vs.ネペンテス
茂みを掻き分け、木立の間を抜け、アルバは駆ける。
その視線の先。ようやく木々が途切れて空間が広がっているそこは沼だった。その
革の鎧を身に纏ったその人物は両手で持った両刃の長剣、その剣先を後ろに下げた構えで走っていく。
「――くっそ、ロッカ!!」
切羽詰まった声で姉の名を呼びロットが向かっていく先には、奇妙な魔物がいた。
人間の大人一人くらい余裕で入れそうな大きさの、下部が膨らんだ壺の形をした鈍い黄緑色の胴体。その口縁部には二枚の葉があり、それぞれに丸い瞳が不気味に載っている。胴体の根本から地に伸びる無数の細根は忙しなく
「……ぎっ……ロ……ト…………ゃ…………がっ……ァ……」
――胴体から伸びる、異様に長い二本の太い
「こいつ! ロッカを離せ!!」
姉が捕らえられている触手へと一直線に向かうロットは、しかし、己に迫るもう一本の触手に気が付いていなかった。横薙ぎに払われた触手による攻撃をまともに受け、その身体が払われた方向へと吹っ飛んでいく。地面で跳ね、転がり、ようやく止まったロットは、剣を突き刺し杖替わりにして、どうにか立ち上がる。しかし、その膝は笑ってしまっていた。
走りながらもその様子を見ていたアルバは、もう少しで森から抜けられる位置で、靴の
このまま走っていては間に合わない。開けた片目は、もがきが鈍くなってきているロッカを捉えていた。間に合わない。ここから攻撃を避けつつ魔物に迫り、触手を斬る。間に合わない。自分の武器である短剣と自分の力だけでは、あの太い触手を一撃で切ることは難しい。間に合わない。斬るのに手間取ってしまえば、ロッカの身が持たない。間に合わない。
だから。
――間に合え!!
アルバが念じると、瞬間、目に映る景色が変わる。捕らえられ宙に浮いているはずのロッカの頭頂部が自分よりも下にあるのが見えた。
【転移】――その発動の代償、心の傷の痛みに歯を食い縛りつつ、アルバは右手に持った短剣を上段に構えると、ロッカを拘束する触手へと一直線に落ちる。
自分の力だけでは斬れない。ならば、力を足せばいい。
落下による速度と重さを加えた一撃は、いとも容易く触手を切断した。切断面からは血なのだろうか、青紫色の液体が噴き上がる。
落下の衝撃を殺して着地し、数瞬遅れて落ちてきたロッカの身体を受け止めると、アルバはその首に巻きついている、斬られたにも関わらずまだ蠢く触手を外す。
「――かはっ、はぁっ、ごほっ、ごほっ、はぁ、はぁっ――え……?」
口の端から涎を垂らしたまま苦悶の表情を浮かべ、咳き込んで慌てて息をするロッカを抱えたアルバは、横薙ぎに迫る触手を視界の隅で捉えていた。ロッカを抱えたまま身を投げ出すように地面に伏せると、その頭上を触手が通過していく。先端を
「
再び触手による攻撃が行われる前に、アルバはその体勢のまま、魔物の胴体へと爆撃刃を投げる。無理な体勢からの
「――はぁっ……はぁ……アルバ、さん……?」
息が落ち着いてきたロッカがアルバに気付き、それでもまだ弱々しい声で名前を呼んだ。その様子につい、アイリにしているように頭の上に手を置いてしまう。
「ったく、なんでお前らがここにいるんだ……まぁいい、それは後だ。おい、ロット」
吹っ飛ばされたロットがいる位置まで下がると、アルバはその隣へロッカを降ろした。
「ロッカを頼んだぞ」
「は、ハァッ!? 俺よりレベルの低いおっさんが何言って――」
「――黙れ」
「っ――!」
未だに膝が笑っているロットが、それにも関わらず粋がろうとする。それに対して、普段は表に出さないようにしている迫力をありったけぶつける。それに圧されたのか、ロットは息を呑んで口を
「いいか、下がってろよ」
ロットにロッカを託して魔物を見ると、既に立ち直っていた。その無数の細根を動かしてこちらへとゆっくり近付いてきている。
それを見据えて、アルバは大きく息を吐いた。
――さて、どうするか。
