CREDIT2 始まりの正午

二〇〇七年 九月一九日 一二二一時

椎間高校 校舎跡


 弾が目覚めたのは、瓦礫の下でだった。

 俯せの腕の中には、気を失った剣持。粉塵を漂わせながら覆い被さってくる瓦礫は、あまり重くはない。弾は呻いたり降りかかってきた事態を罵るよりも先に、体を起こした。

 抵抗感と、石が転がる音、木が軋む音。埃っぽい空気の中で、弾は上体を起こした。真っ暗だった視界に、光が差し込んでくる。

 吹き込む粉塵に思わず目が潤む中、弾は周囲を見渡した。校舎からいつも見ていた街並みが随分と背を低くした景色。そして、校舎の中にいたはずの自分達が、地表にいるという現状。

 見覚えのある鉄筋コンクリートの質感が、周囲に粉々になって散らばっている。屋上に近い階にいたからこそ、瓦礫に押しつぶされずに済んだ。事態の全容より、そんな些細なことへの気付きが優先してしまう。

 腹の底に何かがつかえているかのように浅くなっていく息。じわじわとわかってきてしまうこの状況を肯定するように、粉塵の向こうから巨大な影が姿を現した。

 肉色の、巨大円柱。弾が教室から見た空より飛来した巨大構造物。その落着が、この大崩壊を巻き起こしたのだ。

 収まっていく砂塵の向こうに、同様の円柱が幾つも突き立っている。生々しい桃色に、脂質の白、血管の青、腫瘍のような緑を練り込んだそれらは、さも当然のように無防備な脈動を見せていた。

 弾の知る世界は叩き潰され、世界の残骸がそこに現出していた。彼は呆然と、それを見渡していた。

「ん……?」

 そうする弾の足下で、丸まっていた剣持が目を覚ました。まず弾を見上げた剣持は、先程まで存在した昼休みの延長のような様子で苦笑し、そして周囲を視界に入れる。

「も、もう矢頭君。一体何……」

 問いつつ、笑い事では済まない景色を剣持も理解していく。

「何、なに……なにこれ、矢頭君」

「わからねえ……。いや、わかりたくないのかもしれないが」

 見上げるばかりの弾。その時、円柱の表面に一つ、水ぶくれのように組織が膨れあがった。そして黄ばんだ膿液と共に破裂したそこから、なにか鳥のようなシルエットが飛び出し、羽ばたいて飛び始める。

 水ぶくれは、沸騰する水面のようにそこかしこで連続した。おぞましい見た目に剣持の顔から血の気が引くのと、飛び出した影がカラスのような声を上げるのは同時だった。弾が見上げる先、距離は離れているが影は軽く全長一〇メートルほどはあるのが見て取れる。

 気付かれていないはずがないと、弾は本能的に理解した。危害を加えられるに違いない、とも。そして弾は、剣持の手を引いて走り出す。

「剣持、逃げるぞっ……!」

「あっ、えっ、ええっ……? ど、どこに?」

「ここはダメだ! それだけは確実だ!」

 引っ張る弾に、剣持はまだどこか朦朧とした様子で脚をもつれさせる。焦りを覚えた弾は、振り向いて剣持を抱え上げた。その際視界の端に、こちらに向けて降下してくる影が一つ。

「剣持! 後ろから来る奴を見張ってくれ!」

「後ろ……。あ、あれ、鳥? いや……ドラゴン?」

 不吉なことを言う剣持の声を聞きながら、弾は瓦礫を踏みしだいて走る。だが不安定な足場に、脱力した人間一人を抱えての逃走だ。まるで夢の中で走っているかのようにもどかしい速度しか出ない。周囲の景色を見れば夢の中だとしても納得できてしまいそうだが、軋む全身の筋肉がそれを許さなかった。

 走ることで喉にこみ上げてくる乾きと、耳元で高鳴る鼓動。背後を見張る剣持が徐々に視線に力を取り戻し、そして怯えた表情を浮かべ始める。巨大な膜が大気を打つ響きが、こちらの肩を叩いてくるかのようだ。

 周囲が陰り、剣持が悲鳴を上げた。咄嗟に弾は身を投げ出すように伏せ、風を切る何かをやりすごす。

 暗がりが弾と剣持の背を撫でて前方へと奔って行く。顔を上げると、飛び去っていく巨大な生物の後ろ姿が見えた。弾が知る、あらゆる空を飛ぶ生物よりも巨大だ。そして遠目には鳥のように見えた姿は、細かいディテールは昆虫的な様相だ。

