「この髪ね、手塚くんが、短い髪の方がいいって言ってくれたから、思い切って切ってみたの」
手塚に「彼女」という別枠の相棒ができてから、志穂はこれまで以上にストイックに副会長としての責務を果たそうとした。手塚の前では努めていい相棒であろうとした。
せめて、生徒会活動をしている間だけは、誰よりもそばに。
それは、半ば意地で、そして悪足掻きでもあった。
でも、文句は言えない。手塚本人が結論を出したとは言え、彼に彼女を作らせる最後の後押しをしてしまったのは、他ならぬ志穂自身。罰を受けている心持ちで、志穂は最後まで手塚のそばで副会長として立ち続けた。
幸いと言っていいのか、あの日以来、手塚自身の口から彼女の話が出てくることはなかった。元より手塚は口数が少ない方だし、わざわざ彼女のことを話す性格でもない。お陰で、生徒会の仕事はやりやすかった。
もし、彼女に対する惚気を一つでもされたら、発狂していたかもしれない。
勉強と、そして生徒会のことに、とにかく集中した。その他のことに目を向けずに済むように。
例えば、校内を彼女と二人連れ立って歩く手塚の姿だとか。
例えば、休日に彼女とデートでもしている手塚の姿だとか。
例えば、そんな手塚を今頃独り占めしているのであろう彼女のことだとか。
心の中でずっと泣いている自分の恋心にも目を向けず、ただひたすらいい副会長であり続けた日々。
でも、ただ一度だけ。本気で心が折れそうになったことがある。
前後のことは正直覚えていない。恐らく、生徒会関係のお使いをしている途中だったのだろう。件の手塚の彼女と廊下ですれ違った。手塚の恋人となってからの彼女を間近で見たのは、思えばあの時が最初で最後だったように思う。志穂が徹底的に彼女に会わないようにしていたというのもあるが。
長い黒髪が目立っていた彼女だったが、その時の彼女は髪をばっさり切り、すっきりとしたショートヘアになっていた。だから、志穂も最初は彼女が手塚の相手とは気が付かなかった。故に、避け損ねてしまった。
近付いて、初めて「彼女」だと気付いた時には遅かった。彼女は一瞬、志穂の方に視線を向け、意味ありげな笑みを浮かべた。
そして、短く切った髪を手櫛で整えながら、隣を歩いていた友人に笑いかけた。
「この髪ね、手塚くんが、短い髪の方がいいって言ってくれたから、思い切って切ってみたの」
「へえ。そうだったんだ。随分思い切った髪型でと思ってたけど、なるほどね。手塚会長、短い髪の子が好きなんだ」
「そうなのよ。似合う?」
「似合う似合う。会長も惚れ直してくれるんじゃない」
「やだ、もう~!」
きゃっきゃと賑やかな笑い声が志穂の横をすり抜け、遠ざかっていく。
その時の、すれ違い様の視線に、志穂は足を縫いつけられたかのように動けなくなった。
彼女の視線は、間違いなく勝ち誇った、自信に満ちたそれだった。そして、明らかな悪意を持って、志穂をずたずたに切り裂いた。
そっか。そうなのか。
だから、わたしは異性として見て貰えないのか。
俯いた視界の端で、長い横髪がさらりと揺れる。
中学の頃から、志穂の髪型はずっと変わらない黒髪ロングヘアだ。手塚の彼女が以前していたのと同じ髪型。特に拘りなくただ伸ばしていただけのロングヘアが、今は酷く恨めしかった。
きっと彼女は気が付いていた。志穂の手塚を見つめる視線に、何が混じっていたのかを。
だから、敢えて志穂の前で髪型の話をしたのだ。
身の程を知れ。あなたなんか、ライバルにもならないとでも言うように。
分かっている。分かっているよ。
わたしが、戦う前から負けてたことくらい。
廊下に張り付いたままの足を無理矢理剥がすように持ち上げる。
今は、とにかく仕事をしなくちゃ。副会長として、できることをしなくちゃ。
気力だけで足を動かし、その残り少ない気力だけで、この日は何とか乗り切った筈。後のことは、あまり思い出せないけれど。
ただ、その夜だけは、声が枯れるほど泣いた。泣いて泣いて、泣き疲れて眠るような、そんな有様だった。
幸いだったのは、それが金曜日だったこと。お陰で泣き腫らした醜い顔を、手塚の前に晒さずに済んだ。
その後も、志穂はただ誠実な副会長であり続けた。彼女と面と向かって会うこともこの後はなかったし、馬鹿正直に手塚の好みに合わせて髪を切ったりもしなかった。中学生の頃から貫いてきた姿で、貫いてきた役割を果たし続けた。
そして、三年生の秋に無事に生徒会副会長を引退。後輩に後を引き継いで、今に至る。
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