【転移】

 そして、ついにがきた。


 レッサードラゴンがアルバを切り裂かんと、余裕すら感じさせる緩慢な動きで身を起こし、その爪を高く掲げる。つけずとも捉えられるだろうに、狙いをつけるかのようにそのままの姿勢で静止する。

 今まさに、最後の一撃が振り下ろされようとしていた。

 アルバはそれでも動かない。己の命に終止符を打たんとするその爪を見てもいない。閉じた片目で自分の中へと意識を飛ばす。想像する。開けた片目で想像を補強する。当たりを付ける。

 

 咆哮ほうこう一閃。

 レッサードラゴンの爪が、ついに、


 ――もらった……!


 そう思ったのは、レッサードラゴン――ではない。


 アルバはずっとを待っていた。

 鱗に覆われていない、柔らかい腹を無防備に晒す、その時を。

 もちろん、晒したとて、普通にその腹を狙っても、短剣は届かず先に切り裂かれるだろう。しかも、ダメージによって動きが鈍った今の状態ではなおさらだ。

 だが、それはに狙おうとしたら、の話である。


 ようやく訪れた本物の好機。アルバは強く念じる。


 ――間に合え……っ!



 発動の瞬間、傷がうずいて痛んだ。



 レッサードラゴンが喉から短くこえを洩らしたのが聞こえた。

 痛みを感じたと同時に、アルバの身体が、レッサードラゴンの腹へ手が届く間合いに【転移】していた。身を起こしたレッサードラゴンのその懐へと。

 獲物を見失ったレッサードラゴンが、振り下ろそうとしていた爪を止めてしまう。その体勢のまま、忽然こつぜんと消えた獲物を探してしまう。

 わずかな、だが決定的なその隙に。


迸れ稲妻よ上級――」


 既にアルバは倒れていたその身を起こし、構えを低く、さらに体躯の下へ潜り込んでいた。

 口に紡ぐは、幾度となく窮地を切り抜けてきた魔術の呪文。


「――汝、逆らうこと能わぬ鎖となりて麻痺――」


 右足で強く一歩踏み込む。それを軸足として、アルバは敵に背を向ける。

 身体を回転させた。

 眼前で構える短剣を持つ左手。その手首には腕輪が銀の光を放っている。


「――敵を囚えよ魔術!」


 詠唱完了と同時に、回転した勢いを乗せ、渾身の力で短剣をその腹へ突き刺した。

 ぞぷり、と手に生々しい感触が伝わる。腹から溢れた青い血がアルバの頬を濡らした。

 その衝撃に、その痛みに、消えた獲物が己の腹の下にいることにようやく気が付いたレッサードラゴンが、絶叫のように咆哮する。圧し潰さんと、体躯を倒してくる。

 だが、それよりも早く、アルバの魔術が顕現けんげんする。短剣の柄頭に埋め込まれた石が眩く輝くと、そこから幾本もの雷光が伸び、レッサードラゴンをからっていく。顎や牙や肢や爪や翼や尻尾。抗おうとするその動きを次々に封じていく。そしてついに体躯から力が抜け、今度はレッサードラゴンの意思ではなく、自然に落ちるその身がアルバへと迫ってくる。

 突き刺したままの短剣から手を離し、アルバが自らに迫る腹の下から抜け出たのと、雷光で覆われたレッサードラゴンが倒れ伏したのはほぼ同時だった。わずかに早く、アルバは圧し潰されずに済む。体躯が地に沈んだ衝撃で、大地が揺れ土埃が舞った。

 麻痺の魔術が効果を発揮して身動きの取れないレッサードラゴンを、距離を取りつつ緊張の面持ちで見つめる。動く気配はない。アルバはようやく安堵の息を吐いた。魔術が振り払われる心配はなさそうだ。思い出したかのように、打たれた胸が痛み出す。 


 一か八かの賭けだった。

 自分の武装では腹部を狙うしかないと始めから思っていた。そのためにはその体躯の下へ潜り込まねばならない。それを狙えるチャンスは、爪で攻撃を仕掛けようと身を起こした時のみ。普通ならばその状態で腹を狙おうとしても、刃が届く前に先に攻撃を受けてしまう。だが、自分には爪を無効化しつつ懐へ潜り込めるすべがある。だからその時を待っていた。

 しかしレッサードラゴンはなかなか爪での攻撃をしてこず、そうこうしている内に尻尾の攻撃をもらってしまった。普通の魔物ならそこで追撃をもらって終わっていた可能性が高い。しかしレッサードラゴンがそれまでの戦闘でところどころ見せていた、慢心しているかのような行動。知能が高い故の行動なのだろう、それに救われた。おかげで少しだが身体を回復させることができた。そして、悠然と近付くレッサードラゴンを前に、倒れたままでいることにした。もう動けない、と芝居を打った。

 賭けだった。

 自分を仕留めるために振るったのが、爪ではなく牙だったならば、この結果はなかった。

 もっとも、牙だった時は、森の中へと【転移】して一度撤退し、態勢を整えるつもりだったが。


 受けたダメージは大きく、【魔力】の大半も消費してしまった。愛用していた魔術用の【触媒】である貴重な短剣も失った。

 しかし、それでも、どうにか障害は排除した。


 大きく息を吐いたアルバは左手を痛む胸に左手を添えると、


「――癒しの光よ初級回復魔術


 唯一使える回復魔術を自身に唱える。【初級魔術】なだけはあり、大した効果は見込めないものの、それでも何もしないよりはマシだった。残りの魔力が怪しいので、唱えるのはほどほどにしておく。

 雷光によって、小刻みにその身を痙攣けいれんさせるレッサードラゴンに目をやった。

 唱えたのは大抵の魔物ならしばらくは動けなくしてしまう程の、麻痺の【上級魔術】である。しかし竜種に使うのは初めてだった。いつまで効果が続くかわからない。急がなければ。

 アルバは脱げたフードを被り直す。

 もう敵がいないことを信じて、今度は蝋燭ろうそくではなく松明たいまつに火を燈すと、疲労の色が濃い身体に鞭打って、洞穴に入っていった。




 先ほどとは打って変わって、洞穴内は静かだった。やはり風鳴りはレッサードラゴンの息遣いだったのだろう。

 松明が照らし出す洞穴内の岩肌や地面が、削られたり抉られたりしているのを見て、改めてレッサードラゴンの脅威を思い知る。

 広間の入口で様子をうかがった。照らす範囲には何もおらず、聞き耳を立てても聞こえるのはどこかで雫が落ちる音のみ。それでも、右手に最後の武器である短剣を持ち、アルバは慎重に広間を移動していく。もうこれ以上の戦闘はできれば遠慮したかった。

 結局、見張りはレッサードラゴンだけのようだった。

 鍾乳石が垂れ下がっている天井は高く、松明でもその全ての範囲を照らせない広間にはやはり、何もいなかった。

 確認を終えたアルバは広間を横切って、奥の通路へと進んでいく。


 そして、アルバは小部屋へと辿り着いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る