琵琶太夫(びわだゆう)

@yuiotoya

第1話

ゆいおとや的大正浪漫文芸小品


琵琶太夫(びわだゆう)完結編。

少し長いけどよろしく。琵琶に関する記述は創作です。差別用語もありますがお許しを。


その1 按摩琵琶を知る


とても器用で芸達者だった私は15の時にはもう三味線とお琴それにお習字もほぼ上達してしまっていた。俳句結社(ゆめみずき)を主催して芸事の大好きだった母は小さなころから私にいろんな芸事を教えて楽しんでいたが私が母の想像をはるかに超えて芸事に熱中するのをこのごろは少し不安に憶えているみたいだった。


(おまえももう花嫁修業せんとな)

と言って音楽はもういいからお料理や裁縫を教えようとしたが私はそおいう実用的なことは大の苦手でばあやに押し付けてぼかりいた。


ある時天神様のお祭りのときに道のはしっこで琵琶を弾いてお賽銭をもらっている目の不自由そうな女の人がいて私はその人の琵琶とあまりにも悲しげな平家物語の節にしんから感激してどうしても琵琶を習いたくなった。


母に頼むと

(琵琶やら男の世界やけん女には似合わんよ)

としぶい顔をしたが一度言い出したら聞かない私は自分でかってに街を歩き回って人にたずねて琵琶の先生を捜した。

でもせっかく見つけてそこのお稽古を見にゆくと私がお祭りで聞いた琵琶とはぜんぜんちがっていて上手だけどちっともつまらない琵琶ばかしだった。私はあのときの身の氷りつくような調べがもう一度聞きたかった。


音楽のなおみ先生はすごく頭がよくて何でも知っているし何を聞いても変なんて言わないのでなおみ先生にその事を話してみた。


先生はすぐに

(みやちゃんが聞いたのはねそれは按摩琵琶ね)って教えてくれた。


なおみ先生によると琵琶には無数と言ってよいほどの流派があり天皇家を初めやんごとなき身分の方らが弾く源氏琵琶、天星琵琶。地域の名前を取った三島琵琶、名人の名前を取った村田琵琶。そして私が聞いたのは江戸時代に目の見えない人らが按摩や針をなりわいにして夜の道端に立って琵琶をかなでながら歌を歌い客を取ったところから発展した按摩琵琶というきわめて底辺の庶民のあいだに広まった琵琶だと言うことだった。


だから高い身分の人らからは白い目で見られ公けの行事でも弾かれることはないがその甘くせつない調べに引かれる人はたくさんいて按摩琵琶こそは最高の琵琶であると高く評価する研究家もいるとのことだった。先生は特殊な琵琶だからこの辺には教えてくれる人はいないかもしれないけど一応調べてみるって約束してくれた。一週間ほどするとなおみ先生がびっくりした声で

(いたよいたいたすぐ近くに)って耳よりの話を教えてくれた。


その(按摩琵琶)をできる人はうちから歩いて三十分くらいにある(庵身堂)の按摩師でしかも按摩琵琶で最高の位である

(琵琶太夫)

の位を持っている人とのことだった。だがずいぶん癖のある男で昔は何人かいた琵琶のお弟子さんたちもみなやめて細々と按摩で糊口をしのいでいるとの話だった。


母に言うと

(そんな目の見えんひとりもんの男のところにおまえを通わすわけにはいかん)

と反対されるのはわかっているので無鉄砲な私は母にもなおみ先生にも相談せずある日の学校の帰り道たったひとりで庵身堂を訪れた。その男の名前は伊吹源蔵とのことだった。


その2 伊吹源蔵との出会い


私が玄関をあけて(こんにちわ)と言うと

(誰や)と野太い声がしてガラガラとガラス戸が開き中から50がらみのいかつい男が出てきた。目は不自由そうだが全盲ではないみたいで半ば閉じた目で私をじっと睨み付けた。

(お嬢さんなんの用かい?まさかその年で按摩でもあるまいし)と言うので

(あのおっちゃんが琵琶の名人と聞いたもので、一度聞きたいと思って来ました)と言うと

(はあ琵琶?えらい変わったお嬢さんやなあまあがれや)

と家にあげてくれた。

一人暮らしの殺風景な部屋には按摩用の大きな木製のベッドとたくさんの針の束がありその部屋のはしには黒光りするすごく古いけどすごく美しい小さな琵琶がポツンと置いてあった私はそれだけでもううっとりしてしまった。


(おっちゃんおっちゃん弾いて弾いて聞きたい聞きたい)と言うと


(えらくせっかちなお嬢さんやな。まあ菓子でも食え)

と言って和菓子と番茶を出してくれたが私があまりにもうっとりして琵琶を見ているのでやる気が出たのか

(じゃあせっかくじゃけん一曲弾くわ)と言って

(平家物語の壇ノ浦)を弾き始めた。


源蔵がポロンと琵琶を一弦鳴らし壇ノ浦ーと歌いだすや否や私の全身から鳥肌がたって私の目から涙がどんどん出てきた。生まれて15年、こんなに美しくこんなに悲しい調べを聴いたことは一度もなかった。

15分ほど聞かせてもらって源蔵が琵琶を置くと私は思わず

(おっちゃんおっちゃん私この琵琶習いたい。教えて教えて一生懸命憶えるから)

