ゴールデンな帰る場所は
八月某日。夏休み真っ只中の俺はカンカン照りのお外から逃げるように室内へ退避し、
「ほふははへへひはへはひほ?」
「飲み込んでから喋れ。何言ってんのかわかんねー。ほら、クリームついてんぞ」
クーラーがキンキンに効いた店内にて、目の前のゴールデンなアホ、東雲千華の頬を紙ナプキンでサッと拭き取った。
それにしたってどんな勢いでケーキがっついたら頬に生クリームがベッタリつくんだよ、なんて呆れ半分で。
でも千華だから仕方ないか。アホだし、と諦め半分で。
どうだっていい感情を、物心付いてからもうずっとの習慣的に、反射的にブレンドしてから、氷が半分くらい溶けたウーロン茶を啜った。
「奏太はケーキ食べないの?」
「俺はお前ほど甘いものが腹に入らないの。それ何個目だよ」
「うーん、数えてないけど多分大丈夫だよ! 10個は超えてないはず、多分!」
千華の皿には色とりどりのクリームがそれぞれちょびっとずつ残っている。彼らがそこに存在した証みたいなものだが、はてさて頭の中で指折り数えてみるに今の千華の証言すら怪しく聞こえてくる。生クリーム、カスタード、チョコレートクリーム、抹茶……お前の胃袋は異次元か。
「そんだけいろんな種類のケーキ食ってて味混ざったり、わかんなくなったりしねーの?」
「ん?」
流石は不動の学年首位の天才。金色の記憶力を十全に活かして、先程の反省から口を開くためにお口をもぐもぐしているっぽい。偉い偉い、ということで5アホポイントくらい進呈しておいた。
数秒後、千華はごくりと喉仏を大きく上下させてから、すごくジトッとした目で俺の顔を見つめると、
「奏太、今あたしにすごく失礼なこと考えてなかった?」
「別に今に限った話じゃないぞ。千華がアホだなって生まれた瞬間からずっと思ってるけど?」
「アホって言うな! アホって言った方がアホなんだぞ!」
「けどお前今アホって3回も言ったじゃん。3アホじゃん」
「だーかーらー」
「おい千華、お待ちかねのプリンロールが来たぞ」
「え、うわっ、やばっ」
トッタッタッと席を立つ千華。が、皿を持っていくのを忘れていたらしく1度戻ってきた。そのまま身を翻して足を急ぐ……やっぱりこいつアホだろ。
スイーツパラダイス、要するにビュッフェ型のスイーツの食べ放題チェーン店だ。そんな場所に、俺だけが連れ出されて、今は千華とふたりで。
……正確に言ってしまえば、千華は自分の世界に入って甘味を満喫しているも同然なので、ぼっち×2で夏休みのうちの1日を謳歌している。
濁したけれど、それでも疑問に思うことはやっぱりある。こういうお店に行きたいなら、相方役は夏菜が筆頭、次点美優で、俺が来るとすれば修も元気もセットだってのがお決まりなはず。
事実今の俺は、ケーキは最初の2つで満足に、フォークでペペロンチーノをクルクルと巻いては口に運ぶ動作を繰り返している。まあ、これはこれでそこそこいけるから、この店に不満があるとかそういうことではなく。
不満があるとすれば、それは俺だけをこんな場所に唐突に連れ出した千華に対してで、とどのつまりは何故かその理由も問えず、歯切れの悪い二つ返事で了承してしまった自分自身の中途半端さに対してだったりもして。
多分たいした理由はないんだろう。千華は日本に戻ってきてから、ゼンマイをいっぱいまで巻いた人形みたいに忙しく騒がしく夏休みを満喫し出した。千華のバカンスの一環に俺は巻き込まれたってだけで、そこにさしたるワケなんてある方が本来不可思議なはずで。
冷静になってみれば、このアホがそういうやつだってことくらい、少なくとも俺にはわからないはずもなくて。
だから、俺には何がわからないのかがわからない。それが気持ち悪くて仕方なくて。
「……た、奏太」
「お、千華……なんだよ」
気がつくと、千華は身を乗り出して俺の顔をジロジロと見ていた。
