助けた少女が俺をおじさんと呼んでくるんだが。

高月麻澄

プロローグ

「――おじさんっ!!」

「――ッ!! おじさんじゃねぇっつってんだろ!!」


 月明かりが照らす森の中。


 焦ったように耳元で自分を呼ぶその声と、唐突に至近距離で感じた殺気に、男は即座に反応した。

 少女を背負っている為に、無理な回避はできない。それでなくとも、かなり消耗している。普段通りの回避は望むべくもない。

 となれば、男に残された手段は一つしかなかった。

 目を閉じる間すら惜しい。速く、深く、自分の中へと埋没する。


「ぐっ……!」


 発動と同時に、苦痛の声が男の口から洩れた。それでも間一髪、どうにか横から繰り出された鋭利な爪の一撃をかわす。

 だが。

 速攻で編んだイメージはあやふやで、咄嗟に目標とした場所から、やや離れた樹の根元へと【転移】していた。想定以上に長距離の移動となってしまい、その反動が男を襲う。膝が崩れ落ちた。頭痛、耳鳴りが収まらない。視野狭窄きょうさくが引き起こされる。

 樹に手を、地に片膝を突いたまま、それでも、男は唇を出血するほど強く噛んで意識を留めて、襲ってきた相手へと相対する。身体を一際大きく震わせたは、身体を覆っていた雷光の戒めを完全に振り払った。怒りからか、その口からは重く低い唸り声が轟いている。今にも飛び掛かってきそうではあるが、先般の戦闘の経験からか、こちらの様子をうかがっているようにも見える。


 ――ここまでか……。


 男は観念したかのように、口から細く長い息を吐いた。自分の今の状態で、少女を守りつつあれを倒すことも、逃げることも不可能だ。

 背の少女に降りるよう伝えつつ、右手に短剣を握る。最後の一本だった。


「えっ……おじさん……?」


 少女が困惑した声を上げる。その細すぎる足を地に下ろした少女はふらつきながらも、樹の幹に手を突くことで何とか己の身体を支えた。

 男は、化け物から目を逸らさずに、刃を持った右手で己の右後方を指して、


「――っ、少し、行ったところに……俺が乗ってきた、馬がいる……それに乗って、森を抜けて……村を目指せ……。村の方角には、印をつけてある。……まぁ、馬の乗り方も知らねぇだろうし、っ、その身体で乗れるかもわからねぇけどよ……ここにいても、一緒にくたばるだけだ。だから、行け……」


 あと、俺はおじさんじゃねぇ……。

 息も切れ切れに、男が少女へと告げるが、しかし、少女は動く気配を見せない。

 いつまで経っても動かない男に、好機と捉えたのか、化け物がその身を低く沈める。幾度となく見た、飛び掛かりの予備動作だ。

 もはや猶予はない。男は覚悟を決める。頭が割れるような痛みに歯を食い縛って耐え、男はゆっくりと立ち上がる。

 身体のダメージは深刻、残る武装は短剣一本、【転移】も使えて恐らくあと一回。

 それでも。

 ――こいつが逃げる時間くらいは稼いでやる。


「早く行けッ!!」


 男の声に呼応するかのように、短く咆哮した化け物がその四肢で地を蹴り、それなりに離れていた男との距離を絶望的な速さで詰める。

 回避行動は取れない。背後にはまだ少女がいる。足がすくんで動けないのか、それとも、独りになるのが怖いのか、少女は動かない。思わず舌打ちした。これだから、誰かの世話をするのは嫌なのだ。一人の方が気楽だ。失敗したところで、自らの命を落とすだけなのだから。

 迫る化け物を前にして、男は逆手に持った短剣を眼前に構える。この身をていすれば、一撃だけは防げよう。その間に少女が逃げてくれることを祈るばかりだ。

 しかし、男はそこで、予想外の事態に目をみはった。


「――なっ、」


 少女が、ようやく動いたのだ。

 

 両手を広げ、まるで男を守るかのように。


「おじさん――――!!」


 男が少女へと手を伸ばすよりも速く、凶悪な牙が少女へと襲い掛かった。

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