遭遇

 思ったよりも準備に手間取ってしまい、アルバがブボン村に辿り着いたのは、日が傾いてからだった。


 ブボン村は、聖都ルフォートの南東に位置する、小さな集落だ。

 聖都ルフォートの街中を二分するように流れる河に沿って南側の門から街を出る。そこから河沿いに整備された【聖都街道】をそのまま南下し、途中で東へと向かう細い街道に入ると、一際高い山が見えてくる。そのひらかれたふもとにあるのが、ブボン村である。


 夕焼けが村を染める中、アルバは狭小な村にある唯一の宿屋兼商店に立ち寄って、部屋を押さえておく。ここからは身軽になる必要があり荷物を預けたかったのと、もしかすると『少女』を救出後に使うことになるかもしれないからだった。

 人の良さそうな宿屋の主人が、アルバのことを覚えていた。


「――おぉ、貴方様は……。先日はありがとうございました。あんなに少ない依頼料で……本当に何とお礼を申し上げていいのか……」

「……別に金の為にやったわけじゃない、気にしないでくれ。それより、最近村で変わったことはないか?」

「いえ……? あれからは平穏そのものでして――」


 洞穴について訊いてみても同じような返答だった。改めて村を訪れ、そんなことを訊くアルバに感じ取るものがあったのか、主人が不安そうな顔をして、アルバに何かあったのか、と訊ねてくる。ゴブリン共が再度巣食ってないかの確認だ、と濁しておく。

 少し身体を休めたくはあったが、それよりも完全に暗くなる前に洞穴の様子を確認しておきたかった。宿屋に滞在するのもそこそこに、アルバは再度馬にまたがり、洞穴を目指した。馬を使うような距離ではないのだが『少女』がどんな状態なのかわからない。自力で歩けないかもしれず、その場合、抱えるよりも馬に乗せた方が楽だろう、との考えからだった。

 村外れの森に入り、洞穴からやや離れたところで馬から降りた。迷わないように、村への方角の樹に短剣で傷をつけておき、そこに馬を繋いだ。

 救出、というからには恐らく護衛がいるはず。外套のフードを被って、慎重に進んでいく。

 木漏れ日は既に黄昏色となっていた。鬱蒼うっそうとした森の中を進んでいくと、崖に突き当たる。その崖に、目的の洞穴が大きな口を開けていた。遥か以前に誰かが伐採したのか、その洞穴の入口前に木々はなく、野営ができそうなほど開けた場所になっている。

 アルバは茂みに身を潜め、洞穴や周囲の様子を探ることにした。


 空が、森が、空気が、刻々と夜に染まっていく。

 夜目が利くので、暗闇には慣れている。それに加え、今夜は満月だった。嘘のように大きく丸い月が白光を降らし、そのおかげで森の中にあってなお、火を灯さなくても辺りの様子がうかがえた。

 しばらく潜んでいたアルバだったが、周囲に何者かがいる気配を感じない。『少女』がいるではずである、洞穴の中にいるのかもしれなかった。


 ――行くか。


 刃を取り出して逆手に握り、洞穴まで身を屈めて駆ける。その口、入ってすぐの岩壁へと張り付いた。洞穴の奥に耳をそばだててみるも、風鳴りでロクに音は拾えない。

 以前訪れた時の記憶を頼りに、洞穴の中の構造を思い出す。確か、入って少し行ったところで左に曲がっていて、その先に広間があり、その奥に小部屋があったはずだ。少女がいるとすれば、小部屋だろうか。

 夜目が利くといっても、さすがに暗闇の洞穴の中までは見えない。灯りを持てば向こうから発見されてしまうが、見えないことには進みようがない。アルバは腰のポーチから小蝋燭ろうそくと手持ちの燭台しょくだいを取り出すと、蝋燭に指先を向けて、


燈火よ初級火魔術


 小さく唱えると、指先から小火しょうかが放たれ蝋燭に火がともった。

 すぐ消せる、その心もとない灯りを頼りに、アルバは奥へと進んでいく。曲がっている壁に背を張って、さらにその奥を覗き込んでみるが、闇が広がるばかりだった。

 アルバは訝しく思う。見張りがいるとしたら、焚火くらいはするだろうに。それとも、夜目が利く種族なのだろうか。どちらにしろ、進むしかないのだが。

 奥――広間に近付くにつれて、異様な気配を感じるようになった。風鳴りと思っていたのが、何かの息遣いのように聞こえてくる。妙な圧迫感に、胸がざわめく。


 ――何かいるのか?


 不審に思いつつも、やがて、広間へとアルバは辿り着いた。天井が高く、小蝋燭の光量では見渡せないほどの、それなりに広い空間。以前は、ここに多数のゴブリンやオーガがいた。

 見渡す範囲に自分の蝋燭以外の灯りはない。やはり誰もいないのだろうか――とアルバが思ったその時。


「――っ!?」


 考えるよりも先に、身体が動いていた。全力で背後に飛び退く。今しがたアルバがいた場所に、何かが飛び掛かってきていた。凄まじい衝撃に地面が砕ける。

 アルバは急反転する。今はその正体を確認するよりも、逃げることが先決だ。

 迫る圧倒的な気配を背に受けながら、アルバは全速力で駆ける。蝋燭の火は消えていた。松明たいまつにしておけばよかったと後悔しても遅い。松明なしでは洞穴の中では戦えない。入口から微かに侵入してきている月光を頼りに、時折、岩肌へと身体を擦りながらもとにかく走る。背後からは、振動と共に、岩を蹴散らし地面を抉る派手な音が聞こえてくる。嫌な予感しかしなかった。

 洞穴の中だったのが幸いしたか、どうにか追い付かれる前に、アルバは外へと転がり出た。

 身体を折って地面に手と靴底を滑らせつつ、洞穴へと向き直る。背後から迫っていた影が、アルバに遅れることわずか、飛び出してくる。

 その正体を見て、アルバは驚愕する。額を冷や汗が流れた。思わず声が漏れる。


「――おいおい……冗談じゃねぇぞ……!!」


 月明かりの下、照らし出されたのは――【レッサードラゴン下等竜


 レッサードラゴンは飛び出てきた勢いそのままに、アルバへと牙を剥いて襲い掛かった。

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