CREDIT4 地の獄

"二〇〇七年 九月二〇日 〇〇四一時"

太平洋上空


 闇夜。月に照らされて薄白く広がる雲海の上に、一つの流星がたどり着いた。

 高熱故に光の尾を曳いていたそれは、突然壁にぶち当たったかのように減速する。まばゆい輝きの中から現れるのは、スプライトエクスプレスだ。

 編隊も組まず、一機で行動するその機体は、当然正規の作戦行動に属する機体では無い。その操縦者、弾はコックピットで呻いた。

「――今の減速は何だ? 故障か?」

『惑星大気圏への突入シークエンスを完了したので、出力レベルをプラネットモードへ変更しました。惑星重力圏からの不本意な離脱や、周囲環境への被害を防止するための低出力モードです』

「戦うために降りてきたのに出力を制限するのか……」

『本機の最大出力圏では、巡航速度の時点で超光速に達し惑星にダメージを与えかねませんので』

 指摘するフォスに、弾は遠い目をした。そして気を取り直すと暗夜を見渡し、

「まあいいや……。降りてきたけど、どこから手をつけよう」

「ばっちい」

 唐突に後席で言うオプティは、ステーションでワーイールにもみくちゃにされた際の粘液を髪から絞ってシートの足下に捨てていた。粘っこい落着音に、フォスの音声に呻き声のような処理落ちノイズが混じる。

『……まずは、身支度をしましょうか。二人とも着の身着のままですしね』

「そういえば俺もジャージか……」

「ダサい」

 真顔で指を指して言うオプティに、弾は苦々しい表情を浮かべた。そして取り繕うように、フォスがウインドウを表示する。

『このまま直進しながら降下すればエデンⅣの日本列島です。ダンの住んでいた地域は太平洋側ですし、状況を確認するついでにそこへ一度降りてみるのはどうでしょうか』

「……そうだな」

 応じる弾の声音は、複雑なものだった。そしてそれ以上応じること無く、弾は機体を緩やかな降下軌道で西へと飛ばしていく。

 夜闇に溶け水平線は見えない。しかし、遠くの空がほのかに明るいのは、何かが燃えている場所がそこにあるからだ。広く、遠く。


"二〇〇七年 九月二〇日 〇一一六時"

梅戸市


 月明かりと、くすぶる炎に照らされた崩壊の市街地に白い機体は降り立った。一度操縦席を降りた弾とオプティに、フォスが機体下部に収納されていたサバイバル用品を展開する。

 簡易シャワーにいそいそとオプティが入っている間に、弾は新たに提供された服へ着替えた。平良が着ていたものと同じ、プロテクターを配置されたスーツだ。

『正式なパイロットスーツです。周囲環境から人体を隔離し、専用のヘルメットを装着すれば宇宙服にもなります。装着者の体調を監視、維持する機能もあるので、身につけていて下さい』

「ハイテクだなあ……」

 感心しながらジッパーを上げきると、各部が自動的にフィッティングする。手脚を曲げ伸ばしても生地が突っ張らず、プロテクターも細かく作動して動作を妨げない。

「濡れ制服やジャージよりは格好もついたな。オプティの方は、どうだ?」

「さっぱり」

 そう応じながら、タオルを体に巻いたオプティがほこほこと湯気を上げつつ、弾の背後を通って予備の服を取りに行く。そして畳まれたスーツと共に飲料のボトルを手に取ると、腰に手を当てて呷り始めた。

「ぷひー」

「……」

『格好は付きましたか?』

「なんかもう慣れてきたよ」

 頭を抱える弾を尻目に、オプティは飲料を飲みきり、新しいスーツに袖を通していた。肌が上気しているうちから着ても、蒸し暑さは感じていないように見える。

 まだ幼げな肢体を軽く振ってスーツをフィッティングさせたオプティは、弾に近寄ると押して促す。この後に向かう場所は決まっているのだ。

 弾の家へ。学校でエントロイドの襲撃を受けて以来、ずっと遠ざかっていた場所だ。


"二〇〇七年 九月二〇日 〇一三二時"

