不意に滅びてしまった世界の取り戻し方と、死んでいきながら生きる方法について -NEBULA SILHOUETTE-

高杉祥一

CREDIT1 前兆の天地

 ――今や、人間が自らその目標を定めるべき時が来た。人間が自ら最高の希望の芽を植え付けるべき時が来た。

 人間という土壌は、それを植え付けるのにまだ十分に豊かである。しかしこの土壌も、いつか貧しく痩せ衰えるだろう。そして高い木はそこから成長できなくなるであろう。

 ――『ツァラトゥストラかく語りき』より


 エントロピー(entropy) 無秩序の度合いを示す概念。その度合いが大きいほど無秩序で利用しがたい状態である。自然状態に置かれた閉鎖形においては必ず上昇する。

 対義語:ネゲントロピー。


 エントロイド(entroid) 秩序状態の拡大に伴い不自然に圧迫された自然エントロピー環境より発生する攻性エントロピー上昇因子。多彩な形態を取り、高秩序・ネゲントロピー的領域に対し破壊行動を取る。

 生命体様の形態を取る暴走生命型エントロイド、放棄された機械類の誤作動からなる発狂兵器型エントロイド、そして汚染された知的生命体からなる知性エントロイドの三形態が広く知られる。

 ――『エンサイクロペディア・オブ・ヒューマンレース 2710年版』より


-年-月-日 -時”逸史の中のいつか”

シベリア 廃棄軍都


 寒々とした暗雲の荒野に聳えるものがある。錆色の建造物群からなる一つの都市だ。今や人影は無く、時代に取り残されたその都市の名を知る者はどこにもいないだろう。

 この都市が冷戦期に興された数多の軍事都市の一つだから、ではない。単純に人がいないのである。今この大地、この星には。

 その時だった。廃棄都市は観測者がいない隙をついてか、不意に動いた。セントラルヒーティングのパイプがうねり、放棄された軍事車両達が昆虫のように這い回り始める。

 うち捨てられた者達が生命のように蠢く、その冒涜的な光景を見る者はいない。否、見る者がいないからこそ、この都市は今こうなのだ。

 都市の蠢きは、やがてひび割れた道にまで伸びて外へと広がりを見せ始めた。すでにタイヤハウスからのたくる有機組織をはみ出させつつある車両達が、それを先導するようにアスファルトを踏みしだく。

 と、そこへ空から一条の光が差し込む。細く絞られた、強く鋭い光だ。それは路面に突き刺さると、アスファルトを赤熱化させ、さらに周囲に赤い稲妻を走らせる。

 直後、瞬時に熱せられた路面が急な膨張に耐えられずに炸裂した。大爆轟と共に、道を進もうとしていた軍事車両達が弾け飛ぶ。

 おぞましき影達を咎めるように突き刺さった光。その使い手は、暗雲の中から急降下してきた。

『エントロイド、活性化中。俺達の接近が引き金になったようです』

『増えてる増えてる』

 通信に一組の少年少女の声を乗せ、白い翼が地表近くで機首を引き起こした。

 鋭角的なデザインに、射出口を備えたコンテナ状の装備を背負ったそれは、戦闘機だった。あらゆる現代兵器と異なる姿だったが、戦い、勝利するための機能を有していた。

 白い機体の飛来に呼応して、廃棄都市の蠢きは顕著になっていく。ビルディングが節くれ立ち、ガクガクと震えながら伸長していく。ヘリポートに放棄されていた攻撃ヘリがローターを羽ばたかせて虫のように飛び立ち、路上の亀裂からは何らかの体液と共に肉のような組織が溢れ出始めた。

 さらにはあちこちに発生した口器のような組織から光球が放たれ、白い戦闘機を追い立て始める。翼は旋回し、

『攻撃を……開始します』

『おいおいおいおい、一人だけ足早いからって抜け駆けはさせねえって話だぜ? なあおい!』

 白い翼を追って、都市の郊外に舞い降りる影が一つ。人のシルエットを持っているが、その全高は一〇メートルほどで胸部や肩、膝に分厚い装甲を纏っている様子が窺える。カトラスを手にした最初の一機に続き、それぞれの得物を手にした機体が続く。

 さらに彼らの後方からは、船体下部に分厚い装甲殻を帯びた空中艦艇が雲を割って現われた。その周囲には白の戦闘機とはまた異なる形状の航空機が随伴し、一部が離脱して都市へと飛翔。人型機体達も再度離陸してそれに続く。

