うさぎのりんご

「……おじさん、りんご、食べたい……」

「……わかった」


 ――何回言ってもおじさん呼びをやめねぇ……。


 溜息混じりにアルバは頷くと、アイリの看病の為に枕元に置いた椅子から立ち上がった。その手に持っているボウルの中身は既に空だ。まさか自分の人生にいて、熱い物に息を吹きかけ冷まして食べさせる、という珍事が起きるとは思わなかった。


 重湯だけでは足りなかったようで、林檎を要求された。今の状態であまり一度にたくさん食べさせるのはどうかと思うが、食欲があるのはいいことだ、と一人納得して、アルバはラナにりんごをもらいにいく。


 階下に降りると、ロッカとロットがカウンターの席で、何枚かの紙を手にあーでもないこーでもないと言った様子で、賑やかに話し合っていた。

 足音で気付いたのか、その視線がアルバに向くと、ロッカが小走りに近寄ってくる。


「あの、ごめんなさい。依頼クエストの最中なのに、パーティに誘ってしまって……」


 本当に申し訳なさそうな顔をして、勢いよく、ロッカは頭を下げた。

 依頼? 何のことだ? とアルバが呆気に取られていると、


「おっさん、頑張れよー、の依頼」

「こらロット!」


 にやけ顔のロットが奥から野次を飛ばしてきた。

 子守りの依頼。確かに言われてみれば、今やっているのはまさにその通りなのだが。ちゃんと言葉にされると我ながら似合わないことをしているな、とアルバは思う。

 そう言って二人を納得させたのはラナだろう。しかし、もうちょっと何か別の言い方はなかったのだろうか。 


「私たち、この店にしばらく滞在するんです。お兄さんも滞在してるんですよね? パーティを組めないのは残念ですけど、良かったら仲良くしてくださいね」


 振り向いてロットを叱っていたロッカが、首を元に戻して、人好きのする笑顔でアルバに握手を求めてきた。


「あぁ。俺はアルバだ、よろしく」


 これからしばらく、顔を合わせるのに名前も教えないのは変だろう、とアルバは名乗りつつロッカの小さな手を握り返した。

 それにとびきりの笑顔で応えて、ロッカは席へと戻っていった。再びロットと話し始める。


「ラナさん、林檎もらうぞ」

「――ん? あぁ、どうぞ」


 帰ってきたばかりで疲れているのだろう、カウンターの中で、小さいが背の高い腰掛け椅子に座って休んでいたラナに一声掛けて、厨房で林檎と果物用のナイフを拝借する。あの時と同じように皮を剥いていく。さすがにそれ用の刃物だからか、あの時よりも少しは綺麗にできた。


「なんだい、いつもそのままかじるくせに」

「俺じゃなくてアイリが食べるんだよ」


 細かい欠片にしているのを見ていたのか、ラナが声を掛けてくる。そればかりでなく、椅子から立ち上がり近付いてくる。


「ふーん……甲斐甲斐しいじゃないか」

「……チッ」


 明らかに笑いを堪えているのがわかる微妙な表情をしたラナがからかってきて、つい舌打ちをしてしまう。そのアルバの反応に堪えきれなくなったのか、ラナが吹き出した。睨みを利かせると、


「――悪い悪い。いいこと教えてあげるからそう睨まない」

「いいこと?」

「ちょっと貸しな」


 ラナはアルバから果物ナイフを受け取ると、新しい林檎を手に取り、皮を剥かずに林檎を小分けに等分した。芯を取り、小分けした林檎のその皮の部分に下側から交差させるように切り込みを入れ、その根元へと皮の端から刃物を入れる。根本まで刃物が達した時、切り込みを入れていた側の皮が剥け、そうしてできたのが、


「ほら、こうすると林檎がうさぎに見えるだろ?」


 兎に見えなくもない形をした林檎だった。


 これを持っていったらアイリが喜ぶ、とラナに言われて、それを真に受けたわけでは決してないが、ラナから教えてもらいつつ兎の林檎に挑戦していると、


「やっほー! きたよーっ」


 店の入口のドアが勢いよく開き、威勢のいい声が店内に響いた。

 その激しい乱入に、ロッカとロットが驚いた様子で入り口を見つめている。いつものことなので、ラナとアルバは見向きもしなかった。

 セリアだった。着替えてきたのか、袖が長いが丈が短い襟付きの、生成きなりのワンピースを身に纏っている。

 

「おやっ、お客さんだ。いらっしゃいっ」


 ロッカとロットに元気よく声を掛けて、セリアは厨房へと近付いてくる。

 やばい、と思ったが隠しようがなかった。

 アルバの手元に目をやると、


「およ? 何してんの、アルバ」

「何って、林檎を切ってるんだが」

「……兎だね?」

「……兎だな」

「……なんで?」

「……アイリに食わせてやろうと思って」


 アルバの顔とその不細工な林檎の兎を見比べると、セリアは口角を上げた。先程のラナとそう変わらない表情をしている。

 