って叫んでしまった。


源蔵はあきれた顔をして

(この琵琶はなああんたみたいなええとこのお嬢さんが習うもんやないで。それにあんたとこのかあちゃんが許さへんやろ)と言うので

(かあちゃんには黙って習いにきます)と言うと

源蔵はしばらく考えていたが

(まあ二三回も教えたらあきるやろう。金やらいらんけんまあ好きな時にきな。これ持ってかえり)と和菓子を包んでくれた。


その3 源蔵に陵辱される


私はそれから二週間のあいだに母になおみ先生からクレヨンの描きかた教えてもらえるようなったと嘘をついて三回源蔵に会いに行った。

源蔵は私が行くとニヤニヤして私をジロジロ眺めながら、まあ本当にきたんならちょっとは教えたるわと言って左手の柱の押さえ方、右手のバチの持ち方、バチを鳴らすときの力具合など初歩的なことを教えてくれたが、ほんとにちょこっと20分くらい教えたら、もういいやろと言ってまた和菓子を出して学校はどないや、など私から学校で起こったことのあれこれを聞きたがった。

私は仕方なくテルちゃんがお習字で一等賞を取ったこととか男子が騎馬戦でけがをしたこととか私にとってはどうでもよいことをアレコレ話したが源蔵はほうかほうかと言って面白そうに聞いていた。私はイライラして

(ちゃんと練習するからもっとたくさん教えて)

とねだると、源蔵はふっと口元に笑みを浮かべて


(あのなあ按摩琵琶ってのはなあ普通の楽器やないんや。目の見えん人のどえらい苦労やら平家の亡霊やら人の怨念がこもっとるんや。だけんどえらい想いをしたやつやないと弾けん琵琶や。悪いこと言わんけはよもう帰り母ちゃんに見つかったらどうするんや。)

(おっちゃんおっちゃんうちどんげんしてもこの琵琶が習いたい何でもするけん教えて)

(ほうそうかそうか何でもするんか。ほならちょいと後ろ向いて座ってみい)

源蔵はこころなしかうわずった声で私に言った。


私が言われたとおり源蔵に背を向けて後ろ向きに座ると源蔵はいきなり後ろから私を羽交い絞めにした。

(おっちゃんなんするんや痛いがな)

(なんでもする言うたな。ほならしてもらおやないか)

源蔵は私を押し倒すと着物のすそを凶暴にめくり私の足をむき出しにした。

(おっちゃんやめいやめい。おっちゃん罰あたるで)

私は恐怖に震えながら絶叫した。

(罰かよう言うたよう言うた。この琵琶はなあ罰のあたるような奴やないと弾けん琵琶じゃわい。おめえも思い知れ。世の中っちゅう奴は怖いところなんぞ。この小便娘が。)

股間に激痛が走り赤い血が流れた。

源蔵はこの馬鹿がこの馬鹿がとうめきながら私の中で果てた。


その日私は源蔵に三度犯された。

行為のあと黙って泣いている私の横で源蔵はキセルで煙草をうまそうに吸い一升瓶から酒をぐいぐい浴びるように飲んでグウグウイビキをかきながら眠り込んだ。

私は源蔵の家のタオルで体を拭いて源蔵の家を飛び出した。隣家のきじ猫が私にすりより耳を押し付けてきたが私は下駄で猫を蹴飛ばした。怖いほど赤い夕焼けが私をつつみこみ闇が近づいてきた。


その4 琵琶太夫になる


その事件の2週間後局部の痛みがやっと取れたころ私が琵琶に興味を持っていると母から聞いた母の俳句結社のゆめみずきの同人が私にもう要らないからと木目もあざやかな新品に近い赤い色の琵琶を私にぽうんとくれた。その鮮やかな赤い琵琶を手にした私は足が勝手に動いて庵身堂にフラフラと行ってしまった。


(おっちゃんいる?)

と言って私が古いくすんだ玄関を開けるとちょうど按摩のお客さんが帰るところで入れ違いに入ってきた私を見た源蔵は

仰天し青ざめむしろ恐怖にかられた目で私を見た。

(おまえ またなんしにきたんか?)

源蔵は私のうしろにもしや警察でもいるのではないかと警戒するような目で私の背後をも見た。

(おっちゃん私琵琶もろたんや)

私はふろしきを開いてその赤い琵琶を源蔵に見せた。

(おまえまだ琵琶習うつもりなんか)

(うんそうやうち琵琶もっと習いたい)

(おまえ正気かほんものの馬鹿なんか?)

(うち琵琶が習いたいそれだけや)


すでに女になってしまった私はどこか深いところで源蔵は二度と私にああいうことはしないだろう。そもそもヤセッポチで女としての魅力なんてぜんぜんない私の体に源蔵がほんとうはたいして興味を持っていないことを私は女の直感でわかっていた。それにもしも源蔵がまたあんなことをしてきたら源蔵のあそこを食いちぎってやろうと思っていた。

私は自分が恐ろしい女であることに始めて気がついていた。


(わかったわ。おまえには負けた。ちゃんと教えちゃるけんちゃんと練習せえよ。)


部屋にあがった私と源蔵はまるでこないだのことなど一度も存在しなかったかのようにその日からそれはそれは熱心に琵琶の修行を始めた。


本気になって琵琶を教えはじめた源蔵はそれまでのどこか投げやりなどうでもいいやくざな雰囲気が消えてビシっとしたでもとても魅力のあるいいおやじに変わった。


(そうじゃねえそうじゃねえ、そこはもっと強く撥を鳴らさねえと)

