CREDIT3 虚空の真実

二〇〇七年 九月一九日 一四一五時

衛星軌道


 その高空からは、大地はもはや見下ろされるものではない。地平線が輪を描き、惑星の全容を明らかにする位置。星々の高み、宇宙空間。

 長い歴史の最先端でもなお、人を容易には寄せ付けないその場所に、無造作に浮かぶものがあった。科学力で人の生存圏を雁字搦めに梱包し、真空と隔離するような構造物とは違う。プレハブ小屋のように気軽に設置されたことを窺わせる、シンプルな立方体状のデザインだ。

 周囲には、スプライトエクスプレス達が旋回している。そして施設にも、翼下にスラスター群を装備した機体が外側に一機、施設内に収容されていく機体がもう一機。弾達が乗り込んだ機体と、平良と名乗った男の機体だ。


二〇〇七年 九月一九日 一四一八時

衛星軌道緊急避難所R-65536号


『ご搭乗ありがとうございます。当機は目的地へ到着いたしました。またのご利用をお待ちしております』

 空々しくフォスが告げる中、弾と剣持は機体から降り立った。機械的な壁に四方を囲まれたそこは、桟橋のようなキャットウォークが走る倉庫じみた――格納庫と呼ぶべき空間だった。彼らを乗せた機体は、下方に見える床面全てが開閉するハッチから進入し、ここに係留されたのだ。特に支えは見えないし、地上と同じような重力を感じるにもかかわらず、機体はワイヤーによる連結だけで浮かんでいるように見える。

 キャットウォークに立った弾は、剣持を支える。剣持が周囲を見渡す目は、瓦礫の街やその上の空を飛んでいた時に比べれば力を取り戻している。だが、何もわからないという恐怖に取って代わり、わかってしまう恐れが、弾共々表情に浮かんでいた。

 すなわち、この秩序だった人の手が入った空間においては、先程の自分達の行いが咎められるのではないかという恐れだ。仕方の無い成り行きだったかもしれないが、弾達が知る社会というものは彼らのような子供があれだけの、社会を害しうるほどの力をコントロールすることを許容しないものだ。

 機体を操縦した本人である弾は、腹をくくったように見える。だがいくら立派であろうとしていても、一七歳の少年には抑えきれない恐れが後悔として吹き出しそうになっているのもまた事実だった。

 そんな弾と剣持に、操縦席に残ってなにか操作していたオプティが追いついてきて肩を叩く。

「平気平気、大丈夫」

 無表情にサムズアップまでしてみせるオプティに、弾は歯を食いしばる。そしてその時、キャットウォークの収束点に二、三の扉を置いたロビーに、一人の男が駆け込んできた。

「――オプティ! 言いたいことはいろいろあるが後回しだ! 上の施設の準備をしてこい!」

 鋭い顔立ちで声を上げるのは、通信にも映っていた平良だった。その声に、オプティは弾から手を離すと敬礼し、ロビーにある扉の一つ、エレベーターらしきものへ入っていった。

「……まったく。つくづくわからん奴だ……」

『上手い対応を思いつけないまま相当な時間が経過しているように思えます、平良大尉。お互い苦労しますね』

「黙れフォス! お前もだ!」

弾達の背後で係留される機体からの声に、平良は怒鳴り返す。そのやりとりの中間地点で声に射貫かれた弾と剣持は、肩を震わせた。

「ああ、すまない。君達は不問だから安心してくれ。あのデンパ女と不良AIが迷惑をかけたな。改めて名乗っておこう、俺は平良飛鳥。君達が巻き込まれた事態に対抗する、人類の勢力の戦闘要員の一人だ」

 そう言う平良の言葉に、弾はどこか小さなニュアンスのズレを感じた気がした。しかしそれを声にも表情にも出す間もなく平良は言葉を続けていく。

「ここは俺達の勢力が用意した避難用の簡易宇宙ステーションで、俺の権限で君達を保護している。今ここはあの地上のような危険からは遠ざけられているから……重ねて言うが、安心してくれ」

 声音を抑え、平良は歩み寄ってくる。長身で、二〇代半ばのような顔立ちだ。どこか異国風、それどころか浮き世離れしたオプティとは異なり、名前通り弾や剣持と同じ人種だ。

「まずはメディカルチェックをしよう。その後、体を洗って休めるといい。そこで君達には、何が起きているのか、俺自身が説明しよう」

 無罪宣告と、情報提供の申し出。善意の言葉に、ここまで敵意と理解不能を向けられ続けてきた弾と剣持は、ようやく肩の力を抜いた。


二〇〇七年 九月一九日 一五〇二時

R-65536号 第四階層保護室


 平良に連れられ、エレベーターを上がった弾と剣持を待っていたのは病院のような空間だった。弾や剣持のような若者が知る『宇宙ステーション』の内部のような、最先端の技術を持ってしても辛うじて保たれているような不安定さは見当たらない。

 待ち構えていたオプティが手招きする部屋で、弾と剣持は日焼けサロンのようなシリンダーに寝かされ、日焼けサロンじみた光を照射された。そして空中にパソコンの画面を投影したようなスクリーンを幾つも引き連れた平良が、二人を神妙な面持ちで見つめてきた。

 そして次に二人が連れて行かれたのは、幾つものパーティションに区切られたシャワールームのような大部屋だった。それぞれにあてがわれたスペースで服を脱ぎ体を洗うよう指示され、二人はそれに従った。

 衣服を乗せた籠が床下に呑まれていくと、蛇のように自律して動くシャワーが探るような動きで自動洗浄を行ってくる。平良は何故か、オプティにもシャワーを使うよう指示したようだった。

 そして体を乾かす段まで全自動で完了すると、また床下から出てきた籠に下着とシャツとジャージパンツらしき服が入っていた。それを――やはり、なぜかオプティも――身に着け、弾達が連れてこられたのがこの部屋だった。

 ベッドが六つ並ぶ、病室のような部屋。オプティが軽い足取りで手近な一つに飛び乗り転がると、平良はため息混じりに弾と剣持にもベッドを勧めた。

「適当にかけてくれ。先程言ったとおり、説明をしよう」

 促しに、弾と剣持は視線を交わすとおずおずとそれぞれ別のベッドに腰を下ろした。すると平良は、自身の周囲に浮かべていたスクリーンの一つに指を滑らせる。

 部屋に満ちていたLED光めいた無機質な明かりが絞られ、穏やかな薄暗さが生じる。そして平良が指を弾と剣持の背後へと向けた。

「見てくれ」

 振り向く弾と剣持。そこには、今まで単なる壁だった部分が、外の景色を映し出していた。宇宙空間と、そこに浮かぶ半月状に陰った惑星を。

 惑星の昼の領域は、白い雲の所々に灰色の煙のようなものが混じっていた。そして夜の領域では、時折光が瞬いている。弾と剣持は、先程まで身を置いていた地上の惨状を思い返した。

 そこへ、平良が告げる。

「端的に言おう。あれは地球ではない」

 瞬間、弾と剣持が固まった。掛け布団状の布に頭を突っ込んだオプティが、脚をぱたぱたと振る音だけが数秒響く。

「……あの惑星の正式名称はエデンⅣ。エデン型テラフォーミング計画の四番目に開拓されている途中の星で、人類全体の植民惑星としては一七八番目の星となる。本来の人類の発祥の地である地球とは、一九億光年の距離を挟んだ位置にある」

 すらすらと語った平良に、弾が信じられないものを見るような目を向ける。その視線をチラリと受け止めると、平良は続けた。

「本来の人類文明の暦では今日は絶対西暦二七一七年九月一九日。……これは重力の影響などで時間の経過速度が異なるエリアにも対応するため、本来の地球の時刻を元にしている」


二七一七年 九月一九日 一五〇四時

R-65536号 第四階層保護室


「何を……言っているんだ?」

 絞り出すように、弾は訊ねた。通信でのやりとり以来、初めて弾が平良に向けて直接発した言葉だった。

「……何か疑問だろうか。君達の常識からしてみれば異常かも知れないが、この状況が、君達にもそういう常識の外にあるものを、薄々感づかせている頃だと思うのだが」

「確かに、その通り、だけども……!」

 両膝に手を置き、弾は項垂れる。そして胸元を一度掻き、心底重いものを抱えた表情で平良を見上げた。

「そういう世界があって、それが本来の人間のものだとしたら……。あの星と、そこにあったものは……俺達の世界は何なんだ!?」

「先程も行ったとおり、エデンⅣは植民惑星だ。君の疑問は、この星のテラフォーミングに用いられているエデン型テラフォーミング計画に端を発しているものだろう」

 そう言うと平良は、スクリーンを操作して弾達に向けた。どこかの役所が作ったインターネットサイトのような画面が映し出されており、そこには古代遺跡や大自然の中で資材を吊した航空機が飛び交い、土木工事が行われている写真が掲載されている。

