『少女』の力

「――おじさん!」

「このバカ……ッ!」


 ――間に合わない。

 ――この伸ばした手はアイリに届かない。


 手を伸ばしながらも、アルバにはそれがわかってしまった。自分がアイリに触れて【転移】するよりも、レッサードラゴンの牙がアイリを穿うがつ方が速い。

 それでもアルバは手を伸ばす。、間に合わなかったこの手を、今度こそ間に合わせる――その一心で。

 

 だが、無情にも、アイリに、レッサードラゴンが襲い――


「――は?」


 その瞬間、知らず、アルバの口から呆けたように声が洩れた。

 目の前で起きている現象が信じられず、目をみはる。



 ――かかろうとしていたレッサードラゴンが、



 アイリへと、今まさにその牙が到達しようかというその直前で、あったはずの突進の勢いはどこへ消えたのか、レッサードラゴンが完全にその動きを止めてしまっていた。肢が大地から離れているにも関わらず、その体勢は崩れない。空中で静止している。

 

 何が起きたのか、と考え込みそうになるアルバへと、身体をふらつかせたアイリが倒れ込んできた。ハッとして、アルバは短剣から手を離すと、慌てて受け止める。

 腕の中で、苦しんだ顔をして荒い息を吐くアイリを見て、状況把握よりも今は離脱が最優先、とアルバは判断する。何が起きたのかわからないが、千載一隅の好機であることは間違いなかった。自分の今の状態と武装では、例えレッサードラゴンが止まっていようと倒せない。逃げるしかない。

 手早く短剣を鞘に戻してアイリを抱き抱えると、アルバはレッサードラゴンに背を向け、決して速いとは言えない足取りで木々の中へ入っていく。目指すは繋いであるはずの馬。そこまで行けば……!

 しかし、そこに行くまでに、消耗しきったアルバの身体は保たなかった。足をもつれさせてしまい、つんのめる。咄嗟にアイリを庇うように抱き締め、無様に地面へと転がった。アイリと同様、アルバも荒い息を吐いている。レッサードラゴンとの長時間の戦闘、負ったダメージ、消費しすぎた魔力。もはやアルバは限界だった。立ち上がろうとするものの、身体が言うことを聞かない。


「……、……おじ、さん……」


 顔に苦悶を張り付かせたアイリが声を掛けてくる。腕の中でアルバを見上げるその目は、もはや開かれているのか閉じているのかもわからないほど薄かった。


「……はぁ……っ……、よかった……ぁ……ぶじで……」


 己の方が辛そうなのに、自分の無事を安堵してくれるアイリ。それが、今も決して忘れられない記憶と重なって、アルバの視界が不意に涙で歪んだ。言葉が声にならなくて、アルバは返答する代わりに、アイリの頭をゆっくりと撫でる。

 それに、苦痛に満ちた表情を一瞬だけ緩ませると、アイリの頭が項垂うなだれた。慌てて確認すると、まだ息はあった。

 アイリが気を失ったとほぼ同時に、洞穴の方から激しい衝突音、それにやや遅れて樹が倒れる音が聞こえてきた。どうやらレッサードラゴンが動き出したらしい。

 あの場所からほとんど移動できていない。このままここにいては見つかってしまうかもしれない、とアルバは思うものの、身体はうごめくだけで立ち上がることがどうしてもできない。助けにきたと言ったのにこの様。結局、自分には人を助けることなんてできないままだった。強くなったと思っていたのに。

 アイリを胸に、アルバは仰向きになる。木々の隙間、その向こうに広がる夜空に星が見えた。


 やがて。

 レッサードラゴンの耳をつんざく咆哮が轟いた。

 大地を揺らし、肢音が近付いてくる。


 観念してアルバは目を閉じた。心の中で詫びる。助けられなくてごめん、と。

 引き留めていた意識を手放そうとする直前、


「アルバ――――!!」


 自分の名前を呼ぶ、聞き覚えのある声を聞いた気がした。

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