(ちがうちがうその壇ノ浦ーってとこはもっと低く歌わねえと雰囲気でねえだろうか)

(ええかこの琵琶を聴いてるのわなあ人間だけじゃあねえ。平家の亡霊たちもいっしょに聞いてるんだ。そのばけもんたちに言い聞かせるように歌うんだ)


普通のお稽古事としての琵琶では絶対教えてくれそうにもない奇怪な話も折り交えながら源蔵はいかにも嬉しげにキセルで煙草を吸いそのキセルで私の頭をたたいた。

私は(おっちゃん痛いやんか)

と言いながらも指から血がにじむくらい一生懸命撥をかき鳴らし懸命に歌を歌った。


週に2回半年ほど続いたその日々は16歳の私と52歳の源蔵の年齢を超えたたましいとたましいの共感する素晴らしい日々だった。


半年たったある日さあ最初から最後までやってみろ本当に客がいるつもりでやるんだ。俺がおまえの最初の客だ。と源蔵に言われて私は平家物語の壇ノ浦を約30分かけて丁寧に琵琶を弾き歌を歌った。源蔵は途中からポロポロポロポロ泣きだし演奏が終わるとウエーイウエーイと男泣きに泣いた。


(よくやったぜよくやったぜおまえ)

(どっかまちがってなかった?)

(まちがう?まちがいなんてねえさ。ああこんないい琵琶聞いたのは俺の師匠の朝顔文次郎先生いらいだよ。ああこんなに泣けるなんてああすげえよおめえ、俺よかずっとすげえ)


源蔵は泣きながら押入れを開けて大切そうに風呂敷をほどき巻物を出してきた。その巻物を開くとそこには墨の色も鮮やかにとても太いはっきりした文字で


(琵琶太夫)


と書いてあった。

そしてその巻物の下には伊筒検校 闇春検校 佐野安英門

春田真澄 安田佐助 朝顔文次郎 そして伊吹源蔵の名前が記されていた。


按摩琵琶はなこの七人によって伝承されてきたんだ。この巻物はな按摩琵琶の正当な後継者を記すんだ。ほかに誰が按摩琵琶を名乗ってもな、この巻物に名を記されたやつがほんまもんの按摩琵琶最高師範の(琵琶太夫)なんや。

ええか按摩琵琶第七代(琵琶太夫)の俺が今日指名するわ。今日からおまえが第八代(琵琶太夫)や。


(おっちゃん無茶言わんといて。うちまだ習ったばかしやんか。曲かてあんまし知らんし撥さばきも下手やと思う。そんなん琵琶太夫なんてあほらしいわ)


(琵琶太夫ちゅうのはなあ。)

源蔵はしんみりした声で言った。

(琵琶がうまいとか声がいいからもらえるもんやないんや。琵琶太夫はなあ。ほんまもんのたましいを持ったやつだけに授けられるんや。俺がやるんとちゃう。琵琶の神様がおまえを琵琶太夫にしたがっとるんや)


(おっちゃん?)

(ええけ ええけ)

源蔵は井戸から水を汲んできて墨をすり見えにくい目を細めながら巻物の最後 伊吹源蔵のあとに

(宮野みや)

ととうとう本当に私の名前を書いてしまった。


巻物の墨が乾くあいだなんとなく黙り込んだ二人の顔に障子のすきまから美しい夕日がさして私の顔を照りはぐぐんだ。

(ほらおてんとさまも喜んでるやないか。おまえの顔が観音さまになっとるぜ。


源蔵は巻物をいとしそうにクルクルと巻いてもうひとつ押し入れの奥からぶあついわらばんしを出した。


(これはなあ俺の書いた耳なし芳一の楽曲や。詩はついとるが曲はできとらん。これをおまえにやるけんいつかおまえが完成させとくれ。二人で最高の按摩琵琶を作るんや)

源蔵はまたキセルで煙草を吸うともう思い残すことはないかのように素晴らしく大きなあくびをした。

私は私という存在がこのわびしい生涯を送ったひとりの男がこの世に送り出した最高傑作になったことを悟った。私はいつのまにか源蔵を深く愛してしまっていてもう一度源蔵に抱かれてもよいと思った。


琵琶太夫の巻物と耳なし芳一のわらばんしをしっかりと抱きしめた私を源蔵はまるでとおといものを扱うようにゆっくりと玄関から送り出し

(そろそろちゃんと学校の勉強せなあかんなあ)

とまるで父親のような口調で言った。

それが今生の最後の別れになるとは夢にも思いもしなかった。

そのたった三日後に源蔵は酒の飲みすぎからくる脳卒中で死んでしまったからである。

源蔵と私の関係は誰も知らなかったから私がその事実を知ったのはすでに葬儀も終わり源蔵が荼毘にふされたあとだった。なおみ先生が(みやちゃん残念ね按摩琵琶の先生亡くなったそうよ)と教えてくれた。

それが私の初恋の終わりだった。


その5 琵琶界の寵児となる 北原白秋の小説のモデルになる。


源蔵の死んだあと私は表面は普通にしていたがこころは放心状態でただ暇さえあれば闇雲に琵琶のバチばかりかき鳴らしていた。母は俳人の直感で娘に何かとんでもないことが起こったことはわかっていたがそのなにかを理解することができず困惑していた。しかし母は私が部屋の片隅で庭の蝶蝶を見ながらかき鳴らす琵琶の音色にすっかり魅了されのちに有名になった