「エデン型テラフォーミングでは、最低限人類が生存可能になる程度の惑星開発を行った後、環境に合わせて適正な時期の人類として記憶構築処理を行った入植者が投入される。そしてそこから人類の実際の発展と同様の経過をもって、惑星全体を宇宙進出可能な文明圏のレベルまで発展させる。この惑星はその途上であり、君達は入植者達の子孫だ」

「なんで!」

 淡々と説明する平良を遮り、弾は叫ぶ。

「なんで! そんな回りくどい方法を取るんだ! 全て本当のことだとしたら、なんで俺達みたいな存在を……!」

「エントロイドがいるからだ」

 平良が、弾を遮り返す。スクリーンを脇に寄せ、投影される星――エデンⅣを見上げる。

「君達に襲いかかってきたあの、異常な生物様の存在。あれこそ、超光速技術すら手にし宇宙に広がっていく人類の前に立ちはだかるもの。反人類、業とでも言うべき存在だ。……君達は、エントロピーという言葉を知っているか? エデンⅣの文明レベルでも、すでに発見されている概念なんだが」

 問いかけに、弾は沈黙する。弾の位置からは、剣持の表情は見えない。平良は気にした様子も無く、ベッドを掻き乱すオプティに視線を向けた。

「エントロピーとは、乱雑さの度合いを示す概念だ。高エントロピーといえば、より乱雑な状態を示す。例えばこのベッド、ベッドメイクされ使われずにいた状態はエントロピーが低い状態で、このようにぐちゃぐちゃになった状態は高エントロピーだと言える」

 布団の下から、話を向けられたオプティが顔を出す。首が傾げられるが、誰も反応はしなかった。

「エントロピーは、自然環境下では高まっていくものだ。我々が訪れなくとも、ベッドには徐々に埃が溜まったり、この施設が何らかの現象に巻き込まれて乱れていくだろう。だが人間というものは、ベッドがそうなれば直す存在だ」

 わかるか、と平良は問う。そして弾は、沈黙のまま脂汗を一筋垂らした。わかりつつあったのだ。

「人類の活動は、乱雑さを増していく自然に対し秩序環境を維持、拡大していく。エントロピーの対義語としてはネゲントロピーというものがあるが、人類はこれに近い。科学分野的に厳密に言うならば異なるのだが……。要するに、人類が活動するとエントロピーは自然に反して減少する。その結果――」

 平良はスクリーンを戻す。新たに表示されるのは、幾つもの名称がリスト化されたページ。見出し部には『エントロイド報告例』とある。

「圧迫されたエントロピーが、実体を伴って強制的に高エントロピー状況を現出させようとする。その尖兵が、エントロイドだ。奴らは一見生物のようだが、その実態は明らかに生物として破綻している。物体がエントロピーに従って偶然猛獣の姿を取り、偶然人類を傷つけているだけの、災害だ」

 忌々しげに平良は語る。そしてエデンⅣを見上げ、

「エデン型テラフォーミングは、その迂遠さからエントロイドの出現を抑制できるタイプの惑星開発計画だ。初期の惑星改造プラン……技術力を全て投入するアルカディア、ユートピア。対エントロイド防備計画を盛り込んだヴァルハラ、アヴァロン型テラーフォーミングではエントロイドによる甚大な被害が発生したからな。現在は、そういう方式で植民惑星が作られている」

「作られているって……なぜだ!? ここが本来の地球から一九億光年って……そんなに広い領域を、わざわざそんな方法で……」

「エントロピーはある限定された空間では必ず上昇する。宇宙は広いが、人類の活動領域という限定された空間をエントロイドで埋め尽くされないようにするには、外へと活動領域を広めていくしか無いのだ」

 弾の問いに、淀みなく平良は応える。その様子に弾は理解した。平良が言うような世界が存在し、そしてそこには、平良が言うような常識が浸透しているということを。

 しかし弾の心理にはまだざわめく部分が残っていた。平良に問わねばならないことを抱えた心。その震えが、喉から声となってほとばしる。

「そう……そうだとして。じゃあ……なんでこうなっているんだ!」

 弾が指差すのは、平良が見上げるエデンⅣ。日差しあるところには煙、夜闇には爆光を浮かばせる、戦乱の星となってしまった大地。

「人類が生き抜くために作った星だって言うなら、なんでそこがあんな――ぐちゃぐちゃに、エントロイドって奴に壊されているんだ! エントロイドを遠ざけるための、ああいう世界じゃないのか!?」

「……エントロイドには二つの発生源がある」

 糾弾する弾に、平良は顔をしかめた。そして右手の人差し指と中指を立て、語りながら中指を折りたたむ。

「第一に、人類の高度な活動に対する反発としての発生」

 次に、立てたままの人差し指をちらつかせ、

「第二に、人類の活動領域内でのエントロピー上昇による発生」

 平良の言葉に、弾は硬直した。平良が語った第二の理由が、自身の知識の数カ所にはまり込み、弾の精神を揺さぶる。

「エントロイドは人類の高度な活動に反発して発生する。そしてその一方で――人類が堕落することによって生じるギャップからも発生する。今回の事例は後者だ」

 エデンⅣを指差していた弾の手が、ベッドに落ちた。視線はまだ戦火に包まれるエデンⅣに向けられているが、糾弾のために込められていた力は抜けていっていた。弾の視界で、エデンⅣと呼ばれた星は急速に色褪せていくようだった。

「これはエデン型テラフォーミングの問題点として議論されていることでもある。他でもないエデンⅣが、その問題を浮き彫りにしていたからだ。発展途上において、技術やシステムに対し人類の知性の発展が遅れた結果、自ら構築した概念から人類が抜け出せなくなる状況――社会的特異点に陥る歴史がエデン型テラフォーミングでは起こりうる」

 というか、起こった。平良はそう付け加えた。

「このエデンⅣは、仮想西暦上では二一世紀に到達しながらも、文明レベルは絶対西暦における二〇世紀程度のままだった。これは、その結果だ。幸福追求の度合いが文明の天井を下回り、さらにマゾヒズム的な自己存在卑下による発展の放棄、自然回帰的思想の跋扈……。本来の人類文明としては手をさしのべたかったところだが、それはエデン型テラフォーミングの根幹を否定するものだ。だから、エデンⅣの入植者達に任せるしか無かった。そしてそちらも上手くいかなかった」

 平良は嘆息する。心底残念そうな様子であった。

「本来の人類の軍勢として、俺達は最善を尽くす。だが本来の人類文明圏としての判断は、この星を廃棄する方向に向かっている。廃星の中でも見所のある住民を可能な限り救助して、と但し書きは付くが」

 苦虫をかみつぶしたような平良の表情に、弾は察する。自分と剣持は、その但し書きの範疇の存在なのだと。

「エントロイド落着から二五六時間が経過するまでの間にエントロイドによる制圧からこの星を解放できれば、我々の技術でエデンⅣをエントロイド発生以前の状態に戻すことが出来る。――俺達は全力を尽くすから、君達はそこで見ていてくれ」

 平良は目を伏せ、弾や剣持らと視線を合わせないまま踵を返した。そしてベッド上のオプティに顔を向け、

「オプティ……。あと、フォスも。お前達は、この二人を頼む」

『かしこまりました、大尉』

 フォスの声が、部屋の中にアナウンスとして響いた。オプティも枕を抱えて頷くのを尻目に、平良は去って行く。

 去って、行ってしまった。部屋に残されるのは弾の沈黙と、オプティがベッドを揺らす音。そして、

「んっ……」

 剣持が、アヒル座りのベッド上で身を震わせた。俯ききった姿勢の下で、シーツに重い湿りが広がっていく。

「わかんない……わかんないよお……」

 赤子のように身を丸めながら、剣持は泣きじゃくった。仰向けに転がり、掴み上げたシーツで顔を拭う。

「わたしたちのせかいがうそっぱちだなんて、そっちこそうそだもん……。いじわるしないでよお……。がんばって――生きてきたのにぃ!」

 耐えきれず、剣持は泣きじゃくり始めた。弾はその姿に声をかけようと身を向けたが、何も言うことが出来なかった。

 自分と同い年の少女が、外聞も意識せぬままに泣き喚く姿に気圧された――からではなかった。弾は、平良の言葉に、納得してしまっていた。理解しながらも納得できずにいる剣持とは、異なる場所にいた。

