジョンそのものではなく、洞窟へ行く途中の山道の、この場所。いつも私は、ここで身構えてしまう。

 ラビエスにもわかるのだろう。きっと恒例行事だと思っているのだろう。

「大丈夫、平気だから」

 彼は振り向きもせず、それでも私に聞こえるくらいの声で、軽く手を振りながら答えてくれた。

 なぜ私がいつもここで緊張してしまうのか。

 それは、ついついラビエスを心配してしまうから。この場所が特別な場所――かつてラビエスが大怪我をした場所だから。


 今から一年と少し前の、あの日。

 あの日のことは、今でも忘れない。

 いつもは私をパートナーとしてダンジョン探索に出かけるラビエスが、あの日は私抜きで『ヒルデ山の洞窟』へと向かった。

 もちろん、突然置いていかれたわけじゃない。前もって打ち合わせておいた予定通りのこと。

「魔法学院時代の友達が遊びに来るんだ。ほら、マールも覚えているだろう? 隣のクラスの……」

 続けてラビエスは二人の友人の名前を出したけれど、どちらも私にとっては「言われてみれば、そんな名前の人がいたような」という程度の名前だった。

 でも。

「だからさ。たまには、男同士で冒険するのもいいかと思って……」

 そう言ったラビエスの笑顔は、可愛らしく輝いていた。あの笑顔は、今でも私の目に焼き付いている。

 最初は「私が覚えていない程度の人たちだから、気をつかって、私抜きってことにしたのかな?」と思っていた私も、あの笑顔を見た瞬間「ラビエスは純粋に、遠方からの友人との、男だけの冒険を楽しみにしているんだなあ」と悟り、なんだか私まで嬉しい気持ちになったくらい。