梅戸市 住宅街跡


 衝撃に薙ぎ払われ、街は高い建物を尽く失っていた。明かりの無い夜の底で、その風景はもはや以前の面影を留めていない。

 しかし二階建て程度の住居が中心の住宅街は、その限りでは無かった。低空をホバリングで移動していく弾達の眼下には、四割ほどの家々が辛うじて残り、道の連なりもわずかに窺える町の跡が広がっている。

「ダンのおうち、ある?」

「さて、どうかな……」

『住所で言うとあそこですね。――建造物が残っています』

 フォスが投影される景色にピンを打った。その下には、月明かりに浮かぶ一戸建てのシルエットがある。弾は目をこらし、頷いた。

「見覚えがある……。屋根は無事みたいだな」

「うれしくない?」

「俺の部屋は二階なんで、多分大丈夫だろう。でもこんな状況で家が残っててもなあ……」

『確かに現状のままでは、かつての生活基盤が残っていても意味は薄いですね。――おや、内部に生体反応。人間ですね。降りて確認してみますか?』

 フォスが眼下の家に、サーモグラフィーのような虹色の画像を重ねる。弾が知る間取りの上ではリビングの辺りに、人影のようなものがあった。弾は頷くと、スプライトエクスプレスを降下させる。

 大気を掻き分ける響きと共に地表に到達した機体から、弾はキャノピーを開けて降り立った。応じるように、音に気付いたか家の玄関が開く。中から出てくるのは一人の中年女性、弾の母親だった。

「誰……!? 弾? 弾なの? その格好は!?」

 乱れた普段着に、物干し竿の先に包丁をくくりつけた槍を持って母親は弾の元へ駆け寄ってくる。その様子に弾は苦々しい表情を浮かべながら頷いた。

「学校で助けられたんだ。こっちの方は?」

「もうなにがなんだかわからないわよ! ずっと周りでドカドカ音がして――。助けられた? こっちは騒ぎになるばっかりでだーれも来なかったわよ!」

 喋りながら弾の母は気付き、激昂する。うらめしげなその様子に、弾の心は冷えていった。

「……優先順位があったんだよ。それより、エン……化け物達は夜になってから見かけたか?」

「それよりじゃないわよ。知らないわよあんなもの。何が優先順位よ。善良な市民を放っておいてなにが……! ジエータイは本当に戦えるようになってうきうきしてるんだわ。ああやだやだ」

 ヒステリックさと軽蔑感を無理矢理冷静さでカバーしたような口調で、弾の母はぶつぶつとぼやく。そして引きつった笑みを浮かべて弾を見つめ、

「弾、そんな服から着替えて避難の荷物をまとめるのを手伝って頂戴。男の子がいればちょっと重いのも持って行けるわ。こんな物騒なことになっちゃったからには逃げるに限るわ。ほら、早く」

「――逃げるって、どこへ?」

 弾が訊ねた瞬間、弾の母の表情は内側から破れた。目をつり上がらせ、取り繕いも無しに声を荒げる。

「わかんないわよ! とにかく逃げて、同じ境遇の人達とで助け合うのよ! 口答えしてないでほら! そこの軍隊の人達には帰ってもらいなさい! 信用できないんだから! あんなのと一緒にいたら戦わされたりするでしょ! ほら弾早く! お母さんの言うことが聞けないの!?」

 荒れ狂う母親を前にして、弾の表情は一層寒々としたものになっていった。そして目を伏せると、一歩を後ずさる。

 ここではない、戦いから離れた場所。確かにそれはあると今の弾は知っていた。しかしこの、自分が世界の当事者ではなく一方的な被害者であるように振舞う人物をそこに案内するのは、有り体に言って嫌だった。

「あんたが望むような所はどこにもない」

「ああそう、最悪ね。ああもう、誰のせいなのかしら。なんでこんな、普通の人間が苦しまなきゃならないのかしら。ホントもう最低……」

「……あんたみたいな奴のせいだよ」

 吐き捨て、弾は踵を返した。途端に、母親がその弾の手を掴む。

「ちょっとどういうことよ弾! なんでそこで普通にしてる私が悪いことになるのよ! 普通どころか、私が普段してること見てたでしょ!? 市民活動とか積極的に参加して、セージカが悪いことするの止める力になって! 世間のためになること一杯してたのよ! それがなんで……!」