 相手が振り向かないか警戒しつつ、弾は剣持を助け起こす。そしてその時、背後から物音がした。滴るほどに湿った何かが、地面に落下する音。

「うわあああああ! や、矢頭君! やだぁぁぁ!」

 剣持の悲鳴に、弾は振り返った。

 そこには、血液に濡れた臓物の塊のようなものがのたくっていた。人体解剖図に描かれる腸のような肉紐が絡み合い、弾達の体格より一回り大きな肉玉となっている。

 病的に末端部を振り回す触手塊に、弾と剣持は後ずさる。その一歩を追うように、触手塊は全体を傾けて二人の方へ乗り出してきた。もう一歩を踏むと、ごろりと転がってくる。

 そして、止まらなくなった。弾と剣持は声を上げることも出来ず、駆け出す。

「はっ……ひっ……ひぃっ――うっ、うええ……!」

 息を切らし、さらに泣き出しそうな剣持が遅れ始める。背後から迫る湿った音は大きくなっていった。

 もはや耳元にまでおぞましい響きが迫った瞬間、弾は歯を食いしばって剣持を前方へと突き飛ばした。剣持が驚きの視線を向けてくるのを切って振り返り、眼前に迫る肉塊へと両腕を突き出す。

「来るなっ……!」

 瞬間、受け止めようとした掌が容易く相手の中にめり込んでいく。濁流に呑まれるように、弾の全身は肉塊に埋没した。

「ごっ、ぼっ、ごぼっ……!」

 即座に触手の何本かが口腔へ飛び込み、さらに全身が締め上げられた。粘液の渦の中で、窒息と圧死の恐怖が弾を襲う。

 だが弾は指先に力を込めた。この全く意味がわからない状況の中で、されるがままであることがは耐えがたかった。死の恐れよりも、なによりも。

 全身力で戒めをふりほどこうと、弾は藻掻く。藻掻き、藻掻き続け、体の端から痺れがこみ上げ始め――。

 その時、衝撃が走った。浮遊感と共に絡みついたものが離れていき、弾は瓦礫の上に投げ出される。粘っこい液体が流し込まれた耳に、剣持の声が遠く響いた。

「矢頭君! 矢頭君――ああっ!?」

 応じようとした弾の喉が詰まる。口腔に侵入していた触手が断裂しながらも蠢き続けていたのだ。

 気管にも入り込もうとするその動きに、弾は思わず身を追ってえずく。口中に唾や鼻水のような塩気のある粘液が溢れた。気色悪い柔らかさを持つ触手を掴んで引いても、引き出しきれない。そうする間に、視野が周りから暗くなっていく。

 のたうち回る弾に、剣持はどうすることも出来なかった。そこへ、猛烈な噴射音と共に声が降ってきた。

『――噛み切って。噛み切って、吐いて!』

 剣持とは違う、別の女性の声だった。その声に導かれるまま、弾は顎に力を込める。ゴムの柱のような感触の触手は食らいつく力を押し返してくるが、弾の歯はその中へ食い込んでいった。そして、鈍い音と、吹き出す血飛沫と共に触手は切断される。

「げええぇ……っ」

 倒れ伏し、弾は喉の奥に残った肉塊を吐き出す。だがその一部は、確実に飲み込んでしまっていた。胃が絞られるような嘔吐感に苛まれながら、弾は痺れが残る腕で上体を起こす。

 そこには、剣持も振り向き仰ぐ空中には、白い巨体が浮かんでいた。この破壊と異形に染まってしまった周囲とは異なる、秩序だった造形のものが。

 細い先端部を弾と剣持に向けたそれは、主翼やスタビライザー状の部位を放射状に後方へ伸ばしていた。鋭角的なデザインながら、左右の主翼付け根には無骨なコンテナ状のユニットがある。機首には眼光にも見える左右一対の発光部を備え、その間に不透明ながらキャノピー状の膨らみもあった。

 戦闘機だと、弾は直感的に理解した。弾が知る限りのあらゆる機体とも異なる造形ながら、そこに込められた意味が弾にはすぐさま伝わった。戦い、勝利するための機械だと。

『待ってて。助けてあげる……お?』

 先程同様、女の声が響く。そして空気が抜けるような音が響いたが、同時に白い戦闘機は顔を上げるように機首を空に向けた。そこへ一度は飛び去った竜のような影が飛びかかる。

