リノン

「「――『世界の夜明け』……?」」


 エルフの女性が言った単語の意味がわからなかったのか、ロッカとロットが同時に鸚鵡おうむ返しで呟いた。

 

「えぇ。それがあたしたちの『組織』の名前」


 エルフの女性は微笑みを浮かべたまま立ち上がると、その呟きに返答した。

 

 その女性は、つい目が吸い寄せられしまいそうになる程の美人だった。

 肩より少し長いくらいの亜麻色の髪が、顔の片側で一房結わえられていてその長い耳に掛かっている。

 涼しげな目元の切れ長の目が、少し吊り上がり気味の眉も相まって、凛とした印象を与えてくる。通った鼻筋に、艶やかな唇。それらが小顔の中に絶妙に配置されている。

 身に纏っている膝丈の白を基調とした質実なドレスは、その女性の美しい上半身の線を主張するかのように、身体に張り付いていた。小さく開いた胸元からは大きめな胸の谷間が覗いている。

 すらりと伸びた脚の、その足元には厚底靴。アルバと同じ目線の高さなのはそれに依るものだった。

 

 アルバはその久しぶりに見る顔から思わず目を逸らした。

 自分が以前所属していた組織『世界の夜明け』。その主導者が目の前の女性【リノンシア・ハーベル】――リノンだった。


「組織って、一体何をしているのさっ?」


 首を傾げたセリアが問うも、リノンは首を横に振る。


「詳しい話はあとあと。寝ている子もいるし、ここまで来るのに疲れたでしょ? イレ、お客さん用の部屋に案内してあげて」

「承知しました。皆さん、ついてきてください」


 有無を言わさず話を切ってしまったリノンに従う他なく、扉を開けたイレに続いて部屋を出ていこうと――


「――アルバは残りなさい。話があるわ」


 ――したアルバの背中に、リノンから鋭い声が投げられた。


 ここで見逃してくれる程、優しい女性ではないことは知っていた。やっぱりな、とアルバは嘆息しつつもセリアを呼び止めて、


「アイリを頼む」

「う、うんっ、それはいいけどさっ……大丈夫っ?」


 まだ起きる気配のないアイリを背中から降ろして、セリアがその腕で抱き抱える。その表情には心配の色が浮かんでいる。アルバだけが呼び止められたことが不安なのだろうか。


「あぁ。ちょっとお説教されるだけだ」


 お説教っ? と呟くセリアの背中を押して、既に先へ行ったイレたちの後を追わせた。

 

 静かな音を立てて部屋の扉が閉まると、リノンと二人きりになった。

 改めてリノンを見た。

 リノンの顔からは微笑みが消え、表情が険しいものとなっている。

 気まずくて、アルバはすぐにまた目を逸らした。

 組織を抜けると言った自分を最後まで引き留めていたのはリノンだった。アイリを守るためとはいえ、今さらおめおめと戻ってきたことをリノンがどう思っているのか――それは考えるまでもなかった。


「戻ってくるなんてね。一体どういう風の吹き回しかしら?」


 厳しい口調のまま問い詰めるリノンに、しかしアルバは答えを返さない。

 業を煮やしたのか、リノンが靴を鳴らしてアルバへと足早に近付いてくる。

 そしてその勢いのまま、



「――アルバおかえり! おかえりおかえり! 会いたかった!」



 アルバへと飛び込んできた。

 首に腕が回され、存在を確かめるかのようにしっかりと抱き締められる。胸が当たってしまっているが、本人にそれを気にする様子はない。

 アルバはその後頭部を撫でてやりながら、ただいま、と耳元で囁く。


「あたし、すごく寂しかった……やっぱり、アルバがいないとあたしだめなの……」


 声に涙が混じり始め、その様子にアルバは苦笑する。

 リノンがわざわざ自分を呼び止め二人きりになったのは、こうして甘えるためだったのはわかっていた。恋人として幾度となく甘えられてきたからだ。

 リノンは主導者という立場上、普段は気を張り詰めているが、人一倍甘えたがりの寂しがりやだということをアルバは知っていた。それ故、組織を抜ける際は大変だった。

 戻ってきた自分をどう思っているか――それは今のリノンを見れば一目瞭然だった。

 

「ねぇ……ちゅーして?」


 甘えきった声でリノンがおねだりしてくる。はいはい、と身体を少し離してその顔を見ると、先程までの険しい表情、凛とした雰囲気はどこへやら。瞳を潤わせ、眉を寄せて、自分にしか見せない甘えた表情になっていた。

 その顔に唇を寄せると目を閉じて、恋人の唇と触れ合わせた。んっ……、と艶めかしい声がその喉から洩れた。

 たっぷりとそうした後、リノンは再びアルバを抱き締め、


「あぁー……アルバだぁ……」


 心の底から嬉しそうに耳元で囁く。とろけきったその様子に、こんな姿誰にも見せられないな、と苦笑を浮かべるしかない。

 

 久しぶりということもあり、リノンの気が済むまでそうしていようとアルバは思っていた。すると、唐突にリノンは身体を離した。

 てっきりもっと甘えてくるのかと思っていた。もういいのか、と思いながらリノンの顔を見ると、その頬は膨らみ、唇を尖らせ、眉は怒っているかのように吊り上がり、鋭い目をしていた。

 つまり、拗ねていた。


「――それで? あの女の子たちは誰なの?」


 セリアとロッカのことだろう。さすがにアイリを含んでいるとは思いたくなかった。


「あいつらは旅についてきただけだよ。別にそういう関係じゃない」


 リノンが嫉妬深いことを知っているアルバは、安心させるようにそう言うが、


「嘘。あの二人、アルバに絶対気があるもん」

「……どうしてそんなことがわかるんだよ」

「女の勘」


 ツン、と横を向いてリノンが告げる様子を見て、アルバは内心で溜息を吐く。こうなってしまうとリノンは中々機嫌を直さない。


「――ふんだ。若い女の子連れちゃってさ。しかも片方はエルフの女の子だし。なーに? 年増エルフのあたしへの当てつけ?」

「想像力が逞しすぎるだろ……」


 完全にへそを曲げてしまったリノンをなだめつつも、アルバは懐かしさからつい笑みを洩らしてしまうのだった。

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