旅立ち前日
「――やだっ!!」
イレにもらった一日の猶予、その日の昼前。
アイリを連れて旅立つことをアルバが説明している途中で、当のアイリ本人が金切り声で叫んだ。その目には大粒の涙が浮かんでいる。
――やっぱりか……。
想像していた通りだな、とアルバは心の中で呟いた。
閉店の札が掛かっている赤い小鳥亭の店内には、ラナはもちろん、セリアとロッカ・ロットもいて、ルフォートから旅立つと言ったアルバに一様に目を丸くし、叫んだアイリに呆気を取られている。
勢いよくアイリが立ち上がったせいで、椅子が倒れて大きな音を立てた。
「やだっ! やだやだっ!!」
頭を振り回し、足で地団駄を踏む。本当に子供らしい、駄々のこね方。きっとそれは、この店で過ごしたからこそできたことだ。この店にいるみんなが、アイリを普通のどこにでもいる女の子にしてくれた。自分だけでは恐らく不可能だったそのことに、アルバは深く感謝していた。
そんな温かい店からアイリを連れていくことに、もちろん抵抗はある。だが、ここはアイリを辛い目に遭わせていた奴らの言わば本拠地なのだ。今こうしている間にも、アイリを取り返そうと雪崩れ込んできてもおかしくない。
アイリの必死な姿を見て、アルバの心は痛む。
これ以上アイリを辛い目には遭わせない。そう誓った。しかし今していることはまさにそれなのではないか、と自分の矛盾に
それでも、約束したのだ。アイリを守ると。
ここにいては、約束を果たすことができないかもしれないのだ。
「やぁだぁぁ……んっく、……やだよぉぉ……うぁぁぁ――」
「――アイリ」
泣き始めてしまったアイリの華奢な身体をアルバは抱き締める。すぐにアイリがしがみついてきた。
髪飾りを着けたその頭を撫でてやりながら、アルバは言い聞かせるように今まで出したことのない優しい声音で、
「……わかってくれアイリ。お前を守るためなんだよ……」
「うぁぁぁぁぁぁ、っ、あああぁぁぁぁぁぁ!!」
耳をつんざく泣き声を受け止めながら、アルバは抱き上げたアイリの背中に手を回すと、優しく叩き始める。
そうしていると、徐々にアイリの泣き声が収まっていく。
アイリのぐずつく音が静かに響く店内で、それぞれに様々な表情を浮かべた各々が、アルバとアイリを見ていた。
その面々をアルバは見回して、
「――改めて、急で悪いんだが、俺とアイリは明日ルフォートから出ていくことになった。今まで世話になった」
今までの感謝を込めて、頭を下げた。
ここからイレの所属する組織の本拠地までは遠い。長旅になる。さすがにアイリのためについてきてほしいとは言えない。
ラナには店がある。
セリアは冒険者である前に、この街の神官だ。
ロッカとロットは前途有望な冒険者だ。自分みたいに、まともな冒険者から外れた道を歩かせるわけにはいかない。
そう思うアルバだったが、
「師匠! 俺も一緒に行きます!」
「アルバさん、私もご一緒していいですか?」
沈む空気の中、それを破るように声をあげたのは、ロットとロッカだった。
ひくっ、としゃくりあげていたアイリの肩が止まる。
「お前ら……だが――」
「師匠は昨日『好きにしろ』って言いましたよね」
「だから好きにさせてもらいますね?」
そう言う双子の顔には悪戯な笑みが浮かんでいる。そっくりな二人の笑みを見て、アルバは溜息を吐いた。
「……好きにしろ」
「「はい!」」
同行が認められ、喜ぶ双子を見て、アルバはもう一度溜息を吐いた。こうなる気はしていた。見た目の上ではこの二人はアイリと歳が近い。いつも一緒に遊んでくれていた二人がいれば、アイリも寂しくはならないだろう。
だから、二人には巻き込んで悪いなとは思いつつも、アルバはどうしても同行を拒否することができなかった。
「ボ、ボクも! ボクも行くっ!」
その二人の様子を見ていたセリアがやおら立ち上がると、焦ったかのような表情をしてそう宣言した。
アイリが腕の中で身体を捻ってセリアを見た。その驚いたような顔をしているアイリは、涙が止まっている。
「アルバ、約束だったよねっ!?」
「……あぁ、そうだな」
――強くなったら、一緒に連れてってやる。
セリアが覚えていた、二年前にした約束。
そして自分は、セリアが強くなったと認めてしまっている。
再びセリアをあしらうことはできなかった。
『約束』は果たさなければならない。
「だが……お前、聖教はいいのか?」
セリアは冒険者である前に、この街で聖教に仕える神官だ。おいそれと旅立っていいのだろうか。
「そりゃあお務めはあるけど……元々ボクは何か役に就いてるってわけじゃないからね。お兄に許可さえもらえれば大丈夫だと思うよっ」
「そうか……なら約束だしな。連れてってやるよ」
アルバが頷くと、セリアの顔に喜びの色が広がっていく。よほど嬉しかったのか、その目には涙まで浮かび始めた。それをアルバが見ていたことに気付くと、セリアは誤魔化すように目を擦った。頬が赤く染まり、にへへ、と本当に嬉しそうな笑顔が零れた。
正直、ここまでは予想できていた。
自分のことを慕っている様子のロッカとロットと、前回もついてきたがって約束まであるセリア。
ついていくと言い出すことは容易に想像がついていた。
残った一人に、アルバは目をやる。いつもの勝気さを潜めたラナは、少し寂し気な表情をしてアイリを見ている。
そんな年齢じゃない、と怒られそうだが、この店の中でラナとアイリはまるで親子のようだった。思うところがあるのだろう。
アルバが見ていたことに気付いたラナは、何かを言おうと口を開きかけて――
「……私は店があるからね。そんな目をされても行けないよ」
「あぁ、わかってる」
ラナのその言葉も予想していた。
だから、アルバはここでは食い下がらず、それをあっさりと受け入れる。
「……おじさん、おろして」
ラナへと視線を向けていたアイリが静かに言った。言われた通りに降ろしてやると、アイリはカウンターにもたれて立っていたラナへと歩いていく。
そして辿り着くと、ぎゅ、とラナの腰を掴んで抱き着いた。
「アイリ……」
名前を呼ぶラナの声は少し掠れていた。その手が伸びて、アイリの頭を撫で始める。
「今日は、ラナとねる」
「……あぁ、そうしろ」
アイリも寂しいのだろう、そう言う声はまた少し震えていた。
お別れをする時間が二人には必要だ。だから、アイリが言わなければ、自分が提案するつもりだった。
ラナに抱き上げられて嬉しそうな、だがどことなく寂しそうな顔をするアイリを見ながら、アルバは旅の準備について考え始めるのだった。
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