ゴドーを待ちながら
湫川 仰角
ゴドーを待ちながら
一本の塔が、地表から伸びている。ひたすらに頑強で、果てしなく高い。未だ完成には程遠く、今もなお伸び続けている。
あるいはそこは、地球と呼ばれていた惑星。あるいはそれは、軌道エレベータと呼ばれていた構造物。伸びゆく塔の先端は、もはや誰にも必要とされていない領域だった。
「本当に、こんなっ、ところに、いるの……?」
青年が一人、息も絶え絶えに塔を登っていた。
『えぇ、間違いなく』
腰につけた鳥型ストラップから、ハキハキとした女性の声が返ってくる。
「ここは棄てられてから、随分経つよ。人も住んでいないし」
『棄てられたわけではありません……取り敢えず、行ってから考えるということで』
「人使いが荒いよ」
文句を垂れつつ、青年は塔を登り続ける。
真っ白の合成ケイ素で編み込まれた構造物は堅牢で、風化もしない。内部の至る所には、役目を終えた建造オートマトンが打ち捨てられていた。
カツリ、カツリと青年の足音だけが響く。
「この塔は、いつから造られているの?」
『およそ数十世紀前から建造の記録が残っています』
「まだ完成してないんだね」
『合成ケイ素は頑丈ですけど、それだけでこれほどの構造物を成立させるのは無謀でした』
「自分たちが先に絶滅するなんて、誰にも予測できないよ」
「ですが、未だ塔の建造は続いています」
「もう、完成を待ってる人はいないのに」
『……この先に、いるかもしれません』
「うわ、すごいねこれ」
塔の先端付近では、今も多くの建造オートマトンが作業を続けていた。バケツをひっくり返したような見た目のそれらは、ホバー移動しながら資材を担ぎ移動させ、特殊溶接材を溶かしながら合成ケイ素建材を接続し、駆動リソースの枯渇した個体は下層で自身を捨てに向かう。
目まぐるしいサイクルのその中心に一人、白いスーツを着た少年が立っていた。背は小さくいかにも少年という見た目で、スーツ姿は七五三のようにも見えた。
『彼です』
女性はそう断言した。
「え? でもあの子は……」
訝しんでいると、少年が不意に振り返った。
「……詠み人が、ここに何の用ですか」
その声も、見た目通り少年の声だった。
「あっ。えっ……と」
『突然ごめんなさい。仰る通り、私たちは詠み人。わかっているのなら、ここに来た理由もわかるはずです』
「そ、それです」
「ここには僕と建造オートマトンしかいませんよ」
『わかっています』
「わかりません。ここに物語を必要としている人なんていませんが」
『あなたが必要としているのではないですか?』
「建造オートマトンと管理用AIに、物語は必要ありませんよ」
『いいえ。私たちは、あなたに会うためにここに来た』
「不要です。帰ってください」
『帰りません』
「あなたたちに構っている余裕なんかありません」
『それでも、あなたに必要なことです』
「頼んでいません」
最善を選ぶように設計された2人のAIは、お互いの使命にとって最善を選んでいるが故に平行線だった。
押し問答も何十か繰り返された頃。
『もう埒が開かない! ここに連れてきて!』
ついには女性の方が先に弾けた。
「は、はいっ」
大声で指示された青年は、慌てて腰のストラップに手をやる。
「……? 何を––––」
青年はストラップの胸元に付いた、「」の形をしたファスナーを引き下げた。
その瞬間、ストラップの中から目映い光が溢れ、やがて全員の視界の全てを白く塗りつぶした。
少年が目を開けると、そこは建造途中の塔内部ではなく、左右に天を衝くほど巨大な本棚が聳える、古びた図書館だった。目の前にはひとつの机があり、一人の女性が寄りかかっていた。
「ここは……?」
「ここはトリの内部ストレージです」
少年の問いに、目の前の女性が答えた。
「はじめまして、私はリンドバーグ。あなたと同じ、統括管理AIです。バーグでいいよ」
