vs.レッサードラゴン②

 ――チャンスは一度だけ。恐らく同じ手は二度は通用しない。


 柄頭に石が埋め込まれた、左手の短剣を強く握り込んだ。

 アルバが洞穴の前の広場に飛び出すと、待っていたとばかりに、レッサードラゴンがその顎を大きく開けて咆哮ほうこうした。本来なら静寂であるはずの夜の空気が爆発的に震え、木々の葉がざわめく。駆け出しの冒険者ならば恐怖で動けなくしてしまうであろう、身体に襲い掛かってくるような重量感のあるそのこえが、アルバの耳朶じだを打つ。あまりのうるささに顔をしかめるが、それだけだった。構わず、姿勢を低く、アルバは疾走する。

 これまでの戦闘結果から、レッサードラゴンは自分を弱者だと判断したのか、余裕を見せつけるかのように、無駄な咆哮を続けている。知能が高いが故の、傲慢。慢心。

 好機だった。

 この戦闘で初めて、アルバは自らその距離を詰める。

 咆哮を続けるその大口の奥、晒している柔らかい喉に向けて、右手の三本の刃を一斉発射する。これまでの手首だけの投擲とうてきとは違う、低い姿勢から跳躍して高さを得、さらに投擲の際に身体の捻りも加えた、正真正銘の全力の一投。それは震える空気を切り裂いて、まっすぐに飛翔した。会心の手応え。


 しかし。


 微かに月光を反射して飛ぶその刃に気付いたのか、レッサードラゴンは咆哮を止めるとその口を勢いよく閉じた。すんでのところで刃は届かず、その牙に当たって火花を散らしただけに終わった。

 結局一本も通じずに、投げる物は全てなくなってしまった。

 その事実に奥歯を噛み締めるアルバが着地した時、レッサードラゴンは既に次の行動へと移っていた。これまで何度も見た、四肢を張って身を沈ませる、突進の予備動作。

 アルバの背中を冷や汗が流れた。

 その巨躯からは信じられないほど素早く迫るレッサードラゴンに、後のことを考えずにアルバは全力でその場から真横へと転がるように跳ぶ。わずかに遅く、レッサードラゴンの牙が一瞬前までいた空間をえぐっていた。突進の勢いを殺しきれずに、突っ張るその四肢が地面を削りつつ滑っていく。そのわずかな隙に、アルバは体勢を立て直そうとする。

 しかし、これまで行っていた牽制ができなくなってしまった今、アルバのそれはレッサードラゴンの立ち直りとほぼ同時だった。先ほどまでと違い、息つく暇もないまま、次の突進が繰り出される。当たってしまえば終わりの、その攻撃が。

 回避に全力を注ぐアルバの息が次第にあがっていく。比して、レッサードラゴンの勢いは衰えない。遊ばれているのかと思えるくらいに、レッサードラゴンは突進ばかりを繰り返す。単調とはいえ、少しも油断できないその攻撃に捉えられるのは時間の問題だと認識しつつも、それでも一縷いちるの望みをかけてアルバは攻撃をかわし続ける。


 そして――ついには来た。


 広場に再度飛び込んでから、もはや何度目の突進だろうか。

 荒い息を吐くアルバが、目前に迫ったレッサードラゴンを回避しようとした時、不意に足の力が抜けた。しかし、それでもアルバは歯を砕けんばかりに噛み無理矢理足を動かして、回避行動を取る。間一髪、レッサードラゴンが通過していく。だが、距離が近い。突進によって巻き起こった突風がアルバを吹き付け、被っていた外套のフードを取り払った。

 力の入らない足で、よろよろと立ち上がる。

 レッサードラゴンが短くえたのが耳に届いた、次の瞬間。



 目の前が真っ白に染まって、一瞬で息が詰まった。



 横薙ぎに払われたレッサードラゴンの尻尾が、アルバの胸を打ち抜いていた。

 振り抜かれた尻尾の勢いで、アルバの身体が転がっていく。

 面白いように転がって、やがて、止まった。奇しくも、あれほどレッサードラゴンが通さぬとしていた洞穴の前で。

 レッサードラゴンが咆哮ほうこうする。それは獲物を捉えた歓喜のこえだった。

 倒れ伏してうごめくアルバに止めを刺すためか、レッサードラゴンがゆっくりと大地を揺らして近付いてくる。もはや戦いは終わった、とばかりにその足取りは悠然としていた。

 痛みで明滅する視界の中、アルバにはその様子が見えていた。意識はあった。尻尾による打撃攻撃の上、命中した部位が胸当てをつけていた胴体だったのが幸いした。切れ切れの息を、どうにか整えようとしながら、自身の状態を確認する。ダメージを受けたこの身体で、まだ戦えるだろうか。

 一歩一歩近づいてくるレッサードラゴンに、地に伏せたままのアルバは覚悟した。吹っ飛ばされても離さなかったその左手の中の短剣を、強く、強く、握り締める。

 そして、アルバは片目をつむった。


 余裕の表れか、憎らしいほどの時間を掛けて、ようやくレッサードラゴンがアルバの下へ辿り着く。喉を鳴らすと、もはやアルバが動けないと侮っているのか、緩慢な動きでその身を起こし、その鋭利な爪をゆっくりと振りかぶった。


 決定的なその刹那せつな、アルバは口の端を歪めて笑っていた。

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