『少女』の正体

「――貴方が期限を守れないなんて珍しいですね、アルバ」


 誰もいないはずの部屋にまた、中性的な男の声が静かに響く。

 入った時に閉めたはずの扉が開いていて、誰かが部屋に入ってきているのは確かなのだが、姿。しかし、それはだった。

 だから、アルバはそれに驚くことなく、アイリの顔を見つめたままで、


「……悪い」


 ただそれだけを呟いた。

 言い訳をするならば、想定外の事態――レッサードラゴンとの戦闘で、時間を食ってしまった、と言うことはできる。しかし、もしそれがなくても期限を守ったかと言われれば、答えはそうではなかった。心情的にも、アイリの状態的にも、ルフォートまで飛ばして帰ってくるのは無理だっただろう。

 だから、アルバはただそれだけを言った。

 アルバのその言葉に、見えない男が短く笑う。


「ふ……貴方が素直に謝るのも珍しいですね。それに免じて、というわけでもないですが、不問に付しましょう。そもそも、あの期限はその少女を救出する制限時間のようなものでしたからね。こうして救出してきているのですから、問題はありません」

「……制限時間? どういうことだ?」


 確かに発見した時のアイリの状態は悪く、助けるのが遅れていたら命の危機だったかもしれない。そういうことなのか、と考えるアルバに、男はおや、と声をあげる。


「貴方は不思議に思いませんでしたか? あんなところに少女と、他に何者もいなかったことに」

「――待て。あの洞穴に、レッサードラゴンがいることをわかっていやがったな? イレ」


 イレ――【イレ・ブレーノ】。それが見えない男の名前だった。もっともそれが本名かどうかは知らない。この男は他にいくつもの名前を持っていた。自分がイレと呼ぶのは、初めて会った――助けてもらった時にそう名乗られたからだ。


 イレの言葉に、アルバは盛大に音を立てて舌打ちをした。思わず顔が歪む。声と微かに感じ取れる気配を頼りに、いるであろう空間へ顔を向け、睨みつけた。


「はて。なんのことでしょう」

「……チッ」


 とぼけるような声音に、食えない奴だ、とアルバは独りごちる。

 アルバの態度が悦に入ったのか、イレはふふ、と笑いを洩らした。


「……話を戻しましょう。少女と見張りのレッサードラゴンしかいなかったのは、いくつか理由があります――ところで、アルバはその少女が何者なのか、わかっていますか?」

「あ? 話を戻すんじゃなかったのかよ」

「大事なことです」


 もったいぶるような話し方に、いつものことながら少々苛立ち、アルバは声を荒げそうになるが、すやすやと眠るアイリのことを思い出し、思い止まる。

 イレはアルバの答えを待っているかのように、それ以上何も言わない。


 少女――アイリが何者か。


 それは依頼書を見た時から、アルバがずっと考えていたことだった。これまでにも、イレから依頼クエストを受けたことはままある。しかし、その依頼はどれも魔物討伐や遺跡探索、素材収集に物資の運搬、人物の護衛等、普通に冒険者の店へ持ち込まれるような依頼ばかりだった。もっとも、どれもこれも厄介な依頼ではあったのだが、それはさておき。

 そんな中で、人物の救出という依頼もあるにはあった。しかしそれは、魔物や野党にさらわれた村人だったり、遺跡で遭難した冒険者だったり、その人物の身元も原因もはっきりとしていた。

 今回のような、何もわからないままの救出は初めてだった。一瞬、ただの人攫いでは? と思ってしまうほど、漠然とした依頼だった。


 だから、アイリにはきっと何か秘密があるのだろう、とアルバは考えていた。それも、厄介な事情付きで。

 そして、その秘密を目の前で見た。その時の記憶が蘇る。


 ――


 アイリが自分の前に出たタイミングで起きたことだ、あの現象をアイリが発生させたのは間違いない。

 問題はそれが何か、ということだった。

 魔術ではない。自分の麻痺魔術のような対象を動けなくさせる魔術もあるにはあるが、完全に停止させる魔術など聞いたことがない。それにあの時のアイリは、魔術の発動に必要な詠唱もしていなかったし、そもそもの【発動体】すら持っていなかった。

 となると、思い当たる答えは一つしかない。

 あれは、自分の【転移】と同じ種類の力――【魔法】だ。


 つまり、アイリは――


「――【魔法使い】」


 それが『少女』の正体だった。

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