 すでに都市からは、昆虫のような細部を持った奇怪な巨大生物達も這い出しつつある。飛翔するものもいる中で、先行した白の機体は機銃のような光弾を連射し、さらに背面コンテナから歪曲する緑の光条を連続して放った。光弾は怪生物を撃ち貫き、緑の光条は逃げ回る相手を追い立てる。

『反応増大……。地中からさらにエントロイド発生』

 白の機体から少女の声で報告が飛ぶ。そして都市の路面を突き破り、野太い血塗れの触手が伸び上がって地表を打ち据える。その動きは連続し、郊外から突入してくる人型機体達を散開させた。

『くっは――。この世の地獄じみてきたな!』

 カトラス持ちの機体が、自分に向かってくる触手を叩き切って跳躍。そして低高度で火力を放ちながら旋回する白の翼に並ぶ。

『気張ってるかあ? この星を取り戻すための戦いだぜ? ビビってるわけにはいかねえよなあ!』

『もうロスタイムみたいなもんですがね』

『そりゃ確かにな!』

 交錯し、翼と刃はもはや肉塊に沈みゆきつつある都市へと降下していく。


 激しい戦いの一方で、周囲の荒野は死の沈黙に包まれている。視点を高くすれば、小さな街から世界に名だたる大都市までが破壊し尽くされ、時折戦闘の光が見える。

 崩壊した世界と、そこで繰り広げられる戦火。その発端は――。



-NEBULA SILHOUETTE-



-年 X月一二日 一〇三二時

雲海


『PUSH START』

 電子の世界に光が灯り、空が広がった。

 弱々しい太陽を掲げた白い雲海。青黒い空を戴いた空間だ。そしてそこに粗いテクスチャを貼り付けたポリゴンの巨体が浮かび上がる。長い眠りから覚めたように、悠然と。

 しかしそれに呼応して空に光が広がった。天の川にも似た光点の列が一筋。その光が並ぶ帯は弱々しい太陽の彼方を回って空を一巡りしている。地球公転軌道の外側に円環の構造物が存在するのだ。

 そしてそこに宿る光から降り注ぐものがある。武装を施された、空を行く数多の影。大きいものも小さいものも、雲間に浮かび上がった船を押し留めるように襲いかかった。

 爆発が連続し、浮かび上がろうとする巨船は力を失い落下に転じていく。空を見上げ、天空に箍をかける円環を睨み、雲を割って巨船は姿を消していった。

 しかしその舳先が雲間に消える瞬間に、一つの光が飛び出した。落下の中から唯一上昇した光は影の間を一巡りして彼らに相対する。

 先鋭な形状の白い戦闘機。そのキャノピーの脇には小さく〈抹消者オブリテレイター〉の文字があった。

 ローポリゴンの翼を揺すり、搭載した武装を展開しながらオブリテレイターは宇宙からの影に飛び込んでいった。巨船の仇、さらに天の円環への復讐をするかのように――。


二〇〇七年 九月一八日  一六一三時

梅戸ばいど市立椎間しいま高校 2-B教室


「あっ矢頭やがしら君ゴメーン! ゲーム頑張ってねえ!」

 夕暮れの教室にて、席に着いた男子生徒に腰をぶつけた女子生徒が軽く謝り教室から出て行く。去って行く女子生徒に信じがたいものを見るような目を向ける男子生徒の手元では、ゲーム機の画面の中で白い戦闘機が敵弾を食らって爆発している。

「……は?」

 矢頭と呼ばれた男子生徒は疑問を呈しながらイヤホンも外す。そして教室前方に視線を巡らせると、そこには教壇に立つ女子生徒が一人。仕方なさそうに笑う茶のロングヘアの少女は、黒板に記された『2-B文化祭会議』の文字を背負い、

「ご、ご愁傷様矢頭君……」

「いや、いやいや剣持けんもち、なんだ今のは。この後二〇分からその、文化祭の会議だろ? 今の奴らはどこに……」

「いやー、なんでもクラス全員の名前が入ったTシャツを作ることにしようって……。行きつけの店に頼んでくるってね?」

「まだ何やるかも決まってないのに!?」

 信じられない、という表情で矢頭は教室を見渡す。クラス全員が集まっているという体だったが、飛び出していった女子生徒以外にも数名分の空席がある。そして残ったクラスメイト達は矢頭と教壇の少女――剣持に同情的だったり、面白がっていたり、あるいは面倒くさそうな表情を向けた。