『わー……!』

 組み付かれた白い戦闘機は、不安定に漂いながら閃光を放った。機関砲の連射にも見える閃光は組み付いた影の腹を打ち据えるが、相手も牙や爪を立てて反撃する。一機と一体は倒壊せずに残っていたアパートに後ろ向きに突っ込み、粉塵を巻き上げて停止した。

「……あれが、助けてくれたのか……えほっ」

 両者共に動かなくなり、弾はまだ喉の奥に残る粘ついた感触を強引に飲み下して立ち上がる。問われた剣持は、萎縮しきりながら頷いた。

「あ、あの白いのが、空からパッて光を飛ばして、矢頭君を飲み込んだ奴を……」

「動かなくなっちまったな……」

 よろめきながら、弾は白い戦闘機と竜のような巨体へと歩き出す。倒壊した校門を踏み越える弾に、剣持が叫んだ。

「あ、危ないよ!」

「今は多分、戦える奴のそばにいる方が安全だと思うぞ……。俺はこんな目にあったし……」

 制服にじっとりと染み込んだ血とも粘液ともつかないものを払いながら、弾は歩いて行く。剣持が慌ててそれに続き、支えようと手を伸ばすも流れ落ちる粘液にびくりと肩を震わせた。そうする間に二人は墜落の現場にたどり着く。

 竜のようなものは、もはや微動だにしない。腹の側がずたずたに打ち破られており、そこから何色もの極彩色の体液が流れ落ちている。目の無い頭部には、力なく開いた昆虫的な横開きの顎があった。

 対する白い戦闘機は、静かにアイドリング音を響かせながら傾いで転がっていた。目のようだった部位は今は点滅しており、キャノピーが開いている。そこからは人影が一人、機上へ倒れ込んでいた。

「兵隊さん……? あ、でも女の子……」

 弾の背後から様子を窺う剣持が、思わずそう口にする。気を失っている様子の人影は、小柄で細身の女性のようだ。浅黒い肌に銀色のショートカットで、プロテクターの付いたダイビングスーツのようなものに身を包んでいる様子が見て取れた。

「戦闘機のパイロットなんて……エリートがやるもんだろう。誰……いや、何なんだ? これも、この状況も……」

 機体にまで到達した弾は、倒れ込んだ少女の顔をのぞき込んで呟く。相手は幼い顔立ちだ。せいぜい中学生程度に見える。

 そこへ、開け放たれた操縦席と思しき空間から音声が響いた。今度は男の声で、

『そこの方、可能でしたらパイロットの意識回復に協力をお願いします。こちらは当機の操縦支援AIです』

「喋っ……誰!? どこ!?」

 剣持が驚く一方で、この数分間の間にすっかり精神が摩耗しきった弾はもはや平然と応じる。コンソールの辺りに投げやりに視線を向け、

「具体的にどうすれば?」

『姿勢を回復させるために、シートに座らせて下さい。そこでショックを――』

 そこまで伝えてきたところで、操縦席からの声にはノイズが被さった。そしてアイドリング音が高鳴り、

『――手順を踏んでいる間は無くなりました。エントロイド、さらに増加。応戦しなければなりません。惑星現住者の方、直ちに当機の操縦席へ』

 聞き間違いが無いように、音声ははっきりと伝えてくる。しかし弾は問い返さずにはいられなかった。

「それは……俺達で操縦しろってことか?」

『そうです。事態は急を要し、またあなた方の自衛行為は人類文明圏市民として当然の権利でもあります。私が支援しますので、急いで』

 弾は一瞬考え込むと、機体に足をかけ、よじ登る。常識的に考えて、音声が告げることは兵器を運用する組織が言うようなことではない。しかし、そんな常識があった世界は、もうこんなにも粉々に壊されてしまっているのだ。生きる為に力に手を伸ばして、誰が咎めるものか。

 気を失ったままの少女を後部座席に押し込もうとすると、続いて昇ってきた剣持が青ざめながらそれを手伝う。そうして三名が操縦席に収まると、キャノピーが自動的に降りてきた。

『前席に座った方、周囲を見回して下さい』

 妙な指示に、しかし弾は従う。先程まで少女が収まっていたであろう席は、バスタブのようにつるりとした造形で弾を包み、周囲のコンソール類とシームレスに繋がっているように見えた。