「あんたは何も成し遂げてねえよ。弱い立場を振りかざして人の良心につけ込んでるだけじゃないか。しかも言ってることは的外れで、感情的でよ……」

 肩越しに冷たい視線で振り向き、弾は母親の手を振り払う。

「世界のリングに上がらず、外から揶揄してただけだろうが。なんでそんなに、恥ずかしげが無いんだ」

「じっ……実の親をそんな目で見てたのかあああ!」

 金切り声を上げ、弾の母親は即製の槍を滅茶苦茶に振り回した。弾は飛び退き、待機するスプライトエクスプレスに向けて叫ぶ。

「フォス!」

『厄介なことになりましたね』

 淡々とフォスが応じながら、機体は緩やかに上昇し始めた。さらに弾へ向けて前進しながら、開いたままのキャノピー脇から取っ手とステップがついたワイヤー状の簡易ラダーを下ろす。

「待ちなさい弾! こら! 置いていこうっての!? 裏切り者! なんでそう……いつも! 私に! 冷たいのよ! 母親でしょ!? 何も悪いことしてないでしょ!? ねえ! 答えろクソガキ! 誰が生んでやったと思ってんだテメエ! うおお!」

 狂乱する母親を置き去りに、弾はラダーに足をかけ上空へ逃れていく。ラダーが巻き上げられると、操縦席には心配そうな顔をしたオプティが待っていた。

「……危なかったね」

「危なかったのか。やっぱり」

「うん」

 気まずそうなオプティを背後に、弾はシートに着く。キャノピーが閉じられると、

『なんと言いますか。私には心理カウンセリング系の機能は無いので情報を評価しかねますね』

「ああいうのを『反面教師』って言うんだって覚えておくといいぞ」

『記録しておきましょう』

 しれっと言ってのけるフォスに、弾はかすかに気楽そうな表情になった。しかし夜景を見渡すとまた表情を暗くし、

「よく考えたら、周りにフォスの仲間らがいないってことは救助作業はもうやってないんだな。じゃあ今地上に残っているのは……」

『救助に割けるリソースにも限りはありますので、トリアージ的に救助基準は設けられています。積極的に救助を避ける対象は、すでにエントロイド化している者のみですが』

「俺みたいにエントロイドと接触した人か?」

『それに限らず、極限状況では人間としての箍が外れ、落ちるところまで落ちる者もいますので。それこそギャップというものですよ』

「母さんは、そういうことかな……」

 この国にはそういうのは少ないはずだ、と弾はまず思い浮かべた。しかし改めて夜景を見て、そして突然弾は気がついた。

 この、沈黙と暗闇に沈んだ大地に、この国の要素がどれほど残っているというのか。快適さで塗りつぶされた世界など、どこにも見えはしない。いかなる歴史も、規範も、この世界ではもう保たれていないのだ。そうなった時、剥き出しになるものはなんだろうか。

 肌に寒気とも焦熱ともつかない感覚が浮かぶ中、弾は夜景に一つの明かりを見つける。記憶が確かなら、弾が普段使う最寄り駅の駅前、バスロータリーの位置のように見える。大きな焚き火による橙色の光だ。

 本来なら揺らめく炎の灯は心落ち着くもののはずだ。だが今の弾は、先程の愕然から続いて心臓に落ち着きの無い震えが宿り、嫌な予感を思い浮かべずには居られない。

 この状況で生き残っている者達――。弾が想像したその時、後席から身を乗り出したオプティが弾の肩に手を置いた。

「……やめた方がいいよ。あっちは……」

 弾が見ていた明かりを示し、オプティは首を振る。その様子に確信を得た弾は、歯を食いしばりながら、しかし首を振り返した。

「……いや、確認しよう。助けるべき人もいるかも知れない。それに――この星に、エントロイドが現れた理由も、俺は見ておきたい」

 そう応じ、弾はスプライトエクスプレスを移動させていく。ためらうようにゆっくりと前進した機体は、しかしすぐに焚き火を見下ろす位置に到達する。

 そこには人の姿があった。数十名分。焚き火の周辺に輪となって――否、焚き火に向けて渦を描くような列を作っていた。

 列を成しているのは全て男性。そしてその誰も彼もが、この状況下とは乖離した、何かを期待するような笑みを浮かべ、そわそわとした様子で並んでいる。

 落ち着かない様子と笑みは、渦の中心に近付くほど濃くなっていく。そして車や建材の残骸による大きな焚き火の側で、列は終わっていた。そこには引き裂かれた衣服や鞄の類いがまき散らされ、そして組み敷かれた少女達が、男達に――。