【転移】の使用で、まだ余裕があったはずの魔力はかなり減ってしまっていた。今は魔力の使い過ぎによる身体の不調は出ていないが、少なくとももう【転移】は使えない。無理に使えばレッサードラゴンの時の二の舞になる恐れがある。上級魔術を一回使うのが精一杯といったところか。
己の状態を確認したアルバは左手にも短剣を持つと、向かってくる魔物――【
見れば先程切断したはずの触手が、その切断面から新しく生えてきていた。恐るべき再生力。その触手に宿る再生力故に、素材から力を取り出して扱う錬金術の素材として高値で取引されている。
ネペンテスで厄介なのはその触手だけだ。植物系魔物の共通の特徴として、動きが鈍い点が挙げられる。それはネペンテスも例外ではなかった。触手にさえ気を付ければまず問題ない。胴体から消化液を飛ばしてきたりもするが、身体を震わせるという予備動作が分かりやすすぎて、避けるのは容易かった。
ネペンテスもウィローと同じで生命力が並外れている。何度も何度も斬り付けなければ倒せないだろう。威力がある爆撃刃も残り少ないし、万が一触手を焼いてしまえば採集できない。
戦いを頭の中で組み立てて、採集のことも考え、アルバは楽な方法を選ぶことにする。
――よし、決めた。
逆手で左手に構えた短剣――セリアが回収してくれた、麻痺魔術用の触媒を埋め込んだ短剣を強く握る。
――麻痺させて、その間に触手を頂く。
息を吸い込むと、アルバは姿勢を低く疾走した。
自らの射程に飛び込んできたアルバへと、ネペンテスが左の触手を伸ばしてくる。鞭のようにしなり、またもや横薙ぎに払われるそれを、高く跳んで
しなる触手に巻き込まれないよう、その外側へと着地したアルバを狙って、続けて右の触手が襲い掛かってくる。今度は上からの叩きつけ。左の触手を回避しながらも、残る触手の動きを見ていたアルバは、その攻撃も難なく回避する。叩きつけられた触手に当たった地面が、軽く陥没して砕けた。
先に攻撃を仕掛けてきた左の触手が、その攻撃の範囲にあるにも関わらず叩きつけられた右の触手。そのせいで触手を触手で上から押さえつける形になってしまい、ネペンテスの攻撃が止まる。
少しの隙だったが、アルバにとっては十分すぎる隙だった。
ネペンテスが再び触手を動かせるようになったその時、既にアルバはその胴体の背面へと回り込んでいた。
「
素早く詠唱を終えると、左の短剣を胴体に勢いよく突き刺す。
それから一拍、間を置いて。
触媒の石が眩く輝いたかと思うと、迸った雷光が鎖のようにネペンテスを縛り付けていく。瞬く間に全身を覆われたネペンテスは小刻みに身体を震わすのみで、触手を動かすこともできないようだった。
動けないことを確認してアルバは息を吐いた。これで魔力はほぼ空だ。使い過ぎによる身体の倦怠感、頭痛が襲い掛かってくるが、耐えられない程ではない。
とっとと依頼をこなしてしまおうと、アルバは言いつけ通りに下がっていたロットに声を掛けた。
「おいロット、手伝え」
「――は、はいっ!」
やけに素直な返事をして、ロットが駆け寄ってくる。多少は回復したのか、膝はもう笑っていなかった。ロッカも近寄ってくるが、まだ身体が辛いのか、その歩みはゆっくりだ。
「俺はこっちの触手を斬る。お前はそっちを斬れ」
「わかりました!」
自分の短剣よりも、ロットの長剣の方が触手を斬るのには向いている。何故こんなところにいたのかはわからないが、折角いるのだ、使わない手はなかった。
麻痺しているとはいえ、その再生力は生きていて、切断してから少しするとまた生えてくる。生えてくるとすぐさま雷光が纏わりついてしまい、ネペンテスはその新しい触手を動かすことができない。
新しく生えてこなくなるまで、アルバとロットは触手を斬り落とすのだった。
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