「何にどう盛り上がってるってんだアイツらは……」

「まあまあ、相手もいないのにぼやいても仕方ないよ矢頭君。それにお祭りだし……」

「言う前に出て行ってるんだけどな。くそー文字通りのお祭り頭め」

 言葉を交わす二人、矢頭だんと剣持沙羅さら。この椎間高校2-Bの生徒であり、クラスの中でもいろいろと気が回るタチでもあり、だいたい貧乏くじを引くのは彼らと認識されている二人であった。

 口調が荒く顔立ちもどこか鋭い弾は災難を免れることも多いが、現に剣持はこの放課後クラス会の司会を務める文化祭実行委員を押しつけられている。

「なんだ? 試しに郷土史の研究発表や麦茶出すだけの休憩所にしても奴らは盛り上がるのか?」

「おいおい矢頭ー、陰険だぞー」

 ヤジを飛ばすクラスメイトに、弾は睨む目を向ける。

「クラスでの決定事項みたいな面倒なことは押しつけられといて、アイツらを喜ばせるのかよ!」

「あはは……仕方ないよ矢頭君」

「悪党の思い通りかよお!」

 苦笑する剣持に、わなわなと指先を震わせる弾。そんな様子はこのクラスではよく見られる景色であり、クラスメイト達にとっては娯楽の一つのようなものだった。

 ――本人にとっては、笑い事ではないのだが。


二〇〇七年 九月一八日 一七一五時

梅戸駅


 矢頭弾。一七歳の男子高校生。ユーモアを介する余裕もあるが、理屈や道理の通らないことには敏感な気質が貧乏くじの原因でもあり、堅物とも言われる原因でもある。そんな、クラスに一人はいるような少年だった。

 しかし弾からしてみれば、彼自身の存在をよくいる人物で済まされてはたまらないものだった。自分は疑問を抱いているのに、それが普通だというのなら世界にはどれだけの人類の問いが押し留められているのか――と。


 クラス会を終えて放課後の彼を乗せた電車が駅に滑り込む。弾はドア脇に寄り掛かりながら、プレイしていたゲーム機を鞄にしまい降車に備えた。そうする彼の前でドアが開くと降りる客と乗る客の濁流が彼の行く手を塞ぐ。

 発車ベルが鳴る頃にようやくホームに降り立った弾は、隙あらば前に出ようとする者と後ろからの前進を阻もうとする者とが蠢く人混みに揉まれながら改札を抜け、駅前すぐの信号にせき止められる。渡り遅れを撥ね飛ばさん勢いでトラックが迫り、排気ガスを歩道に吹きかけて通過していった。

 弾は窒息しそうな歩道を逃れてコンビニの駐輪場にまろび出ると、こちらを見ろと言わんばかりの挑発的な情報誌の表紙が本棚から外に向けられていた。スキャンダルを起こした者を笑って、無害な何も起こさぬ存在であれと告げるような文字列に、違うだろうと弾は目を逸らす。

 弾はこの国の若者らしく、幼い頃から多くの物語に触れてきた。それは例えば世界を救おうだとか、世界を変えようだとか、夢を叶えようだとか、月並みだが理想を持った人々が描かれたものだったはずだ。そういうものが理想なのがこの世界だと、そう思っているのが弾だった。

 だが成長した今、世界はそうではなかった。理想がそうなのは事実なのかも知れないが、あまりにも強固な現実の前にそれらの存在は許されていないのではないかと、そう世界は見えた。

 誰もが自らを取り巻く環境をなだめすかし、疲れ果てながら得た報酬で生きているような世界――。無形のものだけではない。周囲にも、人にも、人生を投げ打って貢献しなければ許されない。そしてその世界が未来にいたる過程ではなく、まるで人類の歴史の果てであるかのような――。

 駅から出てきた人混みがある程度捌け、弾は顔を上げる。空には夕焼けと一番星。しかしその夕暮れはビルと電線によって小さく切り取られ、まるで遠い世界を描いた絵にも見える。そこに至ることのない地上こそが世界の全てだ。

