『少女』

「……おじ、さん……?」

「……俺はまだ若ぇよ……」


 ようやく対面した、救出対象の『少女』。

 それは助けに来た初対面の自分をおじさんと呼ぶ、失礼な少女だった。


 話は少しだけ遡る。


 小部屋に辿り着いたアルバは、念の為に様子をうかがおうとした。

 しかし、そうするまでもなく、松明たいまつの光量で中の様子が全て判明してしまうほど狭い、岩に囲まれた部屋に、敵の姿はなかった。


 あるのは『少女』の姿だけだった。


 冷たい土の床に、入口に背を向けて横たわっている少女の右足には鈍色のかせ。それは地面に打たれた杭に鎖で繋がれていた。少女の近くには朽ち、欠けた木製の皿が二枚置かれている。片方にはもしや干し肉だろうか、黒い色をした平たい物体が載っており、虫がたかっていた。もう片方の少し深い皿には液体が入っていた。その表面には何か細かい粒が浮かんでいる。

 少女はアルバに気付いているのかいないのか、身じろぎもしない。汚れ、千切れ、ほつれ、もはや衣服とは呼べない布でその身体をまとっている。そこから覗く手足は、病的に細い。伸びに伸びて尻に届かんばかりの金色の髪はちりぢりに痛んでいた。アルバは皿に目をやる。恐らくきちんとした食事を与えられていないのだろう。


 ギリ、と。

 知らず知らずの内に、アルバは奥歯を強く噛み締めていた。


 こんなひどい扱いを受けている少女を放ってはおけない。

 自分を絶望から救い出してくれたのように、自分もこの少女を救いたい。

 アルバは強くそう想った。


 ならば、少女を観察している場合ではなかった。急がなければならない状況なのを思い出して、アルバは動き出す。地面にある大きめの石に松明を立て掛け、短剣を鞘に戻し、両手を空けると腰のポーチから二本の針金を取り出した。


 ――まずは足枷だ。


 調べてみると大した錠ではなかった。罠も仕掛けられていなかったので、手早く解錠してしまう。ここのところシーフらしい仕事をしていなかったが、腕は鈍っていなかった。

 これで少女を縛る物はない。あとは見るからに軽そうなその身体を肩にでも担いで、外へ連れ出せば依頼クエスト完了だ。


 ――その前に、起こしとくか。途中で暴れ出されても困るしな。


 輸送中に起きられて、人さらいだと勘違いされて暴れられるのは避けたい。これはあくまでも『救出』である。起こして現状を説明しておこう、とアルバは横たわる少女の前面へと移動してしゃがみこみ、声を掛けた。


「――おい、大丈夫か?」

「……ぅ……っ…………ぁ……」


 アルバの声に反応して、呻くように、かすれたか細い声が少女の口から洩れた。その身体が微かにうごねき、痩せ細って窪んだ目がゆっくりと開いていく。

 

「……ぃゃ――!」

「お、おい」


 しばし呆けるかのように虚ろな目をしていた少女だったが、己の前に誰かがいることを認識すると、生気の感じられない色をした顔をさらに青ざめさせた。そして、その手足を震わせてどうにか立ち上がろうとして――失敗した。

 慌ててアルバはその落ちる身体を受け止める。

 腕の中の少女は、哀しくなるほど、軽かった。


「――ぃやっ……やだ……やだっ…………やぁ――!」

「落ち着け! 助けに来たんだよ俺は!」


 アルバの腕の中で、少女が暴れる。否、それは暴れると言うにはあまりにも程遠い、弱々しい抵抗だった。か細い声でうわごとのように「いやだ」と繰り返す少女を落ち着かせようとするが、錯乱状態にある少女に、アルバの声は届かない。

 どうにか落ち着かせないと――そう考えたアルバの脳裏に、とある物が思い浮かんだ。片腕で少女を支えつつ、もう片方で腰に提げてある袋の中から、を取り出す。運がいいことに、あれだけの戦闘をしたにもかかわらず、それはその丸い形状を保っていた。

 少女の眼前にそれを差し出すと、ぴたりと少女が動きを止めた。やはり腹が減っているのか食い入るようにそれを見つめている。


「――りんご……」


 それはラナにもらった林檎だった。後で食べようと思って袋に入れておいて、結局食べることを忘れていた。

 アルバは落ち着いた声色になるように、気を配りながら訊ねる。


「……食べるか?」


 やや間があって、こくん、と首が縦に振られた。

 ちょっと待ってろ、とアルバは少女を静かに寝かせると、背を向けて短剣で林檎の皮を剥き始める。刃物を少女に見せるのは躊躇ためらわれた。怖がってしまうかもしれない。

 

 ――怖がるといえば。


 アルバは目深に被っていたフードを脱ぐ。目が覚めて顔がわからない男が目の前にいたらそりゃ怖くて錯乱するよな、と今更ながらに反省する。


 いつもはそのままかじるだけだった林檎をこうして剥くのは初めてな上に、果物ナイフとして使うには大きすぎる短剣のせいで、とても不細工な出来になったのは見なかったことにする。置かれていた皿に手を伸ばして干し肉? と虫を払いのけ、皿の上でりんごを細かく欠片にしていく。

 全てを終えて短剣を鞘に戻した。少女に向き直ると、アルバはそれを一欠片摘まんで、少女の口元へ寄せる。一瞬、逡巡しゅんじゅんする様子を見せた少女だったが、食欲に負けたのか、恐る恐る、小さく開けた口へりんごを受け入れた。ゆっくりと咀嚼そしゃくする。しばらくして、そのやはり細い喉が動いた。もっと、と催促するかのように、少女はまた小さく口を開ける。

 それがしばらく繰り返され、林檎は全て少女の腹の中へ収まった。


「……水も飲むか?」

 こくん。

 

 片腕で少女を抱き起こして、水袋から水を飲ませた。

 飢えと渇きが満たされて、ようやく少女が落ち着いた様子を見せる。

 これならもう話ができるだろう、と判断して口を開こうとすると、フードを脱いだアルバの顔をじっと見つめていた少女が先に口を開いた。


「……おじ、さん……?」

「……俺はまだ若ぇよ……」


 いきなり人をおじさん呼ばわりする失礼な少女にそう反論しながら、俺ってそんなに老け顔なんかな……、と悩むアルバであった。

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