「ああ……」

 弾は肩を落とす。心の底から外れて欲しかった予感が、あまりにも予想通りにそこには展開していたのだ。

 列を成す男達とは対照的に、苦痛に歯噛みする表情や、もはや何もかも抜け落ちてしまった顔が並べられ、堕落への捌け口にされている。それを囲うのは、まるで天国にたどり着いたかのように緩みきった笑み達。弛んだ表情筋の真ん中から涎を滴らせ、男達はへこへこと腰を振っている。

『人間、男性六八名、女性七名を確認。――さらに焚き火の中に複数の人間遺体らしき痕跡が観測できます』

「違うよ。ねえ、ダン……」

 身を乗り出すオプティは、堪えるような表情で弾の肩越しに告げる。

「あそこにいるのは、もうエントロイドだよ。エントロイドがあの女の子達を食べてるの。だからダン、人間に絶望しないで。あれは違うんだから」

『堕落的な行為は、それを人間が求めているわけではありません。堕落への道が、安易であるからなのです。逆らう力が無い者だけが、そこに落ちていくのです』

「そうだな……。そうなんだろう。でも……」

 応じながら、弾は顔を覆っていた手を操縦レバーへ戻す。その眼は、眼下の惨劇を、その餌食となっている少女達をしっかりと見つめ、

「そんな奴らがすることの犠牲になるのは、いつも本当の人間達なんだな。最も価値が無いもののために、誰かが犠牲になる……」

 悲しげだった表情に怒りを灯し、弾は操縦レバーで照準を操作する。それを見届けたオプティは、跳ねるように後席に戻った。

「――副兵装の照準はこっちに任せて」

『ダン、オプティ。当機の武装では、あの女性達も巻き添えにしてしまいますが……』

「あんな連中の手にかかった子達に、命あっての物種だなんて言えるかよ」

 弾が言葉を返すと、フォスは沈黙した。

 その時、列を成していた男達の一人が空のスプライトエクスプレスに気付いた。青髯の浮かぶ鼻の下を膨らませた猿顔で、男が何かを叫ぶ。

「おい! いい、いいからここは! 助けとかいらないから!」

 野暮な申し出を断るように、猿顔の男は心底迷惑そうに首と手を振る。そしてその男の仕草に、周囲の男達も弾の機体に気付いて空を見上げ、追い払うように腕を振り回し始める。

「やめろ! 今いいところなんだよ!」

「もう警察も何も無くなっちまったのに余計なことするんじゃねえ!」

「本当はこうあるべきなんだから! 弱肉強食なんだから自然は!」

「そんなことしようとしてさあ! なんか意味があるとでも思ってんの!?」

 萎えきった顔筋を精一杯吊り上げ、男達は謂われの無い罰を与えられようとしているかのように抵抗の声を上げた。しかし弾が見るのは、虐げられる者の座に滑り込もうとする連中ではなく、真に苦しんでいる者達の姿だった。

 少女達の一人、ぶよついた男の下敷きにされ喘いでいた少女と弾の視線がキャノピー越しに交錯した。夜空に浮かぶ白亜の翼に、少女の口元が小さく動く。

「撃って」

 少女に出来る、最後の抵抗。高貴な願い。

 弾は頷いた。その通りにした。

 叫びを上げるように光弾が唸り、爪を立てるように弧が走った。掃射が焚き火の周囲を荒れ狂い、砂埃を巻き上げる。降り注ぐ破壊力が、か弱い者共を打ちのめし、消し去っていく。

 煙越しに浮かび続けていた照準が全て消えると、ようやく連打は止んだ。飛び散った火が赤黒く染まった残骸が散らばるロータリーを照らす。収まっていく砂埃を、スプライトエクスプレスはじっと見下ろしていた。