「俺はお前みたいに生クリームを口端に付けてたりしないの。そんなマヌケじゃないから」
「奏太、大丈夫?」
「大丈夫、って……何がだよ」
「うーん。……大丈夫じゃなさそうに見えたから?」
「疑問形に疑問形で返すな、学年成績トップ」
人差し指で軽く千華の額を弾いた。あたっ、と声を出して額を手で押さえる千華。この光景も、もう何度と見たっけ。デコピンもちゃんと数えたら3000回くらいはしてそう。千華なら覚えてねーかな。
「さてはあれでしょ、あたしが1週間いない間に寂しくなっちゃったんでしょー! ほら、あたしって可愛いし、みんなを照らす太陽みたいなところあるじゃん? やっぱりあたしがいないとみんな寂しがっちゃうのは仕方ないよね! うひひひ」
「……そうだよ」
「………………へ?」
人とは思えないような奇声をあげて勝ち誇っていた千華が、キョトンとした表情で目をパチパチとさせた。何が起こったのか全くわかっていない顔。勝機ここにあり、だ。
「俺、千華がいないとやっぱり寂しいからさ。ずっと一緒に暮らしてたからかもな。千華がいなくてもなんも変わんねーと思ってたんだけどな」
「……っ、ちょっ、え、いや、ストップストップ! 奏太…………」
「……とでも言うと思ったか?」
「ねえもう奏太ぁ! やめてよ! 変なもの食べちゃったのかなって心配したじゃん!」
「心配する方向性がおかしいだろ。俺だって考え事してる時くらいあるわ。ぼーっとしてるのはだいたいそれ」
「そんなこと知ってるよ」
「はあ?」
「いつからだろ、奏太、考え事してる顔になるのが多くなったよね」
「いつから、って千華でも覚えてねーことあるんだな」
だとするとデコピンの回数も覚えてなさそうだ。これで何回でもデコピンできるから安泰だな。
「そうそう、不覚ながら覚えてないんだけどさ。でもそういう奏太の顔は覚えてるの」
「だからお前は何が言いたいんだってばよ」
「だって、さっきの奏太、考え事してる顔とちょっと違ったから。あたしには奏太が何考えてるのかわかんないけど、考え事してる顔じゃないように見えたから」
顔がひきつりそうになるのを必死に抑えた。漠然とした、俺ですら捉えられない不安をこいつに投げても何の解決にもならない。そもそも問題すら存在してないんだから俺には何もできない。何も考えるな、何も感じるな俺。いつも通りの俺、ポーカーフェイス気取って、スマホいじってる俺でいい。
「しいて言うなら不安なことはあるぞ」
「へえ、なになに?」
「だってこれからは千華が朝メシ作んだろ」
「えっ、待って! そんなこと聞いてない! あたしそんなこと言ってない!」
「らしいですよー、ケイトさーん」
ポケットからスマホを取り出して耳に当てる素振りをした。慌てふためいてスマホを奪いにくる千華に、真っ黒な画面を見せる。ブラックアウトしっぱなしの液晶には、あっかんべーをした千華の顔がしっかり映ってたはず。写真でも撮っておきゃよかったな。
「だからな、しいて言えばって程度の不安ですらこんなもんなんだし、俺は大丈夫なんだよ。お前こそなんかおかしなもの拾い食いしたんじゃねーの?」
「失礼な! あたしだって流石に拾い食いは…………」
「なあ、してないよな? 流石にしてないよな?」
「してないよ! してないしてない! してないって!」
「今の謎の空白には突っ込まないことにしておくわ。もはや聞きたくねえ……」
千華が唇を尖らせてる間に、氷だけになったグラスをストローでクルクルとかき混ぜる。取りに行くにしても、そんな気分じゃなくなってしまった。
「じゃあさ、奏太は夢とかないの?」
「夢って言われたってなあ」
世界を救う勇者だったり、難事件を颯爽と解決する名探偵だったり、そんなものに憧れていた時期が、なかったと言ってしまえば嘘になるけれども。
