緊急依頼①
木々の隙間から降り注ぐ月光が、森の中を
――クソッ、厄介な仕事を押し付けやがって。
心の中で悪態を吐きながら、闇に溶ける外套を羽織る男は、右手に新たに刃を閃かせる。投擲に適した形状のその刃を指の間に挟み、機を
男からやや離れたところに、大きな影がある。低く唸る四足歩行のその影は、力を溜めるように重心を低くすると、一息に男へと飛び掛かった。
砲弾と見紛うばかりのその突進を、男は横へと跳躍してすんでのところで避ける。男がいた空間を、その凶悪な牙が抉り取る。横っ飛びしながらも、男は手首の返しだけで刃を
地面に手を突き跳ねて体勢を整えつつ、男はさらに刃を取り出す。残り本数が心もとない上に、未だに有効打の一つも与えられていない。焦りそうになる心を落ち着かせようと、一つ息を吐いた。
この影との戦闘の経験がこれまでなくとも、男にはわかっていた。この影と自分とでは、相性が悪すぎることを。本来ならば、自分のような【シーフ】が挑む相手ではない。逃げの一手だ。だが今は、影がその背後に守る
――クソッ。
もう一度、男が悪態を吐いたと同時に、影が再び男へと
話は半日程前に
男――アルバがその仕事を引き受けたのは、まだ日が高い時間であった。
その日もアルバは、根城にしている【赤い小鳥亭】で【
冒険者とは、そういう店に持ち込まれる一般市民や教会、はたまた国からの依頼を受けたり、遺跡探索による拾得物で生計を立てている者のことだ。時に
冒険者には一つの土地に留まり続ける者と、各地を放浪する者がいて、アルバは後者だ。この街【聖都ルフォート】を訪れたのも二年ぶりで、滞在は三ヶ月目に突入していた。その間、受けた依頼は一つだけだった。それ以外は鈍らないように身体を動かすのみで、特に何もすることなく過ごしている。
アルバが今日も今日とて暇を
ちなみに、アルバが赤い小鳥亭を選んだ理由は、美人店主のラナを気に入ったのと、街の端の方にあるこの店があまり繁盛しておらず、のんびり過ごすには丁度良かったからである。あと、部屋が安い。二年前に訪れた時からそれらは変わっていなかった。
「毎日毎日ぼーっとして、よく飽きないねぇ、アルバ?」
「ぼーっとはしてねぇよ。ラナさん美人だなーって眺めてるだけだ」
「……っ、ったく、それをぼーっとしてるって言うんだよ」
置かれたジョッキに手を伸ばし、口を付けて傾ける。中身のエールを半分ほど一気に飲み、ゴト、とテーブルに置いた。
朝とも昼とも言える微妙な時間だからか、そう広くない店内には他に客の姿はなかった。だからなのか、ラナはカウンターの中へと戻らず、アルバの向かいの席に腰を下ろした。
――――ん?
ふと何かの気配を感じてアルバは振り返った。店内にはやはり誰もいないが、何故か出入口の扉が微かに揺れている。風だろうか。
気のせいか、と思うことにして、アルバはエールを
「ぼーっとしてるんなら、依頼をこなしとくれよ。アンタが二年ぶりに戻ってきてから三ヶ月。その間に受けた依頼、一つだけじゃないか」
「金はあるからいいんだよ。そもそもあの依頼は、この店に来るような【レベル】の冒険者じゃ無理だろうな、と思ったから受けただけだ。それに、この店に来る依頼は、駆け出しの冒険者には丁度いいからな、残しといてやらないと」
「ハァ……アンタの腕なら【五ツ星】の店でも引っ張りだこだろうに……」
「……ラナさん、俺レベル5なんだが?」
「アンタのようなレベル5がいるかぁっ!!」
怒られた。
本当のことなんだが……、と
「……ったく。ま、うちとしては金もちゃんと払ってもらってるし、別にいいけどねぇ。でも、たまには仕事したらどうなんだい」
そうぼやいて、ラナさんはアルバの飲みかけのジョッキに手を伸ばすと、中身を空にしてしまう。上下に動く、白くほっそりとしたその喉に思わず目が吸い寄せられてしまった。
「――ちょっ、それ俺の」
「はいはい、もう一杯持ってきてやるからみみっちいこと言わない。ついでに何かつまむものも作ってきてやるよ。アンタ、起きてから何も食べてないだろ」
「寝起きに飯なんて食えるかよ。俺は一日一食で十分なんだ」
「……セリアが聞いたら、その寝起きに肉をたんまり食べさせられるような
空のジョッキを持って立ち上がり、カウンターの中へ入ろうとしたラナの足が不意に止まる。カウンターに何か置かれているのか、その上を凝視している。
やがて、ラナはカウンターの中へは入らず、アルバの席に戻ってくる。その手にはジョッキの代わりに、小さな皮袋と薄汚れた封書がある。皮袋の中からは、恐らく貨幣同士が擦れる軽快な音が聞こえてくる。
ラナがその手の中の物を、アルバへと渡してくる。
「ほら、アンタ宛みたいだよ。……おかしいねぇ、さっきまではそんなのなかったはずなのに」
それを受け取るアルバを、とてつもなく嫌な予感が襲った。
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