 だから。

 あの日、血だらけのラビエスを背負って二人が戻ってきた時には、私まで心臓が止まるかと思うくらい驚いた。

 もちろん、ラビエスは心臓が止まっていたわけではないけれど、それでも意識不明の重体だった。

「誰にやられたの!?」

 たしか私は、そんな言葉を口走ったような気がする。

「いや、モンスターじゃない。実は俺たち『ヒルデ山の洞窟』へは辿り着けずに……」

 彼らも動揺していたのだろう。しどろもどろな説明だったが、それでも事情はすぐに理解できた。

 要するに、ダンジョンへ行くまでの途中で、山道で足を滑らせて崖側から落ちた、とのこと。

 出血は酷いが、怪我そのものは見た目ほど重くはなかった。弱回復魔法ですぐに完治する程度。

 ただ、打ち所が悪かったとみえて、意識が戻らない。それが問題だった。

 状況を理解した瞬間。

 私は茫然自失で、何も出来なかった。

 取り乱すでもなく泣き喚くでもない私を見て、

「意外と冷静なんだな」

 二人のうちの片方がそう呟いたそうだが、その時の私の耳には入らなかった。

 ぐるぐる、ぐるぐる。

 私の頭の中で渦巻いていたのは、ただ一つ。

「もしかして……ラビエス、このまま死んじゃうの?」


 幼馴染って、不思議な関係だ。兄弟姉妹とも違う、恋人とも違う。それでいて、一緒にいるのが自然な関係。

 生まれた家がすぐ近くだったから、ラビエスと私は、小さな頃からいつも一緒だった。

 そして一緒に魔法学院へ入学して、一緒に冒険者を目指して。

 学院を卒業後どこで冒険者をするのか、進路決定の際には、二人で話し合って「穏やかな田舎の村で、一緒に、のんびりと」と決めた。

 もちろん四六時中一緒だったわけではないけれど、それでも感覚としては、物心ついた時からずっと、私の隣に彼がいたのだ。

 そんなラビエスが、突然いなくなる。

 それまで考えたこともない可能性だった。言われてみれば、冒険者なんてやっている以上、いつかは危険なモンスターと出くわして命を落とすかもしれないのに……。

 ラビエスが亡くなる……と想像しただけで。

 自分の体の中身がぽっかりなくなったような、そんな喪失感だった。

 ラビエスが意識不明の重体になって、初めて私は実感したのだ。いつか私はラビエスを失うかもしれない、と。


 さいわい、それから三日後にラビエスは意識を取り戻した。

 でも、新たな問題が発生した。

「ラビエス……。よかった……」

 思わず抱きついてしまった私に対して、

「ラビエス? それって誰? ……君は誰?」

 きょとんとした表情で、ラビエスはそう返したのだ。

「……!」

 私も、話には聞いたことがあった。

 記憶喪失。

 大怪我を負ったり、大病を患ったりした後で、昏睡状態に陥った場合。

 意識は取り戻しても、それまでの記憶は一切失っていることがあるという。

 そういう場合、周囲が教えたりしなくても、特に何かきっかけを与えたりしなくても、色々と少しずつ思い出すらしい。

「……」

「安心せい。これは回復魔法でも治せんが、時間と共に自然治癒するはずじゃ」

 治療院のフィロ先生も、ラビエスを見て呆然とする私に、そう言ってくれた。

 そして、その通りになった。

 最初は自分の名前すら理解できなかったラビエスが……。自分自身のこと、私のこと、フィロ先生のことなど、一週間もしないうちに色々と思い出してくれた。

 魔法関連は呪文詠唱が正確に思い出せないとみえて、こっそり呪文書――魔法学院時代の教科書――に目を通していたようだが、そうやって細部を補足するだけで、一ヶ月くらいしたら元通り使えるようになった。

 でも。

 ラビエスに言わせれば、一年以上経った今でも、何もかも全て思い出したわけではないらしい。

 確かに、昔の思い出などを語り合うと、ラビエスが忘れている出来事がいくつも出てくる。幼馴染の私だからこそ、よくわかるし、少し悲しくなる。

 そうした記憶の欠落のせいだろうか。

 以前とは人が変わったような印象まであるくらいだ。


 優しくて、大人しくて、私と一緒にいてくれる男の子。

 それが私にとってのラビエスだった。

 大人しいのに冒険者なんて仕事に就いたのは、たぶん私のせいだと思う。子供の頃に私が「大きくなったら冒険者になる!」なんて言い出したから、私に付き合って冒険者を目指したのだと思う。

 それでもラビエスは優しいから、魔法士――特に攻撃魔法より回復魔法が得意な白魔法士――になったのだ。男の冒険者なら、普通は戦士や武闘家に――魔法士だとしても黒魔法士に――なりたがるのに。

 そんなラビエスが……なんとなく変わってしまったような気がする。

 でも、いつから変わったのだろう?

 あの記憶喪失を境に変わった、と言うのは簡単だ。だけど、そう言い切る自信はない。もしかしたら、記憶喪失以前から少しずつ変わっていたのかもしれない。気付かない程度の小さな、日々の変化の積み重ねなのかもしれない。

 そうだとしたら、それは悲しむべきことではなく、人の『成長』ってやつなのだろう。

 昔ほど『大人しいラビエス』ではないとしても、それは冒険者なんてやっているせいで、自然と活発になっただけなのかもしれない。

 昔ほど『優しいラビエス』ではないとしても……。うん、こっちは、もっと難しい問題だ。そもそも『優しい』って何だろう。

 最近のラビエスを見ていると、子供の頃とは少し違う気がするけれど、それでも十分、ラビエスは優しい。ただ、その『優しい』が何か違うような……。

 うん、難しい。

 色々と考えても、言葉に出来なくて、もどかしい。心がざわざわするだけだ。

 だから。

 この件に関しては、なるべく考えないようにしている。


 とりあえず、今は。

 ラビエスと一緒に冒険が出来たら、それだけで私は幸せだ。


――――――――――――


「大丈夫、平気だから」

 俺――ラビエス・ラ・ブド――は、しっかりと前を向いて歩きながら、声を上げた。

 マールの緊張を和らげるためで、十分聞こえる音量だったはずだが……。

 何の反応もない。彼女の足音は聞こえるし、気配自体もあるが、妙に静かだ。いや、確かに先ほどあった緊張感は消えているようだし、その意味では、期待通りの反応と言えるのだが、静か過ぎるのも何だか不気味だ。

 少し進んだところで歩みを止めて、俺は振り向いた。今までずっとマールは俺の背中を見ていたようで、俺と彼女の目が合った。

「マール、どうした?」

「……何?」

 小首をかしげる彼女に、

「なんていうか、あまりにも静かだから……。少し気になってさ」

「ああ、うん。ちょっと考え事をしていただけ」

 彼女は笑いながら、俺のところに駆け寄ってくる。

「ここから先は道も広くなるから。並んで歩きましょうか」

「……そうだな」

 いったいマールは何を考えていたのか、どういう心境なのか。よくわからないが、とりあえず彼女に従っておこう。

 どうせ洞窟までは、あと少し。俺はマールと横並びで、再び歩き始めた。


 まだまだ山道は続くが、山頂まで登る必要はない。洞窟ダンジョンは、ヒルデ山の中腹あたりに位置している。

 だいたい、人間の背丈の二倍くらいだろうか。山の斜面に、ぽっかり空いた穴。これがダンジョンの入り口だ。山道の入り口とは異なり、立て札も何もない。普通の人は入らない場所だから、案内板など設置されていないのだ。

