第11話 ショッピングモールと青海
家の外に顔を出してみると、異国の地に足を踏み入れたかのような感覚が全身に波打つ。
駅の方まで歩みを進めていくと、実にたくさんの人間が横断歩道を縦断していくのが視界に飛び込んでくる。
久しぶりの外。青空を遮るものは何ひとつなく、とても良い天気だ。
「ふふっ。こうやってクロガネ君と一緒に歩いてると、変な感じがする」
「変な感じってなんだよ」
「だって、こんな感じに外に出かけることなんて予想してなかったし」
「そうか。今のこの現実に感謝しておくんだな」
俺の両サイドには、桜井の三つ子がついている。
三人の私服姿にまともに対面するのは初めてだろう。身長差のせいで、腰を落とさないとうまく身体全体が見られないのが惜しいばかりだ。
「クロガネさん? あんまりキョロキョロしない方がいいですよ。自然体でいてください」
「そうだぞクロ君。今の君は怪しい人みたいだぞ」
「……そうは言っても」
やはり、どうしても周囲の視線が気になってしまうのだ。
ただ単に、それなりの体格の男が小学生の女の子と一緒に歩いているのが客観的に見て怪しいから、というだけではない。
記憶喪失である俺は、立ち振る舞いに気をつけなければならない。記憶喪失であることを見抜かれたが最後、俺がこいつらと一緒にいられる時間もすべて消え去ってしまう。半信半疑でありながらも、そんな恐怖があった。
「本当は、私たちだけで外出するべきなのかもしれないですけど……。引きこもってばかりなのも良くないですし、外で何か知っているものが見つかるかもしれないですから」
雪那も俺も、基本的な考え方は一致しているようだ。
記憶を取り戻すためには、何かしら外からの働きかけが必要だ。それが多ければ多いほど、失ってしまった記憶に結びつくヒントが得られやすくなる。周りとの接触を断って内側に引きこもっているだけでは、記憶を取り戻す手がかりは一向に見つからないだろう。
「本末転倒なんじゃないのか」
「ほんまつてんとー? 何が?」
「過去に記憶喪失者による凶悪な犯行が相次いだから、彼らを隔離しようっていうのは百歩譲って認めたとして、でもそれだけだといつまで経っても記憶が戻らないんじゃないか?」
「確かに。記憶が戻って施設から帰ってきて社会復帰しましたー! なんていうニュースはほとんど聞かないよね。それに……」
青海が、一瞬だけ雪那の方を覗き見る。
「草野君も、まだ戻ってきてないしね」
その言葉は、この場の空気をしんと鎮めるのに十分だった。
「まあでも、ひょっとしたら私たちの知らない間に解放されてるかもしれないし。それよりさ、今日はクロガネ君の服を買いに行くんだよね、雪那?」
青海が、雪那のことを“雪那”と呼ぶのは初めて見た。
「う、うん。そうだけど」
一度静まった空気は、意外にもすぐに立ち消えていった。
青海が何か発言すると、周りの人の気分もそれに追従する。
元からムードメーカー気質の富んだ娘なのか。それとも、自らその役を喜んで買って出ているのか。
家を出る前に雪那に尋ねてみたのだが、彼女たち姉妹は、青海が長女、雪那が次女、桃子が三女であるらしい。
三つ子三姉妹ではあるが、両親から離れて暮らしていることもあり、青海は一番上のお姉ちゃんとしてふたりを引っ張ってきたのかもしれない。
「クロガネ君、どんな服が似合うかなー。憎たらしいくらいに身長がおっきーからなー」
「俺だって、好きでこの身長なわけじゃないんだけど」
「そういえば、クロガネさんの身長っていくらくらいなんでしょう?」
「うーん。百八十センチくらいかな?」
青海が、両手を胸の前で広げてスケールの大きさを表現する。
「今、私の身長は百四十六センチだから、私とクロガネ君の身長差は……。実に、四十四センチもの隔たりが観測されるということであろうにゃ」
「三十四センチだよ、青海」
「……おおっ」
雪那のつぶやきに、大きく手を打って納得する青海。
「クロガネ君クロガネ君。あそこに見えるのが目的地だよ」
青海が伸ばした人差し指の延長線上を辿っていくと、周りの建物を圧倒する巨大な建造物が見える。
「……こりゃあ、すごい建物だな」
家から数十分ほど歩いてたどり着いた場所は、大型のショッピングモールだった。
「えっと、前に来たときに行った服屋さんはどこだったかな……」
建物の中に入るなり、雪那と青海は近くにある電子案内板の方へぱたぱたと駆け出していった。
「随分といろいろな店があるんだな……」
東館と西館に分かれているようで、多くの店舗は東館にまとめられており、西館には少数の店舗が各階ごとにほぼ一種類ずつ展開されている。
映画館やホール、ゲームセンターまで所有しており、相当な横の面積に加えてフロアも五階まで存在する。
「この街の消費行動の九割くらい占めてんじゃねえのか、これ」
建物の中は、外よりも相当多くの人間でひしめき合っている。客層も広く、土曜日だというのに制服姿の男子中高生が談笑しながらエスカレーターに乗っていくのが見えた。
「なあ、桃子」
「……はい?」