わが娘琵琶を鳴らせば白い蝶

つどいて舞ゆる花にも似て


を書いた。母は私のことを娘ではなく同等のいやそれ以上の芸術家として見るようになっていた。母は私の琵琶の才があまりにもずば抜けているので今度は積極的に私を琵琶の道にすすむようお膳立てしてくれた。


私のこころが少し普通に戻ったころ母の紹介で当時の琵琶界の頂点とも言える源氏琵琶の黛タネ先生に習うようになった。生徒はほとんどが公家や公爵の娘でみな器用でうまい子ばかりだった。俳句では有名な母の娘とはいえ庶民の私は場違いだったけれどはじめて皆の前で平家物語を弾いた時全員の顔色が変わり畏怖とも言うべき沈黙が生じた。

タネ先生がなにかとんでもないものを見つけた子供のような好奇な目で

(その琵琶はどこで習ったのか)と聞くので

私は(村祭りで聞いた琵琶の真似をしただけです)と嘘をついた。タネ先生は明らかにその嘘を見破っていたがそれ以上追及はしなかった。タネ先生はおだやかな声で

(雰囲気は素晴らしいが技術的には初歩だからこれからいっしょに源氏琵琶をを学びましょう。)と言ってくれた。


実際技術から言えば私はまだ素人に近かったしタネ先生の技術は神技に近かったから私は毎日長時間練習に明け暮れあっというまに誰からみても最高の腕前になってしまったが不思議と誰も私にやきもちは焼かなかった。家柄のよい娘たちにとって琵琶はしょせん花嫁修業の一環でしかなく琵琶に生涯をかけようなんて子は一人もいなかったのだ。みな私にはばか丁寧にやさしくそして敬遠していた。


女学校を卒業したあと私は事実上タネ先生の跡目扱いをされ先生のお付になって俳人や小説家の集まりなどで琵琶を弾くようになった。その中に当時非常に有名だった北原白秋がいて私の琵琶を聞くやいなや恐ろしく興奮してどこでその琵琶を習ったのか小説のモデルにしたいから是非話を聞かせてくれと口説かれ何度も断ったけれどとうとう根負けして京都の金閣寺のそばの料亭でこれまでのことを根堀葉堀話す羽目になった。


もちろん源蔵に犯されたことだけは黙っていたが源蔵に気に入られて琵琶太夫になったことを教えてしまった。執拗な白秋の追求に琵琶太夫の名を記した巻物があることまで話してしまった。


絶対実名は出さないし、按摩琵琶は針琵琶、琵琶太夫は琵琶かしらという言葉にするという約束で話したのに雑誌の

(大正時代)

が発売されると按摩琵琶は按摩琵琶、琵琶太夫はやはり琵琶太夫おまけに伊吹源蔵の名前までそのまんま出ていて私の実名以外はみなばれてしまった。しかも小説の題は

(天才少女の琵琶太夫)で一介の無名の少女が琵琶太夫の八代目を受け継いだという話が小説家の本能で気がついたのか源蔵との恋愛がらみで面白おかしく描かれていた。小説としては素晴らしいできだったけれど私はすごく傷ついた。源蔵とのあの素晴らしい日々を汚されたくなかったからだ。


罪なやつめと私は白秋を憎んだが

(罪なやつじゃあねえと弾けねえ琵琶なんだ)

という源蔵の言葉を思い出して私は白秋を許した。白秋は確かに私や源蔵に近い体臭を持っていたしあとで考えれば彼が姦通罪で捕まる少し前の出来事だったのだ。

小説は大反響を呼び琵琶や三味線や琴を扱う

(弦楽日本)

の記者があっというまに私を調べだしタネ先生も(按摩琵琶の正当性)を世間に知らせるためにもむしろ公表したほうがよいとの話になって私はいやだったけれど(弦楽日本)のトップ記事に琵琶太夫の巻物の写真ごと私は載りその記事を読んだ人たちは按摩琵琶の神秘性に興味津津で日本中から私の琵琶の演奏会に来るようになった。私は時代の波にのりあっというまに琵琶界の寵児になってしまった。


その6 秋野すずとの出会い。


普通に言えば私はとても幸運な女でたいした努力もせずいっきに著名人の仲間入りをしたわけだが私の心中は複雑だった。日本中の名士が集まる政治家の豪華な屋敷で胸に勲章をぶらさげた老人やドレスにダイヤモンドをこれみよがしにつけた女たちの前で按摩琵琶を弾き平家を歌い、みなが感動しておおと嗚咽をもらし涙ぐむのを見ていると何かが根本的にまちがっているような気がした。


按摩琵琶はこおいうおえらいさん達が聞くよりも昔私が村祭りで聞いたように世間のひかげでどえらい苦労をしながら誰からも相手にもされずひとり泣いているような人々のために人知れず弾き歌うほうがずっと良いように思われた。


こおしたおえらいさん達が葉巻をプカプカ吸いながらちょこっと流す嘘くさい涙を見ているとなんだか按摩琵琶それ自体が嘘くさくなるようでいやだった。


私は世間から相手にされずふてくされて酒ばかし飲んでいた源蔵がなつかしかった。源蔵という存在にはなにかひどくかけがえのないまっすぐなものがあってそれはほとんどの人がすっかり忘れさっているとても貴重なものであったことを私は悟った。そおして世間に絶賛されながら愁いにしずんでいる私の前に現れたのがあの有名な秋野すずだった。


