第2話 名付け親
「……美味しい」
俺は、今しがた彼女たちに振る舞われた料理“卵かけご飯(冷凍めしver.)”というものをちまちまと口に運んでいた。
もう春ではあるのだが、なぜか部屋の中央にはこたつが鎮座していて、俺を含めた四人がそれぞれ四方を領有するような形で使用していた。
どうやら俺は、数時間前にこの三人の少女によって運ばれ、意識が無いまま眠っていたらしい。
つまり彼女らは正真正銘の救世主であったのだが、俺は何を血迷ったのか、この娘たちによって地獄の使者のごとく現世から無理矢理冥界へ引きずり込まれたのだとばかり思っていたわけである。
猛省。
俺の真正面に座っているのが、ついさっきちょっと言葉を交わした少女だ。
銀色の川に布を流して作ったような美しい長髪が、揺れ動くたびに光を反射して照り映える。その長い髪に比較して、少女の身体はとても小さく見えた。背筋は反るように伸びていて、視線は真っ直ぐに俺をとらえている。
「ええと……まずはあなたの名前を教えていただけますか?」
そんな少女が、俺に質問を投げかけてくる。
「美味しいです」
「ねえユキチ―。この人オイシイっていう名前だってさ」
今度は隣の少女が、蒼い髪を肩の上で弄びながら、言う。
なるほど。俺の真正面にいる銀髪の女の子は“諭吉”という名前らしい。なんだかご利益がある感じの名前だ。拝んだらお金が降ってくるかもしれない。
「……あの、突然、雨乞いみたいなポーズをされても困るんですけど。なんなんですか」
「俺は諭吉が大好きだから」
「……ユキチ―は私の名前ではありません。私の名前は“雪那”です」
あだ名だったらしい。
「……拝んで損した」
雪那という少女は、ピンク色のいかにも小学生の女の子が着ていそうなパジャマに身を包んでいる。座っているのでよくわからないが、おそらく腰まで長く下ろされた銀髪が確かに雪を連想させる。
確かに、春にほんの少しだけ溶け残った氷雪のような、そんな儚さ、いや、むしろ懸命に生き残っているのだという勇ましさが、雪那からは感じられる。覚えやすくて助かる……と言うと、怒られそうなので黙っておく。
「あの、卵かけご飯の感想とか諭吉とかの話は結構ですから、あなたのお名前を教えてください」
卵かけご飯を頬張る俺に、少し急かすような声をかける。
「そうは言うけど、これは美味いよ。空っぽになった胃袋をこれでもかというほど刺激してくる絶品だと、俺は思うね」
「ああ、確かに。お腹が空いてる時は、何を食べても美味しく感じるもんね」
隣の、蒼髪の女の子が返答する。
「あ、ちなみに私の名前は“青海”ね。覚えやすくていいでしょ」
青海という少女が自分の髪をいくらかすくって俺に突き出すように見せてくる。澄んだ海のような蒼さがまぶしく光を弾いているように見えた。蒼いけれども、澄んでいる。首元に見える透き通るような肌に似て、ふんわりとした印象を与える。
「ああ、確かに名が体を表していて、覚えやすくて助かる」
「だよねえ」
青海はにっこりと笑顔を作って微笑む。
名前に対して「覚えやすい」という感想を持つのは、別にNGではないっぽい。
「そういえば、さっき俺が最初に踏んづけたのって、お前か?」
「そうだよ。おかげで今も背中がひっじょおーに、痛いの。それ相応の謝罪がないと事案案件だよ? これは」
「誠に申し訳ございませんでありました」
「うーん。誠意が感じられないなあ~。キミ、もちっとシャキっとしなさいな!」
「この通りでございます、マイスイート」
「認証~」
キャッキャウフフ。
俺と青海との間に、出会って五秒(誇張アリ)で幸せ空間が卓越していた。
「……もう! 青海の名前とか背中が痛いとかどうでもいいから、早くあなたの名前を教えてく、だ、さ、い、よ!」
ドンドンとこたつが叩かれて、揺れる。
雪那さんがおキレなさった。
目線の高さ的に視界には入っていないが、おそらくこたつの下で足もバタバタと動かしているのだろう。それプラス、少し紅潮した幼い膨れっ面のおかげで、彼女の怒りには一抹の殺伐さもなかった。
