「……駄目だよ、ね」

 盛大な拍手の音に、志穂はようやく我に返った。見上げた先で、手塚が深々と頭を下げている。答辞もこれで終わりのようだ。

 元生徒会長として最後の務めを果たし、壇上から去っていくその姿を、志穂は何処か誇らしげに見送った。彼の晴れ姿を見届けられた安堵からだろうか。堪えていた涙が、ほろりほろりと流れ落ちていく。

 涙を誤魔化そうと慌てて俯いた視界の端で、横髪が頼りなげに揺れる。その髪を掴んで、志穂はゆっくり呼吸を整えた。

 不安に思っている場合ではない。まだやることが残っている。


 さあ、最後の挨拶に向かうとしますか。


 卒業生退場というアナウンスと共に、志穂はゆっくりと立ち上がった。



 クラスメイトや担任教師との最後の別れを済ませた後、志穂は生徒会室へ向かった。現生徒会長や副会長、後輩たちにも挨拶をというのは建前で、求めていたのは、ただ一人の姿。

 といっても、直接彼のクラスに乗り込むまでの覚悟と勇気がまだ持ちきれず、結局遠回りで攻めている辺り、志穂の悪足掻き癖がここでも出てしまってはいたが。

 会う人会う人にぎょっとした顔をされ、あれこれ詮索されたが、志穂はその全てを笑って受け流した。慣れていないのは、志穂も同じ。横髪を弄びながら曖昧に笑う。

 ただ生徒会室に、求めるその姿はなかった。後輩たちにそれとなく聞いてみたが、手塚はまだ生徒会室に顔を出しに来てはいないらしい。

 このまま待っていれば会えるとは思うが、如何せん生徒会室では人目が多い。志穂個人の決着の場に、ギャラリーは好ましくない。


「じゃあ、わたしはこれで」


 後輩たちに盛大に見送られながら、志穂は生徒会室を後にする。

 今度こそ、手塚のクラスに行ってみようか。でも、まだクラスメイトたちもいるだろうし、そんな状況でどう声を掛けたら。


「……少し、外の空気でも吸って落ち着こう」


 階段を降り、一階の渡り廊下に出る。中庭と裏庭と区切るように渡された廊下の中央で立ち止まり、志穂はほうっと深呼吸を一つ。

 中庭では、卒業生たちが最後の記念撮影とばかりに、カメラを持ってはしゃいでいる。

 一方、裏庭の方は、驚くほど人の気配がなかった。ただ春風が静かに木々を揺らすばかり。

 両極端の世界の狭間で、志穂は今日まで散々考えてきたことを、もう一度自身に問いかける。


 果たしてわたしは、手塚くんに会いたいのか。それとも、会いたくないのか。


 会いたい。会って、ちゃんと自分の気持ちを伝えたい。

 会えない。今更会って、どうせ報われない想いを伝えたところで、何になるのか。


 心の中で、未だに二人の志穂がせめぎ合って、足が竦む。今になってまた臆病になる自分に嫌気が差す。

 折角、手塚の好みに合うようにしてきたのに。その頑張りすら無に帰して、今のこの姿を見せずに済ませてしまっていいのか。


「……駄目だよ、ね」


 今日で最後だ。もうこんな機会は二度と訪れない。ならば。

 言い逃げでもいい。自己満足でもいい。想いが受け入れて貰えないのは分かっている。それでも、長年の片思いに終止符を打たなければ、新しい道へは踏み出せない。


 だから、決着をつけなくては。


 何度目かの深呼吸で、ようやく志穂は覚悟を決めた。

 とにかく、今度こそ彼のクラスに行こう。そこから先は、出たとこ勝負で。

 ぎゅっと拳を握り締めて、一歩を踏み出す。歩幅は小さいけれど、志穂にとっては大きな一歩を踏み出した、その時だった。


「───国枝!」


 求め続けた彼の───手塚の声が、志穂の足を再び止めた。

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