明治の元勲大隈重信を祖父に持ち15歳で童謡赤いすず影で鈴木三重吉に認められ18歳で短歌集わらしべで与謝野晶子をうならせ文芸で頂点をきわめた後には琵琶の世界にも入りわずかなあいだに天皇陛下も愛好されている天星琵琶の奥義をきわめ奥野大三から免許皆伝を許された天才である。


なんの前触れもなくある日いきなり私の演奏会場に現れたすずは(秋野すずだ)(秋野すずが来ている)という人々のどよめきなどまったく気にもとめず演奏が終わるやいなやつかつかと近づいてきて

(宮野さん始めまして。秋野すずです)

と丁寧にお辞儀をした。

(御高名はよく存知ております。で私に何かごようで)

とても真面目な顔をしたすずは

(琵琶太夫第八代宮野みや様に直接琵琶を習いたいと思ってまいりました)

というので私は

(そげな馬鹿らしい。琵琶の腕なら私は秋野さんに及びもつきませぬ。習いたいのは私のほうですわ)と言うと秋野すずは首を大きく横にふって

(あなたの琵琶にはほかの誰にも出せない何か本当に特別なおもむきがあるのは誰でも知っていることです。どうか私に按摩琵琶の奥義を教えてください)

と熱心に頼むので私はこういう天才が按摩琵琶を習いたいというのも琵琶の神様のおぼしめしかもしれないと思い教えることにした。


当時私は東京に出てきて水道橋に住んでいてすずは青山に住んでいたからしばらくはすずは三日にあげず習いにきた。社会的な立場から言えばすでに名声を確立していたすずとぽっとでの私では断然すずのほうが上だったがすずは五つも年下の25歳の私にたいしとてもうやうやしく(先生 先生)と言って立ててくれた。しかし私はすずのやさしげな態度の奥に下心があるのを感じ取っていて本当にはすずを好きになることはなかった。


最初に思ったとおり技術的には教えることなどほとんどないので1ヶ月もすると教えることは何もなくなった。ある日

(壇ノ浦)を弾いてみてと頼み弾いてもらうとあまりにも演奏が完璧なので私は(もう教えることは何もないわ)と言った。するとすずは

(教えることが何もないなら私にも琵琶太夫を名乗る資格があるってことかしら)

とついに本音を吐いた。

私は(それは無理です)ときっぱりと言った。


すずは笑って

(誤解しないであなたから琵琶太夫の地位を奪おうなんて思っていないわよ。ただ琵琶太夫が二人いても誰も困らないんじゃないかと思っただけよ)

(東本願寺もあれば西本願寺もある。あなたと私が東西の琵琶太夫を名乗れば世間も喜ぶし琵琶界も活気ずくしいいことずくめじゃないかしら?)

そしてつぶやくように

(あなたの好きそうな大きないらない屋敷があるんだけれど)と屋敷のかわりに琵琶太夫の名をさずけてほしいと暗黙のうちに頼み込んだ。

(なんと言われても無理です)私は言った。

(琵琶太夫は琵琶の神様が選ぶもの。屋敷のかわりに授けるものとはちがいます。)

その言葉を侮辱と受け取ったすずは青ざめた顔で

(そうあなたは按摩琵琶を独り占めにしたいのね。永遠に琵琶太夫でいたいのね)と言った。

(なんと言われても無理なものは無理です。)

(わかったわ今までありがとう。でも琵琶の神様が私を選んだらどうする?)と言うので私は

(そしたら立派な琵琶太夫になってください)と言った。

私も恐ろしい女だったが秋野すずはもっと恐ろしくてもっと狡猾な女であることを私はすぐに知ることになった。


その7罠にかかり琵琶界を去る


2ヶ月後家で鹿の谷を練習しているところに琵琶友達の芳江がすごい勢いで飛びこんできた。

(えらいことやえらいことや。みやちゃんこれ見てみい)

芳江が発売されたばかしの(大正時代)の目次を見せるとそこにトップ記事で


(琵琶太夫宮野みやは偽者。真の琵琶太夫は秋野すずだった)


という特集が組んでいた。

呆然とした私が中を読むとその記事によると

宮野みやが伊吹源蔵から琵琶太夫を伝授されたというのは作家北原白秋のでっちあげであり白秋はいれあげている女の借金返しのためにひとはたあげたい宮野みやと組んで世間受けのする琵琶太夫を作り上げたとのことだった。明らかに現在姦通罪で獄中にいて反論できない白秋のすきを狙っての記事だった。


そして実は按摩琵琶の正当伝承者琵琶太夫7代目は現存して東北の山奥で百姓をしておりその百姓の山形半兵衛が秋野すずの演奏に感動して秋野すずに琵琶太夫8代を譲ったとなっておりどこで偽造したのか江戸時代から伝わる琵琶太夫の継承者の記された別の巻物が写真つきでのってあり第八代琵琶太夫秋野すずの名前が堂々と朱で記されていた。

さらに念入りには著名な古文書学者の立命館大学博士是川守による鑑定書までありさらに琵琶界の大物三名による

(宮野みやは素人どうぜん。あんなものを本物の琵琶と思っては困る)みたいな記事までついていた。


その記事を読んだ私は笑った。腹をかかえて笑った。

(みやちゃん大丈夫か?ショックで気が変になったんか?)