この娘たちの年齢はまだ分からないが、ちょっと凛とした雰囲気の少女も、感情を表に出して怒るときには「年相応だな」と思えるのだった。
「お前らって、今何歳なの」
「今、それが何か関係あるんですか?」
「いや、別に」
「だったら、聞かなくてもいいじゃないですか。それより今はあなたの名前ですよ」
意地になって俺を睨んでいる。かわいい。
でも、そろそろ真剣に考えてみることにする。
「俺の名前か……」
正直、あんまりこのことには踏み込みたくなくて、意図的に話を逸らしていた部分もあったのだが。
……素直に言ってもいいものだろうか。
嘘をつくと、どうなるだろう。見栄を張って、適当な名前を今この場で取り繕ったとしたら。
何の意味もない。あるとすれば、ちっぽけな虚栄心が少し満たされるだけだ。
しかし、だからといってバカ正直に本当のことを言うのも、それはそれでなんだか社会に取り残されるような感じがして、ぞっとしない。
プライドなんてものは、俺には分からない、理解不能な概念だとばかり思っていたが、いざ自分のことを話すとなると、胸が詰まるような息苦しさを覚える。
「えっと……。どうかしましたか?」
「だいじょーぶ?」
雪那と青海が、いつの間にか俯いていた俺の顔を、心配そうに覗き込んでいた。
俺は、改めて雪那の顔を見つめる。彼女の瞳は真剣そのもので、強い不動の意志が眠っているような気がした。
そんな彼女を見て、俺は、
「分からない……、いや、思い出せないんだ」
そうつぶやいていた。
発した言葉が、自分の体内から取り出されて浄化されていくような感じがする。もう自分の手の内から離れてしまったかのように見えて、その言葉が導く“結果”がいつ自分にはね返ってくるか分からない恐怖も、また感じていた。
「……そうですか。では、やっぱり記憶喪失なのでしょうか?」
会話が、繋がる。
「え、ホントに? 薄々、そうじゃないかな、とは思ってたけど」
いくらかの沈黙の後、雪那と青海が繋いだ、そのなんてこともないような返答のおかげで、俺はなんだかちょっと救われたような気がした。
「記憶喪失……。ユキチ―、それはほんとうなの?」
「うーん、確証はないけど、真夜中に街の中をさまようのって、いかにも記憶喪失の人がやりそうなことだから……」
青海と雪那がフランクに会話する。あと、存在感がないからすっかり忘れていたが、もう一人、青海から見て真正面、つまり俺と雪那に挟まれた位置に、もう一人の女の子が座りながら黙ってそれを見ていた。
「悪いけど、みんなで俺の名前を考えてくれないか。できれば、俺のことが内面なり外見なり、分かりやすく表されているような、そんな名前がいい」
俺は、三人に向き合って、そう告げる。
「その間、俺はご飯食べてるから」
「呑気だね」
「呑気も何も、正直なところお腹が空きすぎて頭が回らんのだ。それに、俺の名前を呼ぶ可能性があるのは、今のところお前らだけだからな」
「まあいいけど……。でも、会ったばっかりだから、外見はまだしも君の内面なんてわからないよ?」
青海が、「うーん」と少し唸ってから、
「……クロガネ、とか」
そうつぶやいた。
「クロガネ?」
「うん、クロガネ。クロガネ君。クロちゃん。いや、クロガネ君の方がいいかな」
クロガネ、か。名前の意味は俺にはよくわからないが、それはそうと、雪那が「さすがにそれはちょっと無いんじゃないか」みたいな目をして青海の方を見やっているのは何故だろう。
「よし、今日から君の名前はクロガネだ!」
その目線を知ってか知らずか、青海が周囲の同意を得ることなく、茶碗を持っている俺の左手をビシビシとしばきながら強い語調でそう結論付けた。
「強そうでいいじゃん。どういう意味の名前なんだ?」
「“ガネ”っていう部分が、鋼っぽくて格好良くない?」
「おお確かに。それになんかよくわからんけど、強そうな野生の肉食動物感っぽさがマシマシっていう感じだ」
「でしょ?」