 遠いキャンバスに描かれたような世界を、弾は自らの手の中にも持っている。持ち歩くゲーム機の中には、未来が身近だった時代の作品が収められていた。困難を打ち払って天空を目指す物語を追体験する、そんな作品だ。

 一息を吐き気を取り直した弾は歩き出す。彼の行く先はそういうものを愛する人々の砦だ。この俯きがちな都市の中で、見上げろと言わんばかりに看板をライトアップした一つの独立店舗。

 看板に記されたゴシック体は『HOBBY BASE HEXA』。夕闇に浮かび上がるその総合ホビーショップは、弾のバイト先であった。


二〇〇七年 九月一八日 二〇〇〇時

ホビーベース・ヘキサ 事務所兼レジ窓口


「――お客様にお知らせします。当店の営業時間は夜九時までとなっております。買い物のお忘れが無いようよろしくお願い申し上げます」

 シックなフローリングや天井、木目調の棚にプラモデルやフィギュアを陳列した店内にアナウンスが響き渡る。弾は店内とアクリル窓でつながった窓口に座り、事務所内でアナウンスをするスーツ姿の男に振り返った。

「今日はまあ、空いてますね」

「新製品も無いしなあ」

 スーツの男はアナウンスマイクを置くと事務所奥の机に着く。机には『社長兼店長 六角ろつかくさとる』とある。

「放課後、アフターファイブの一番盛り上がる時間も過ぎていますしね」

 弾の隣の窓口でレジ業務に就く同僚も会話に加わる。弾と同じく、エプロン付きのギャルソン風制服に身を包んだ彼女は女子大生だ。

「こういう日でもレジ要員を二人置くのは大変じゃないですか?」

「いやあ、平日でもレジ要員が一人だとその一人が大変だよ。俺の店は俺と気が合うスタッフを集めてるんだから、その一人が苦労するのは嫌だな」

 店長の六角は弾の同僚の問いに苦笑しながら応じる。このホビーベース・ヘキサというホビーショップは彼の父の代からの個人商店だ。それにしては大きな店だが、

「趣味人が楽しく仕事を出来れば結果は着いてくるってのがうちの経験則だからね。うちが投資するならそこさ。仕事とはいえ忙殺されないことには大きな価値がある。――うちは趣味の店だしね。従業員がグロッキーになって自分の趣味の時間も取れないようじゃ本末転倒だ」

 経営者はイタズラっぽい笑みを浮かべてそう言った。弾はその言葉に思わず笑うが、同僚は嘆息し、

「いいことを言っていると思うんですが……なんというか、甘いと感じてしまうのは時代のせいでしょうか」

「うんうん、その辺に悩んでるのが小菅こすげ女史の長所でもあり悩ましいところだよなあ」

 弾の同僚、小菅に六角は両手指さしのポーズを取る。小菅はそんな様子を生ぬるい視線で見つつ、

「いい店だと思うし、売り上げも立っているのはわかるんですけどね。なんでこんな感覚があるんでしょうか……」

「まーなんというか、楽しく仕事しているからこそじゃないかね? 苦労していないからとも言うべきかな」

「苦労をすると不安じゃなくなるんですか?」

 弾の問いに、六角は唸る。壮年の彼らしい深みと、困った少年のような表情が印象的だった。

「仕事ってさ、人の役に立つかどうかってことじゃない。んで人の役に立つかって、なんというか……『人の嫌がることはすすんでしなさい』って。嫌なことをしてこその仕事って刷り込み、あると思うんだよね……」

 六角の言葉に、弾と小菅は合点したように頷く。弾にとっては、いつもおかしいと思ったことを指摘する度に面倒を背負い込むことに、六角が言う世間の構図との共通点が見えた。

「嫌な思いをすることが……大人になることなんでしょうか」

 小菅が呟く。怜悧な顔立ちの美人とも言える小菅だが、その表情は不安を滲ませていた。

「そんなことはない! ……んだけど、うちみたいに仕事環境に投資するとこは限られるよね。ひどい所だと『それが普通だ』なんて教育するのに投資するとこまであるけど、基本他の所に力を入れた方が売り上げには出るからさ」

 そういう六角の足下にはゴミ箱が一つあり、経営者向けの雑誌が一冊丸めて突っ込まれていた。弾が出勤したときの会話によると、昼間に営業に来たどこかの社員が置いて行ったらしい。