 邪悪な宴は終わった。その牙にかかった者には、ささやかな救いがもたらされた。弾は目を伏せる。自分が戦わなければならない相手を、改めて認識する。

 その時、電子音と共に新たなターゲットが選択される。煙るロータリーの中央。フォスが声を上げる。

『動体反応増大中、エントロイド個体が現出します!』

 瓦礫の表面や、その下敷きとなっていた血肉がなめくじのように這い、集まっていく。血だまりから、肉塊へ。急速に成長していくそれは、ごろりと転がるように顔を空へ向けた。

 まだ目も開ききっていない赤ん坊の顔が、そこにはあった。さらに据わらぬ首が、丸々とした腕が形成されていく。

『形態照合――、〈ジャイアントネオテニー〉です。人間の遺体から発生するタイプのエントロイドです!』

「とことん趣味が悪いな。しかも……」

 形成されていく途中で、散らばる血肉は使い切られたようだった。胸下までできあがっていた巨大な赤子は、しかしそこで成長を中断させられる。収まりきらなかった臓腑がまろび出ると、ジャイアントネオテニーは野太い声で産声を上げた。

「未熟児かよ」

『定義が異なるようですが』

「待って。――来るよ!」

 気色悪そうにする弾に、オプティが鋭い声を上げた。その瞬間、赤子の胴の下で破砕されたロータリーが再び炸裂する。

 先程の掃射以上に塵が巻き上げられ、弾は想わず機体を後退上昇させる。見下ろす先で粉塵は入道雲のように立ち上がり、その奥から重低音を響かせる。

 ずるり、と粉塵の中から影が出てくる。先程のジャイアントネオテニーが、その胴の半ばから長く細長いものを伸ばし蛇のように身を掲げたのだ。濡れた赤い生体部に接続されたのは、道路のアスファルトやその下に埋設されていたであろう水道管やガス管、倒れていた電柱と電線、そばの駅から伸びる鉄道のレールを束ねた、この町を支えてきたインフラによる蛇だ。

 支えられた赤子は、首が据わらぬままにまた泣き声を上げる。身に浴びるあらゆるものが不快だと言わんばかりに、つんざくような響きをまき散らす。そして周囲の町のそこかしこで、赤子に接続されたライフラインの残骸が蛇の尾として地下から押し出され、のたくり始める。

『個体規模を急速に拡大していきます。地殻侵食第二期のピラノイド並みの範囲です。ジャイアントネオテニーとしては未知の形態です』

 闇夜の街並みのそこかしこで粉塵が上がり、不吉な影が蠢いた。弾はそれを見回し舌打ちすると、

「あの頭をやればいいんだろうが!」

 機首を赤子状のジャイアントネオテニー本体へ向け、弾はレーザーのチャージを開始する。しかしその直後に警報が鳴り響いた。

『直下、地中より高質量体急速接近!』

 フォスの警告に、弾は咄嗟に機体を横滑りさせた。その直後に地殻を粉砕しながら出現するのは、節々から下水をまき散らすジャイアントネオテニーの尾の一部だった。鞭のように虚空に振り上げられた尾は、即座にスプライトエクスプレスに振り下ろされる。

 鈍い打擲音から逃れる機体の先端で、レーザーが暴発する。機体の動きに振り回される光線が波打ちのたうつジャイアントネオテニーをかすめると、その本体の赤子はまた金切り声を上げた。

「いちいち騒がしい奴だな!」

「まあ赤ちゃんだし」

 オプティがしみじみと仕方なさそうに言う間にも、敵の本体周辺では新たな尾が立ち上がっていく。管だけではなく、いまや生体組織の尾もそこには存在した。

 巻き上げられた砂埃でもはや地表は見えない。地殻をかき混ぜる轟音と共にそこかしこで尾がのたくる地上から、スプライトエクスプレスはホバリングから加速に転じて旋回を始める。

 まるで沸き立つ鍋の上を飛んでいるかのような下方からの圧に対し、弾が見るのはジャイアントネオテニーの本体だ。脅威を遠ざけたためか、その顔は遠目にも明らかに歪んだ笑みを浮かべている。