「剣持……」

 名を呼び、そこに続く言葉を弾は思いつけない。剣持が依って立つ世界に対し、それを否定した平良の言葉こそが、弾の納得の先にある。あの、人が下へ下へと身を隠そうとするような世界への嘔吐感が、この状況とそこの住人である平良の言葉という肯定を得て、弾の胸中を――極めて認めがたいことだが――悦の感情で満たしていた。

 泣くことはない。そんな、今の剣持を否定するような言葉しか弾の喉元には浮かんでこなかった。そんな自分に弾が青ざめる中、その顔横に一つのスクリーンが浮かぶ。

『お任せ下さい、矢頭さん。――オプティ』

 フォスの声が響いた。スクリーンに浮かぶのは、係留されたスプライトエクスプレスの機首。フォスの発音に合わせて眼のような視覚センサーが点滅すると、オプティが背筋を伸ばした。そしてベッドから飛び降りると、足早に部屋から飛び出していく。

「なあ、その……」

『ご安心下さい矢頭さん。あなたの情動は統計的に見て、我々の常識の範囲内です。――ちなみにあなたの個人情報は、このステーションで保護した時点でエデンⅣ植民データベースからダウンロードしてあります。ふむ……あの星の社会では苦労していたようですね』

 馴れ馴れしさ極まるフォスの声に、弾は狼狽えていたことも忘れて顔を歪めた。そこへ、部屋のドアの向こうから重い響きが聞こえてくる。

「おー……!」

 姿を現すのはオプティだが、彼女はその全身を外側から包むフレーム状の装備を身につけていた。上腕のプレートには『介護用エクゾスケルトン』とあり、ドアを開けたのとは逆の手に巨大なワゴンを引いている。

「平気平気、大丈夫」

「ひあ……!」

 何度か聞いた台詞を口にしながら、オプティはのしのしと進み剣持を片腕で抱え上げた。そして逆の手で、剣持が濡らしてしまったベッドからシーツを剥がし、新しいものに交換していく。

 オブティはそのまま剣持を人形のようにベッドに座らせ直すと、洗濯物はワゴンのケースに押し込み、連結された後続のワゴンを引き寄せる。

「――ご飯!」

 カッ、と緊迫感溢れる表情でオプティは宣言した。そして後続ワゴンから取り出したトレーを弾と剣持に渡し、ワゴン側部の寸胴状のドラムを引き出して蓋を開けた。途端にコンソメ臭が部屋に漂い、オプティはエクゾスケルトンから脱して自身もトレーを手にし、元のベッドに腰掛けた。

 電光石火の状況変化に、弾は目を白黒させていた。ようやく我に返って持たされたトレーを見下ろすと、ビニール状のパッケージが表面に貼り付けられ、皿状の窪みごとに料理が収められている作りのようだ。すでに温められているのが、トレーを載せた腿に伝わってくる。

 思えば正午のエントロイド襲撃以来、弾は何も食べていない。朝食以後でもあるので、そこそこの間隔だった。しかし、泣き止んだとはいえ俯いた剣持がそばにいる状況では――。

「ふんふんふんふんふん」

 鼻歌とも鼻息ともつかない声を上げながら、オプティがトレーのパッケージを剥がし、さらにワゴンのドラムににじり寄った。肉や、デンプン質の主食が温められた香りが部屋に広がり、さらにオプティはトレーの空きスペースにドラムからお玉でスープを取っていく。

『何はともあれ、召し上がって下さい。腹が減っては……と中世時代の人類も記録を残しています。非常食ではありますが、美味だと言われているものですよ』

 説得力を受け手任せにしたフォスの言葉。すっかり緊張感を抜かれた弾は、渋々トレーのパッケージを剥がした。

 トレーに収まっていたのは、未来的なペースト状の食料などではなかった。ソースに浸かったハムステーキとポテトサラダ、白米によるライスに、また別のパッケージが施された水が紙コップごと脇にはまっている。カトラリーはトレー上部にまとめて収納されており、おずおずと弾がフォークを手にすると、オプティがスープをすくったお玉を手に歩み寄ってくる。

「まあまあ一杯どうぞ」

 酒……と弾が突っ込む間もなく、お椀状の空きスペースへ煮詰められたタマネギが浮かぶコンソメスープが注がれる。さらにオプティは剣持のベッドに置いたトレーの包装も剥がし、スープを注いだ。

 おずおずと、弾は米を口に運ぶ。非常食やインスタント食品にありがちな湿っぽい食感では無く、粒の歯ごたえを感じられる小気味のいい炊き具合だった。スプーンでコンソメスープを一口すすってみると、塩辛さよりも味が舌に染みる穏やかな味わいだ。

「……なるほど」

『お気に召しましたか? このメニューで特に人気があるのはハムステーキです。ご賞味あれ』

 フォスに促され弾はフォークでハムステーキの端を千切ってみる。抵抗無く切れた一片をソースに絡めて口に運んでみると、照り焼き風のソースの奥から脂身頼みではない肉らしい味わいが、噛むごとに口の中に広がる。

「……存外普通だな。俺達の世界全てを植民地にしてるような技術の世界なら、もっと効率的な食い物が出てくるかと思った」

『それでは、食の楽しみがスポイルされてしまいますからね。極限状況においても寝・食・性の三大欲求は保証されなければなりません』

「人道的じゃないか」

『もちろんです。……宇宙防疫法により、使用されている食材は全て宇宙農場での無菌生産か、生体組織の培養という形で用意されたものですが』

 フォスの付け足しに、ポテトサラダを口に含んだ時点で弾は固まった。まじまじと見てみると、件のハムステーキだが、肉を成形したにしては妙に組織が整っているように見える。

『自然食品以上に無害で、それどころか栄養バランスは優れていますよ?』

「そっすか……」

 見当外れなフォスの物言いに嘆息し、弾は再びハムステーキにフォークを伸ばす。


二七一七年 九月一九日 一七四一時

R-65536号 第四階層保護室


 結局弾はトレーの食事を平らげ、剣持もオプティに助けられながら食事を終えた。オプティは料理のワゴンを片付けると、ベッドに横になった剣持に寄り添っている。

「剣持は……寝たのか」

『食事中もずっとグスグスしていましたからね。泣き疲れたのでしょう。ああ、オプティがああしているのは健康状態のチェックと、ああいった場面ではスキンシップが精神の安定を――』

「まあ……それはどうでもいい」

 弾が遮ると、スクリーンの中のスプライトエクスプレスのセンサーが不満げにチラついた。その様子に小さく口角が上がってしまった弾は、気を取り直してスクリーンにささやいた。

「説明が得意なら……教えてくれ。そっちの――本当の世界のことを。今なら落ち着いて聞ける」

『そうですか。何からご説明しましょうか?』

「そうだな……。なんて言ったら良いか。まずは、この世界の――成り立ちを」

『いいでしょう。成り立ちというと――』

 応じ、フォスは新たなウインドウを開いた。百科事典サイトらしきそのウインドウには、見出しに『物理波動学』とある。

「――波動物理学、じゃなくてか?」

『それは物理学の一分野ですね。対してこれは物理学を内包した分野のことです。――我々の時代では、物理学は全てが解き明かされ、終了した学問なのですよ』

「物理学が終わった……?」

 弾は目を見張る。物理学といえば、科学の中でも最大にして最難関の分野であるというのが、弾の認識だった。単純な物のことから、宇宙のルーツと終焉までを支配するようなものだ、と。

『正確に言えば、物理分野における全ての原因が解き明かされ、何もかも説明できるようになったということです。……超ひも理論という説はご存知ですか? エデンⅣでも提唱されている仮説ですが』

「俺は専門家じゃないから、SF設定的にしか知らないぞ」

 事物の最小単位である素粒子の正体が弦であり、その振動具合によってどのような性質の素粒子になるか決まる――そんな理論だと、弾は聞いていた。途方も無いことだし、物の正体が振動だというのはなんとも頼りない、とも感じていた。

『物理学の決定打となった物理波動理論はそれにとても近いものです。異なるのは、振動するのが弦ではなく、極小のスケール……物質と空間の区別が付かなくなるほどの大きさであるゼノン・スケールというものだったということです』

 フォスがスクロールさせていく画面には、理論を説明する動画が貼り付けられていた。格子模様の各マス目が好き勝手にそれぞれ震え出し、色づき、そして視点が遠ざかっていくとモザイク画を経て、草原の写真となる。

『ゼノン・スケールが持つ振動が素粒子あるいは空間の性質を決定し、さらにマクロな世界にまで影響している。――その大まかな構造は解き明かされており、現在はどの波長の振動がどのような性質を生むかを検証している段階です。その過程で超光速技術など多くの技術が生まれ、人類は宇宙へと活躍の場を広げることになったのです。ただ……』