俺の隣でぼーっと突っ立っている彼女に声をかけると、ワンテンポずれた返事が返ってきた。
「……いや、何でもない」
「……(ぷい)」
会話が終わった。
ヤバい。何を話したらいいのかがまったく分からん。
桃子は、俺が想像している以上のシャイガールであった。
しかし、今後は桃子ともひとつ屋根の下で暮らしていくことになるわけだ。ここで彼女と円滑なコミュニケーションを取れるようになっておかなければ、家の中が微妙にギクシャクしてしまうことは想像に難くない。
一緒に暮らしていく以上は、何でも話せる間柄でいたいものだ。や、別にロリと仲良くなってうへへな感じになりたいからではない。決して。
「ああ、えーっと、ほら、学校では何をやっているんだ?」
「……お勉強をば」
「そっか……。大変だね……」
「……(ぷい)」
会話終了。
いや、まだだ。まだ戦える。
「じゃあさ、えーっと、何の勉強をしてるの? 先生はどんな人? 友達はいる?」
「……友達は、まあ、お姉ちゃんたちと一緒のクラスだから」
「へえー。三つ子が全員同じクラスなのか。意外だ」
「……(ぷい)」
話終。
(陰キャか、俺は……)
牙城だ。彼女は、鉄壁の牙城だ。
身長は俺よりも二回り小さい彼女であるが、今の俺にとって彼女は決して崩すことのできないほどの堅牢な牙城に等しい。当の本人は、何も気にしていないようだが……。
「クロガネ君! このエスカレーターに乗って三階まで行くんだよ。それじゃーれっつごー!」
青海がいきなり俺の手をつかんで引っ張って行こうとする。
「ち、ちょっと待って」
片足を不自然な方向に出してしまい、酒の入ったサラリーマンのようによろめきながらついていくことになる。
触れた手からは、青海のやわらかい肌の感触と体温が伝わってくる。
「もうちょっと優しくしろ、青海!」
エスカレーターで三階まで昇ると、客層がガラッと変わった。
「このフロアは女子高生でいっぱいだな。ここに服屋があるって言うのか? 青海」
「そうだよ。ここは私たちのような十代の女性には人気の服屋がいっぱい詰まっているのさ。服屋だけではなく、アクセサリーショップや化粧品のお店も充実しているよ」
「ふーん。まあ俺にとってはアクセサリーも化粧品も無縁だがな」
フロアの中心部に移動し、あたりをざっと一瞥してみる。洋服店が三軒、ジュエリーショップ的な何かが二軒。あとはよく分からないがとにかくピンク色で女性専用っぽい店で占められている。
やはりと言うべきか、男性は一人も見かけなかった。
「おい青海。居心地が悪いから、さっさと必要な物だけ買って帰ろうぜ」
「クロガネ君、そんなしけたこと言わないでゆっくり回ろうよ。お店もいくつかあってね。高い店と、並の店と、安い店の三軒が並んでいるのさ。桃子は服やオシャレにまったく興味が無いみたいで、桃子と買い物に行くといっつも安い店に入らされるんだけどね」
青海が何やら早口で長々と語りだしたが、俺は一刻も早くこの女の園みたいな空間から脱出したくてたまらない。
「桃子。この中で一番安い店に案内してくれ」
「……わかった」
桃子は、予め準備していましたとでも言うかのように、寸分の間も挟まずにスタスタと歩き出す。
「ちょっとちょっとちょっと、ちょおーっと待ってよ! せっかくクロガネ君もいるのに、いつものノリじゃだめだよ二人とも! その店に行っても無地の服しか売ってないよ! 年がら年中無地の服ばっかりセールしてるし。夏は無地の夏服、秋は無地の秋服、冬は無地の冬服しか売ってないんだから!」
春は何を売っているのだろう。
「あいにくだが、俺は無地が好きだぞ。いや、無地こそが、万物が細分化される以前の根源的・原色的な淡い情緒を感じられて至高だと思っている。なあ、桃子?」
桃子は無言でカクッと頷く。
「私は好きじゃないの! ましてや至高とも思わないし! 情緒も感じないし! とにかくあっちの店に行こう。行こうったら行こう。ね?」
青海が、俺の前腕部を握りつぶすかの勢いで引っ掴む。腕に爪でも食い込んでいるんじゃないか、と疑うくらいに痛い。
「だからもうちょっと優しく掴めって!」
「私が優しいのは、豪快で好色家であるように見えて実はアイドル活動とケーキ屋のバイトにとても真摯な姿勢で取り組んでいるというギャップが魅力的なイケメン君を見ている時だけだよ」
「たいして面白くなかったぞあの漫画! あの男よりも俺の方が何百倍もマシだ! だから俺に魅力を感じろ!」
「クロガネ君は……。顔はそこそこだけど、もうちょっと筋肉が欲しいかな」
青海は俺の腹のあたりを水平に見つめている。確かに、俺に筋肉らしい筋肉がついていないことは、昨日の昼に入った風呂の中で確認済みだ。くそう、記憶を失う前の俺よ。もうちょっと身体を鍛えておいてくれれば、今頃三人の少女に囲まれてモテモテのウハウハだったのに……。
なんて馬鹿な思考を巡らせていると、いつの間にか俺たちは目的の服屋(青海曰く“高い店”とやら)にたどり着いていた。
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