「行きましょう、ラビエス」

 少し真剣な表情で、俺の方を向いたマール。

「……うん」

 俺が小声で頷くと、マールは先に洞窟へ入っていった。

 冒険者のジョブとしては、マールが戦士で、俺が白魔法士。だから彼女が前衛、俺が後衛となるのは、理に適っている。

 付かず離れず、一定の距離を保ちながら、俺とマールは洞窟の中を進んでいく。

 何度も訪れた洞窟なので、二人ともダンジョン・マップは頭に入っているし、道順も決まっていた。

 洞窟の中は薄暗いけれど、真っ暗ではない。今日は晴れているから違うが、曇天の日などは、むしろ外の山道――洞窟の入り口近辺――より明るいくらい。

 ダンジョンとなる洞窟にはありがちなことだが、洞窟内部の岩肌に、ヒカリゴケが生えているのだ。

「ラビエス……」

「ああ、いるな」

 四分の一くらい進んだところで、マールが声をかけてきた。

 詳しく聞かずとも、何を言いたいのか理解できる。俺もマールも、冒険者特有のカンで、ゴブリンの気配を察知したのだ。まだ姿は見えないが……。

「……左!」

 叫び声と共に、マールが振り返る。

 左斜め後ろの、細い分岐道――俺たちの道順としては、メインの道を探索後に入る予定だった脇道――から、ゴブリンが三匹、飛び出してきたのだ。

 俺は咄嗟に呪文を詠唱する。

「ヴェントス・イクト!」

 弱風魔法ヴェントラ。なぜか攻撃魔法なのに白魔法に分類されている風魔法――その中でも一番簡単な魔法だ。つまり、白魔法士である俺にとっては、一番使いやすい攻撃魔法ということになる。

 そもそも……。

 この世界において、魔法とは神の奇跡である。

 俺たち冒険者は、呪文詠唱を口にすることで神様に祈りを捧げ、それを受けて神様が力を貸してくれることで、魔法が発動する。

 魔法を放つと魔力が減るし、魔力の減少は疲労という形で実感できるわけだが、この『魔力が減る』というのは「神様に自分の魔力を捧げているのだ」と考えられている。

 ただ『神様に捧げる』といっても、それを繰り返したところで、自分の魔力が空っぽになってしまうわけではない。魔力は体力と同じで、普通に生活していれば――特に一晩ぐっすり眠れば――自然に回復するからだ。

 そして同じ魔法でも、同じ魔力消費でも、人によって威力が違ってくる。呪文を詠唱する際、いかに頭の中でイメージするか、それ次第で発動する魔法の効力が大きく異なるのだ。

 これも「神への祈りである以上、その際の信心深さや、余計なことを考えていないかなど、影響するのは当たり前」と説明されているが……。

 実は俺は、こうした考え方は眉唾だと思っている。

 もちろん、呪文詠唱時のイメージ次第で魔法の効力が変わるのは俺も実感しているし、そもそも実際に魔法が発動する以上、その源となるような、人知を超えた存在がいるのは確実だ。

 しかし……。

 その『人知を超えた存在』というのは、本当に神様なのだろうか?

 だいたい俺は『魔力』という言葉自体に、神聖なイメージを持てない。ひょっとしたら俺たちは、神ではなくて悪魔に祈りを捧げているのではないか……なんて可能性まで考えてしまう。

 そして、こんなバチ当たりな考えの俺が魔法士としてやっていける時点で、信心深さ云々の説は間違っていると思うのだ。


――――――――――――


「……左!」

 私――マール・ブルグ――は叫びながら振り向いて、ラビエスの方へ駆け寄った。

 油断していた。後ろからモンスターが現れるなんて……。

 私が剣を構えるより早く、

「ヴェントス・イクト!」

 ラビエスの風魔法が、三匹のゴブリンをまとめて吹き飛ばす。第一レベルの風魔法だが、ゴブリンの一匹は岩壁に叩きつけられ、それだけで絶命していた。打ち所が悪かったのだろう。