「どうした?」

『物理学の全てが解き明かされてなお、語り得ぬことが残ってしまっているのです。生物と非生物の差、意識や実存、人類にとっての生存する意味、理由――科学の最盛期において、外に置かれていた概念達です』

 フォスの言葉に、弾は前のめりになった。それは弾が問題としてきた言葉達だった。

「この世界も、それを問題に……?」

『問題になったのが、およそ七〇〇年前。物理波動学が成立した時期です。その当時の人類には、全てが解き明かされたにもかかわらず自分達の存在の意味がそこに無かったことに対する、極めて強い絶望を抱いた勢力が存在したそうです。そして――』

 フォスが説明を区切る間を作った。ウインドウが切り替わり、歴史上の出来事を解説しているようなページを開いた。

『人類が物理学を究めたためでしょうか。この時期に作られた初期の植民惑星に、初めてエントロイドが出現したのです。これに対し人類は、抵抗と繁栄を掲げエントロイドと戦いながら人類の版図を広げる〈人類文明圏(ヒユーマンシヴィライゼーシヨン)〉主義陣営と、エントロイドを呼び起こさぬ程度の範囲内に人類の楽園を築こうとした〈正統生存圏(テレストリアルライヴス)〉主義陣営に別れ争いました。〈方針戦争〉と呼ばれる、現在では最後の大規模人類間抗争です』

「勝ったのは……前者みたいだな」

『約三〇〇年前のことです』

 弾からしてみれば途方も無いスケールの話だったが、要点は掴める。弾は去って行ったという勢力について確認した。

「〈正統生存圏〉主義の言うことも、ある意味正しかったんじゃないか? わざわざエントロイドに襲われながら、外に出て行く必要は無いだろうに」

『確かに、人類の生存圏を一定のものとし、その内部のエントロピーを極力上昇させないように調整して永い時間の平和を作り出すことは、当時の技術でも可能だったようです。ですがそれは、問題の先送りであり、いつか訪れる滅びまで、快楽で五感を封じて過ごそうということでしかなかった。〈正統生存圏〉主義陣営は、物理波動学成立時に絶望した人々の陣営だったのですよ』

 弾は頷く。弾がよく知るパターンの思考が、そこには見出せた。

「耳聞こえのいいお題目というわけか……。未来の無さを今の充実で覆い隠すようなやり方だ。だとすると、実態は悲惨だったんじゃないか?」

『それまでの人類史における蛮行全てを上回る事件が、一〇〇年間の〈方針戦争〉において当該勢力によって行われたとも言われています。〈人類文明圏〉主義への弾圧、虐殺、搾取。〈正統生存圏〉主義内での内部抗争、イデオロギーの先鋭化、洗脳、自己正当化、内部粛清。中世宗教期に続き、この時代を第二の暗黒時代として〈文明のブラックホール化期〉とも呼びます』

「散々だな」

『数の上で〈正統生存圏〉主義陣営は当時の人類の半数以上で、趨勢は半ばそちらに傾いていましたので。現在の評価は、その反動でしょう』

「勝ちそうだったのか?」

 弾は意外そうにウインドウを見た。現状とフォスの口振りからは、〈正統生存圏〉陣営は自滅したかのようなイメージが弾の中では生じつつあった。しかし数を示されては、その感覚は失せていってしまう。

『〈正統生存圏〉主義陣営は地球を制圧し、士気も高かったようですので』

「そうか……。まあ、勝った後に楽園を作ろうって側とさらに打って出ようって側とじゃ、気の持ちようも変わってくるよな」

『しかし彼らが自陣の中枢とした地球近傍宙域をはじめ、各所でエントロイドが発生。〈正統生存圏〉主義陣営は軍事的にも主張的にも、総崩れになったようです』

 唐突な幕引きに、弾の思考が途切れた。しかし、弾はそこに存在する問題の構造に気付く。

「ここと……エデンⅣと同じ理由か。内側から腐って、そこにエントロイドが湧いたんだ」

『はい。エントロイドを生むエントロピーという概念は、人類にとっては物理・情報系の概念ではありますが実際の所人間精神他、まだ未解明の分野にも根を張っているものと見られます。そのことが明らかになり〈正統生存圏〉主義は完全に瓦解し、残った〈人類文明圏〉主義陣営が人類を立て直し、今日に至る……。概観としては、これで問題ないでしょう』

 話を締めくくるフォスに、弾は頷く。理解の証として、感想を一言。

「外へ手を伸ばそうとするわけだな。立ち止まれば、エントロイドに食い荒らされてしまうわけなんだから」

『そんなところです。……矢頭さん、反感はございませんか? 構造的には、我々の人類文明圏はあなた方の星を支配していた勢力になるわけですが、よろしいのですか?』

「あんな世界に比べれば、こっちの方がよっぽど好感を持てるさ。平良大尉だって、こき下ろしていただろ?」

『――確かに、エデン型テラフォーミングで起きるこういう事態に、現代の人類が反感を覚えがちなのは事実です。過去のことがありますので。しかし、それとあなたの感性との間には何の関係も……』

「この状況でわざわざ救助されているのは、見込みがある奴なんだろ? だったら、こういう感性が俺の見込みどころなんだろう。今風ってところで――。剣持は多分、もっと真っ当な理由なんだろうが」

 剣持に聞こえぬよう、弾は声のトーンを落とし、自嘲気味に言う。それに対し、ウインドウに映るフォスのスプライトエクスプレスはセンサーを点滅させ、しばし沈黙した。

『――卑下することはありません。あなたも充分、真っ当です。それ故に、エデンⅣのような社会では苦労していたようですが。……この点、先程は会話の発端としてユーモアを交えて取り扱いましたが、不適切だったかと判断します。謝罪させていただきたい』

「そっちこそ気にしないでくれよ。というか、ユーモア……?」

『お詫びとしてこちらをご利用下さい』

 そう言って、これまでに展開したウインドウを消し、フォスが新しいスクリーンを展開した。一見検索エンジンのページを表示しているように見えるが、弾が知らない名前だったし、ニューストピックスには『植民惑星エデンⅣ、エントロイドに襲撃される』という見出しを初めに、この本来の人類の世界視点によるニュースが並んでいる。

『インターステラー・オーバーライトスピード・ネットワーク。ION。我々の世界のインターネットです。こちらの世界に興味があるようでしたので、ご期待に添えそうなサイトは私がブックマークしておきました。ご覧下さい』

「ありがとう。いろいろ、調べさせてもらうよ」

 弾がスクリーンに手を触れ引き寄せると、フォスを映すスクリーンは消えた。そして剣持に添い寝するオプティの側から電子音が聞こえ、今度はそちらに開いたようだ。

 思えば、彼らは事情は知らないがパイロットとその補助のためのAIだ。保護された自分達の相手をすることは本来の役目では無かろう。弾はそう納得すると、スクリーンへ視線を向けた。

 弾が知るインターネットと同様のものだとすれば、それこそこの本来の世界について、大概のことは調べられるだろう。選択肢が多すぎるとどこから手をつけるべきか、なかなか決められないものだ。弾は指をふらふらと動かし、思いついたことを入力する。

「……AI、ユーモア」


二七一七年 九月一九日 二二三〇時

R-65536号 第四階層保護室


 夜――といっても、宇宙空間に浮かぶこの簡易ステーションからでは実感が無い時間帯。オプティが改めて用意した夕食の後、身支度の間を置いて、消灯時間とする旨がフォスから言い渡された。

 沈み込みきっていた剣持だが、オプティが寄り添い続けていたおかげか、夕食時には相づちを打って笑う程度には回復しているのが弾にも見て取れた。フォスから弾の物と同じスクリーンを渡され、弾に苦笑を見せる。

「もう、起きちゃったことだもんね……。いつまでも泣いてても、周りが大変なだけだもんね。今は、まず生き残ることを考えなきゃ……」

 泣き疲れ少しやつれつつ、剣持はそう言っていた。そして消灯時、オプティはまた剣持に寄り添ってベッドに入っていく。

 弾もベッドに横になると、スクリーンの発光を掛け布団で覆いながら検索を続けた。

 驚くべき事実は多く見つかった。あの地上にいた頃には考えつかなかったであろう多くのことが、この世界では可能になっていた。科学はもちろんのこと、法制度や経済システムなどが人間が生きる枠組みを作るものではなく、人間が発展していくための土台として機能している。

