【魔法】
「――魔法使い」
アルバの答えに、イレがほぅ、と感嘆の声を洩らした。
「気付いていましたか」
「あぁ、目の前で見たからな。飛び掛かってきたレッサードラゴンが空中で完全に静止したのを」
「……なんですって?」
突如、イレの声が鋭くなった。
まるで、思いがけない事を聞いたかのように。
「アルバ、それは確かですか」
「あ、あぁ、おかげで助かったんだが……なんだ、知らなかったのか?」
イレのことだ、てっきり知っているものとばかり思っていた。
情報収集が生きがいのような奴が珍しいな、とアルバは思う。
「えぇ。私が知る限りでは、その少女にそんな力はまだないはずなのです」
――力がない……?
そんなはずはない。確かに自分はこの目で不可思議な現象を見た。あれは『そんな力』――魔法に他ならない。
鋭く、けれど静かに放たれたイレの言葉に、アルバは齟齬を感じる。
先程、イレは自分がアイリのことを魔法使いだと気付いていたことに感嘆していた。それはつまり、イレも知っていたということだ。それなのに、魔法使いと呼ばれる
そもそも、まだ、とは一体どういうことだろうか。
「ん? けど、魔法使いなのは知ってるんだよな? おかしくないか?」
「……正確には、私はその少女が、魔法使い候補者だということを知っていたのです」
「候補者……?」
言っている意味がよくわからず、
けれど結局言うことにしたのか、たっぷりと間を空けた後、その重い口を開いた。
「……もっとわかりやすく別の言い方をするなら――実験体、です」
実験体。
明らかに良い意味では使われないその言葉を聞いた瞬間、アルバは頭を殴られたかのような衝撃を感じた。
――アイリの力。
――あの過酷な環境。
――アイリの身体の状態。
――まだ、ない。
――実験体。
アルバの中で急激に点が繋がっていく。一本の線になる。
自分は、アイリが元々魔法を使えるのだと思っていた。だから迫害されてあんな目に遭っているのでは、と考えていた。生まれ持った不可思議な力――魔法は【異端】の力とされているからだ。
だが、そうじゃなかったとしたら?
アイリに元々そんな力はなく、あの時――レッサードラゴンに襲われた時、発現した力だとしたら。
自分と同じだとしたら。
アルバは自分の魔法――【転移】のことを思う。
自分のそれは確かに魔法と呼ばれるべきものであるが、生まれつき持っていた力ではない。
とある女の子を救えなかった、間に合わなかったという自分の無念や後悔といった感情が己の魔力と反応して、魔術ではない不可思議な力となって現れたものだ。いわば後天的なもの。
それは
だから【転移】を使う時は、いつもそれが疼いて痛む。
それがお前の源泉だと、忘れることなど許さないと、心が訴えてくるように。
もし、あの時に発現した力だとしたら。
アイリにもきっと、自分と同じように心の傷ができてしまっている。
その傷がどのようなものかはわからない。
けれど、一つ確かなことがある。
イレが言った『実験体』という言葉が、それを表していた。
アイリの心の傷は――
「――つまり、アイリがこんなボロボロの身体だったり、あんなところに一人で放置されていたのは……」
「……魔法を発現させるための実験、というわけです」
――何者かに故意に付けられた、ということだ。
歯が砕けるのではないかと思えるほど、気付けば奥歯を噛み締めていた。
それだけではなく、指の爪が
視界が明滅する。
足元が揺れて、まともに立てているのかすらわからない。
「……ふざ、けんな……!!」
辛うじて、アルバはその言葉だけを口にした。
ふざけるな。
何も悪いことをしていない少女が、なぜこんな目に遭わなければならない。
間違っている。何もかも。
もはや厄介事だとか面倒だとか言うのはナシだ。
だから。
――俺が守ってやる。
沈黙。
その中で、アルバの荒い息だけが、部屋を支配していた。
それが収まるのを待って、やがてイレは口を開いた。
「……偶然魔法を得た私や貴方とは違い、傷付きやすい子供を故意に辛い目に遭わせ、人の手で魔法使いを生み出す――許されることではありません。ですから、我々の組織は、そのように非道な研究をしている、表向きは孤児院であるその『研究所』を密かに調査していました」
「……おい待て。孤児院ってことは、アイリのような子供がまだ――」
「――えぇ……います。ですが孤児院はともかく『研究所』はレッサードラゴンがいたことからわかるように警備が厳しく、我々のような万年人手不足の弱小組織では、正面切って子供たちを助けるのは不可能でした。そんな折、調査に潜り込んでいた私は、一人の少女が実験の為に外に連れ出されるのを知ったのです。またとない好機でした」
そして、自分にお鉢が回ってきたわけだ、とアルバは理解した。
要するに、イレが言っていた制限時間というのは、アイリが『研究所』の外に連れ出されている時間ということだったのだろう。
となると、やはりブルボ村を急いで出発したのは間違いではなかったようだ。ギリギリだったようだが。
ルフォートに着くまでの間ずっと警戒していたが、それらしき奴らはいなかった。まだ誰がアイリを攫ったのか、バレていないはずだ。
「少人数で外に出た彼らは、それが実験だったのでしょう、少女とレッサードラゴンだけを洞穴に残して、ここ、聖都ルフォートに向かいました。だから他に誰もいなかったのです」
「――なるほどな」
「尾行していた私が助けられれば良かったのですが、生憎とレッサードラゴンは私では倒せません。【透明化】も魔物には通用しませんしね。それに、彼らがルフォートに向かった理由も調べなければなりませんでした。だから、貴方がここにいたのは
リノン――その名前を聞いて、アルバは内心で溜息を吐いた。
旅立つ時、イレには内緒にしておけと伝えたはずなのに。今度会ったらお仕置きだ――と思ったが、しかしそのおかげでアイリを助けられたのだから、不問に付すことにする。
「それはさておき、話を聞く限りでは少女に発現した力は相当強力なようです。レッサードラゴンほどの魔物が空中で静止、ですか……」
「……アイリの魔法がどんなものかなんて、どうでもいい。あれは使わせない」
使えばきっと、自分のように心の傷が痛む。
慣れていると思っている自分でさえ、【転移】は数回しか使えない。
その小さな身体であんな強力な力を使えば、アイリがどうなってしまうかわからない。あの時は気を失うだけで済んだが、次もそうなるという保証はないのだ。
「これ以上、アイリを辛い目には遭わせない。心に傷を負わせるわけにはいかない」
「……おじさん……」
自分を呼ぶ声が耳に届き、アルバはハッとしてアイリを見た。
眠って閉じていたはずのその目はしっかりと見開かれていて、顔を向けてアルバをじっと見つめていた。
しまった、とアルバは思った。
これまでの話は、他ならぬアイリの横でするような話ではなかった。
どこから聞いていたかわからないが、辛いことを思い出させてしまったかもしれない。
後悔に
「アイリ……もしかして、今の話――」
「――おじさん……わたし……へいき、だよ……だって……おじさんが、たすけてくれたから……」
――ようとしたアルバの言葉を遮って、アイリがそう口にした瞬間、アルバはその華奢すぎる身体を衝動的に抱き締めていた。
「……おじさん、くるしい」
「ぁ……あぁ、悪い」
抱き締める力が強すぎたらしい。
慌てて身体を離すアルバは、改めて思う。
――やっぱり、この子は強い。それでも――
抱き締める代わりに頭を撫でてやりながら、アイリの窪んでしまっているその目をじっと見つめて、アルバは、
「――アイリは俺が守るから」
アイリへと、その覚悟を告げたのだった。
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