『機能教示性デザインで設計された操縦席です。しっかり視認することで、各部の機能が大まかに理解できます』

「ど、どういうこと……」

 狼狽える剣持を尻目に、弾はシートに深く体を預け、アームレストに手を置く。左手側にはトリガーを備えた操縦桿、右手側にはタッチパネル。足下には、踏み込む以外にもスライドさせることが出来るペダルがある。

「レバーは照準……ペダルはそれぞれ進行方向と姿勢……細かい操作がタッチパネルか?」

『はい、その通りです。そして――』

 音声が途切れた瞬間、閉鎖されたキャノピーの内側に、周囲の景色が投影される。そしてウインドウで一部がピックアップされ、接近してくる影を拡大表示した。

 先程と同じ、昆虫的な竜だ。腹部に弾を飲み込みかけた触手塊が幾つか張り付いている様子も見える。

『あれが目下対応を必要とする敵です。エントロイド・レギオバイト種といいます。退避、あるいは迎撃を必要とします。まずは、機体を離陸させましょう』

「どうやって?」

『まず、当機は現在ホバリングモードなので、進路が空けた場所へ移動しましょう。出力を上げ、ペダルで操作します』

 淡々としたAIの指示に、弾はタッチパネルとペダルを操作した。指を滑らせるとエンジン音が高鳴り、傾いて映っていた周囲の景色が水平になる。そしてペダルをスライドさせると、景色は横に流れ始めた。