 単純労働は大部分が自動化されているようで、それによって生じる膨大な社会リソースによって住民達は衣食住と学習の機会が無償で保障されているようだ。特に学習に関しては、労働力を無理に獲得する必要が無いためか、学生年齢の上限が設けられずに、さらに規定の学習単位を取得するまで成人も猶予されるシステムになっていた。

 そして成人後は、自己実現していくための制度が充実している。基礎的に保障されている衣食住以上のものを得ることが奨励されており、その手段としては『夢を叶えること』が社会のモットーとされているようだ。普通の生活は保障されているのだから、無理に糊口をしのぐ必要は無いということだ。

 逆に言えば生半可な実力では保障された生活の中に埋没していくしかないということだが、そこから這い上がるための学習の機会はそれこそ一生分与えられている。そして、実際に埋没せずに活躍している人物もとても多いことが、軽くネットを見回すだけでも見て取れる。様々な生き方をする人々の姿と、自分の生きる道を見出す為の知見がそこには溢れていた。

 そして今弾が見ているのは、フォーラムサイトのような場所だった。議題ごとのページに参加者が加わり議論している様子だが、どのページでもユーモアは交えつつも、揶揄や罵倒とは縁遠い流れで議論が進んでいた。この、エデンⅣでの事態についてもだ。

『エデン型テラフォーミングによってこのような事態が起きるおそれは、この方策が採られた時点で人類文明圏全体が覚悟していたことだ。その改善についてはまた別に議論が行われているので、ここでは具体的にこの事案の解決法について一案を出すことが求められるのでは?』

『いや、具体的な解決法は現地の駐留軍がすでに検討している。その点は、自らその道のプロフェッショナルになっていった彼らの領分だ。進行中の事態でもあるし、我々のような外野はまず事態の把握と現場への支援準備を考えるべきだろう』

『まだ廃星か、復旧かの方針も決まっていないわけだからね……。現地人の中でもファーストインパクトをしのいだE汚染係数の低い方々が保護されているようだけど、まずは彼らの身を案じよう』

 ホットな話題ではあるようだが、交わされる言葉は興奮とは無縁だ。スキャンダラスに騒ぎ立てる者はおらず、さりとて無感情なわけでもない。心地よい緊張感がそこには漂っていた。

『眠れませんか』

 見入る弾の側に、格納庫のスプライトエクスプレスを映すスクリーンが開く。

「――こういう時、漫画みたいに簡単に気を失えたりしたら楽だなとは思うよ」

『意識から手を放したがるのはあまり良い趣味ではありませんが、そう思うだけなら良いのではないでしょうか。ともあれ、よく調べているようですね』

 弾が使うスクリーンは、フォスから与えられたものだ。動向は当然把握しているだろうし、あるいはフォスの処理能力の一部を使ったスクリーンだとしても不思議ではない。

 弾は素直に応じる。調べたことに、後ろめたい点は無い。

「すごい世界だ。何もかもが惑星一つの上で完結していた世界からは、想像も付かないことばかりだ。例えば――そこにいる、オプティ」

『生産人類制度についてですね』

 フォスが言う単語は、弾も知ったものだ。

「『人は望まれて生まれることはあっても、その生い立ちを自ら望んで選ぶことは出来ない。よって、将来的な自立が保障されていれば、特定の目的のために人的資源を生産することを、永続的な搾取以外の正統な分野で行うことは、通常の出生と変わりが無い』だそうだな」

『よく覚えましたね』

「それほど衝撃的な文面だったからな。あの星でこんなこと言ったら、人類の負の遺産として向こう数世紀は語り継がれただろう」

 弾は苦笑する。彼が読み上げたのは、『人的資源の生命工学的生産に関する規定』と名付けられたこの、人類文明圏の法律の序文だ。将来一人の人間として自由にするなら人造人間を作っても良い、という内容である。

『文化的に発展し、人類個々人の自由と自己実現を重視することで、自然出生率が低下していますので。自動化が進んでも、人間にしか出来ない仕事もありますしね。オプティは軍用の生産人類ですので、特に生命兵器と呼称されるカテゴリです』

「そこで生産された人間の労働と教育がセットになっていて、成人したら普通の人間として独立していく……。しかもその出生に対する差別なんかも、無いんだろ?」

『生産人類は活動分野に合わせて遺伝子レベルで特殊な技能を発現するようになっていますし、実践と合わせて教育を受けて成人するわけですから、一般人より能力と人格において優れている場合があります。そこに劣等感を覚えて攻撃的になるような者は、我々の文明ではまず成人が許可されませんね』

「ほとんど全ての大人達は切磋琢磨してるわけだ。前向きに」

 そう口にして、弾は感心の吐息を漏らす。

「そこに参加してる一人一人が自分を充実させることで社会を豊かにしている……。努力は必要だけど、誰も彼もただ生かすだけの社会よりよっぽど人間らしいと俺は思うよ。世界の中に人間がいるんじゃない、人間の世界だよ、ここは」

『堕落はエントロピーの作用であるということは、広く知れ渡っていますので。誰も自分がエントロイドを生み出す引き金にはなりたくないと思っている側面もあるでしょう』

「いいじゃないか、『自分一人ぐらい』と思っている奴を少なく出来るなら……」

 剣持との会話を思い出し、弾は顔を歪める。そして軽く寝返りを打ち、投影されるエデンⅣを横目に見る。

「こっちに保護されて良かったよ。あのまま地上で生きていたら、俺や剣持みたいな人間は……都合良く使い潰されていただろうからな。あそこは本当に、どうしようもない世界だったから……」

『矢頭さん――』

 鼻を鳴らして皮肉げに言う弾に、フォスが口を挟む。格納庫の画像内に別スクリーンで浮かぶのは、心電図のようなものを映したウインドウだ。

『心拍と呼吸に乱れがあります。心にも無いことを、言ってはいませんか?』

 弾は肩を震わせる。そして掛け布団を肩まで被ると、寒気でも感じたように身を丸めた。

「……この世界をすごいと思うのも、あの世界にがっかりしているのも、本当だぞ?」

『では、保護されて良かったと言った部分が?』

 弾はさらに身を丸めた。視線を戻した先、格納庫のスプライトエクスプレスは返事を待つようにセンサーを細かく明滅させている。

「……そうだな。フォス、こっちの世界は神様がポンと作って出したわけじゃなく、歴史の中でいろんな人々が努力して、ここまで作り上げたんだろ?」

『当然です。それ以外に、人類世界は生じ得ません』

「その条件は、あっちでも同じだった。始まりが嘘だったとしてもだ。むしろ、ゲタ履かせて貰ってたんだよな。だってのに……」

 弾は呻く。

「あっちで、俺達の手で、届かせたかったなあ……」

 あっち――エデンⅣを卑下するとき、弾の胸中には痛みが湧いた。その正体が、それだった。輝かしい未来への道があったのに、足踏みしていた世界の一員であったこと。その中でも見込みはあった方だとされるが、まだ何も出来ていなかったこと。後悔と無力感。自己と周囲への嫌悪と、それに反発する意志。あらゆるベクトルの感情と思考が、弾の心臓を引き裂こうとする。

「鬱屈してるだけじゃなくて、何か一つでもしていればよかった……。それでほんの少しでも何か違っていたかも知れないのに。結局あそこはああなって、俺は保護されている。惨めな、被害者として」

 悪寒に身を丸める弾は、投影されるエデンⅣに対しまるで身一つで宇宙に投げ出されたかのようだった。そして事実、彼はそのような立場なのだ。隣にいる剣持も。

「被害者は嫌だ……!」

 目を閉じ、弾は絞り出すように口走る。

 その時、強張った弾の体に柔らかい感触が触れた。弾力の奥にか細い骨格と、穏やかな温度を秘めたもの。人の手、そして人の身だ。

 はっと目を見開いた弾が見るのは、剣持に寄り添っていたはずのオプティがこちらのベッドに入ってきている様子だった。不意に相手と目が合ってしまった猫のような表情のオプティは、弾に身を寄せ、

「――平気平気」

 そう言うと、ずいずいと体を押しつけてくる。その体温に思わず弾も熱くなると、今度はフォスが発言した。

『あなたはただ翻弄されているだけではありません。正しく、自分と現状を理解しています。立派なことです』

 調子に乗っているのか、本当に猫のようにのしかかろうとしてくるオプティを弾が抑えると、その間もフォスは言葉を続けた。

『そのオプティ、先程矢頭さんも指摘したとおり彼女は人類文明圏の軍、人類総軍が生産した人材です。そして人類総軍型の生命兵器は宇宙戦闘員として調整されて生み出されますが、オプティはその中でもさらに特殊技能を持たされているタイプです』