「お客さんも仕事している側はかくあるべしみたいな認識あるしね。うちはそういうの比較的少ないとは思うけど」

 そういう六角だが、レジのアクリル窓にはマナーに関する掲示ポスターが売り場側向きに貼り付けられている。そもそも窓口型というこのレジ構造自体が、六角が講じた一つの対策でもあるのだ。

 そこに店内インカムが入る。

『六角、六角! こちら鬼多おにたぁ! ジオラマ・鉄道部門にブラックリストNo.8を発見!』

「おっとぉ、あのウンチク魔かあ……。弾、小菅女史、ちょっとここは任せるよっと」

 六角は名札を首に提げて事務所を飛び出していく。残された弾と小菅は顔を見合わせ、

「……困った人はほんの一人いても面倒ですね……」

 小菅はやれやれと首を振る。弾はその様子に曖昧な笑みを浮かべるが、小菅は視線を逸らしてぼやき続ける。

「私もこの店はいい店だと思います。楽しく仕事が出来て、お客さんからの支持も篤い。……それでも仕事をする上で、自分がこうはなるまいと思っているような相手に面倒をかけられるのを避けられないのは、どうなんでしょう」

 小菅は弾よりも年上だ、学生時代を終え就職するときも迫っている。そんな切実さが声音には籠もっていた。

「苦しい思いをするのが仕事って、六角さんは否定していましたが、世間ではそうなら……」

「それでもこういう店はあるじゃないですか。六角店長もいる。自分の理想を叶える方法はありますよ」

「理想……。私の理想は『こんなのは嫌だ』程度の、自分だけでは成立しないものですが……」

 小菅は恨めしげな目で弾を見る。

「矢頭君はあれですか、いつもやってるゲームみたいなのを作る、みたいな?」

「いやあ、俺はやるのは得意でも作るのは……。それに好みもレトロ寄りですし」

「最近やってるのは?」

「昔のソフトの配信版で『煉獄』っていうゲームで、氷河期になった地球を支えるためにリングワールドっていう巨大構造物が作られるんですが、人々の多くはそこに移り住んでしまって地球は氷河期を避けられなくて――」

「はあ」

「リングワールドに移り住んだ人々はいつか地球に帰れると考えるんですが、地球に残った人々はリングワールドを取り戻そうとするって、そんなゲームです」

「早口キメますねえ」

「ぐっ」

 そのゲームの、それぞれの最善を求める心と愚かさが交錯するストーリーが弾の好みだ。しかし熱くなっていたことを指摘されて思わず口を紡ぐ。そんな弾の様子に小菅は微笑み、

「没頭できるものがあるなら、それが夢になると思いますよ。夢中っていいますもんね」

 いいなあと呟き、小菅は売り場の方を向く。店を行き交う客達も弾同様、没頭するもののある人々だ。

「夢中になれるものから学んで、人生を豊かにしていける。そういうことを自然に出来るのって、やっぱり羨ましいですよ」

「ま、うちの困ったお客さんみたいに趣味人でも自分で自分の手綱を握ってない奴はいるけどな」

 売り場の応援から戻ってきた六角が事務所のドアを閉めながら、小菅を励ますように言った。

「小菅女史は悩んで悩んで、これは良い、これは悪いって自分で判断してる。あとはその、自分の判断基準を洗練して形にしていけば、自然と自分の求めるものも見えてくるんじゃないかな」

「でももう大学二年生なんですよね……」

「閃きは明日突然来るかもしれないし、いざとなったらうちでゆっくりしていきなって」

 気楽に言う六角に、小菅は申し訳なさそうな笑みを浮かべる。それにウインクを返す六角だが、自分の席で腕を組むと、

「しかし小菅女史が不安になるのも頷けることでもある。最近の世間はなんか刺々しいって、実際に思うからなあ」

 六角はファイルが収められた棚を見上げる。そこにはクレーム事例や、あるいは店内で狼藉を働いた者の記録を収めたブラックリストも存在していた。

「なんというかね、人を罰したがるというか、少しでも自分の気にくわないものを排除しようとする潮流はあるよ。それもいろんな考えの持ち主が自分にとっての悪を罰するから、何をしようとするのも危なくなっている」