心配する芳江に向かい私は

(ええんよこれでこれでええんよ。按摩琵琶は世間様の見えないところで暗く咲く闇の琵琶。それがほんまもんの按摩琵琶なんよ。これはねえ芳江ちゃん。ほんまもんの按摩琵琶を守れっていう琵琶の神様からのおたっしやわ。これでええ。これでええ。)

芳江はわけのわからない顔をして秋野の奴裁判にかけてやるとか言っていたが私は何もしなくていいと言った。その日を最後に私は琵琶界を引退した。

その後第八代琵琶太夫を名乗る秋野すずによる按摩琵琶はたくさんの入門者をかかえ隆盛を誇ったがその音色はいつしかほんまもんの按摩琵琶とはかけはなれていった。だから現在世間で按摩琵琶と言われているものはすべて秋野すずから派生したものでありほんまもんの按摩琵琶ではないのだ。


その7書道の師範になる。静かな日々


26歳で琵琶界を引退した私は琵琶で生計を立てることを止めお習字の先生になった。私は琵琶の世界での経験でいわゆるプロの世界での足のひっぱりあいやねたみやそねみやそうした馬鹿らしいことにすっかりうんざりしていたのでただ普通にお習字が習いたいだけのこころのやさしい娘たちに書道を教えることのほうがずっと自分の気質にはあっていた。


私が引退してからもみやちゃんの琵琶が聞きたいとの声は強く遠くからお習字の教室にまで琵琶を聞きたいがためにだけくる人もいて私はそおした根強い一部のファンのためにだけ琵琶を弾いた。


私は別に自分からすすめはしなかったけれど習字の生徒の中から琵琶も習いたい子たちが何人もあらわれ私はその子たちからお月謝もとらず全部ただで教えた。私の中には源蔵から教えてもらったとおりの正しい按摩琵琶を世に伝えたい気持ちがあってプロでないこの子たちのほうがずっと正しく伝えられるような気持ちがした。私の教えた生徒達が学校や村祭りで病気や貧乏で芸事などに縁のないさみしい人たちに按摩琵琶を弾いてくれるのが私には嬉しかった。生徒達から何か名前がほしいと言われてしかたなく宮野みやの名前をとって(みやびびわ)という流派を作った。だから今日本のあちこちでひそやかに演奏されているみやびびわこそがほんまもんの按摩琵琶なのだ。


私はある種伝説的な存在になっていたから私のファンの男たちは私に本当に恋人がいないことを知るとみな求愛にきた。帝国大の医師などねがってもいない相手もいたが私は一度は個人的に会っても二度とは会わなかった。どれもこれも源蔵に比べたらちっとも魅力のない男ばかしだった。父は死においぼれた母には申し訳なかったが私は誰にも嫁げそうにもなかった。書道もあまりお金にはならなかったし私はしだいに貧しくなっていったがあまりそのことを哀しくも思わなかった。むしろよい按摩琵琶を弾くためには貧しいほうがいいみたいな気持ちがしてた。母は自分が俳句道楽ばかししたからおまえがこんなになったんだみたいに嘆いたが私は


貧しさに書を詠みかき琵琶ぞ弾くこの喜びや天子もしらめ

と母にかいてやり母も

わが娘風流の道あゆむ母も誇りに思いまする

と返して二人で笑いあった。

その母も私が35歳の時に他界した。


その8 矢車一太郎との出会い。琵琶太夫の跡目を探す。


ほそぼそながらもお習字教室は続いてゆき生徒たちからも愛されて私はひとりぼっちだけどしあわせだった。口さがない町のものは

(あの若さで男がいないはずはない。パトロンがいるに決まっている)

と噂していたがもう何年も二人きりで会った男は一人もいなかった。私は男のことよりもすごく気になっていることがあってそれは按摩琵琶、琵琶太夫第9代つまり私の後継者を見つけることだった。

すでに世間では琵琶太夫の名は秋野すずに取られてしまっていたから今更後継者を創っても世間的には無意味なことだったけれども私は私の代でほんものの琵琶太夫が絶えてしまうことがすごく源蔵に悪い気がした。だけど私のお習字の生徒たちはみなこころのやさしいいい子ばかりだったけど罪を犯してでも按摩琵琶を弾きたいような極道な子はひとりもいなかったから彼女たちに琵琶太夫をゆずるわけにはいかなかった。

私が40歳をすぎて頭に白いものがまじりはじめたある寒い雪の日にその若い男は来た。

ごめんくださいと言っていきなりその若い腕に龍の彫り物がある男が入ってきたとき私はその男に若い日の私が持っていた何かを感じてはっとした。


(ここはお習字教室よ。やくざのお兄さんが何の用かしら)

(実はここの師匠が琵琶の名人と聞いてきたんです。)

男は言った。まるで16歳の私のように。

(あんた琵琶が聞きたいの?)

(聞きたいのもありますが習いたいんです)

(やくざのあんたが何で琵琶なんて習いたいの?)

(なんていうかその)

(なんかわけがありそうね。まあおあがり)


私は無用心にも一人所帯の家にそのやくざものの男をあげてやり和菓子と茶を出してやった。昔の源蔵と同じことをしていた。

(なんで琵琶を習いたいの正直に言ってごらん)

(俺は俺は)

その矢車一太郎と名乗る若い男は覚悟を決めたように話はじめた。

(俺は人をあやめたんです)一太郎は言った。

(組同士の抗争の中のことだから何がなんだかわからないままに刺してしまって相手は死にました。だけど誰が刺したのか警察にはつかめず俺は釈放されました。でも間違いない刺したのは俺です。)

(ふうんそれが琵琶とどう関係するの?)