「特殊技能?」

『オプティは対象が持つエントロピー傾向や、エントロピーに抵抗する傾向の物理波動を認識できます。エントロイドと、それに立ち向かうことが出来る人間を見つけ出す能力です。だから、お二人のもとに降り立ったのですよ』

 慰めるように言うフォスに、弾はオプティの顔をまじまじと見た。当のオプティは、弾の隣を寝床にしようと頬を手で押さえられながらも手をおぶおぶと振り回している。

 どうにも説得力に欠ける様子に、しかし弾は毒気を抜かれていた。嘆息し、押さえられておたふく化しているオプティの顔をさらに指でこね回す。

「見込みがあるってのは、そういうことだったんだな。少し持ち直したよ。ありがとう」

『お礼を頂くにはまだ早いです。私の方は、本題はこれからなので』

 変わらぬ調子ではあったが、どこか緊迫感を帯びた様子でフォスはそう応じた。そしてスクリーン内に開いていたウインドウが独立した画面となって弾の顔の横に浮かび、表示内容が変化していく。

『このステーションに到着した際に、身体検査を行いましたね? その結果について、少々お話しすることがあります。この夜分に声をかけたのは、本来そのためなのです』

「そうなのか……」

 無駄話に花を咲かせてしまったAIを、弾は生ぬるい目で見る。しかしフォスが持ちかけてくる話題は、転がり方次第では剣呑なものになりかねないものだ。表情を引き締め、弾はフォスのスクリーンを見る。

「何か……悪い部分があったのか?」

『現在矢頭さんは生物学的にはまったく健康です。ただ……救助前に、エントロイドの個体と接触しましたね?』

 フォスの問いに、弾は臓物の塊のようなエントロイドに文字通りもみくちゃにされたことを思い出す。粘つく粘液の匂いと味が喉の奥から湧きだしてきそうになるのを堪え、弾は軽口を叩いた。

「ねっとりと、な。しかもちょっと飲み込んじまったような……」

『それが原因でしょう。あなたの身体を構成する物質の物理波動に、エントロイド的な部分が一部見られています。あの時接触したエントロイドは〈ワーイール〉と呼ばれる種で、取り込んだ生物や物体をエントロイド化する習性を持っているものでしたから』

 フォスの言葉に、弾は気付く。いくらか気が晴れたにもかかわらず、全身の悪寒が止まない。風邪の時のように、全身の主要な関節に軋むような感触がある。

「……それは、どんな影響があるんだ?」

『このままエントロイドとしての性質が強まっていけば、あなたはエントロイド化します。これを防ぐのに有効な手立ては、我々もまだ持ち得ません』

 平板な調子で、しかし気まずそうにフォスは告げる。そして、悪寒が弾の胸中にも忍び込んだ。

 言葉を返せずに固まる弾。しかしそこへ、隙有りと言わんばかりにオプティがしがみついてきた。

「平気って、何度言えばいいの?」

『オプティ。何を根拠に――』

「私には、見えるよ?」

 オプティはそう言うと、弾の肩越しに顔を出すと頬を寄せた。弾がまたはっとすると、横目に視線を合わせ、

「ダンの火は消えてないよ。だから大丈夫」

「火?」

「うん」

 頷くオプティは、弾の眼をじっと見つめ続けていた。思わず弾は目をそらすが、オプティは続けた。

「平良大尉とか、友達のアレスさんとかも持ってる……エントロイドと戦う人が持ってる、火。ダンは、それがずっと大きいよ。空の上からも見つけられるぐらい」

『火、とはオプティの技能で見えるもののことですか。どのようなクオリアで認識されているかは聞いたことがありませんでしたが……。しかしオプティ、あなたの認識だけでは――』

「ん~っ! 大丈夫だもん!」

 目をつむり、ぷるぷると震えながらオプティは弾の腰をホールドする。

「何度も消えかかりながら大きくなっていった火だって、見るだけでわかるもん。だから私はフォスの操作とかも任せたんだよ? フォスはわからないの?」

『私の方は、単に人類文明圏の理念に則って行動しただけなのですが……』

「フォス冷たい!」

 ふくれっ面を擦りつけてくるオプティに、弾はされるがままだ。フォスも機体のセンサーを困惑したように明滅させる。

「フォス。生産人類は優れた存在だって……」

『そう申しましたが、ことオプティに関しましては、能力との兼ね合いから周囲からは少々理解し難い言動が――』

 言い訳じみた言葉が出ようとしたその時、フォスのセンサーに強い光が宿った。一瞬ウインドウ内に文字列が流れると、健康チェック結果を表示していたウインドウが消える。

『地上で活動中の駐留軍から警報が発せられました。地上で増加していたエントロイドの一部が、宇宙空間への離脱行動を開始しました。このステーションの近傍を通過することが予想されます』

「警報ってことは、それなりの規模なのか?」

『惑星から離脱するのは、恒星間から銀河間をも渡り歩く数百万規模の個体から成る集団であることがほとんどです。近くを通られた場合、はぐれ個体がこのステーションを襲う恐れもあります。ただちに避難して下さい』

 応じつつ、フォスは消灯していたステーションの照明を全起動させる。さらにサイレンが鳴らされ、隣のベッドから剣持が起き上がった。

「んぅ……朝?」

「剣持! エントロイドが来る。起きろ!」

「起きてるよぅ?」

 眠さ極まる顔の剣持を、弾は引き起こす。同時にベッドから跳ね起きたオプティは、もう緩い表情ではない。

「ギャグ決めてる場合じゃない! 剣持!」

「ぅえ……!? 矢頭君!?」

 剣持がしっかりと目を覚ます頃には、オプティが部屋のドアを開いている。駆け出す弾の腕の中で、剣持は身を縮めた。

「エントロイド……夢じゃ、なかったんだ……」

「夢で済ませていいようなことがあるかよ……!」

「ひっ……!」

 叫ぶ弾に、剣持は肩をすくめる。その様子に気まずさを感じながら、弾は廊下を走りエレベーターへ滑り込んだ。

「剣持! 本当に緊急事態なんだ! 起きてくれ……!」

「お、起きてるよお矢頭君。え、エントロイドなんでしょ? また……」

 びっくり顔の剣持は、弾の顔を見て頷く。その様子を認識する弾の視界の端では、オプティが足下を気にしている様子だ。エレベーターは扉を閉じ、格納庫がある階へ降りていく。

『地上のエントロイド群、離床。――いけませんね。一部のエントロイドは先発してこの宙域に到達しているようです』

 エレベーター内にアナウンスされるフォスの中継音声。同時に、かすかな衝撃が足下を揺さぶる。

「揺れてないか!?」

『外壁に癒着したワーイール種多数……まだしばらくは保ちます。エレベーターの到着後、すぐに脱出艇へ!』

 平板な発音ながら、先程までとは打って変わって緊迫した声音に弾は剣持の肩を強く抱いた。そしてエレベーターの扉が開く。

 照明が灯された格納庫は、係留されたフォスのスプライトエクスプレスが正面に置かれ、静かなものだった。だがかすかな振動は続き、さらに遠雷のような音も響いてくる。

『今回使用するのは私ではなく専用の脱出艇です。こちらに』

 フォスが告げると、スクリーンと同様の質感で空中に矢印が投影された。フォスのスプライトエクスプレスに乗って戦っていた時に描かれた誘導線と同じものだったが、矢印は白の機体の前を折れて横切ると、壁際へ伸びるキャットウォークの先、路面電車のような角張って窓が全周にあるデザインの船へと伸びていた。

「おい、お前は――」

『私のことはお構いなく。急い――』

 フォスの音声が言いよどむように途切れた瞬間、無言で弾と剣持を促していたオプティが足下を見つめ、そして二人を別々の方向へと突き飛ばした。その直後に、金属がへし折られる悲鳴じみた音が上がる。

 脱出艇へ向かう途中からスプライトエクスプレスの側に突き飛ばされた弾は、即座に顔を上げる。脱出艇の側に剣持が座り込み、そして二人の間には何か赤いものが立ち上がっている。

 地上で弾を襲ったものとよく似た、臓物のような触手。それが束なりのたくり、オプティを締め上げて持ち上げていた。

「……! 急いで……!」

「オプティ!」

 首に巻き付いた触手を引きはがそうと藻掻きながら、オプティは二人を促し続ける。それに対して弾は、即座に触手に飛びついた。足裏を幹のような触手に押しつけ、オプティに伸びる末端触手に手を伸ばし引きはがそうとする。

