保護

「――アイリは俺が守るから」


 アルバが静かに、だが強くそう告げると、アイリの頬がわずかながら赤らんだ。その目元に涙が浮かぶも、その顔にぎこちなく笑顔を浮かべ、


「……おじさん……おなか、すいた」

「――あぁ、今ラナさんに何か作ってもらってくるから、ちょっと待ってろ」

「うん……」


 照れ隠しなのか、涙を見せたくなかったのか、アイリはそう言うと、のろのろとキルトケットを顔まで被ってしまった。

 飛び出している頭に軽く手を置き、部屋から出て扉を閉めると、背後から声がかかった。


「――いやはや、懐かれてますね……アルバおじさん」


 しまった。いたことを失念していた。

 心の中で舌打ちしながら、アルバは振り向くと同時に、


「殺すぞ」

「……やれやれ、に向かって何て口の利き方を」


 苦笑が聞こえて、アルバは嘆息する。

 まぁいい、いるならばまだ聞いておきたいことがある。

 先程、イレは自分の組織では太刀打ちできない、と言った。けれど、そのような実験――というか魔法自体を忌み嫌っている、もっと大きながある。

 ならば、それを利用してしまえばいいのではないか。


「しかし、その『研究所』……思いっきり異端だよな? 聖教に密告してしまえばいいんじゃないか?」

「聖教……【異端審問機関】ですか」

「あぁ。その為の機関だろ。なら働いてもらわなくちゃな……業腹だが」


 ――異端審問機関。

 それは一般的には知られていない、イシオス聖教の裏の顔だ。

 魔力の行使による力は数あれど、神の力を借りて行う聖教の【奇蹟】や、遥か過去にあった文明の遺産である魔術とは違い、聖教は魔法を異端の力――聖教に反する悪魔との契約による力として捉えている。

 そういった反する魔を根絶し、聖教へと律するために組織されているのが異端審問機関だ。

 そう聞くと聞こえは良いが、実際にやっていることは魔法使いへの迫害行為だ。住民が魔法を使える疑いがあるというだけで、

 個人的に、この機関を潰してやりたいほど憎んではいるが、利用できるものは利用した方がいい、とアルバは思ったのだが、


「……残念ながら、それは無理です。密告はやめておいた方がいいでしょう」

「どうしてだ? ……その魔法使いの子供すら、手に掛け兼ねないからか?」


 記憶が一瞬、脳裏をよぎった。

 奴らならやりかねない。


 しかし、返ってきた言葉は、アルバの想像の範疇はんちゅうを超えていた。


「まぁその可能性も無きにしも非ずなのですが……もっと根本的なところで無理なのです」

「無理? 戦力的な問題か? だが、いくらその『研究所』の警備が厳しかろうと、さすがに聖教の力には――」

「――『研究所』の表向きの顔である


 息を呑んだ。

 それは、つまり。


「……ばかな」

「えぇ、私も最初はそう思いました。ですが、真実です。身寄りのない子供たちを魔法使いへと為の施設――『研究所』は聖教が作ったものです。その証拠に、聖都へ着いた彼らが向かった先は大聖堂でした」

「――ありえない……一体、聖教は何を……」

「それはこれからの調査で詳しく調べるとしましょう」


 ――魔法を異端としているはずの聖教が……? 一体何が起きている?


 得体の知れない事態に、アルバは思考を巡らせるが、それには圧倒的に情報が足りなかった。目的も理由もわからないのでは考えようがない。

 それに関する思考を放棄したところで、ふと依頼主であるイレに確認しなければならないことを思い出した。これまでの話が衝撃的すぎて忘れていた。

 依頼通り、アイリは助け出した。そのアイリをこれからどうすればいいのだろうか。


「ところでイレ、アイリの今後のことだが」

「えぇ。この街は聖教の総本山。本来なら、今すぐにでも我々の組織で保護したいのですが、今の彼女の状態で長旅は無理でしょう。回復を待つことにして、その間、貴方に預けておくことにします。懐いているようですしね。もっとも、懐いてなかろうが、初めから貴方に任せるつもりでしたが」

「は?」


 イレの言葉に怪訝な顔をすると、呆れたような声が飛んできた。


「やれやれ……依頼書をちゃんと読みましたか? 依頼内容は、救出、そしてです。その為に依頼料も奮発しておきましたから、しっかり保護者をしてあげてください。守る、と約束したのでしょう?」


 確かに、レッサードラゴンがいたことを加味しても、金貨十枚は多いと思っていた。どうやらアイリの世話代も込みだったようだ。


 アルバは力強く頷く。

 依頼がなかったとしても、元よりそのつもりだった。

 

「……図らずも、彼女は魔法を発現してしまいました。それを知られるわけにはいきません。潜入して調べた限り、『研究所』が魔法の発現に成功したのは、彼女が初めてなのです。見つかれば研究と称して何をされるかわかりません。くれぐれも聖教には警戒を」


 声を潜めるイレに、アルバがあぁ、と返事をしたその時、階下から二階へと近づいてくる足音が聞こえてきた。


「――おっと。そろそろ失礼しますよ。私はしばらくこの街に滞在します。何かあれば西端のスラム街まで来てください。潜伏先の目印はいつものように」

 

 それでは、とイレは音もなく去っていった……ようだ。結局その姿を一切見せていない。

 かろうじて感じ取れていた気配が完全に消え去り、それと入れ違うようにしてラナが二階へと上がってきた。もう着替えたのか、いつもの赤いエプロンドレスを着ている。


「アルバ? 誰かいるのかい?」

「――いや、誰もいないけど」

「おかしいねぇ……アンタと誰かもう一人の話し声が聞こえた気がするんだけどねぇ……」


 顎にその細長い指を当て首を傾げるラナだったが、やがて腕を組むと真面目な顔をして、アルバを見た。

 その視線で、ラナの言いたいことがわかった。

 

