『世界の夜明け』

 白、白、白。

 地に広がるのは、白色ばかり。

 画布のような白い世界に点々と続く足跡は、さしずめ筆の跡。


 音を雪が吸収してしまう為か、それとも音を立てるものが何もない故か、耳が痛くなる程の静寂な世界で、聞こえるのは息遣いと雪を踏み締める音だけ。

 地面の白とは対照的に、空は青かった。雲一つない快晴。

 さらには無風で、雪原を進むには最高の天候状況。


 自分がどこにいるのかなんてすぐにわからなくなりそうな、ただ一面雪だらけの平野をアルバたちは進んでいた。

 それほど雪が積もっていなかったのは幸いだった。とは言っても、足を踏み出す度にその足が完全に埋まってしまう。靴がまるで凍ってしまっているかのように、足はとっくに冷たくなっていた。

 それでも、雪を掻き分けて進まなければならない状態よりは全然ましだった。アルバには何度かその経験があった。そうやって進んでいくのは体力を使うし、時間もかかる。今日の積雪量ならば、日が傾く前には遺跡に辿り着けそうだった。


 イレを先頭に、セリアとロット、その後ろにロッカ、最後尾にアイリを背負ったアルバが続いていた。

 アイリも当初は歩いていたのだが、慣れない雪の道の上に、そもそもの体力がないアイリでは長時間歩くことができず、今はアルバの背中で大人しくなっていた。


「――はっ、はぁっ……ね、ねぇっ、まだかなっ」

「……もう少しです」


 イレに質問をするセリアの息は上がってしまっていた。ルフォートに雪が降ることは稀なので、セリアも雪に慣れていないのだろう。

 対して、イレの息は全く乱れていなかった。やはりセリアに思うところがあるのか、返すその声は硬い。

 イレは案内の為に、今日はその姿を隠していなかった。自分よりも少し高い背に、羽織る外套の中の身体は引き締まっていることをアルバは知っている。白い野兎亭で久しぶりに見たその顔を思い出す。自分よりも年齢はそれなりに上のはずだが、温和な顔付きでその年齢を感じさせないほど若く見えるのは昔からだった。男にしては長髪の、肩まである流れるような黒髪もその一因かもしれない。そして、その顔にいつも張り付けている胡散臭い笑顔は、アルバの記憶の中にあるままだった。


 息が上がっていようと、声を出す元気があるのはセリアだけのようだった。先程からロッカとロットは無言のまま進んでいた。



 それきり会話もなく、ただ黙々と進むアルバたちの視界にようやく雪以外の物が見えてくる。

 周囲よりも少し小高くなった丘のような場所に、遠目からでもわかるほどの何かが二つ立っていた。その場所はそこだけ取り残されているかのように、白色には染まっていなかった。


「――あれが目的地です」


 イレが指して静かに伝える。皆一様に、その指の先を見た。

 終着点が見えたからか、アルバが後ろから眺める三人の丸くなっていた背中が伸びた。踏み出す足に力が戻っているような気までしてくる。


 白い世界の中で目立つそれらが次第に大きくなり、やがてアルバたちは目的地――魔術文明の遺跡に辿り着いた。


 地面が半球形に盛り上がった円蓋のようなその周囲には雪が積もっておらず、青々とした草が生えていた。それどころか、その積雪のない範囲に入るとそれまでの寒さが嘘のように、暖かさを感じる。


「えっ、何ここっ?」

「すっげぇ……」

「暖かい……」


 普通ならばあり得ない異様な光景と現象に、三人が口々に驚いた声を上げた。

 目的地に到着したことにより、アイリを背中から降ろそうとしたアルバだったが、いつの間にか寝息を立てていることに気が付いて、結局背負ったままでいることにする。


 円蓋の一部を、白銅色の石が門のように突き出て大きく四角に切り取っている。その口から入った少し奥を扉のように、同じく白銅色をした長方形の石が塞いでいた。その真ん中には縦に一本の細い筋が通っている。

 入り口の脇にはやはり同じ色の二本の石柱がそびえている。その石柱には紋様が刻まれていて、それが淡く青く光っていた。


 その柱にもたれかかる男がいた。傍らの地面には両刃の斧が横たわっている。男は筋骨隆々だが背が低い――ドワーフだ。

 厳めしい顔付きをしたドワーフの男は、イレの姿を認めるとその顔をほころばせた。


「おぉ! 若造じゃねぇかぁ! 戻ったかぁ!」


 ガッハッハ! と、大口を開けてドワーフは笑う。その笑い声があまりに大きく、アイリがその身体を震わせたのをアルバは感じた。


「ヴォルグ、お久し振りです。相変わらず声が大きいようで何よりです」

「嫌味を言うのは変わってないのぉ!」


 ガッハッハ!

 ひとしきり笑うと、ドワーフ――ヴォルグはイレの背後にいる者へと視線を順番にやり、そして――


「――坊主ぼうずぅ!! よぉ戻ってきたのぅ!」


 アルバに目を止めると、立ち上がって近付いてくる。嬉しそうな顔をしたヴォルグは遠慮なしの平手をアルバの脚へと叩き込んでくる。再会の喜びを表しているのはわかるのだが、もう少し手加減してほしい、とアルバは痛みに耐えながら苦笑する。


「ほれぇ! さっさと入って嬢ちゃんに顔を見せてやらんかぁ!」


 その言葉に促されて、イレが入り口へと歩いていく。

 遺跡が初めてなのか、それともヴォルグになのか、三人は呆気に取られていて動かない。

 イレは石の筋へ片手を添え、


扉よ開け開扉魔術

 

 そう唱えるとその細い筋に淡く青い光が走り、重厚な音を立てて、筋を境目にして左右にゆっくりと開いていく。最後に一際大きく音を立てると完全に開き、奥へと続く通路が現れた。

 イレはこちらを振り向くと、


「――早く入らないと閉まってしまいますよ」


 声を掛けてその奥へ進んでいく。慌てた様子で三人がその後を追うのを見ながら、ヴォルグに手を振ってアルバはゆっくりとついていく。中に入ったところで、背後で音を立てて扉が閉まった。


 通路は人が通るには余裕がありすぎるほどの幅と高さだった。白銅色をした壁の上方には、等間隔で橙黄色とうおうしょくの光が配置されていて、通路を照らしていた。中も外と同じように暖かい。その雰囲気に呑まれてしまっているのか、三人は口を閉ざしていた。

 通路の奥は階段になっていて、それを螺旋らせん状に下りていくと、また通路が現れる。

 しかし今度のその通路は両脇の壁に、入り口で見たような扉が間隔を開けて並んでいた。ただし、その大きさは人が一人通れる程度のものだった。


 その中の一つでイレは足を止めると、中へと声を掛ける。


「イレです。只今戻りました」


 その声に反応した中から、入りなさい、と女性の声がする。入り口の時と同じようにイレが唱え、静かな音を立てて扉が開いていく。

 部屋の中にもやはり光があり、室内は明るい。その部屋の真ん中には広々とした長方形の机が置かれ、その長辺には椅子が並べられていた。部屋の奥の短辺には一つだけ椅子があり、そこに一人のエルフの女性が座っていた。

 

 机に目を落としていたその女性は顔を上げると、部屋の中に入ってきた面々を見渡し、微笑みを浮かべて言った。


「――ようこそ『世界の夜明け』へ」

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