「早く帰して欲しいのだけど」
「そうはいきません」
2人のAIはお互いに頑なだった。
「何度も言わせないで下さい。AIに物語は不要です」
「そうはいきません。 カタリィ!」
「叫ばないでよ……」
カタリィと呼ばれた青年は、少年の前に進み出た。
「まず、君の名前は?」
「建造管理用統括AI」
「そうじゃなくて、君の名前」
「……ゴドー」
「ゴドー? 戯曲の?」
「カタリィ。いいから進めて」
バーグは急かすように先を促す。
「じゃあゴドー。僕の左目を見て、すぐに済む」
ゴドーはカタリィの左目と目を合わせた。
「はい終わり」
「これに何の意味が––––」
「見える?」
ゴドーの目には、今までなかったはずの光芒が、本棚から伸びる幾筋もの光の帯が映っていた。それは本棚に収まっている数多の本から漏れ出た、天使の梯子だった。
「これは一体……」
「それはね、君に宛てて書かれた物語の声さ」
「声……?」
「そう。知ってるでしょ? 私たち詠み人は、人に物語を届けるために世界を巡っている」
バーグは優しく答えた。
「だからAIには––––」
「それはつまり、どこかの誰かのために書かれた物語を、その誰かに届けることでもあるの」
「そう。僕たちが来たのは、君のために書かれた物語があるからだよ」
「統括AIのために?」
「違う。ゴドー、君に宛てて書かれた物語だ」
「一体誰がそんな」
「あの塔の建造を支えた、かつての人々さ」
「……そんな人たち、何百年も前に死に絶えたよ」
「そうね。でも、生きていた時もあったでしょう」
「あの光は、その人たちの心の中にあった物語だよ」
「ゴドー。あなたに見えている光は、かつての人々が心の中に封印していた、あなたに伝えたかった物語なの」
「……それなら、内容は読まなくてもわかる。早く塔の建造を完了させろ、だ」
「本当に、それだけだと思う?」
ゴドーの言葉に、カタリィは笑みを浮かべて答えた。
「読めばわかるさ」
それからゴドーは、長い時間をかけて幾冊もの本を読んだ。そのための時間はいくらでもあったからだ。
本はいずれもがゴドーを中心として書かれていた。詩や伝記、冒険鐔から論文調など形式は様々だったが、描かれたゴドーはどれもとても楽しそうにしていた。
それはつまり、当時の人々が、生き生きとしたゴドーを心に思い描いていたということに他ならない。
人々はゴドーの活躍を願い、空を見上げながら塔の完成を待ちわびていた。
しかし結局、思い描いていた通りのゴドーは、人々の前に現れなかった。
物語に描かれたゴドーの姿は、人々の希望であり、失意の裏返しでもあった。
最期の時、人々がゴドーに対してどんな思いでいたかは、今となっては知る術もない。
本を読むゴドーの背中を、2人は眺めていた。
「ねぇ、バーグさん」
「なんでしょう」
「AIにも物語は必要なんだよね」
「もちろんです」
「それは、判断を下すため?」
「有り体に言ってしまえば、そうなります」
「それなら、事実だけを取り込むのじゃダメなの。心の中の物語なんて、曖昧なものじゃなくて」
「客観的根拠であろうと、人々の感慨や空想であろうと、等しく情報として取り込む。それが私たちにとっての考えるという行為なのです」
「そっか」
「ねぇバーグさん」
「はいなんでしょうか」
「ゴドーはまた塔の建造を続けるかな」
「さぁ、それはわかりませんね」
「AIなのに?」
「AIなのに」
「ねえ」
「なに?」
「なんでしょう?」
「もう少し、読んでてもいい?」
「いいとも」
「もちろんです」
ゴドーの気が済むまで、2人は待ち続けた。
ゴドーを待ちながら 湫川 仰角 @gyoukaku37do
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