カタリィ・ノヴェルは眠れない
小早敷 彰良
第1話
草原に白い煙が映える。私はいつものように、たばこのフィルターが焦げるまで、煙を吐き出していた。
一人はそれを不思議そうに眺めていた。
「それなんだい? 臭いからやめたほうがいいんじゃないかな」
「生意気なことを言うね」
私は笑って、けれど、しっかりと煙を吸い込んだ。
「たばこ、というのだろう。何が良いんだい」
「吸うとくらくらして、その後、頭がはっきりする感覚。これは他では味わえない」
「危ない物のように聞こえるけど」
彼は困った様に言うと、地図を閉じた。
小岩から降りて伸びをする彼に、私は問う。
「もうカキコミは終わったの?」
「うん。彼女が1週間前にここで動いた足跡。全部地図に書き込み終わったよ」
「それにしても、貴方の相棒は不思議な子だね」
「そう?」
「足跡を地図上で辿ると、意味のある魔法陣になっている、だなんて。今回はどんな魔法陣だった?」
彼は答えずに笑って、恐るべきほどに膨らんでいる鞄を無理やりに閉じた。
この不思議な子に会ったのは、数週間前のことだった。
小さな店の機械技師をやっている私のもとに、壊れたスクーターを引いた彼が訪ねて来たのだ。
「どうやったらこんなに壊れるのさ」
私は辛うじて形の保っている外観カバーを外して、呻いた。
彼は頬をかいている。
「中まで煤で真っ黒。うわ、ボルトの溝まで埋まってる。火事現場にでも置いていたの?」
「本ってのはインクが詰まっているものだからね。本から作るとこうなる」
こんな具合に、話も噛み合わない。
「すぐに直せるかい? すぐここを出ないと。急いでいるんだ」
無茶まで行ってくるのだから、これ以上ないほど悪い客だった。
「そんなこと言っても、だね」
私はどれだけこのスクーターが壊れているかを熱弁した。
分解清掃修理には1週間以上はかかること、そもそも買い換えたほうが早いこと。
彼は自分がどれだけ急いでいるかを熱弁した。
彼は言った。
「探している人がいるんだ。大事な、彼女」
「恋人?」「いや」
「友達?」「向こうが私のことを知っているかもわからないや」
私は大急ぎで、スクーターのスタンドロックをかけた。
「だったら尚更、スクーターを渡す訳にはいかないよ」
「どうして?!」
彼は心底驚いた様に目を見張ったが、当たり前だ。
「ストーカー規制法って知ってるかな?」
「ボクはストーカーなんかじゃない!」
じろじろと見る私の視線を避ける様に、彼は手を振った。
「そんな目で見るならスクーターを返してよ」
彼は強引にスクーターのハンドルを握る。
「他の店を当たるよ。お姉さん、色々とありがとうね。さよなら」
「この町にこのガトガワ製のパーツを扱う機械屋はうちしかないよ。うちを諦めるなら、確実に買い換えだよ」
私の言葉に彼は、むーっ、と唸りながら悩んでいる。
不思議な話だ。私は疑問を問う。
「なんでそんなにそのスクーターに拘るの?」
もしやそのスクーターに秘密が隠されているのだろうか。
それこそ、追っている彼女との思い出の品、とか? けれど顔見知りですらない、と言っていたな。
彼は平然と答えた。
「買い換えるお金がないんだよ。修理代の他は、明日買うパンのお金分しかないから」
私はため息をついてしまった。
「そんなんでよく旅をしようと思ったね」
「仕方ないじゃない。彼女のこと、気がついちゃったのだから。多分ボクだけが知ってるよ」
「恋は大いなる錯覚だ、って言葉、知ってる?」
「だから片思いしてる訳じゃないし、そもそも恋が錯覚なんて、思わないよ。なんだってやってみなきゃ。本だって読んでみなきゃわからない。人だって会わなきゃわからない」
若いエネルギーに胸焼けがしそうになりながら、私はスクーターの分解を再開した。
「だから、彼女と会わなきゃならないってこと?」
「うん!会わなきゃなんでこんなことしているのか、わからないからね」
彼は意気揚々と、細かく書き込まれた地図を広げた。
その、見慣れない地域の地図には、無数の線が交差していた。
「見ててね」
そういうと彼は、店の床にチョークでその線を書き写しだす。
「あとで掃除はしてね」「まあ見てなって」
小言に答えながら、彼は図を描きあげる。
出来上がったのは綺麗な魔法陣だった。