「あんな奴らを笑わせてたまるか……!」

 白い機体は弧を描き本体へのアタックをしかけようとする。しかしその前方を塞ぐように波打つ尾が砂埃の中から浮上し、さらに地殻を貫いて尾の先端が後方から突き刺さってくる。弾が機体を急上昇させると、その尾の先端からはレギオバイトが吐いたものと似た火球が放たれ、スプライトエクスプレスへ追いすがった。

 宙で側転を打ち火球の掃射を逃れた弾が見下ろすのは、ジャイアントネオテニーの全容だった。月明かりの下で砂埃を上げのたうつ尾はもはや四方数キロの範囲に威力を放っている。そしてその一角、落着していたピラノイドの一体がその範囲に含まれ、妖しげなワインレッドの光を放っていた。

『あのピラノイドから地中に広がっていた根が、不完全に発生したジャイアントネオテニーを取り込んだようですね』

「奴自身の力じゃ無いってわけだ。それなら話は簡単だな」

「やっちゃえ」

 オプティが発破をかけるまでもなく、弾は機体を降下させた。その意図を悟ったか、地上の尾達が先回りしてピラノイドの守りにつこうと蛇行して眼下を滑っていく。

「オプティは奴らを! ピラノイドはこっちで倒す!」

「うん」

 オプティが頷くと共に、ホーミングレーザーのロックオンカーソルが一斉に出現した。地を這う肉紐を捉えた照準めがけ、即座に武装ナセルから光の弧が放たれる。

 夜目にも鮮やかな薄緑の光線は、赤いスパークを纏って地上へ降り注いだ。先端を撃ち抜かれた尾はびくりと病的に痙攣し、機体が背後に置き去りにしてきたジャイアントネオテニーがまた泣き声を上げる。

「――威力が……?」

 オプティが首を捻るが、弾はそれには気付かなかった。降下の先で機首に光を溜めていた弾は、それをピラノイドへ向けている。

 光の槍がピラノイドを貫く。そして続けざまに掃射が浴びせられ、光の弧が全身を抉っていく。ピラノイドは一度堪えるように膨れると、直後に破孔部から血を吹き、そして萎びて傾いていった。周囲に張り巡らされ、シームレスにジャイアントネオテニーの尾に変化していた根のような組織も、干からびて崩れていく。

「もう誰もお前らなんか助けねえぞ……!」

 目を血走らせ凶暴な表情を浮かべ、弾は崩れていくピラノイドの上空を機体にフライパスさせ、緩旋回でジャイアントネオテニーの方向へと機首を向けていく。のたくる尾は幾分か動きに精細さを欠き、追撃の火球も止んでいた。弾はパネルでスロットルを操作すると、機体を敵の勢力圏へ突撃させていく。

『アアァ――――!』

 嗄れた喉で泣くように、ジャイアントネオテニーは声を上げる。そして尾の一本が薙ぎ払われてくるが、スプライトエクスプレスの機銃掃射がそれをストッピングパワーで押し留め、さらにぐずぐずに撃ち貫くとすれ違う衝撃で崩壊させていった。

『アアァ――! なぁんでぇ――!?』

 それまで絶叫を上げていたジャイアントネオテニーが、意味のある発音を口にする。頭頂部にねじくれた毛が生え始め、苛立ちを込めて乳歯を食いしばり迫る弾達を見据える。

『やっと! じゆう! できた! なんで! じゃまぁぁぁ――ッ!』

 咆哮し、雪崩を打つように尾が次々とスプライトエクスプレスへ振るわれる。白い機体はそれをかいくぐり、さらには自身に向かう尾へ自ら身を寄せてすぐさますれ違っていく。打撃音は起これど、全て背後でのことだ。

『ぼくら! ふこう! おまえ! そのほうがいい!? おまえ、おまえぇぇぇ――!』

「何かにチンコ突っ込んでられりゃあ幸せだってのかよお前らは!」

 歯を剥き、弾は怒りも露わに声を上げる。そして叩き付けられる尾を抜けたスプライトエクスプレスの機銃掃射が、ジャイアントネオテニー本体の右腕を捉えた。おろし金で引っぱたかれたかのように何カ所も血を吹く腕を、巨大な赤子は左手で押さえた。