 残りの二匹はダメージこそ少ないようだが、吹き付ける風で、大きく体勢を崩していた。

 ……チャンスだ。

「私は右をやる!」

 ラビエスに聞こえるように声を上げながら、私は右側のゴブリンに斬りかかる。

 一刀両断。

 反撃のも与えず、一瞬で倒した。

 そのあいだに。

「イーニェ・イクト・フォルティテル!」

 もう一匹に対して、ラビエスが炎を放つ。風魔法ではなく、炎魔法だ。

 燃え盛る炎に全身を包まれ、息が出来なくなったらしい。ごとりと重い音を立てながら、ゴブリンは頭から倒れた。この時点で絶命していたようだが、焼き尽くすまで炎は止まらず、ゴブリンは灰となった。

 私の背後で、ラビエスがつぶやく。

「やはり風だけじゃ倒せないな。黒魔法士じゃないけど、炎の方が攻撃魔法としては使える」

 わざわざ言う必要なんてないのに。

 わざわざ言うから、言い訳がましく聞こえるのだ。

「……そうね」

 とりあえず、私はそう言っておく。

 ラビエスは白魔法士。でも、こうした区分は厳密なものではなく、魔法が得意な者が魔法士と呼ばれ、中でも白魔法が得意な者が白魔法士と呼ばれているに過ぎない。

 実際ラビエスだって、あまり得意ではないにしろ、第二レベルまでの炎魔法や氷魔法は実戦レベルで使える。現に今、一匹のゴブリンを焼き尽くしたように。

 彼と一緒に魔法学院で学んだ私も、一応は第一レベルの炎魔法を発動できるが、威力も弱いし、魔力を大量消費するとみえて凄く疲れてしまう。そんなの割に合わないので、基本的に魔法は使わない。

 そう。

 使わないだけで、私にも魔法の知識自体はあるのだ。

 だから。

 先ほどのラビエスの呪文詠唱が、第二レベルの炎魔法でもなければ、第二レベルの風魔法でもないことくらい、私にもわかるのだった。

 第二レベルの炎なら、アルデント・イーニェ・フォルティテル。

 第二レベルの風なら、ヴェントス・イクト・フォルティテル。

 でもラビエスが唱えたのは、イーニェ・イクト・フォルティテル。

 風と炎の呪文をミックスして使っているようにしか聞こえないが……。神聖な呪文詠唱に――神への祈りである呪文詠唱に――勝手にアレンジを加えるとは!

 神様への冒涜!

 敬虔な信徒が知ったら、怒るでは済まない話だろう。私もラビエスも、毎週日曜は教会の礼拝へ出席するくらい、真面目な信者だったはずだが……。

 まあ、いい。

 ラビエスが呪文詠唱の改変を始めたのは、つい最近だ。もしも例の転落事故より前に始めたことなら、私だって「詠唱改変なんてやってるから、天罰が下ったの!」と思っただろうが、そういうわけではないようだ。

 しかも彼は、私の前で何度も使っているにもかかわらず、改変なんて私にはバレてないと思っているらしい。

 そんなラビエスを、私は可愛いと思う。

 可愛いから、しばらくは現状維持で、様子を見届けたい。

 ……私は、そう感じてしまうのだ。


 この日は結局、他にモンスターは現れなかった。宝箱はダンジョン全体で三つあるのだが、どれも空っぽ。

「まあ、こんな日もあるさ」

 慰めるようなラビエスの言葉は、私ではなく、むしろラビエス自身に向けられたもののように聞こえた。

 そして。

 夕方になる前に、私たちは中央広場まで戻ってきた。

 二人で一緒に、冒険者組合――通称『赤レンガ館』――に入ったところで、

「じゃあ俺は、報告に行ってくる」

 私を置いて、一人でラビエスは窓口の方へ向かった。

 ここの窓口を通した仕事でなくても、ダンジョンでモンスターを討伐した際は、組合に報告する決まりになっている。

 半ば有名無実化したルールであり、いちいち報告しない冒険者も多いのだが、ラビエスは毎回、律儀に告げに行くのだ。

 いつも通り、私は入り口近くの掲示板のところで、ラビエスを待つ。

 暇つぶしがてら、大掲示板を見てみた。

「……やっぱり、ないわね」

 大掲示板には、冒険者への仕事の依頼が貼ってあるのだが、めぼしい仕事は残っていなかった。

 まあ、そうだろう。良さそうな仕事があれば、誰かが見つけ次第、依頼書を持って窓口へ向かうはず。いつまでもここに貼ってあるのは、誰も引き受けないような、残り仕事ということだ。