「何をするのも……」

「ああ。特に何かをして途中で失敗なんかしたら、それ見たことかってよってたかってダメな奴の烙印を押されちまうわけだ。そうして、皆安全牌に集まるようになっちまう」

「安全牌というと……」

「大きな会社とかかなあ」

 辛いよなあ、と唸る六角。この店の持ち主である彼にとっては実感があるのだろう。弾はそう思った。

 それだけではない、弾は六角が言うようなことをしている人物の心当たりが身近に存在したのだ。

「つまんない奴のせいで何にも出来ない世の中になっていっちまいそうで、俺も実は怖いんだぜ。まあ、まだまだ世界は発展途上なんだなって思うようにしてるけどさ、未来に向かうことまで無くなっちまいそうでさ――」

 続ける六角の言葉に、弾はその人物によってそんな世界がもたらされたらと――そう考えて身震いする。それはまさしく六角や小菅と同じ実感であった。

「つまらない奴のせいで周りまでつまらなくなっちまうのが、一番つまらないよな?」

 そう言いつつ、六角はデスクに置いたロボットのプラモデルを手に取る。つまらなくないものは確かに存在すると確認するように。


二〇〇七年 九月一八日 二一一四時

梅戸市 住宅街


 営業時間が終わり、弾は掃除をする他のスタッフよりも一足先に店を後にしていた。

 夏が終わり秋に向かうこの時期の夜は、まだ少し生ぬるい。弾にとってはあまり好きではない時期だ。体温に近い空気には自分が溶け出し、外からのものが自分に染み込んで来るように思えるのだ。

 自分と外の領域が曖昧になるような夜闇の中で、弾は家路を急ぐ。自分の確実な居場所の一つがそこにはある。――あまり心休まる場所ではなかったが。

 その家が見えてきた。弾が一軒家の玄関を開けると、押しつけがましいポプリの甘い香りが吹き出す。

 家の中にはなにかメッセージ的な前衛絵画や、アナーキーな洋楽のレコードが飾られている。いかにも平和な家庭然としたインテリアだ。

 弾はそんな飾りに嘆息しつつ、なるべく音を立てないように二階への階段に向かう。一階奥のリビングからはニュース番組の音声が聞こえてきていた。この時間帯は母がいるはずだ。

 弾の母は海外で仕事をする父から給料を振り込まれてこの家を守っている。そして自分の時間には世間を映すものを、そこに映される様々なスキャンダルを見てはこう言うのだ。私と違って世の中には不出来な者がいるのねと。

 最も傍でその話を聞く弾からしてみれば母の話には抜け落ちていることも多い。自分を棚に上げて誰かの失敗を詰っていることもしばしばだ。その姿は六角が思い描いていた相手に近いと弾は思う。

 こんな者がたくさんいるのか……。弾が暗澹たる思いを描いていると、壁に掛けられたレコードが目に入る。世界中の誰もが愛し合えば世界は平和になると、そんな曲のレコードだ。

 だが彼らは誰もを愛するだろうか。そんな彼らを愛せるものだろうか。弾は嘆息した。

「……弾? 帰ったの?」

 弾の身じろぎに母が気付いてしまった。こちらを伺うようにリビングから顔を出す母に、弾は苦い表情を向ける。

「……ただいま」

「なぁにクタクタ? もうしっかりしてよ。お風呂なら湧かしてあるわよ? 新しい入浴剤がねえ、海水と同じ成分のね――」

 距離を置こうとする弾の内面にずけずけと踏み込み、自身の善意を疑うこともない母の姿に弾は視線を逸らして階段を上り始める。この母は弾がしようとすることに先回りしては自分でなにもかもをお膳立てして、良き母として感謝することを暗に押しつけてくるような、そんな相手なのだ。

 そんな母でも自分を守ってくれているのだと世の人は言うだろう。しかし弾は母が家族関係を使って自分を従属させようとしていることを理解していたし、警戒もしていた。今よりも幼い頃から。弾がぬくもりを嫌うのは、この家がそんな場所だったからかもしれない。

 背中を向ける弾に、母は不満げな唸りを漏らす。

「……ねーぇ弾? バイトそんなに大変ならお小遣いはあげるわよ? お父さんカメラマンって言ってもそこそこ稼ぎはあるんだから。それに模型の店でバイトなんて、シンナー置いてたり、センシャやセントーキのプラモデルとか、女の子のエッチなフィギュアとか置いてるんでしょ? やーねぇ……」

