HIGHEST SKY
孔雀 凌
近い将来、全ての建造物や人が地上から姿を消すかも知れない。近未来物語。
世界は、確実に潰滅状態に近づいていた。
南極上空を蝕み続けた過大な三酸素の濃度激減は、またたくまにその範囲を広げ、僕達、生命体を容赦なく危機的状況へと陥れていく。
この国、昨今の日本では海外民族による移住が増えていた。
人々は拡大するオゾンホールから、北へ、北へと逃れる様に流れ込んで来ていたのだ。
一見、大気破壊力の弱い代替フロンも蓄積されれば、結果的に想像を遥かにこえた最悪の事態を招いてしまう。
「ねえ、待ってよ。ジョーカーってば」
朝食もろくにとらず着替えだけをすませて、慌てて抱え込んだ学校指定の鞄を落とさぬ様に気づかいながら、僕と同じ制服姿の友人を一途に追った。
「朔、走れ! 一限目、数学の小テストあるじゃん。急がないと遅刻するぞ」
ここは、地下にある大型の掘り下げ式立体交差道。
幾層にもなる構造だ。
僕の自宅である一階、浴室脇の床下通路口から繋がっている。
僕の家だけじゃない。
各家庭から、この交差道は共有の経路として利用されて来た。
強烈な紫外線から身を守るために、ほぼ一年を通して地下通路を使っているのだ。
何だか、陽の光が恋しい。
もう、どのくらい太陽の温もりに触れていないのだろう。
空調設備の整った地下道や、外界と遮断された自宅の室内では、訪れる四季の感覚を自然と鈍らせる。
突然、何気なく耳に届いた音色を不思議に想って、通路の一角にある時計を僕は見上げた。
「時報? こんな時刻に」
この時計は、朝七時と正午にしか時間を知らせないはずだ。
「ジョーカー、見て! 柱時計。まだ、七時だよ」
「えっ、マジかよ。俺の腕時計は八時を過ぎてるけど」
僕達は立ち止まり、互いに顔を見合わせる。
どうやら、彼の秒針が不正確らしい。
その事実に、一時間もの時間差は大きいと僕は肩を落とす。
けれど、すぐに気を持ち直した。
「そうだ、この先にある百貨店の最上階に行ってみない?」
僕は前方を指さす。
最上、それは地平線上に位置する。
唯一、外の世界を眺めることの出来る場所があるのだ。
「こんな朝から、店なんか開いてないだろ。ばーか」
ジョーカーが、僕の前髪を弄ぶようにして掻き上げる。
彼は、僕と同じ学校に通う、高等部の生徒だ。
中等部の僕とは三つしか年の差がないのに、子供扱いをされて何だか悔しい。
「秘密の通り道を知ってるんだ。僕にまかせて」
「秘密? しょうがねーな。今日だけだぞ」
言い出したのはこの僕だけれど、先頭に立って歩くジョーカーの姿を追いながら、目に映る広い背中が頼りがいがあって心強いと改めて実感する。
地下通路はただ、閑散とした光景が続いている訳じゃない。
コンビニだってあるし、銀行も役所もある。
全てが薄暗い世界で機能しているのだ。
「着いたぞ。で、どうすんだよ」
僕はジョーカーを百貨店の裏口へと誘導する。
「一ヶ月前から、扉の鍵が壊れてるんだ。だから、この鎖さえ解ければ中へ入れるよ」
把手に深く絡んだ鎖に手をかけると、ジョーカーが感心した様子でこちらを見ていた。
「そういや、お前、手先が器用だったな」
頑丈な鎖が解き放たれ、錆びた扉から建物の中へと侵入する。
「ねえ。昔の人は、今よりもっと綺麗な景色を見てたのかな。曽お婆ちゃんが言ってた。みんな、外の世界で太陽の光を浴びて自由に生きてたって」
僕はそっと、ジョーカーに想いをこぼす。
「ん。昔の人はさ。恐竜と一緒に暮らしてたんだぜ。人間も、口から火を吹いたりしてさ」
「もう! 真面目に答えてよ、ジョーカー」
僕が想うに、彼はしおらしい話題が苦手とみえる。
過酷な現実を受け入れたくないという、本能からくるものなのか。
時に彼の返答は滑稽で、おどけた言葉はまるで道化者を想起させる。
無機質な階段を昇りきると、仄かな光の存在が心を揺るがす。
最上階だ。全面ガラス張りの天井の向こう側に地上の世界が拡がっている。
「出てみるか? 雲っているし、少しの時間なら問題ないだろ」
天井へ続く梯子に片足を掛けたジョーカーが、躊躇う僕を誘う。
ロックが解錠され、一瞬にして大気が頬を宥める様に包み込む。
草木の香り、大地の息衝く音。
肩から襟を掬った柔らかな風が、優しく降下する。
この地はきっと、遠い過去から千変万化を繰り返してきた。
いつも、想っていた。
未だ見ぬ場所には美しさがあるはずだって。
だけど、理想とする物は、どこか非現実的で。
例えば、ラピュタの城のような。
宇宙の果てに理想郷が存在するなら、それこそが地球なのかも知れない。
「朔。お前の家も来年には建て替えて、地下に移るんだって?」
少し湿った土に腰を降ろすジョーカーの問いかけに、僕は無言で頷く。
今は地上にある自宅も、始終、分厚な雨戸に閉ざされているため、外界を実感することは殆どない。
「そのうち、全ての建物が地上から姿を消すかもな」
「何だか、土竜みたいだね」
僕がそう言うと、彼は苦く笑って見せた。
なら、今日見た景色を忘れずにいよう。
最後になるかも知れない、この空の雲を。
完.
HIGHEST SKY 孔雀 凌 @kuroesumera
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