アイリ

 ――どうしてこうなった……。


 光源は小窓から差し込む微かな月の光のみ。

 目を凝らせば辛うじて物の輪郭が見える程の部屋で、寝台に横たわるアルバは溜息を洩らした。小さく吐いたつもりだったが、静まり返った部屋において、それは実際よりも大きく聞こえた。


 アルバの腕の中では、アイリが静かな寝息を立てている。


 アルバの方を向いて寝ているアイリは、その小さな手でアルバの服の胸の辺りを握ったまま寝ていた。一人用の狭い寝台のせいで寄り添って寝ざるを得ず、まるでアイリを抱き締めているような姿勢になっている。

 

 どうしてこうなったんだ、と思い返す。

 一緒の部屋で寝るのは構わない。守ると約束した以上、用心に越したことはない。だが、わざわざ一緒の寝台で寝る必要はないのではないか。 

 本当なら他の部屋に移るつもりだった。ラナにも許可はもらったのだ。

 しかしアイリが、部屋が暗くなるにつれて怖がり出した。一緒に寝てほしいと言い出した。

 あの真っ暗闇の洞穴で一人ぼっちだったことを思い出してしまっているのかもしれない、と思うと無下に断ることもできず、一緒に寝ることになった。

 隣に寝るとすぐに、アイリは服を握って抱き着いてきた。その小さく細い身体は震えていた。だから思わず、安心させるように抱き寄せてしまった。暗い部屋の中、自分がちゃんと隣にいるとわかるように。すると震えが止まり、やがて寝息を立て始め、今に至る。


 つくづくアイリに甘いな、とアルバは自嘲する。

 それが同情心なのか、庇護欲からくるものなのか、それとも過去の贖罪しょくざいがしたいのか、よくわからない。

 でも、これまで想像を絶するような辛い目に遭ってきたであろうアイリには、なるべく優しくしてあげたかった。守ってやりたかった。

 過去の――少年だった頃とは違う。女の子を守れなかった、あの頃の自分とは違う。今の自分には、一人の少女を守るだけの力はあるはずだった。もうレッサードラゴンの時のような醜態は晒さない。、守ってみせる。

 アルバは腕の中で感じる温もりに、固く誓う。


「…………んぅ……おじ、さん……」


 唐突に呼ばれ、なんだ? と囁くように返すも、アイリからの返事はない。どうやら寝言らしい。一体どんな夢を見ているのやら。自分が出ているようだから、辛くない夢だといいのだが。

 しかし、夢の中までもおじさんか、とアルバは嘆息する。もはやアイリの中では、その呼び方が固定されてしまったらしい。

 

 おじさんじゃねぇよ、と言う代わりに、アイリの腰に回していた手を動かしてゆっくりと頭を撫でてやる。昼間撫でたセリアの髪とは違う、痛んだ髪のごわごわとした感触が手に伝わる。それがやるせなくて、アルバはその手を止められない。


「………んん――……おじさん……?」


 撫で続けていると、アイリが身じろぎして、また自分を呼んだ。暗闇の中、アルバがちゃんといるのを確かめるかのように、手に力がこもって服が引っ張られた。今度は寝言じゃないようだ。


「悪い、起こしたか」

「……ぅぅん…………」


 返事なのか唸りなのかわからない声をあげて、アイリはまたも身じろぎすると、アルバとの間にできた少しの隙間を埋めるかのように、アルバへと身体を寄せた。

 それがいじらしくて、アルバはアイリの背中に手を回すと、ぽんぽんとやさしくたたく。それがとても心地良くて、安心できたことを思い出したからだ。昔、自分がまだ一人じゃなかった頃、母親がよくそうしてくれた。


「――……おじさん……」

「……なんだ?」


 しばらくそうしていると、アイリが不意に自分を呼んだ。


「……あの、ね…………たすけてくれて……ありがとう……」


 たたいていた手を止めてしまう。


 静かな暗い部屋の中、アイリは微かな声で、


「……うれしかった……」


 それだけ言うと、アイリはアルバの胸に顔を埋めてしまった。息がかかって温かい。


 別にアイリに感謝されたくて、助けたわけではない。

 そもそも、依頼がなければこうして今、隣にいることもなかった。

 アイリの惨状を見て、助けたいという気持ちが生まれだけ。

 助けたかったから、助けただけ。

 それでも。

 アイリのその言葉は、胸に響いた。 


 震える手で、アルバはアイリの背中をまたぽんぽんし始める。


「――もう寝ろ」


 まるで照れ隠しのように、その言葉はぶっきらぼうになってしまう。


「……うん……おやすみなさい……おじさん……」

「……あぁ、おやすみ、アイリ」


 アイリが安らかな寝息を立て始めるまで、アルバはずっと背中をたたいていた。

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