第10話 悪魔の終焉

 夏真っ盛りの葉月の始めに、身も凍りそうな雨が降ってきた。

 空はひどく暗くて、夜が明けているのかさえ分からないような空だった。

 雨がひどく降っているのに、烏が鳴きながら飛んでいる。そんな奇妙な日だった。


 それから、すっきりカラリと晴れた日だった。

 暑さがますますひどくなるようで、詩乃が冷やしているタライの水は、足をつけた瞬間から沸騰しているのじゃないかというくらいで、もう、「ネコモシャクシモ」日陰で伸び切っているような状態だった。

「邪魔するぞ」

 岡 征十郎が熱い中、黒い同心着物仕事着ではなく、普段着らしい巣鼠色ミディアムグレーの着物をサラッと着ていた。

 番頭は岡 征十郎らしいこざっぱりした着物だと感心しながら水を差し出す。

「あつぅございますね。非番になりましたか?」

「ああ、十五日を過ぎたのでね。いやぁ、暑かった」

 そういって手ぬぐいで額を拭い、番頭が差し出した団扇を受け取って扇ぎながら小上がりに腰かけた。

 詩乃は不承不承に足を拭いて小上がりに足を引っ込める。

 番頭がタライを持って外に出て、外に水を打つ。

「ハビエルだが、この前の大雨の日に、処刑されたようだ」

 詩乃がキセルにたばこを詰める。

「早かったねぇ」

「事は重大だ。言うても長崎藩の武士や、子供たち、何人もの人を殺している。極刑は免れなかったが、ことが早かったのは、あいつは人の心を操舵する。そう聞いているので、速やかに事を済ませたかったようだ。

 それに、今、浦賀などに来ている船から、ハビエルが自国民だと名乗り出る船がなく、それゆえ国の後ろ盾もないから、どこに遠慮もいらず刑を速やかに行えたようだ。

 ただし、それに関わったもの、私や、助川様などにも一切ことを知らされず、白洲裁判が行われたかどうかも怪しい中、はりつけの上どこかに埋葬されたようだ。磔にした者、突いた者、埋葬した者、果ては、移動させた者たちすべてが別の者の手によって行われたので、自分の仕事以外は誰も何も知らない。

 最後に埋葬したものでさえ、それがハビエルだとは思わないだろう。なんせ体を折り曲げ、布でくるみ、よほどの罪人であろうとして扱われたようだからな。どこに埋葬されたのかもわからん。

 大麻だが、ハビエルは捕まった時に少し持っていた。すべてだと言っていた。たぶん、全てだろう。

 おすえが薬草を保管するのに使っていたうろの地面に少し落ちていた。おすえに謝礼として渡したが、悪い草だと拒否されたと言っていた。

 大麻はすべて回収し、小早川医師のもと全て葉っぱで種はないという。これは、お前が以前言っていたように、医術に何らかの役に立てるのではないかというので、末期のがん患者の痛み緩和に使おうという話になっている」

「小早川先生なら、ちゃんと使ってくれるさ」

 岡 征十郎は頷いた。

 番頭が打ち水をし終わって店に戻ってきた。数分とせずの間なのにすでに汗の玉が月代に浮かんでいる。

「おすえと父親の墓は、あの兄妹がちゃんと建てたそうだ」

「そう」

「これで、一応は、終わった」

 岡 征十郎の言葉に詩乃が頷く。

「終わってみると、あっけないものでしたね。散々苦労しましたのに」

 番頭の言葉に詩乃は煙を燻らせ、

「そんなものだよ。解らないうちはあれやこれやと思うけれど、所詮、まったく、本当に、イヤってほど簡単なものなんだよ。ただ、解るまでは、気苦労が絶えないけどね」

 詩乃の言葉に岡 征十郎が頷く。


 「知ってるかい? 蝉ってね、暑すぎる昼間は鳴かないんだよ。あいつらも、暑いんだね。

 あー、暑い、あー暑い。あー、暑い」

「鬱陶しい」

 岡 征十郎が嫌そうな顔をするのを見て、詩乃が近づき、

「あー、暑い」

 を連呼する。それを嫌がって立ち上がり帰っていく。詩乃が声を出して笑う。

 葉月の、日差しの強い昼下がり―。暑い、暑い、昼下がり―。


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六薬堂 三譚~善なるものと、悪なるものと 松浦 由香 @yuka_matuura

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