第2話
マコモさんの「泣き芸」を見たのは、それから二週間後のことだった。
欠員が出たというので、まあちょっとおいでや、と呼ばれて出掛けた合コンの席である。
マコモさんと、あさ美と、カナエさんというマコモさんの高校時代の友達とで女が三人、男はマコモさんの専門学校の同期生が三人、マコモさんには三年付き合っている彼氏がちゃんといたけれども、マコモさんは座持ちのする名オーガナイザーとして重宝されていたようで、頼まれてよく合コンを仕切っていたのだった。
それは、マコモさんが探してきた謎の民藝居酒屋といった趣の、裏路地にある飲み屋で、あさ美が皿に残っていた〆鯖の最後の一切れに箸を伸ばし、口に入れた瞬間だった。
「あああっ、わた、わたっ、わたしが食べようと思ってたのに!」
マコモさんは、左頬を〆鯖で膨らましたあさ美を見ると、両手で口を軽く覆い、眉根を寄せて両方の目からぼたぼたと涙をこぼした。テーブルに落ちたに二滴の涙がそこにあった空の箸袋を叩き、実際パタパタという音がたった。
あさ美はなにが起こったのか一瞬全く理解できず、とりあえずこの鯖を噛んではいけない、今はまだ飲んではいけない、という判断だけ下し、息を止めてマコモさんを見守った。
向かいに座っていた男性陣があーあ、あーあ、と言ってこちらを指差し、あさ美がさらに混乱し始めたところでマコモさんを挟んで向こうにいたカナエさんが、ああー、それはあかんなあー、と半笑いを隠しきれぬままあさ美に首を振って見せた。するとマコモさんが、わたしのなみだは全部うそうそつくおんなにだまされて、と『蛍の光』の冒頭の替え歌を歌い出した。満を持して、といった歌い出しだった。
これが、マコモさんと飲みに行ったことのある人なら誰もが知っている「マコモの泣き芸」だった。この日、初見だったのはあさ美だけだった。
「わたしの涙は全部ウソやで! 絶対信じたらあかん。絶対。百パー嘘」
マコモさんは指で涙をぬぐいながら自分でそう断言し、いやあしかし、じぶん、めっさキレーに引っかかったなあ、とにこにこ笑った。素晴らしい手腕ですね、とあさ美が鯖を嚥下し称えると、マコモさんはもう芸暦二十年やからね、と応えた。
あさ美はその後たびたびマコモさん主催の合コンに、自分の友達を連れて参加し、「マコモの泣き芸」の切れ味を騙すサイドから堪能した。騙すべき対象者がない場合、当然泣き芸は披露されなかったので、あさ美は未見の友人らをリストアップし、順送りで召喚した。『蛍の光』を歌い出せないくらい被騙者が動揺していると見て取った場合、マコモさんはその長い腕を広げて
「ぅウソだよーー!」
と単純に咆え、呆気にとられている彼ら彼女らをぎゅうぎゅう抱きしめた。
マコモさんの「泣き出し」にはいくつかのパターンがあり、あさ美がかかったように、マコモさんの食べようと思っていたものがとられた、というのが一番簡単かつオーソドックスな型だったが、その日その日の状況に応じてマコモさんは変幻自在に泣きスイッチを入れ、例えば隣の人がマコモさんのカーディガンの裾を尻に敷いていたとか、酒をこぼしてしまったとか、お手洗いが使用中だったとか、そんなことを発火点として、マコモさんはじゃんじゃん涙を流した。ネタばらしをしてもなお泣きながらキュウリの浅漬けや軟骨から揚げに箸をのばして、もー、ホンマうまいわー、涙出るわー、などとマコモさんが言うのがあさ美には堪えられず、すごいっすね、マコモさん、すごいっすね、と阿呆丸出しで繰り返した。
あさ美はマコモさんのことが大好きだったのだ。
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