ニコニコしながら青海が答える。さっきから思っていたが、この娘は笑顔が絶えなくて、しかもフランクだから非常に話しやすくて良い。
「というわけで、今日から俺の名前はクロガネだ。雪那、よろしく」
ぽかんと口を開けながら目が点になっている正面の少女に、そう告げる。
「……クロガネって、青海がやってるゲームのキャラの名前なんですけど……」
「ん? 何か言ったか?」
「いえ! なんでもないです」
慌てて否定する彼女の顔が、まるで「知らない方が幸せなことってありますよ」と言っているように見えた。
「あの、そろそろ話を元に戻してもいいですか?」
「ああ、そうだったな。いったい何の話をしてたっけ……。ん?」
その刹那、「チン」とトライアングルを鳴らしたような音が聞こえてきた。
音が鳴った方を見てみると、さっきから何も喋ってこなかったもう一人の娘が、ご飯と卵を持ってこちらに向かってくるところだった。
「……ええと……あの……」
うつむき加減で彼女がそう言うと、いや呟くと、こたつの上のうち俺の近くのスペースにそれらを置いて、おしりを支えながらそそくさと元の位置に座った。
(いつの間に、準備していてくれてたのか)
俺がお腹を空かせているのを気遣って、追加を用意してくれたらしい。さっきのは電子レンジの音だったみたいだ。
「ありがとう」
俺がそう礼を告げると、表情を崩さず少女が微かにうなずいた。
ピンク色の、ショート、いやセミロングの髪を、シンプルな漆黒の髪留めでまとめている。その顔は無表情というよりも真顔に近く、視線もどこか、俺と言う実体の向こう側にある空想を見つめているようだった。
笑った姿を想像することが難しい。そんな少女だった。
「まだ名前を聞いていなかったな。教えてくれないか?」
少女がビクッと肩を震わせて、恐る恐ると言った感じで口を動かす。
さっきから会話に入ってこなかったあたり、恥ずかしがり屋なのだろう。俺は姿勢を正して、聴覚に全リソースを注ぎ込むことにする。
少女は、何故か勢いよく立ち上がった。
「……えっと……その……あの……ゎ、わたしは……えっと、あの……ぇぇっと……、って、いいます……」
……座った。
それは俺が予想だにしていなかった、絶望的なまでのモニョモニョ感溢れる返答だった。
「おい解読班」
右手で、さっきこの娘が持ってきてくれた新しい卵を割りながら、左手で青海のパジャマの袖を引っ張る。
「解読班? 私が? えっと、そうだな……。『私の名前は桜井桃子っていうの! ピチピチの11歳よ! 趣味はアリの巣いじりと自販機の小銭集め! みんな、よろしくね!』って言ってたよ」
「お、優秀だな。主にその脚色力が」
モニョモニョ少女、いや、桃子の方を見てみると、なんだか眉間にしわを寄せて複雑な表情をなさっていた。
「普段から、よくアリの巣とかいじってるの? 自販機で小銭って見つかるもんなの?」
「……アホ」
桃子が唇を震わせてなにやら呟いたが、それが俺に向けられたものなのか、青海に向けられたものなのか、判断がつかなかった。
とりあえず、今まさに雪那の服の袖を弱々しく掴みながら青海の方を無言で睨んでいるこの娘には、さっきの代打自己紹介の語調からにじみ出ていた、そこはかとない新人女性アイドル感は微塵もなかった。
「で、結局何の話だっけ」
「……あなたの記憶喪失についてです」
一割興味なさげな感じで、九割拗ねた感じで雪那が斜め下を向きながらボソリとつぶやく。
そりゃまあ、あんだけ話が遮られたら俺だって怒る。
「ごめんなさい」
素直に謝っておいた。
雪那が「まあ、別にいいですけど」と独りごつと、おしりの位置をちょっと直してからこう言った。
ようやく、本題に入る。
「その、クロガネさん、でいいんですよね? えっと、クロガネさんが今、どんな記憶を失っていて、どんなことを覚えているのか、詳しく教えてくれますか?」
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