「う、動いてるの? 何も感じないよ?」

『操縦席と機体の重要部位は環境隔離シェルに内包されることで重力、慣性力などの物理的影響を軽減しています』

 後席で少女を抱きかかえる剣持の声にも、AIは応じた。ペダルと移動の具合を確かめつつ、弾は声を上げる。

「こっちは何が起きてるかもよくわかってないんだ! 専門的な解説はいい! ……広い道に出たぞ!」

『では機首を上げ、前進して下さい。それで上昇できます。離陸したら出力を上げてください』

 指示に、弾はペダルの片側を反らせるように踵で踏み込み、もう一方を前へスライドさせる。背後から噴射音が響き、周囲の風景は後方へと吹き飛んだ。

 視点は高空に運ばれていく。見下ろす位置になった街並みは灰、白、茶の斑。形を残したものはほとんど見当たらない。そんな光景に、弾も剣持も息を呑んだ。

『――敵接近。退避には遅かったようですね。私が指示しますので、迎撃しましょう』

 AIが告げると、キャノピーに映る視界に矢印が伸びた。赤く、伸びていく線は左方向への旋回を示す。

「やっぱり……戦えと?」

『はい、基本は退避を優先して指示しますが、攻撃しなければならない場面も生じるでしょう』

「こ、怖い……」

 後席の剣持が狼狽える。ここまで散々恐怖を感じてきてなお、震えは増していた。

 しかし弾は様子が違う。血走った目で視線を上げ、

「ああ、やってやるさ……。叩き落としてやればいいんだろう? この様だ、放っておけない奴のはずだ。俺も腹が立ってるところだし……」

『――意気があるのは良いことです。が、それは私の仲間達が行います。あなた達は生存を第一に考えるべきです』

「仲間……お前らの?」

 弾が見回すと、粉塵が舞い上がった周囲の空に、幾つか光が瞬くのが見える。紛争地帯からのニュース映像などで見たような光。戦っている者がいるのだろう。

『当機と同型機の部隊が周囲にいます。任せて下さい。我々は軌道上の避難用ステーションへ向かいましょう』

「軌道上……?」

 思わず弾が聞き返したその時、後席から呻き声が上がった。剣持が抱きかかえる少女が、剣持の震えで意識を取り戻したようだ。

 弾と剣持が気付く中、少女はぼんやりとした目で周囲を見渡し、そしてハッとすると、

「フォス?」

『おはようございますオプティ。あなたが意識を失っていた時間は四八二秒間でした。現在当機は、現地の協力者の操縦のもと退避行動中』

 AIの返答に、オプティと呼ばれた少女は改めて周囲を見る。剣持と目が合って一度びっくりすると、前席に弾が収まっているのに気付き身を乗り出し、

「さっきの人が、操縦してる……!」

「そう指示されてのことだからな? パイロットなんだったら、席を替わるか!?」

『そうする猶予は無いかと推測されます』

 オプティにフォスと呼ばれたAIは淡々と告げる。そしてオプティは「おー」と状況を見渡し、把握したようだ。そのまま無表情にサムズアップし、

「――頑張って」

「余計な説明するか言葉が足りない奴しかいないのか!」

『落ち着いて下さい。私の指示に従えば、エントロイドの一個体に後れを取ることはありません。まず、先程から指示しているとおり左旋回を――』

 フォスが告げる中、操縦席が衝撃と共に傾いた。そしてキャノピーに映る視界を、レギオバイトなる竜の姿が追い抜いていった。途端に、視界に伸びていた矢印が向きを変える。

『敵の接触攻撃を受けました。損傷無し。正対しようとしていますので、上を取りましょう』

「追いつかれたのか!」

 こちらを追い抜き、振り向こうとするレギオバイト。対する弾は、機体を上昇させた。視界の下に消えたレギオバイトは、新たに開かれたウインドウの中に補足され続けている。羽ばたき、追跡してくる相手に対し、フォスは誘導線をさらに上へと伸ばし続ける。

『追ってくる敵に対し、宙返りして背後を取りましょう。敵も射撃してきますので、警戒して下さい』

「射撃って……生物がか?」

 弾の疑問に応じるように、レギオバイトがこちらに向けて顎を開いた。喉の中で何かを送るような動作の後に放たれるのは、オレンジ色の火球だ。弾は軌道を反らして行きながら、機体の側転で火球を躱す。

『接触攻撃よりも強力ですので、被弾しないようにして下さい』

「撃たれっぱなしか!?」

『間もなくこちらも攻撃位置につけます。――今です』

 回っていく視界の中で、こちらに振り向いているレギオバイトが徐々に中心に近付いていく。待ち構えるように表示された照準レティクルが、その姿を捉えた。

「これか……!」

 弾は左手に握るレバーのトリガーを引く。瞬間、機体の両翼付け根に内蔵された機関砲様の武装が火を噴いた。左右二門、計四門の射線がレギオバイトを打ち据える。

 血を吐くような叫びを上げ、レギオバイトは射線から逃れた。フォスの指示は追跡だが、身を捻ることができるからか、レギオバイトは鋭く旋回しこちらの視界の横へ、旋回の内側へと回っていく。

 横合いから撃ち込まれる火球を、弾は機体を上下に揺すって躱す。その間にレギオバイトはさらに旋回半径を縮めて迫ってきていた。

「また当たってくるぞ!」

「フォス、チャージスフィア!」

『今指示しようとしていたところですよオプティ。操縦者の方、トリガーの下のボタンをホールドして下さい』

「ホールド!? 押さえときゃいいのか!」

 オプティとフォスのやりとりからの指示に、弾はレバーを握り直すようにして中程にあるボタンを押し込んだ。

 視界がにわかに明るくなる。機首に光球が生じ、少しずつ大きくなっているのだ。

『敵の接触に、この光球をぶつけます』

「こっちも体当たりかよ!」

『本来の用途では無いのですがね。ホールドは続けて下さい』

 言われるままにレバーを握り締め、弾は機体を旋回させる。レギオバイトとの正面衝突コース。敵は吐き出した火球と共に突っ込んでくるが、フォスの指示はそのまま激突していくルートだ。

 焼き切るような音が二度響き、機体は火球を突き抜けていった。背後ではレギオバイトが肩ごと左腕を消し飛ばされ、空中で錐揉みしている。

『とどめを刺しましょう。敵に正対し、ホールドを解除して下さい』

 無言で頷き、弾は機体を緩やかに旋回させていく。レギオバイトは空中になんとか留まりこちらに火球を吐いてくるが、正対するのは弾達の方が早かった。

 弾が指を離した瞬間、光球が弾け、機首下部の発射口に光が収束した。そして引き絞られた光が瞬時に伸び、中間にあった火球を容易く弾けさせるとレギオバイトの頭部へと到達。そのまま抉り、機体の揺れで振り回されレギオバイトの全身を引き裂いていく。

 ズタズタのボロ屑となり、レギオバイトは落下していった。弾が一息を吐くと、すかさず警告音が鳴る。

『後続の敵が接近中。まだ距離がありますから、一掃できます』

「今のレーザーみたいなのを使うのか?」

『レーザーではありますが、別の武装を使います。敵群をロックして下さい』

 指示を受け、弾は機体を旋回させる。さらに機首を下げると、地上付近から先程と同じレギオバイトが十数体、こちらへ上昇してきているのが見えた。

 弾が左手のレバーを操作すると、機関砲の照準はそのままにロックオンカーソルが視界を移動する。レギオバイトに重なるとマーキングされ、ロック数が視界の端に表示された。カウントは一〇。