『たべる! ねる! こうび! いけない!? それいがい! よけいぃぃぃ!』

ケダモノエントロイドがっ……!」

 上空へと抜け、宙返りでジャイアントネオテニーを視界に収める弾は信じられないものを見るように地上を睨み付ける。対するジャイアントネオテニーは、その猛威が届かない位置に弾達がいることに不正を訴え地団駄するように、その尾で周囲の地面を乱打していた。

『うるさい! よけい! よけい! おまえ! ひとりで! くるしめぉあああ!』

 泣き叫ぶジャイアントネオテニーの直下で、成長していくその体を支える尾の中、巻き込まれたパイプやレールが軋んで悲鳴のような音を立てる。ところどころで破裂らしき土埃が上がる中、ジャイアントネオテニーは自身の口から火球を放った。どす黒い黒炎の玉は、ゆっくりと数メートル浮かぶと破裂して全天へと炎の矢をまき散らす。

 広がる逆落としの豪雨に、弾が目を見張る。そしてフォスが誘導線を引き、オプティが声を上げた。

「平気、平気……!」

 肩に手を置かれ、弾は我に返ると操縦機構を駆使した。迫り来る破壊力に飛び込み、躱すのではなくその隙間をくぐっていく。数多の威力を背後に過ぎ去ったものにしていくと、弾幕は晴れジャイアントネオテニーの姿が露わになった。

『あああぁぁなぁんでぇ!? がんばってるのに! いたいのに! たぁおせなぁい!』

「……こうしていれば普通、こうできれば偉い、こうあるべき。お前らはそんな風に、自分そのものすら外のものに預けているから、エントロイドなんかに取り入られるんだよ」

 吐き捨て、弾はレーザーの光球をチャージし始める。その輝きに、恐慌した表情でジャイアントネオテニーは火球を連続で吐き出した。しかしもはや距離を詰めたスプライトエクスプレスは、それが破裂するよりも先に背後に置き去りにしてジャイアントネオテニーに迫る。

「与えられるものだけで生きようって言うのなら、俺が引導を渡してやるよ……!」

 光球をかざし、白の高速機はジャイアントネオテニーに突進した。それに対し巨大な赤子は手をかざす。その手に、あの焚き火の側で男達に組み敷かれていた少女達の泣き顔が浮かび上がった。肉塊に埋まりながら、哀願するような表情を浮かべて。

 だが弾は知っている。そこにある虚ろな眼窩ではなく、意志の籠もったあの少女の目を。

「その子達はお前らの味方なんかしねえ!」

 叫びと共に、スプライトエクスプレスは一撃の侵徹体となってジャイアントネオテニーの掌から肩口へと貫通していった。本体部分は半身しかないジャイアントネオテニーからしてみれば、さらにその半分を抉り抜かれた形だ。もはや悲鳴すら上がらず、巨体は呼吸を求めるように仰け反って口を開閉する。

 直後、背後へと貫通していきながら機体を反転させていたスプライトエクスプレスからレーザーが走った。赤いスパークを纏った光槍は、ジャイアントネオテニーの延髄から開かれた口までを貫く。さらにスパークが感染するようにその全身に走り、ジャイアントネオテニーは脱力して地表へと倒れ込んでいった。

 ひときわ大きな砂埃が上がり、さらに地下の尾が一斉に崩壊を始めたか、一帯の地表が割れ爆ぜ始める。一つの街が、完全に消滅していこうとしていた。再び反転したスプライトエクスプレスは、高度を回復しながらその崩壊を見下ろす。

『……高脅威度汚染源である大型エントロイドの一体を撃破できました。まずは第一歩ですね、ダン』

「――一歩目ではあれど、一歩でしかないだろう。感慨にふけってなんかいられないさ」

 フォスの言葉にそう応じながら、弾は崩れていく街を遠い目で見つめていた。途方に暮れるような目では無く、なにかものごとの深淵を見つめるような目で。

 やがて弾はその顔を片手で覆った。黙りこくるその背を見つめ、オプティが身振りでフォスに合図する。後席の操縦機構が展開すると、オプティは弾を見守りながら、機体を東へと旋回させていった。

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