「……笑いたきゃ笑えよ」

「い、っ、いや、いやいやいや……ぷぷっ……ア、アルバも……優しいところある、っ、じゃん、ぷくく――いたたたたたたっ!!」


 普通に笑われるよりも腹が立ったので、こめかみ潰しをお見舞いしておく。

 こめかみを押さえてうずくまるセリアを放っておいて、兎にした林檎と欠片にした林檎を皿に乗せると、アルバはアイリが待つ部屋へ戻った。

 


「――うさぎ……!」


 ラナと比べると不細工な出来だったが、兎だとわかってくれたらしい。目を輝かせたアイリが、食い入るようにアルバの手に乗った林檎を見つめている。


 慣れないことをしている自覚はある。

 それでも、こうしてアイリの喜ぶ顔を見るのは悪くない。

 この顔を見るためなら、少しくらい笑われてもいいか、とアルバは思うのだった。

 




「――さて、じゃあいってくるねっ」


 セリアがそう宣言して、外に出るのにアルバも続いた。通りに人影はない。いい機会だった。

 先程まで、昼食をとりにくる客をラナと一緒に捌いていたセリアだったが、それでもなお余っているのか、まだまだ元気いっぱいだった。

 セリアは神官でもあり冒険者でもあるが、空いている時間に赤い小鳥亭を手伝う給仕でもあった。冒険者はあまり訪れない赤い小鳥亭ではあるが、昼食や夕食の時間にはそこそこ客が来る。その大半の客の目的はラナだったりするのだが、それはともかく。さすがにラナ一人では捌けないことも多く、セリアが手伝うことによって店は回っていた。

 自分と出会ったのも、それが縁だった。二年前、初めて会った時のことを思い出して、アルバは懐かしさを感じる。


「ちょっと待て、セリア」

「うん? なになにっ」


 今にも走り出しそうだったセリアを間一髪呼び止める。

 セリアの口止めをしておかなければならない。セリアは自分の手柄を言いふらしたくなる性質たちだ。レッサードラゴンを倒したことを、いつ聖教内で触れ回ってしまうかわからない。もう手遅れかもしれないが。


「ブルボ村でのことだが――」

「大丈夫、誰にも言ってないよ」


 ブルボ村の名前を出したことで、言わんとすることがわかったのだろう。セリアがそれまでの快活そうな笑顔から一転、真面目な顔をする。


「なんか訳アリっぽいし、言ったらアルバに怒られるかなーって思って黙ってた――えらいでしょっ?」


 しかしそれもわずかな間だけだった。その表情を崩すと、セリアは微笑んだ。

 アルバは胸を撫で下ろす。


「あぁ、えらい。えらいからそのまま誰にも言わずに黙っていてほしい。もちろん、アイリのことも」

「わかってるよっ。アルバに迷惑かけたくないもん。でも――」


 セリアは途中で言葉を区切ると、踵を返してアルバの下へ戻ってくる。何だ? と怪訝な顔をしていると、


「――ちょっとだけでいいから、ボクにも口止め料欲しいかなーって思ったり……だめ?」


 口止め料――ブルボ村の宿屋の主に渡していたのを見ていたらしい。

 緊張した面持ちで頬を薄く赤らめ、上目遣いをしたセリアは、何かを期待するかのようにその頭を差し出した。

 言われずとも、何を欲しがっているのかは一目瞭然だった。まだ金貨の方が安くつくな――そう思いながら、アルバはその頭に手を乗せる。セリアの身体が驚いたように軽く跳ねた。それを気にせず、手を髪に軽く滑らせる。手に柔らかで滑らかな髪の感触が伝わってくる。


「――ほ、ほんとにしてくれた……え、えへへっ……ありがとっ、アルバ。じゃ、じゃあ、買い出し行ってくる、ねっ」


 撫でていたのはわずかな時間だった。

 しかしそれでも、アルバの行為に耳まで真っ赤にしたセリアは、顔を上げず、逃げるように去っていった。


 その、ここ最近で一番速く走っていく背中を見て、アルバは思った。

 前までの自分なら、有無を言わさず頭をはたいていたはずだ。その証拠に、セリアの頭の上に手を置いた時、セリアはきっと叩かれると思って反射的に身体を跳ねさせた。だから、セリアのおねだり通りに頭を撫でたのが、自分でも意外だった。

 以前の自分よりも、心が穏やかになっているのを自覚する。それが誰のおかげか――アルバは、まだほんの少ししか共に過ごしていないはずなのに、かなり影響を受けている少女の顔を思い浮かべ、苦笑するのだった。

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