幕間②――ロット
「――アルバ、こんな
カウンターで、赤い小鳥亭の店主であるラナがアルバに依頼の話を持ち掛けている。
近くの席に座っていたロットは、それに聞き耳を立てながら、腹立たしい気持ちが抑えられなかった。
――なんであのおっさんが?
子守りしているだけの自分よりもレベルの低いシーフが、ラナから直接依頼を持ち掛けられている。聞くに、その仕事内容に対して報酬がいい。
たった一匹魔物を倒して、その魔物から素材を入手するだけ。しかも場所はここルフォートから近い、幽暗の森。
聞けば聞く程、簡単そうな依頼だった。
問題は、そのたった一匹の魔物。その魔物は、低レベルの冒険者が挑むのは危険だと聞いたことがある。
でも。
――おっさんができるんなら、俺にだってできるはず。
自分が依頼を受けたわけではないが、先に素材を納品してしまえばいい。
ロットは、その頭の上に手を置いてアイリと話しているアルバを睨むように見やる。
たったレベル5のくせに、アルバが普段偉そうにしているのが気に食わなかった。
それ以上に、ラナがアルバを特別視しているのが気に食わなかった。
ラナの店があるから、旅立つ時に
それなのにラナは、一向に自分のことを認めてくれない。この店に来てから二月経った今も、自分を駆け出しの冒険者のように扱ってくる。
この依頼をアルバより先に達成すれば、自分のことも特別視してくれるのではないか。
――この依頼で、認めさせてやる。
ロットは席を立つと、アルバより先に依頼を達成すべく、慌てて出掛ける準備を始めた。
「ちょっと、ロット! 待ってよ!」
剣と弓で武装した二人は、幽暗の森にやってきていた。
整備された小道の脇に大股で入っていくロットを追いかけるように、時折小走りになっているロッカが弟を止めようと声を掛けるも、ロットは取り合うこともなく茂みを掻き分け先へと進んでいく。
幽暗の森には以前から依頼でよく来ていた。その時に今回の魔物と遭遇したことはないので、きっともっと奥に生息しているはず――そう思って、ロットはどんどんと進んでいく。
他の魔物と出会わなかったのは、運が良かったのか、悪かったのか。
気付いた時には木々の密度が高まり、本来なら届く光が少なく鬱蒼としているはずの森の深部へと立ち入っていた。
ロットはエルフだ。エルフはその猫のような目で以て、暗いところでも明るいところと同じように視ることができる。完全な暗闇はさすがに無理だが、この程度の薄暗さは特に問題とならないのだった。
どこかで何かが破裂する音が続いていた。
それが鳴り止むと、木々の間の奥から、何かの鳴き声なのだろうか、低く昏い不気味な音が轟いてきた。それを聞いた傍らのロッカが、その身体をびくん、と震わせた。
「ね、ねぇ、ロット……まだ私たちには無理だよ……」
その声は震えていて、明らかに恐怖しているのが
「大丈夫だって。あのおっさんが声を掛けられる程度の依頼だぜ? あいつよりレベルの高い俺らが二人でやれば楽勝だよ」
「で、でも……」
励ましてもまだ不安な様子のロッカを放っておいて、ロットは木々の間に目を凝らす。そろそろ見つかってもおかしくはないはず――そう思ったロットの視線の先に、何か動くものがあった。
「――え、ロット!? ちょ、ちょっと待って!」
突如駆け出したロットに、ロッカが焦ったような声を出す。
それに耳を貸さず、ロットは走る。焦っていた。時間がない。
出発するまでに、渋るロッカに時間を取られてしまっていた。そのせいでアルバとほぼ同じ時間にルフォートを出発する羽目になった。先回りできなければ、ラナに認めてもらうことができない。
この辺りだったはず、と立ち止まり見回す。しかし木が乱立しているばかりで、何も見当たらない。見間違いだったのか。
背後を振り返ると、追いかけてきているはずのロッカの姿が見えない。
ロットは舌打ちする。はぐれてしまったようだ。
ひとまず来た道を戻るか――そう思っていたロットの耳に、
「きゃああああぁぁぁぁ――――!!」
己の姉の悲鳴が届いて、弾かれたように聞こえた方へとロットは駆け出した。
木々の間を走っていると、いきなり眼前の風景が開けた。木々をそこだけぽっかりと切り取ったような空間になっており、水草が浮く沼が広がっていた。
そこに、魔物――探していたネペンテスがいた。慌てて剣を抜いて、剣先を下に構える。
伸びた触手の片方には、ロッカが囚われており、その身体が宙に浮いていた。その足は何度も何度も空を蹴っている。よく見れば首へと触手が巻きついており、ロッカは顔を歪めて苦悶の表情を浮かべていた。姉の武器である弓と矢がその足元に散らばっている。
「――くっそ、ロッカ!!」
剣を構えたまま走っていく。とにかくあの触手を斬らなければ、ロッカが危ない。
「……ぎっ……ロ……ト…………ゃ…………がっ……ァ……」
「こいつ! ロッカを離せ!!」
ロットには、宙に浮く苦しそうな姉の姿しか見えていなかった。視野が狭くなってしまっていた。
だから、
「――――ガッッッ!?」
視界の外から横薙ぎに、己の身体に迫るもう一本の触手に気が付かなかった。
