幕間③――セリア

「――いいだろう」

「いいのっ!?」


 その食堂は、赤い小鳥亭より少しだけ狭い。傍らには使用人が控えている。

 豪奢な夕食が終わり食後のお茶を嗜む段になってようやく、セリアが対面に座る兄のバウムへ恐る恐る旅のお伺いを立てると、予想に反してあっさりとバウムは頷いた。


 セリアは冒険者である前に、神官だった。だからその務めを放り出して旅に出ることはできなかった。兄は聖教の中でも高位の神官であり、現在のヴァンホーグ家の家長でもある。旅に出るためには、その許しが絶対的に必要だったのだ。アルバには大丈夫だと思うと軽く言ったが、許可がもらえるかどうか、実は内心で冷や汗を掻いていた。


 これでアルバと旅に出られる――あっさりと許可されたことに驚きつつも、セリアの表情が喜びに染まっていく。

 妹のその様子を見てバウムは、その逞しい体格に見合わぬ美麗な顔で苦笑いを浮かべると、低く響くような声で言葉を返した。


「自分が旅に出ていたのに、妹にはだめだと言うわけにもいくまいよ」

「でも、お兄の旅は神官としてだったじゃん……」


 自分が冒険者として旅に出たい、ということは既に伝えていた。聖教からの命で巡礼の旅に出ていた兄とは、その趣旨が違う。


「それはそうだがな……目的がどうであれ、若い時分に見聞を広めておくことは大切だ。お前が冒険者になるにしろ、本格的に主に仕えるにしろ、その経験は無駄にはならん」


 末っ子ということもあり、これまで割と奔放に育てられてきたセリアだったが、そろそろ自分がどの道を選ぶか決めなければならないということは自覚していた。今は不在の両親や、他の神殿へ出向中の兄弟が皆口うるさく神官になれと言う中で、長兄であるバウムだけは冒険者になることに理解を示してくれていた。それが、長兄と末っ子という、年齢が随分と離れているにも関わらず、セリアがバウムに家族の中で一番懐いている理由でもあった。


 このアルバとの旅で、自分がどの道へ進むか決めよう――セリアはそう考えていた。


「じゃあっ……いいの?」

「だから、いいと言っているだろう」


 再度確認するセリアに、再び苦笑交じりに返すバウムは優雅な仕草でお茶を口に含んだ。


「……一人で旅に出るというなら考えるが。そうではないのだろう? アルバと言ったか……凄腕の冒険者と一緒だと言っていたな。それなら安心できる。……全く、帰ってきてからというもの、お前に何度も聞かされて名前を覚えてしまったよ」


 静かに笑うバウムに、セリアの頬が恥ずかしさで赤く染まる。自分はそこまで兄にアルバのことを話していたのだろうか。もちろん、秘密のことはさすがに懐いている兄といえども話してはいない。アルバとの約束だから。


「――そうだ、少し待っていろ」


 何かを思い出したかのように、バウムはやおら立ち上がると、食堂を出ていった。


 なんだろう? とセリアが首を傾げていると、ややあって戻ってきた。席には戻らずに傍まで歩いてくると、その大きな手を差し出してくる。ごつごつとしたてのひらには、イシオス聖教の聖印である菱形を象ったチャームが付いた、目が細かい鎖の首飾りがあった。


「餞別だ。持っていくといい。主がお前を護ってくれるだろう」

「ありがとう……お兄っ」


 セリアが手を伸ばしてそれを受け取ろうとすると、バウムに制された。そして背後に立つと、セリアの首に首飾りを着けてくれた。

 不意の兄からの贈り物に、セリアは喜びを隠しきれずに口角を上げた。着けてもらった首飾りのチャームを手に取って眺める。主というよりも、兄が護ってくれているような気がした。


 嬉しくて、思わずセリアはバウムへと抱き着いた。

 それを呆れたように笑うバウムは、セリアの頭を優しく撫でる。


「――いってこい、妹よ」

「……いってきます、お兄っ!」


 ようやく得られた、アルバとの旅の機会。


 それが楽しみで、セリアはその夜、中々寝付けなかった。 


 

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