(師匠の琵琶には亡霊を供養する力があるって聞いたから俺は琵琶を習って俺のあやめた相手を成仏させたいんです)

(もうやくざは足を洗いました。師匠はすごい人って人に聞いてそれで来たんです。金はちゃんと払うから俺に琵琶を教えてください。)


やくざと言うにはあまりに繊細な雰囲気を持った一太郎に私はどことなく引かれ弟子入りを許可した。一太郎は若い女なら誰でも飛びつきたくなる美形の男だったから生徒達は私が若い男に岡惚れして引きずりこんだと思っていたみたいだが私はただ人をあやめた彼の重いこころがひょっとしたら琵琶太夫をつがせるだけの器量を彼に与えたのではないかとほのかに期待したのだった。だがその期待はすぐに裏切られた。


一太郎は非常に器用な男で五回ほども稽古を繰り返しただけで琵琶の基本を覚えてしまった。私は彼の進歩が嬉しかったが一太郎が私にほれかかってきてるのを感じるようになって少し困ってもいた。

正直に言うと私もまんざらではなかったのだが源蔵の時とは何かがちがう気がした。一太郎には源蔵の持っていたような恐ろしくまっすぐななにかはないような気がした。私は彼のことをもう少し知りたくなった。


ある日の稽古の終わり私は少しめまいがして立ち上がろうとしたがフラっと倒れてしまった。

(師匠大丈夫ですか?)

駆け寄ってきた一太郎の手を私は握りおこしてもらった。

(書道の展覧会が近いから疲れただけ大丈夫よ)

と私は言って彼の手を離そうとした時一太郎は私の手を離さずに私を抱き寄せた。


(あんた何するんや)


(師匠好きやあんたが好きゃ。頼む俺と所帯持とう。お互い一人やないかええやんか俺ちゃんと働くさかいお願いや)

(あんた何言っとるん供養はどうなったん?)

(もう供養やらええ。ないっしょになろ。)

そして一太郎は私の着物をはごうとしたが私は近くにあった煙草のキセルで一太郎の頭を力一杯叩いた。一太郎はうしろにのけぞった。

(おまえ何考えとるんか)私は言った。

(私はこう見えても琵琶太夫第八代目宮野みやや。おまえみたいなやくざもんに抱かせるからだやない)

(師匠すんまへんすんまへん。師匠が好きやから俺頭がおかしゅうなって)

一太郎はひっくりかえったままの姿勢でよわよわしげに呟いた。

(もうええけはよ帰り。)

私は昔の源蔵みたいに何事もなかったかのような顔をしてキセルにしんせいを入れ火をつけた。

(壇ノ浦ちゃんと憶えてきいや。あそこが山場やけ)

(へえ)

と言って逃げるように一太郎は私の家を飛び出し私はこの男はもう二度とこないだろうと思いそしてやっぱり彼は来なかった。


所詮琵琶太夫になれるような器の男ではなかったのだ。


もしも私がキセルで頭を殴り歯で一太郎の腕をかんでも一太郎が止めず私に襲い掛かり私を強引に犯したら私はもしかしたら一太郎の女になったかも知れないし琵琶太夫の跡目を譲ったかも知れない。だけど一太郎は子供みたいに謝って逃げたから所詮はそれだけの男だったのだ。私は琵琶太夫は私が最後かもしれないと何となく予感した。


その9気違いババになる


戦争が始まり戦争が終わったとき私は60歳になっていた。誰もが食べることだけに必死の時代悠長に書や琵琶を習いたいような子はどこにもいなかった。

細々と掛けていた年金制度も崩壊し先祖伝来の土地も没収され私は60にもなって女乞食同然になってしまった。おまけに進駐軍のジープにはねとばされて顔面に大怪我をした私は傷が治ってみると総白髪の頭に醜く歪んだ鼻と唇を持つ妖怪のような姿に変わり果てていた。


これがその昔政治家や帝大教授華族などの前で歌い弾いていた宮野みやその人などとは誰もが信じられなかっただろう。

闇市が横行し女達が米軍の男達に春を売っている中私はただひとつの財産である琵琶をたずさえて路上に立ち按摩琵琶を弾き壇ノ浦を歌った。

ふと気がつくと私のまわりにはたくさんの片手片足のない旧日本軍の傷痍軍人たちが取り巻きみんな泣いていた。

彼らは自分達のわずかな食料の中から茶碗いっぱいの米やうどん酒などを喜捨してくれて私はかろうじて飢えをしのいでいた。ときどき昔の生徒達が心配してたずねてきて皆私の変わり果てた姿を見て泣いたが私は悲しくなんかなかった。私は今からが本当の私の按摩琵琶を弾き歌えるのだと喜んでいた。それにいつも誰かが私を守ってくれているのを感じていた。


戦後の混乱が落ち着いてきたころ今は衆議院議員になった秋野すずが突然私の陋屋を訪ねてきた。昔の悪事がばれ政治生命が絶たれるのを極端に恐れていた秋野はいらないという私に無理やり八幡製鉄の株券を押し付け

(墓場まで秘密は守るように)

