桜花一片に願いを

黒中光

第1話 泣いた子には花びらを

 僕は猫だ。名前はソウセキという。由来は小さい頃、ご主人のパソコンに乗ってキーボードとかいうもので遊んでいたら、


「wagahaiはネコ出aru!」


 と打ってしまったことがきっかけらしい。それでなんでソウセキなのかはさっぱり分からないが、とりあえずご主人が喜んでいたので良しとしよう。


 そんな僕は今パトロール中だ。塀の上をとことこ進みながらあくせく歩く人間たちを見下ろしている。


 川べりに出ると、青い敷物を敷いたうえで弁当を食べている連中がいた。男と女が4人ずつ。何故か真昼間から騒々しく喚いている。陽気な連中の頭上にはピンク色の花びらをいっぱいにつけた木が何本も植わっている。『桜』というらしい。毎年暖かくなってくると、咲き出す。普段は木登りぐらいにしか役に立たないが、この時期は綺麗なものだ。それは人間たちも同じらしい。


 ひらひら舞い落ちる花びらを目で追いながら、連中のほうに近寄ってみた。ちょうど小腹が空いていたので、焼き魚をひとかけらもらう。白身だ。お礼に体をちょっとだけ撫でさせて退散した。こういうギブアンドテイクをしっかり意識させておくのが人間と付き合うコツだ。さもないと、ぬいぐるみみたいに扱われて迷惑することになる。


 しかし、この連中は本当に浮かれていた。ただただ、『桜』というもののおかげだろう。みんなが目で見て元気になる花だ。


 パトロールに戻ると、公園に出た。ベンチと砂場とシーソーがある。そんな中で女の子が一人だけ座っていた。


 まだ小さな子で、傍らには僕がすっぽり入れそうな赤い箱型のカバンが置いてある。上は若葉みたいな色で、白いひらひらしたものを下に履いている。『スカート』だったかな?


 女の子は髪を一つにくくっていた。ちょうど、猫のしっぽみたいな。だが、しっぽと違って、全く動かない。


 女の子は「すん、すん」と泣いていた。目から水が出るというのはなかなか見たことがない。驚いたが、何故だか胸のあたりが締め付けられるようになって呼吸が苦しくなる。


 そして、この子が怖いとも思えない。むしろ、かなり弱って見える。気になった僕はしばらく様子を見るために、彼女が座ったベンチの上まで移動した。


 女の子はしばらくそのままだったが、やがて涙を流すのはやめた。それでも、その場を離れはしなかった。僕はその間、うたた寝してしまったがずっと動かないのだ。


 さすがに、妙だと思って塀を降り、視点を変えてみるとベンチの横に紙が置いてあるのに気付いた。よく見えないが色が塗られていたらしい。それが、泥で覆うような形になっている。


 群れから追われたのかもしれないと思った。猫にはあまりないことだが、カラスではたまに見かける。


「猫ちゃん」


 いきなり呼びかけられて驚いた。女の子が僕のほうを見て笑っている。


「おいで」


 震える声で呼びかけられる。顔が耳まで赤い。まだ目が潤んでいる。どうして良いか分からなくなって、普段のギブアンドテイクを忘れてそーっと近づいた。


 彼女の手が、僕の頭を、背中を、しっぽを優しく、触れるか触れないかの力でなでていく。特に、顎のあたりは気持ちよかった。


 ゴロゴロと喉から声を出してやると、彼女の笑みが深まった。でも、ちょっとこわばった感じで手の力が強くなってきた。ああ、まずい。そう思った時には彼女はまた泣き出しだしていた。感情を抑えようとしながら、体中で悲しんでいた。


「う。うう。うえ。うぐぅ」


 きっと、無理やり押しとどめていたのが、ゆるんでしまったんだろう。びっくりした僕は急いでその場から走り去った。


 そのまま、パトロールに戻る。大人の女が数人集まって長話している横を通り、ポストから紙を取り出す男を眺める。日常の風景だった。いつも通り。だからこそ、普段と違うあの女の子のことが頭から離れなかった。


 今、あの子はどうしているんだろう。まだ、泣いているんだろうか。それとも、悲しいことを押し込めているんだろうか。


 俯いていたあの子。温かい手でふんわりと撫でてくれたあの子。顔を真っ赤にして涙したあの子。


 思い返せば、思い返すほどよく分からない感情に支配された。あの子がどうか泣き止むように。笑顔にできるように。


 何か、ないか。今日パトロールで見たことを思い出していくうちに、焼き魚をくれた連中を思い出した。そうだ、あの連中は『桜』で喜んでいた。ならば。


 もう一度、川べりに向かう。塀の上を機敏にダッシュして。


 着いたころには人間はいなくなっていた。代わりに風が、花びらを大量に吹き飛ばして一面をピンクに染めていた。


 綺麗だ。できるなら、この景色をあの子に。でも、猫一匹にそんな力はない。


 ならば、せめて一枚でも。


 僕は突進した。小さな花びらの渦に包まれる。どっちを見ても、花びらの壁。


 そのくせ、僕の繰り出す前足をすり抜けていく。なんで。こんなにあるくせに。


 何度も、何度も突っ込むと、偶然一枚が湿った鼻にくっついた。落とさないように慎重に、それでも急いで。あの子は、まだ公園にいるだろうか。


 絡んでくる余計な連中の手をすり抜けて公園に向かう。砂場、シーソー。そして、空っぽのベンチ。


 間に合わなかったか。一瞬動きが止まった。僕は花びらをくっつけたまま立ちどまった。


 そこに、コツコツという音が聞こえた。誰かが歩いてる。音は小さい。そして遠くない。


 気持ちを奮い立たせて駆ける。いた。あの子だ。


 カバンを背負って、とぼとぼと歩いている。やわらかい肉球で足音を殺して近づくと、声をかけた。


「にゃん」


 前足で花びらを落とす。ふわりとした風に誘われ、顔を上げた女の子の前をひらひら落ちて手の上に乗っかった。


「さっきの猫ちゃん。くれるの?」


 首を傾けていた彼女に返事をすると、ゆっくりと笑顔が広がった。


「ありがとう」


 分厚い雲から陽が射すような。そんな心からの笑顔だった。僕の胸も陽だまりみたいに温かだ。

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