「アルバ。あの子のことだけど」

「――すまん、今は詳しく話せない」


 だから先回りして、ラナの言葉を遮った。

 

 ラナを信じていないわけではない。

 だが、事情を説明することははばかられた。ラナは聖都ルフォートに店を構えている。それなのに、聖教への不信感を植え付けるような、イレとの話の内容は伝えるべきではないと思ったからだ。

 それに、それは重荷や責任を背負わせてしまうことにもなる。そこまで穏当な連中ではないのはわかっているが、言わなければ、知らなければ、もし自分の身に何かあった時、ラナにはその手が及ばないかもしれない。

 そもそも、ラナが知っているかはわからないが、異端審問機関のことを知らないのなら知らないままの方がいい。


「迷惑を掛けてすまないとは思う。だが、しばらくアイリをここでかくまってやってくれないか」

 

 アルバの言葉を黙って聞いていたラナは、射るような目でアルバの目をじっと見つめたまま、


「――あの子のあんな身体に、レッサードラゴンを見張りにつけていたこと。厄介な事情があるのは明らかだ。それをアンタは話せない、けど匿ってほしい、だって?」


 厳しい口調だった。


 無理を言っているのはわかっていた。

 店主であるラナには、厄介な事情を抱えた少女を匿う理由も利点もない。

 セリアと一緒に助けに来てくれたのは、セリアの身を案じた為であって、アイリの為ではないのだ。


「厄介事に巻き込まれるのはごめんだよ、と言ったら?」

「――その時はアイリを連れて出ていく」


 覚悟を決めた強い口調でアルバがそう言うと、やがてラナは目を伏せて、大きな溜息を吐いた。


「……バカ。ここを出て行っても当てなんかないんだろ。ここにいな。あんな子を外に放り出したとあっちゃ、私も気が気でないさ」

「悪い、助かる。それと、迷惑掛けついでに、もう一つお願いがあるんだが」

「なんだい、言ってみな」

「アイリがいる間、冒険者の滞在は断ってほしい。もちろん、その分の補填はする」


 アイリをここに匿う上で、それは大事なことだとアルバは考えていた。

 ずっと部屋に閉じ込めておけばいいのだろうが、それでは閉じ込めている場所が『研究所』からここに変わっただけだ。だから、ちゃんと歩けるくらいにアイリの身体が回復したら、部屋から出してやりたかった。もちろん、多少は不自由を強いることになるだろう。それでも、なるべくアイリには普通に暮らしてほしい。

 その為には、滞在する冒険者がいては困るのだ。

 赤い小鳥亭が街の端にあるが故に、あまり繁盛しておらず、利用する冒険者もほとんどいないことは、ここで過ごしてきて知っている。それでも、寂れているとはいえ、赤い小鳥亭は冒険者の店だ。冒険者が訪れるのが普通である。一見の冒険者ならばそこまで気にしなくてもいいだろう。近所の子とでも言っておけばいい。

 だが、滞在となれば話は別だ。滞在している内に、冒険者でもないのに冒険者の店で暮らす女の子のことに興味を持たれてしまって、その秘密を知られてしまったとしたら――考えすぎかもしれないが、どうしても、その可能性は排除しておきたかった。

 本当なら店を閉めて欲しいとお願いしたい。だが、ラナにも生活がある。それはさすがに言えなかったので、そこが妥協点だった。


 アルバのお願いに、逡巡しゅんじゅんしていたようなラナだったが、突如その綺麗な赤髪をガシガシと掻くと、


「……あーもう、乗りかかった船だ、わかったよ。どうせここに滞在するような客なんていないようなもんだ。けど、今、下にいる子らだけは勘弁しとくれよ。あの子らは私の知り合いでね。私を頼ってここに来たんだ」

「あぁ、ラナさんの知り合いまで疑わないさ」


 よし、とアルバは安堵した。

 ラナには悪いが、これでひとまずはアイリを匿えるだろう。

 ありがとう、とラナに感謝を述べて、さらにもう一つ、頼まなければならないことを思いついた。


「ラナさん、あのレッサードラゴンなんだが、処理はもう依頼したのか?」

「ん? あぁ、そういえばそうだったね、忘れてたよ」

「それなんだが……そのままことにしといてくれないか」


 大きい魔物の死体の処理は、その魔物が金になるのなら倒した冒険者がしてもいいのだが、基本的にはその地を管轄かんかつする国に処理を依頼することになっている。聖都ルフォートの周辺は聖教が管轄している為、あのレッサードラゴンを処理するのなら、聖教へと依頼しなければならない。

 死体処理をする部署が『研究所』との直接的な繋がりがあるかはわからないが、ラナが依頼をしたことにより、疑念を持たれてしまうかもしれない。念には念をだ。


 アルバのその言葉に、ラナはまたもや大きく息を吐いた。


「それも理由は言えないんだろうねぇ……わかったよ、忙しくてうっかり忘れてたことにするよ」

「……悪いな」

「なーに、こんなちんけな店をご贔屓ひいきにしてもらってるお得意様だからね。多少の無理は通してやるよ」


 ラナが相貌そうぼうを崩して、笑った。

 その様子にアルバは、やはりこの店にして良かった、と心から思う。

 そんな頼りになる店主へとアルバは、


「――ラナさん、アイリがお腹空いたらしいから、何か作ってくれないか」

「わかった、お安い御用さ」


 注文をすると、ラナと一緒に階下に降りていった。

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