『武装ナセルに収納されている兵装を使います。攻撃レバーの背面、親指の発射ボタンが対応しています』

「もう撃っていいのか?」

『ご随意に』

 機械にしては芝居がかっているような指示に渋い顔をしながら、弾は発射ボタンを押した。途端に、操縦席の左右から開閉音が連続する。

 武装ナセルの上面に、左右交互に並んだハッチが開放される。現れたレンズはそれぞれすでに光を宿しており、直後に十条の緑光が機体から上へと放たれた。

 弾が見上げる先、光は空に走るとねじ曲がり弧を描いて落下に転じる。そして迫り来るレギオバイト達の顔面へとのたくり、真正面から射貫いていった。

「ホーミングレーザーって奴か……!」

『よくご存知ですね』

 気楽そうに言うAIに、小さく拍手する後席の少女。弾はここに至るまでの緊迫感とのギャップから顔をしかめ、何も理解できない剣持はただただ蒼白になっていく。

『――プティ! オブティ! さっきから何をやっているんだ!』

 そこへ、フォスの音声より抑揚があり、さらにノイズが乗った男の声が響いた。通信だ、と弾が直感すると、キャノピーに映る視界に白い機影が降下してくる。

 隣に並んだ機体は、乗り込む前に見た弾達の機体と同じ姿だ。ただ、今弾達が乗る機体が翼下にタンク状の装備をつけているところを、鋭角的なスラスターの集合体に置き換えられている。機体から伸びる注釈線の先には『SPRITE EXPRESS Mk=7C:Squadron Leader Cap. Asuka Taira』と表示されていた。

「スプライト……エクスプレス……?」

 視界に入った文字を、剣持がうわごとのように読み上げる。通信相手はその声に気付いたようだ。

『なんだ今の声は。オプティ! フォスでもいい、応えろ!』

『平良大尉、落ち着いて下さい。当機の状況の簡易レポートが作成できましたのでそちらに送信しました』

 苛立たしげな男の声に、フォスが応じる。文字が流れるウインドウが一瞬開くと、投影される隣の機体――スプライトエクスプレスへと飛んでいく。

『――なるほど、現地人を……。操縦者、聞こえるか!』

「はい」

 次はどんな事態が起きるのか、弾はすり減った精神で返事をする。それに対し、並んだ機体から映像の中を飛んできたアイコンがウインドウを開き、鋭い顔立ちの男を映した。

『こちらは人類総軍、エデンⅣ駐留軍所属、平良たいら飛鳥あすか大尉――軍人だ。理解できるか?』

「……この戦闘機を運用している軍隊の?」

『そうだ! 君達のような人間を保護しに来た。しかし……どうやら突発的な事態でその機体のパイロットの代わりに操縦を任せてしまっているようだな。我々が援護するので、操縦権を本来のパイロットに戻してくれ。その後、君達を保護する!』

 男――平良の言葉に、弾は後席の少女へ振り返る。本来のパイロットであるオプティなる少女は、剣持の腕の中で猫のような表情を浮かべしげしげと弾を見ていた。

「……代わる?」

「……そうするべきだと始めから思ってるんだけどな!?」

 問い返す弾に、オプティは首を傾げる。その間に、キャノピーが映す周囲には弾達が乗る機体と同じ装備の〈スプライトエクスプレス〉が何機か集まってきていた。

 編隊が成立していく間、平良はウインドウの中で進展しない弾とオプティの見つめ合いを苛立たしげに見ている。そしてそこへ、通信越しと直接とで、警報音が響いた。

『警告。大型エントロイド急速接近。形態名〈ヒュージバイト〉』

 フォスが厳かに告げた瞬間、集結しつつあった機体群が散開した。平良もハッとした表情を浮かべると、機体を傾け離れていく。

『オプティ! どうするつもりだ!』

 批難の籠もった声が響いた瞬間、黒い陰りが平良の機体との間を上空へと通り過ぎていった。その影が逆巻いていった風に機体が翻弄され、弾はペダルを操作しなんとか姿勢を取り戻させる。