 好き勝手に邪推する母の声を断ち斬るように足音を立て、弾は二階の廊下を踏んだ。もはや背後を見ることも無く弾は自室の扉を開く。

 その小さな部屋は弾の夢を育てた空間だった。漫画やジュブナイル小説が並んだ本棚、積み重なった雑誌、小さなテレビに繋がったゲーム機に、ノートパソコン。

 夜の自室での時間は弾にとっては大事な時間だ。いかに母といえどもこの部屋の境界に踏みこむことは弾の導火線に火を付けることだとは認識しているのだろう。

 だが今日は気疲れが勝った。制服の上着を脱ぎ捨てると弾はそのままベッドに寝転ぶ。

 眠い、が、今日の諸々をそのままに眠るのはいろいろ考え込んでしまいそうだった。弾は鞄からゲーム機を取り出してプレイし始める。

 掌の中の宇宙に達巳は没頭していく。在るべき未来、いつか届くべき場所――。今は遠い全てに。


二〇〇七年 九月一九日 一二一五時

椎間高校 2-B教室


 翌日の昼、昼休み前の午前最後の授業が終わり、物理教諭が出席簿や教材を片付け始める。生徒達も食堂に購買に駆け出す支度をする中、教諭は告げる。

「えー……ちなみに近頃、季節外れの流星群が見られます。興味がある人は夜に空を見てみるといいでしょう。では……」

 ろくに聞いている生徒もいないなと勘付いた教諭はそそくさと教室を後にする。それに合わせて腹を空かせた男子生徒が飛び出していく中、弾は自分の席でうなだれる。

「あー……」

「あれ~矢頭君。お昼もゲームも無し?」

 弾の前席の剣持が振り向く。弁当を取り出す剣持を机の上から見上げながら弾は、

「昨日はクラス会の後も色々あってな……。気疲れしたところに気晴らしにゲームしてたら……」

「してたら?」

「思いの外ハイスコアが出るもんだから自己ベストに挑んでたらいい時間に……」

「無我の境地ってやつ?」

 カラカラと笑う剣持に、弾は恨めしげな視線を向ける。厄介を背負わずに済むのは弾だが、日頃元気なのは剣持の方なのが常だった。

「矢頭君、日頃から色々考え込んでるよね。昨日は何があったの?」

「かくかくしかじか」

「そういうのが通じるのは文章表現だけじゃない?」

「聡い奴だなあお前は」

 仕方が無いので弾はかくかくしかじかの事情を話す。タコさんウインナーをつまむ剣持は笑い、

「クラス会の話題からそこまで壮大な話になるのは矢頭君の周りだからかな?」

「笑い話じゃないぞ。現実にある不安の話でもあるんだからな」

 顔をしかめる弾に、剣持は俵ご飯を箸で摘まんで、

「まあまあ、そんな深刻になる話でもないとも思うよ?」

「……その心は?」

「矢頭君みたいな人達がいっぱい考えて、結局はそういうことには答え出してくれるんでしょ?」

「人任せかよ……。お前もそれで苦労してるだろうによお……」

「えー? 私は割と楽しいけど?」

 だろうな、と昨日の剣持を思い出して達巳は視線を遠く窓の外へ向ける。剣持のように要領が良ければ世界は楽しいのだろうなと。

 しかし弾は今の世界にとって要領良く適応してしまうのがどこか怖かった。未来があるならば、今に完全適応してしまうのは未来を放棄してしまうようで。

 そんなことを思って遠くの街に視線を飛ばした弾は、ふと視界の陰りを感じた。繁華街の方角が晴天にも関わらずあまりに暗い。疑念を抱いて弾は窓から軽く身を乗り出して空を見上げた。

「……矢頭君?」

 弾の様子に首を傾げた剣持が問う。そして彼女も視線を窓の外に向け、

「あっ、すごい! 先生が言ってたけど……昼間でも流れ星って見え――」

「――みんな伏せろ!」

 瞬間、教室に振り向いた弾が叫んだ。教室中に響き渡る大音声に、弁当組の生徒達が思わず振り向く。

「どしたの矢頭くーん?」

「伏せろって、戦争じゃあるまいにねえ」

 クラスメイト達は笑う。しかしそのいつもの空気の中で、弾は剣持の頭に手をかけ、飛び込むように床に押しつけた。

「やっ、矢頭君!?」

「目を閉じろ! もう間に合わ――」


 そして世界は終わった。

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