 そうしながら、弾は剣持に呼びかけた。座り込んだ剣持は、おろおろと視線を視界に入るもの全てに彷徨わせている。

「剣持! 先に行け! この子は俺が助ける!」

「あ、え……」

「生き延びろ!」

 上手い言葉は浮かばず、端的に弾は叫ぶ。ふと脳裏をよぎるのは、先程フォスから知らされたことだ。自分の体は、もうエントロイドに汚染されているということ。いずれエントロイド化するかもしれないということは……。弾は握る触手に爪を立てる。

「行け!」

「う……うん!」

 剣持はよろめきながら立ち上がり、キャットウォークの手すりに身を預けながら脱出艇へと向かっていく。その背中を見送ると、弾は傍らで沈黙する白い機体を見た。

「フォス! これはなんとかならないのか! お前には武器も積んであるだろ!」

『私は支援用AIであって、機体を自発的に操作することはできないのです。矢頭さん、あなたも逃げて下さい――』

「放っておけるか! これを!」

 息が出来ないのか、触手に巻き付かれたオプティが苦悶の表情を浮かべる。そしてその眼は弾へ向けられていた。先程同様逃げるのを促すように視線は動くが、歯を食いしばった表情と、伸ばされる手がまっすぐに弾に向かっていた。

 弾はオプティを引きずり出そうと触手を剥がしていくが、一本を外す間に数本が新たにまとわりついてくる。濁流を身一つで押し留めようとしているかのような徒労感が満ちて、唸り声を上げ弾は触手群体を蹴って飛び退いた。

「自分で動けないなら命令してやる! 目標はこのエントロイド! あのバルカン砲みたいな武装で千切ってやれ!」

『! ――了解』

 弾の叫びに、スプライトエクスプレスのセンサーが点灯。係留位置からわずかに浮かび上がった機体が、オプティを襲うエントロイドに機首を向けると翼下の発射口から光弾を速射する。

 高エネルギーに引きちぎられた触手がほどけ、オプティが空中に投げ出される。服の上からべっとりと粘液をなすりつけられたその体を、弾は滑り込んで受け止めた。

 弾の腕の中で顔に付いた粘液を振り払い、オプティは視線を上げる。弾と目が合うと、おもむろにサムズアップし、

「すごいね」

「そりゃどうも。――おい、フォス! 自分では動けないって言ったな!? お前、俺達が脱出した後はどうする気だ!」

 ゆるゆると浮かぶスプライトエクスプレスに弾が呼びかけると、そのセンサーが明滅する。

『こういった状況での避難要項には、私のような兵器に関する記載はありません。私は待機し、事態収束後に回収されることになるでしょう』

「エントロイドが来てるんだろ? そんなんじゃあぶっ壊されるに決まってるじゃねえか!」

『充分想定される事態です。エントロイドは高度な構造体を優先して破壊しますので』

「だったらお前も逃げるんだよ! そこにオプティを連れてってやる!」

『しかし、脱出したとして、当機のようなものがこの宙域を移動すればエントロイドを刺激しかねません。脱出艇にも危険が及びます』

「倒せばいいだろう! 奴らとは戦ってるんだろ? 地上で助けてくれた時と同じだろうが!」

『状況判断は、その事例ごとに行うべきです。今回は――』

 フォスを遮り、弾はオプティを連れてスプライトエクスプレスへと踏み出した。そしてその瞬間、触手を撃ち抜いた光弾が到達し弾痕を生じていた壁が、外側から内部へと撓み、砕ける。

『――レギオバイト、航宙種。エントロイド群の本隊がこの宙域に到達しつつあります』

 壁をぶち破って侵入してきたものに、フォスが事態を解説する。周囲から空気漏れを防ぐパテが充填される中、この格納庫に頭を突っ込んでいるのは地上でも弾達を襲ったあの昆虫的な竜だ。

『脱出艇を直ちに射出しなければなりません。矢頭さんも、早く』

「嫌だね。お前達を犠牲にしてのうのうと生き延びても、めそめそと結果を待つことになるだけじゃないか」

 応じながら、弾はキャットウォークから浮かび上がったスプライトエクスプレスに手をかけ、よじのぼる。オプティを機上に下ろすと、頭部を突っ込んできているレギオバイトの口内に光が生じた。

「――火球を吐こうとしてるぞ! フォス、あの光の球で防ぐんだ!」

『了解……』

 フォスの返答と共に、スプライトエクスプレスの機首に光が収束する。周囲の空気が灼かれて熱風となり、そこへレギオバイトが火球を放つ。

 莫大な破裂音が響き、衝撃に空中のスプライトエクスプレスは後退する。その揺れに弾もオプティも膝をつくが、弾はそうしながら風防脇のセンサーをのぞき込んでいた。

「俺は……こうなったら、立ち向かいたい。自棄になってるんじゃないぞ。この世界……こっちの世界の有り様に共感して、自分に出来ることをしたいと思う。けど俺には、何の力も無い……」

 熱風を浴びながら弾はセンサーに呼びかける。その肩に、這い寄ってきたオプティが手を置いた。

「オプティ、フォス。俺はお前達の力を借りたい。失われることを想定しているなら、一度俺に機会を与えてくれ。死ぬにしても救われるにしても、状況任せのままは嫌だ。仕方が無いなんて諦めるのは嫌だ。俺は生きる場所も、どう生きるのかも、自分で決めていきたい。――お前達だってそうじゃないのか!?」

 弾の訴えに、フォスはセンサーへ沈黙の薄明かりを送る。そこへ、弾の肩越しにオプティが告げた。

「フォス、ダンの火は、ずっと大きくなって来てるよ。今まで見てきた、誰のものよりも」

 知ってるでしょ? とオプティは首を傾げる。

「立ち向かうこと、挫けないこと……嫌なことに嫌だって言えること。こうしたいって、目的を持てること。それが人間だって、私達の世界では決まってるでしょ? なら、ダンは今、あなたを動かす権利を持ってるよ。私よりも、ここにいる誰よりも」

 オプティが告げる言葉に、センサーから光が消えた。そして一瞬の間を置いて、空気の抜ける音と共にキャノピーが持ち上がる。

 キャノピーがスライドしていく一方で、剣持がたどり着いた脱出艇がキャットウォークから離れ、壁面のレールに沿って移動を始めた。下、格納庫の開閉部分へ向けてだ。

『機械は……目的を果たすのみです。正統なオペレーターがいるというならば、その方に身を預けましょう。――ようこそ、ダン。前席へどうぞ』

 操縦席が開け放たれ、弾むように転がったオプティが後席に滑り込む。そして弾も、操縦席の縁を踏み越えた。


二七一七年 九月一九日 二二五六時

エデンⅣ上空


 ステーションR-65536号は外壁を触手状のエントロイドに這い回られ、レギオバイトが一体、下部の格納庫スペースに頭を突っ込んでいた。

 地上からは飛び立ったエントロイド達が黒い川の流れのように迫りつつある。反撃の手段を保たないステーションは、ただ漂うばかりだ。

 しかし次の瞬間、弾かれたようにレギオバイトが仰け反り飛んだ。その頭部は、首に焼け焦げた断面を残して吹き飛んでいる。さらにレギオバイトが首を突っ込んでいた破孔からは炎が吹き出し、ステーションの底にある開口部が内部から強制解放される。

 飛び出してくるのはまずスプライトエクスプレス。バレルロールを一度打つと、大きく旋回しステーションへ相対する。遅れて出てきた脱出艇はライトを灯し、宙を滑るように移動して離脱していく。

 脱出艇が距離を確保するのを見届け、スプライトエクスプレスは両翼に負った武装ナセルのハッチを開く。内蔵されたホーミングレーザーの発射レンズには、すでに光が灯っていた。放たれる幾つもの弧は、ステーションに群がる小型のエントロイド種をステーションごと焼き払っていった。

 焼け落ち、砕けていくステーション。そしてその向こうから、惑星エデンⅣを背後にエントロイドの一群が上昇してくる。

 スプライトエクスプレスはセンサーを明滅させると、エンジンノズルから白光を吐き敵へと向かっていった。


二七一七年 九月一九日 二三〇三時

エデンⅣ上空


『敵の規模は航宙エントロイド群としては小規模ですが、観測範囲内の個体数はおよそ三〇〇万。脅威となる中型個体以上でも一〇〇万は下らない模様です』

 索敵情報を読み上げるフォスに、弾は頷く。そして濁流のように迫ってくる敵を見上げ、

「片っ端から倒していくか?」

『いえ、エントロイド群の中に重要な個体がいるのでそれを攻撃しましょう。他の個体の注意を引き剣持さんの脱出艇が逃げる隙を作ることが出来ます。駐留軍の到着までの時間も稼げるでしょう』