 緩衝された揺れの中、剣持の腕の中からオプティがまろび出た。後席のコンソール上を前転し、妖しげな少女はシートに着く弾の上に転げ落ちてくる。

「一体、何……!」

「上」

 重みに呻いた弾に、オプティは身を寄せながら頭上を指差す。今し方通り過ぎていった黒い陰りの行く先を。

 そこに浮かぶのは、翼を広げた巨大な竜だ。レギオバイトと同じく、全身の構造は昆虫的なもの。しかし明らかに二回りは大きく、レギオバイトには無かった前肢を備えている。

「敵の親玉か!?」

「前衛指揮個体」

 オプティの返事に、弾は歯噛みする。単語個々の意味しかわからないが、相応の敵であることは伝わっていた。

「えっ? えっ? さっきより、大きいよ……?」

『落ち着いて下さい、後席の方。一旦固定します』

 人肌が遠ざかり錯乱しそうになる剣持を、湧き出るようにシートから出てきたベルトが三点保持する。そしてオプティは弾へ耳打ちを一つ。

「口以外からも撃ってくるよ」

「!」

 瞬間、ヒュージバイトが腕を組むように構えた。その下腕には、列状にガラス玉のような器官が埋まっているのが見える。

「急降下」

『オプティ、指示ならこちらで……』

 噛み合わないやりとりを置き去りにして、弾は機体の機首を下げる。さらに出力をエンジンに叩き込みパワーダイブ。瞬間、背後の空にレギオバイトが吐いたものと同じ火球が数列、数層に渡ってまき散らされる。

「やっ――べえじゃねえか!」

「羽の骨格からも」

 雨足でも窺うような様子でオプティが言う。弾が頭上を振り仰ぐと、ヒュージバイトは翼の膜を支える骨組みの先端部に光を宿していた。

 光が降り注ぐ。今度は火球ではない。突き込まれてくる光線が機体の周囲に檻のような空間を作り、弾はスラロームじみた操縦でその間を切り抜ける。瞬時に鼓動が跳ね上がり、息が詰まった。

「くっそ……! 死ぬぞ!」

「平気平気。こっち」

 オプティが指差すのは、ヒュージバイトの背後上空へ抜けていく軌道。フォスの誘導線も、そちらへ伸びていく。

『下方向に攻撃を誘導したので、ここで背後上空へ抜ければ敵に隙を作ることが出来ます』

 フォスの説明に、弾は歯を食い絞って機体を引き上げる。反り返る軌道の頭上で、ヒュージバイトは確かに羽ばたきながら振り向こうとして攻撃の手を止めていた。

『――タイラスコードロン、攻撃集中!』

 平良の声が響くと、周囲に散ったスプライトエクスプレス達からレーザーが巨竜を撃った。突き刺さり、かすめ、抉っていく光条にヒュージバイトはかすれた叫びを上げる。

「効いてる!」

「うん。でも……」

 オプティは頷く。そして頭上、機体の下方となった位置に見えるヒュージバイトは、被弾の箇所から火焔を吹いた。全身に刃を纏ったかのような様相だ。

 伸びゆく炎は、レーザーのように振り回される。周囲のスプライトエクスプレスを薙ぎ払うようにだ。流れる刃を躱し、弾は叫ぶ。

「なんでもありかアイツは! 今度はハリネズミかよ!」

「大丈夫。今あいつは周りの皆に注意が行ってる」

 眠たげな口調ながら、オプティははっきりと告げる。そしてレバーを握る左手に手を重ね、ホールドボタンを押し込んだ。

「真上。奴から見て、太陽の方向に。それで勝てるよ」

「……!」

 語りかけてくるオプティの目に、弾は息を呑み、そして頷く。漕ぐようなペダルワークで、弾達のスプライトエクスプレスは宙を返ってヒュージバイトの頭上から飛び込むコースへと軌道を曲げていった。

 機首には高エネルギーの球体。炎を振り回すヒュージバイトが、陽光とは異なる光に気付いて咆哮を上げてくる。

「口を開けたのは、失敗」

 オプティの人差し指が、トリガーにかかった弾の指に絡んだ。それを合図に、弾は破壊の光条を解放する。真っ白な光が伸び、ヒュージバイトの口腔に飛び込んだ。

 炎と血煙が、彼岸花のように宙に咲いた。花はかすれながら、全て薙ぎ払われた大地へと落ちていく。それを見送る弾達の機体の周囲に、妖精の名を冠する白い翼達が、再び集まっていく。

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