「さ、お姉さん。これを触って見て」
「やだよ怖い」
「イイからイイから」
魔法陣に指先が触った途端、桜吹雪が舞った。
口の中には甘酸っぱいような味が広がる。
同時に、脳内に直接、恋について書かれた本のストーリーが流し込まれる。
拙いけれど、楽しいハッピーエンドだった。
慌てて私は魔法陣から離れた。
「これは」
「彼女、リンドバーグが書いた『本』だよ。こんな物語が、彼女の足跡に無数に蔵書されているんだ」
彼は胸を張った。
「ボクは彼女の『本』がもっと読みたいんだ」
「つまり、リンドバーグのファンな訳ね?」
彼は驚いたようにその呼称を繰り返す。
「ファン、ファン。うん、この感情がなんだかわかっていなかったけれど、そうだ。ボクは彼女のファンなんだ! しっくりきた。やっぱり言葉ってのはすごいな」
はしゃいでいる彼に、私は聞いた。
「そのファンが、どうして追っかけになったの? 回りくどいことせず、直接感想を伝えてあげれば良いじゃない。照れるとロクなこと起きないよ」
年長者らしく忠告する私の言葉に、彼はへしゃげた顔を見せた。
「彼女、勤め先で栄転して、首都に行っちゃったのさ」
ここは首都から何千キロも離れた田舎だ。
足跡に書かれた魔法陣の『本』を読むには、足跡を読み取ることが必要だ。
その『本』が読みたいと思うならば、確かに側にいる必要がある。
「本のレビューとかとっても素敵だったから、栄転するのも当たり前だけどさ」
いじける彼に、私は聞く。
「読みたい本が読めない、なんてこと、大人にはよくある話だけど。諦めはつかないの?」
彼は壊れたスクーターを指差した。
「あのスクーター」
「うん」
「あれは彼女の魔法陣から出てきたのさ」
彼はとつとつと話した。
「あれは、中央三月道に書かれた足跡から出てきたものさ。丁度、首都へ招聘されたタイミングで、彼女が書いたものだよ」
「スクーターか」
「うん、なんでスクーターなのか。なんでいつもの本じゃないのか。わからない」
読んでみたいんだ、と彼は言った。
「読んでみたいんだ、彼女の書いた『本』を。彼女の心情を。何事も、読んでみなきゃわからないから」
「で、丁度よくスクーターが出てきたから、読みに行こうと?」
「彼女もそれを望んでいる気がして」
確かに、読まれないために本を書く作者なんていない。全ての文章は読まれる為に書かれているはずだ。
私は彼の言い分に深く納得した。
「こんな熱心なファンがいるなんて、リンドバーグという子は幸せだね」
「そうだと良いんだけど。こっそり読んでて恥ずかしいんだけど」
「おいおい、そこで消極的になるの?」
私は契約書類を取り出した。
「でもスクーターの修理期間が短くなる訳じゃないよ」
「ええっ、こんな感動的なはなしをしたのに?!」
「これは技術的なお話で、感動とか、心情で変化するものじゃないの」
とんとん、とサイン欄を示す。
冷静に切り離して考えることが、大人としての責務だ。
彼の顔が歪む。
「でも、そうしている間に、リンドバーグの足跡がどんどん消えていっちゃうよ」
泣きそうな彼に、私は言った。
「その代わり、アフターサービスはばっちり。修理期間中の送迎サービスもしてあげるから」
そう、誠意というのは、技術の外で示すことが出来るのだ。
「へ?」
「しばらく、私が全国どこでも送ってあげる。技師のネットワークで彼女の足取りも掴んであげよう。ここは田舎だから、濃ゆいお付き合いしてるしね」
呆然と彼は契約書類を見た。
「そんなよくしてもらって良いの?」
「その分のお金はもらうよ」
利息なしのローン払いだけどね、と私は自分の甘さに苦笑する。
「まあ、あと、熱意ある若者は応援しないと。大人として」
彼は輝かんばかりの笑顔を見せた。
「ありがとう!やった!これで、あの人の本がもっと読める!」
覚えがある喜びに、私の口元が緩んでしまった。
「カタリィ・ノヴェル」
スクーターの修理契約書に、彼の名前が書かれた。
そうして、その不思議な旅に、私が関わることとなったのだ。
カタリィ・ノヴェルは眠れない 小早敷 彰良 @akira_kobayakawa
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