そんな夢物語に現をぬかすようなお年頃でもないのもまた悲しい現実で。
だいたい、夢があるのが普通なんかじゃないんだと思う。もしも夢があるのが普通で、夢がないのが特殊なんだったら、千華が普通で俺が普通じゃないってことになるし。それはきっと誰もが異論するところだと俺ですら思うわけで。
「千華には夢があるんだろ?」
「うん、教えないけどね!」
「俺に夢があるかないかだったな。答えは「ない」だ」
「えーー、そんな難しくなくていいんじゃないの。もっとこう、やりたいこととか、してたいこととか、そういうのでいいんじゃないの」
「俺のやってたいことねえ……休日はゴロゴロしながら録画したアニメ見て、漫画眺めて、とかそんな感じだけど」
「そうそう! それも夢だよ!」
「夢ってったって、もう実現してるんだけどな」
「でも、奏太はずっとそうしてたいんでしょ? 明日も明後日も、ずっとずっと」
「理想を言えばな」
「だったらそれも夢だよ。そういう当たり前のこともちゃんと夢なんだよ。それでいいんだよ」
まくし立てる千華の言葉のどれほどが頭に入ってきたっけ。多分、「当たり前」って単語を聞いた途端に、俺の脳回路はショートしてたんだろう。
当たり前のことですら夢なんだとしたら。馬鹿馬鹿しい話かもしれないけれど、それだって俺たちは正直に、真剣に、真っ直ぐに話し合っていて。
そんな痛々しくて、アホらしい現状ですら夢なんだとしたら。
「ならさ」
「う、うん」
「修と元気と美優と夏菜と、お前と、6人でいることも夢なのかな」
「夢……なのかなあ」
当たり前だと思ってた。息をするように、服を着るように、朝が来れば日が昇るように、そこにあることが自然で、それ以外は不自然でしかないとばかり、疑いすらもしなかったそんな常識を。
十数年間、省みることすらなかった認識が、夢になってしまうような段階に既に俺たちはいて。
けれど、こんなこと口に出せるわけもなくて。
だとしても、俺の夢をぶち壊すと高らかに宣言したこいつには何か言ってやらないと気がすまなくて。
結局のところ、自分でも驚くくらいに俺は諦めが悪いらしかった。
「じゃあ千華、お前は俺の夢をぶち壊す責任をちゃんと取れ」
「え、ええ……」
「ちゃんと帰ってこい。あの団地に絶対帰ってこい。挫折した時でも、嬉しい報告があった時でも。もちろんお前の夢が叶った時でもいいから」
「……うん」
「だから帰ってこい。じゃないと俺の夢は叶わない」
「なんか……奏太からそういうこと初めて聞いた」
「アホ野郎。お前が言わせたんだよこんなこと。ほれ、指出せ。夢叶わなかったら、針千本飲ませてやるからな。忘れんなよ」
千華の細くて柔らかい指に、自分の小指を絡めた。
こいつにはこいつの夢があって、でも俺には俺の夢らしきものがあって。見たい景色があって。見ていたい風景があって。
ともすれば、これは千華に二人分の夢を背負わせる儀式なのかもしれなくて。
けれど、そんなことは知ったこっちゃない。身勝手な千華と接する俺くらい身勝手でもいい、なんて自己完結させる。
「こんなこと言わせるために今日俺を連れ出したのか?」
「……ふーんだ。……あたしが寂しいなんて言ったってテキトーに流すくせに」
「……千華、ちゃんと聞こえてるから。今のは聞かなかったことにしてやるよ」
まあ、忘れてやる義理まではないだろう。
こいつが俺の夢もどきを忘れることもないだろうし。
忘れたくないんじゃなくて、忘れられないだけ。忘れられないから仕方なく覚えてるだけ。
なんだか千華の記憶力っぽいな、と思ったら急に笑いが込み上げてきた。バレないようにポーカーフェイスで隠しておこう。
『パレット』二次創作 ななみの @7sea_citrus
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