 続いて私は、隣にある連絡掲示板にも目を向けた。

 連絡掲示板は、他支部からの連絡が貼られているのだが……。

 事務的な連絡を見るより、時間つぶしとしては『私信連絡板』が面白い。

 冒険者組合の事務やお偉いさんではなく、他の支部の冒険者からのメッセージが書かれている。文通相手募集……みたいなアレだ。

『黒魔法をトコトン極めよう! 同志求む』

『当方、究極の冷気を身に付けたいと思う魔法士。興味ある者は是非ご一報を』

 この辺りは、比較的真面目な例だろう。

 でも。

『私は、歌うことが大好きな冒険者です。同じ趣味の人いたら、お手紙ください』

 ……何だろう、これ。

 こういうのがあるから「出会い系掲示板」などと揶揄されるのだ。

 いや「歌うことが」なんてのは、まだマシな方かもしれない。

 もっと酷いのもある。

 ちょうど今、私の視界に入ってきたやつ。

『私は異世界オーサカでの記憶を取り戻した。オーサカで共に学んだ友がいたら、ぜひ連絡を』

 異世界オーサカってなんだ。

 そもそもオーサカという言葉の響き自体からして「私が知らないだけの、聞いたことない名前」というより「言語体系が異なる、別の世界の名前」っぽい。

 自分の前世は異世界の……なんて言い出す時点で、典型的な十二病だろう。

 十二歳くらいの子供ならば、前世とか異世界とか言っているのも微笑ましいが、大きくなっても本気で信じているのは、見ていて痛々しい。そういうのは『十二病』と揶揄されても仕方ないと思う。

「……こういうの、最近、増えてきたわね」

 ちょうど私が、ぽつりと口にした時だった。

 ラビエスが戻ってきて、

「こういうのって……何?」

 私の独り言が耳に入ったらしい。

 まあ、大した話題ではないが、敢えて話を切るほどでもないと思った。

 私は掲示板の私信を指し示しながら、

「ほら、これ。……これ絶対、空想の地名よね」

「異世界オーサカ、か……」

 思った以上に、ラビエスは関心を持ったようだ。少し考え込んでいるようだが……。

 何がそんなに興味深いのだろう?

 つられて私も、ちょっと考えてみる。

 前世の記憶……。異世界の記憶……。

 そういえば、少し前までは「前世の記憶を思い出した。自分は百年前の偉人の生まれ変わりだ」みたいなのが多かったのに対し、最近は「前世の記憶を思い出した。自分は異世界から来たのだ」みたいなのが流行りっぽい。

 でも、どちらにせよ。

 前世の記憶を思い出したら、現世の意識はどうなるんだろう?

 ふと考えたことを、口に出してみる。

「特に、最近多い異世界転生って……。あれって、魂を乗っ取られるような感じなのかしら」

「魂を乗っ取られるって……『悪魔に』ってこと?」

「……悪魔?」

 私は耳を疑って、思わずラビエスの言葉を繰り返してしまった。


――――――――――――


 俺――ラビエス・ラ・ブド――は、ぽかんと口を開けたマールを見て、自分の失言に気づいた。

 悪魔は、神とは正反対の存在。

 この世界が神を崇拝する世界である以上、悪魔に対するネガティブなイメージは非常に強い。

 まあ呪文の説明をした際にも述べたように、俺は『どっちも同じようなもの』と思ってしまうのだが。

 しかし、そんな考えを公言したら大変なことになる。

 そもそも『悪魔』という言葉自体、口にするのもおぞましい……。それが一般常識なのだろう。

 このままではいけないと思って、

「あ、いや、小さい頃に読んだ創作物で、そんな話があった気がして……。つい口に出てしまった」

「……そんな酷い話あったっけ? 色々と忘れてるくせに、変なことだけ覚えているのね」

「うん。何を『思い出す』のか、自分でもコントロールできないからな」

 そんな会話をしながら、俺たちは『赤レンガ館』を出た。

 この話題は、それっきりになったが……。


 もしも彼女が真実を知ったら、どうなるのだろう?

 実は俺は、彼女が一緒に過ごしてきたラビエスではない、という真実を。

 こことは別の世界から転生してきた日本人の意識が――別の世界でウイルスの研究をしていた若い学者の意識が――ラビエスの体に入っているに過ぎない、という真実を。

   

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