目で私に指図した。私にはどうでもいいことだったから私は大きくうなずき安堵した秋野議員は帰っていった。私はその株券でアパートを建てその家賃収入で生計を立てることができるようになった。


もう書道も琵琶も教える気はなくなっていたし第一こんなおばけみたいな老婆に習いたい人などいるはずもなかった。

私は奇跡的に焼かれずに済んだ源蔵の残した耳なし芳一にやっとゆっくりと曲を付け出した。誰に聞かせるあてもないのでただ自分と源蔵のためにだけこころをこめて曲を作った。春が過ぎ夏がすぎ秋の終わりに伊吹源蔵作詞宮野みや作曲(新耳なし芳一)が完成した。

それは実に素晴らしい曲で琵琶の歴史を塗り替えることは確実だったがいまや琵琶界にひとりも知人のいない私には世に出すすべはなかった。私は古い廃屋にとじこもり毎夜毎夜自分と源蔵のためにだけ琵琶を弾き歌を歌った。


最終会。その10 亡霊たちに招かれ神社仏閣をさすらう。源蔵と再会する。


緑内障がひどくなりほぼ失明し自分自身が耳なし芳一みたいになってしまったある夜廃屋をにぎやかにノックしてまだうら若い女の声が(頼もう頼もう)とひどく時代がかった声が聞こえた。

(こんな遅い時間に何の用だい)と聞くと

(ご主人さまがあなた様の琵琶を聞きたいと所望しています)とまるで耳なし芳一のセリフの通りのことを言うので私はおかしくなって

(あんたあこの世の人じゃあないね。平家の亡霊かい)と聞くと

(いいえわたくしどもは源氏のものです)と言うので

(源氏のものが平家を聞きたいのかい)と聞くと

(あれから長い時がたち恨みは晴れています。今日は平家源氏むすびの日に天下一の名人のあなた様を呼びたいとこころからの衷心であります)と言うので私は火のたまかなにか知らない幽冥界のものにいざなわれ宴席に出て平家を歌った。亡霊たちは感極まってみな泣き私も嬉しくて泣いた。とうとうほんまもんの按摩琵琶を弾くことができた喜びでいっぱいだった。


その日からほとんど毎夜のようにきまって12時をすぎると異形のものたちが私の家をノックし私はいざなわれるように毎夜毎夜各地をさすらった。ほとんどは古いあまり人の来ない神社や仏閣で私は古い木目の神殿の中で声を限りに平家や芳一を歌った。目が見えないのでよくわからないがたまに人間にもすれちがっているようで

(ギャーおばけやおばけや)などと叫びながら駆け出す男の声なども聞いた。人間ってどこまで腰抜けなのか私はおかしくてならなかった。


そおして三年が過ぎ最後に広島の原爆ドーム近くの墓地で芳一を演奏してから私は病いにつき寝たきりになった。亡霊たちも遠慮したのか来なくなり私は死期が近づいたのを悟った。ある夜口から大量の血を吐いて

もはやこれまでと思った私は湯をあび身をきよめて白装束に着替えて私だけが知っている花乱の滝の霊場の奥にあるほったて小屋に向かった。夜の闇の中白い薔薇や赤い薔薇が爛漫に咲き誇っていて私の旅立ちを祝ってくれているようだった。ときどき薔薇のとげに刺されながらほったて小屋の中に入ると思ったとおりそこに源蔵が座っていた。


(おっちゃん久しぶりやなあ)

(すまんかったなあ。おめにゃどえらい苦労ばかけて)

(そんなんどうってことなかよ。いつもおっちゃんがそばに居ったけん)

(なんや知っとったんか)

(あたりまえやんか。わておっちゃんの詩に曲つけたで)

(おうありゃあすごい作や。歴代の琵琶太夫もみいんなえらい感心しておめえのために琵琶太夫よかもいっこ上の琵琶天子の位をさずけようって相談しとるところよ。)

(なんその変な名前てんご言うて)

(てんごやないほんまの話や)

(そんなんどうでもいいごめんな9代目見つけきらんで)

(もう9代目やらいらんいらんわしとお前二人で十分やろ)

(うん十分十分)

(おまえいい女になったなあきれいやなあ)

(なん顔のただれたばあさんやん)

(おまえ世界一きれいわや。なんか)

(なんか?)

(いやその)

(抱きたいんか)

(女のおまえがゆうていいんか)

(抱いたらええやんか。わておっちゃんのこと好きや)

(おっちゃんもおまえが好きやほなら夫婦になるか?)

(うんなろなろ)


晩年気違いババと恐れられた第八代琵琶太夫俗名宮野みやの死体が発見されたのはそれから半年も過ぎた春の日だった。不思議なことに腐乱した肉のあともなく白装束に琵琶を握った白骨がとてもきれいに光っていて刑事たちを驚かせた。


昔の生徒達や真言宗の坊主が呼ばれ般若心教を唱えているあいだ荘厳としかいいようのない美しい琵琶の音が誰ものこころに聞こえてきてみな涙ぐんだ。かえりしなに刑事の一人が同僚に(なんかさっき琵琶の音聞こえんかったか)と聞くと

(なんかそんな気したけど滝の音やなあ)と答えて問うた刑事も(そうやなあ滝の音やなあ)と答えた。滝のそばの小枝にかわいいウグイスが二羽仲良く並んで止まっていた。もう昼時だった。


これが最後の琵琶太夫宮野みやの生涯の物語です。

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琵琶太夫(びわだゆう) @yuiotoya

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