鞭のようにしなる触手に革鎧の胴を打ち抜かれ、ロットは凄まじい勢いで吹っ飛んだ。視界が回った。何度も地面の上を転がり、ようやくその身体が止まる。
ロッカを助けなければ――その一心で、ロットは地に剣を突き刺して杖替わりにして、痛む体を押してどうにか立ち上がる。しかし、膝が笑ってしまっていて、力が入らない。再びネペンテスへと駆け出そうとする気力が湧いてこない。
膝が笑ってしまっているのは、触手の攻撃による身体の痛みだけが原因ではなかった。
ロットは自分の歯がカチカチと音を鳴らしているのに気が付いて、それを押さえるように奥歯を噛み締める。
目の前の魔物に対する恐怖――それがロットの心を支配していた。
こうして対峙してみてわかった。あれは自分の手に負える魔物ではない。先程は視界の外からで見えなかったからとはいえ、たとえ見えていたとしても、素早く動くあの触手の攻撃を避けられる自信が全くない。
「…………ッ…………っ……!!」
ロッカが声にならない声をあげている。その普段はぱっちりとした目がさらに大きく見開かれており、涙が流れている。空気を求めるように大きく開いた口の端からは、涎が零れている。顔の色もおかしい。
ロッカを助けなければ。そう思うのだが、足は動いてくれなかった。
こんな森の奥深くでは助けを求めようにも、それは叶わない。
己の力量の過信が招いた事態に、ロットの目に涙が浮かび――
「――え?」
そのぼやける視界の中で、突然そこに現れたとしか思えない人物が、ロッカよりも高く、その頭上に忽然と出現していた。その人物が落下と共に短剣を振り下ろすと、触手は切れてロッカが解放された。着地した人物の腕の中に、遅れて落ちてきたロッカが収まる。
「あ――」
二人に横薙ぎに迫る触手が見えて、危ない、とロットは声を出そうとした。先程自分が喰らったような、視界の外から勢いよく迫る触手の攻撃。しかし、人物はそれが見えていたのか、ロッカごと地に伏せてその触手を
「
――アルバがその体勢から何かを投げた。詠唱していた魔術によるものか、ネペンテスの胴体に当たったそれは突如爆発すると、ネペンテスが揺れて体勢を崩した。その間にアルバはロッカを抱えて距離を取った。自分の下へと近寄ってくる。
「――はぁっ……はぁ……アルバ、さん……?」
「ったく、なんでお前らがここにいるんだ……まぁいい、それは後だ。おい、ロット」
ロッカを隣に降ろしたアルバに声を掛けられる。思わずその顔を見ると、アルバにまっすぐに目を見据えられ、
「ロッカを頼んだぞ」
そう言うと、アルバはネペンテスに向かっていこうとする。
その様子に、ロットは、
「は、ハァッ!? 俺よりレベルの低いおっさんが何言って――」
自分があしらわれるような魔物なのに、自分よりもレベルの低いアルバが叶うはずがない。
そう思ったロットはアルバを止めようと――
「――黙れ」
「っ――!」
――して、それまでの雰囲気を一変させたアルバの迫力に息を呑んだ。普段見たことのないアルバの眼力に、口を
「いいか、下がってろよ」
しかし、それも一瞬。いつもの雰囲気に戻ったアルバはそう言って、ネペンテスに歩いて向かっていく。その両手には煌めく短剣があった。
しゃがみこんでロッカを見ると、まだ少し息は荒いものの、大丈夫なようだった。胸を撫で下ろす。
再びアルバへと視線を戻すと、立ち止まり、何かを考えていたように見えたアルバが疾走した。その走りの姿勢が異様に低い。
向かってきたアルバへとネペンテスが触手を伸ばす。低い位置にいるアルバを狙って、地面すれすれに払われるそれを、アルバは跳躍して躱す。それとほぼ同時に上から襲ってきたもう一本の触手、しかしそれも見えていたのか、着地すると横っ飛びに回避する。触手で触手を押さえつける形になったネペンテスの攻撃が止まっている間に、アルバはその背面へと回り込んでいた。速い。
やはり何かの魔術なのだろう、アルバが背後に回ってから少しして、鎖のように広がる雷光がネペンテスを
「……す、すごい……アルバさん……」
隣にいたロッカが、一連のアルバを見て呟いた。ロットも同感だった。明らかに自分よりも手練れ。レベルが低いとは到底思えない戦い方。
アルバは弱いと、冒険者証に書かれていたレベルだけを見て判断していた。その判断は間違っていなかったはずだった。普段のアルバはその通りに、だらけた雰囲気を醸し出していただけだったから。
しかし今のアルバから漂う気配は、時折街で見かける高レベル冒険者のそれだった。隙がなく、研ぎ澄まされたようなその鋭い気配。
「おいロット、手伝え」
そんなアルバから不意に声を掛けられた。
助けてもらった、というのもあるが、それよりもその纏う気配に尊敬の念を抱く。どうすればそこまで強くなれるのだろうか。
自分もアルバのように強くなれるだろうか。
「――は、はいっ!」
ロットは駆け寄っていく。
いつの間にか、膝は笑っていなかった。
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