「〈ピラノイド〉?」

 後席のオプティが訊ねつつ、キャノピーに投影される景色の中にウインドウを浮かべた。そこに映るのは、肉色の円柱型エントロイドだ。

「こいつは、学校の近くに落ちてきた奴だ」

『エントロイド・ピラノイド種はエントロイドの惑星侵攻時に直接的なエントロピー汚染を起こし、エントイロドの前線基地として機能する種です。今回の事件でも、地上のエントロピー係数の高まりに引き寄せられ宇宙を遊泳していた個体が地上に落下しています』

「そしてこの群れにいる奴は我らがエデンⅣ産ってわけだ」

 オプティが開いたウインドウから線が延び、敵群の中にいる同型種がマークされていく。列なす群れの中心線上に、一定間隔で配置されているようだ。

「戦い方のアドバイスはフォスに頼む。あと……剣持に通信を繋げられるか?」

「できるよ?」

 応じたのはオプティだ。投影される宇宙空間にまた矢印が伸びていく一方で、弾の顔の横にまた新たなウインドウが開く。黒い映像を映すウインドウはチューニングされ、シートについた剣持の横顔を映し出す。

「もう繋がってるのか? ――剣持」

『あっ、矢頭君! また、あの戦闘機に乗ってるの? こっちからはもうよく見えないよ!』

「じきにどの辺にいるかわかるようになると思う。――それで、聞いて欲しいことがある」

 告げながら、弾はスプライトエクスプレスを加速させた。正面に捉えた敵群、各個体の造作がはっきりと見え始めると、フォスから攻撃指示が飛ぶ。

 スプライトエクスプレスの機銃が唸る。掃射で敵の接近を阻みながら、弾はホーミングレーザーのロックオンカーソルを滑るように移動させた。

『戦ってるの? 矢頭君……。い、一緒に逃げようよ!』

「逃げられないんだ、剣持。逃げたら俺は行き止まりなんだ」

『な、なんで? なんで逃げちゃだめなの? 私達は、その、本当の人達に助けてもらえるのに――』

「俺はこのままだと、エントロイドになってしまうかもしれないんだそうだ」

 改めて口にしてみると、あんまりなことだと弾は思う。あの停滞の地上でそれでも見上げ続けていたこの空に、連れて来られた矢先のことだ。

 お前などにはこの一瞬の幸運だけで充分だと、どこかで誰かが笑っているのが聞こえるようだ。弾は歯を食いしばり、

「一緒に行けば、俺は看取られるだけだろう。だけどそんな、自分がこの世から去って行くまで無為に過ごすような時間を俺は望みたくない。むしろ俺は、それをずっと嫌ってあの星で生きてきたんだ」

 今、この天上で思い出せば理解できる。あの地上で感じていた違和感の正体。何も起こらぬようにしていこうとするあの世界の幸福観に、自分は今エントロイドに向けるのと同様の敵対心を抱いていたのだ。

 弾の口から出る言葉を止めようとするかのように、エントロイド達は四方と八方から殺到した。だが渦巻くような軌跡のホーミングレーザーが、乱打する光弾の掃射が、莫大な熱量のレーザーがその接近を阻み、貫き、白い機体を飛翔させていく。

「こうなった今、俺は俺の為すべきを遂げに行きたい。……オプティとフォスは、それを支持してくれた。だからここでお別れだ、剣持。俺はあの星に、俺が生きたい――生きたかった世界を取り戻しに行くよ」

 伝え終えると、操縦席には静寂が漂う。無音の宇宙空間は、エントロイド達の断末魔を響かせない。エンジン音と武装の作動音が壁越しに聞こえる操縦席で、弾は横目に剣持との通信ウインドウを見る。

 ウインドウ越しに、横様に弾を見ていた剣持は俯いていた。そして黙りこくっていたが、弾達が飛び込んでいる戦闘の光に沈黙を断ち切る。

『そっか……。ま、まあ、矢頭君は、何か事情が無くても、そうやって戦いに行くんじゃないかなって、思ってたよ』

「わかりやすい奴で済まなかったな」

『ううん。そういう、いつも通りの矢頭君でいてくれて、私の方こそ感謝したいぐらいだよ。だって……私達が生きてきた世界が作り物だって知らされたとき、矢頭君が平良さんの言うことをいつもみたいに受け止めてたおかげで、私は壊れずに――壊れきらずに済んだんだって思うもの』

 弾は錯乱していた剣持の姿を思い出す。そこからここまで彼女を立ち直らせたのは、オプティが身を寄せたからだと思っていたが、

『矢頭君、その後も熱心に調べ物してたし……。いつも言ってる通りなんだって、感動しちゃった』

「思い返すと、気が回ってなかったな……」

 こみ上げてくる気まずさに、弾は八つ当たり気味にチャージ光球による体当たりで正面に飛び出してきたレギオバイトをぶち抜いた。

『気遣われてたら、私はダメになってたよ……。矢頭君までいつも通りじゃ無くなっちゃう世界だったら、私なんてとても』

「謙遜することなんてない。剣持、お前はそうやって現状を認識して、評価して、良いものは良いって言えてるじゃないか。そうやってあの地上にいた頃から、俺の話し相手になってくれていた」

 その時不意に、周囲のエントロイド達から距離が空いた。群れの中の空隙、ピラノイドの位置に到達したのだ。正面には多くの個体に囲まれた巨大肉塊が一つ、全身の膿の胞からグロテスクな魚類のようなエントロイドをミサイルのように発射してくる。

「お前だって、俺みたいにできる」

 対するスプライトエクスプレスは、レギオバイトを貫いた光球を保持したままであった。先行して突っ込んでくるエントロイド個体をそのまま轢殺すると、弾はピラノイドの真正面からレーザーを撃ち込む。赤いスパークを纏うようになった光は、ピラノイドの体組織に易々と突き刺さると瞬時に周囲を沸騰させ、破裂爆発させた。

「……剣持が、それを望むかはわからないけど」

『ううん。私は、矢頭君みたいなのがいい。良し悪しを自分で決められて、自分自身を成し遂げに行ける。……その姿で、私みたいな人を奮い立たせてくれる。そんな風に、私もなりたい! 今の矢頭君を見たら、そう思うよ!』

 破孔部をもごもごと口のように蠢かせ、ピラノイドは咆哮したかのようだった。そして破孔部からワーイールよりもずっと巨大な触腕が伸び、弾は機体にロールを打ってそれを回避しながら、ホーミングレーザーを浴びせていく。

「じゃあ、俺がいなくなった後は剣持がそうしてくれよ。俺は、行くから」

『うん、行ってらっしゃい。――でも私も、必ず追いつくよ! 追いついてみせる! だから、待っ……待たなくてもいいから、覚えていてね! 私と一緒にいた、矢頭君のままでいてね! そのまま、走り続けて……!』

 弾は頷いた。そしてレーザーのチャージ光球を機首に構えると、追ってくる触腕を振り切ってピラノイドの土手っ腹へと回り込んでいく。軌道を一度外に膨らませると、フォスの矢印が示すとおりに、弾は機体を敵の巨体へと突撃させる。

 肉を焼き貫き、鋭い造形の機体は食い込んでいった。剣持との通信は途切れ、周囲は焼け焦げた肉と沸き立つ体液の奔流にしか見えなくなる。

 そしてそれを抜けると、暗い空間へ出た。機体が抱える光球が照らすのは、壁一面に気色悪いエントロイド達の卵胞が張り付いた数百メートルにも渡る臓器内。そしてその中央に、管や筋のような組織で保持されたなにか黒い淀みの玉が見える。

 追撃の触腕が卵胞の隙間から続々と生え出す中、弾は淀みに照準を合わせる。フォスが攻撃指示線を、オプティが拳を振り上げ、弾はその勢いに載せて火力を放った。


二七一七年 九月一九日 二三一三時

エデンⅣ上空


 エントロイドの軍勢の先頭付近で、群れの中にもはっきり見えていた巨体が破裂した。莫大な量の血飛沫で周囲のエントロイドを押し流す爆発からは、スパークを纏った白い光が伸び、余波で直線上のエントロイドを巻き込んでいく。

 飛沫が真空に散った跡から、一つの光の軌跡が抜け出す。それはくるりと宙を一回転すると、彼方から向かってくる幾つもの光を確認する。エデンⅣ駐留軍の、エントロイド群への即応部隊だ。

 遅滞が出来たことを確認すると、円を描いた軌跡は今度は緩やかに曲線を描きながら、エントロイド群の後続に寄り添い丹念にホーミングレーザーを撃ち込みながら青い星へと向かっていく。宙に赤いスパークを何筋か残し、惑星の夜の面へ。

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