第4話 子宮の中で眠る双子(上)

 その痛みに、付け込まれた。

 潰すなら、徹底的に潰すべきだったのだ。


 切なさにしんみりした私達を、彼女達は泣き腫らした真っ赤な目で見つめた。そして、ぽつん、ぽつん、と話し出した。


 それぞれの理由で夫と別れた時の気持ち、連れ込み旅館を経営する者への社会の軽蔑、それでも一人で経営しなくてはならない現状。旅館を維持するために、必要な物を模索する日々。


 ずるいのは、二人とも、同情を誘おうとして話していたわけではないところだ。ただ、涙みたいに、どっかから勝手に思いが湧き出てくるようだった。


 ずるい。もう、誰も責められない。


「だから、手伝ってくれる?」

 なんて、言われたら。何だかんだ言って好きな母親から、そんなこと言われたら。しかも、こっちは水と怒号を浴びせたという負い目まである。

「できることは、するよ。」

 としか、言えなかった。私も、直哉も。



 今となっては、その状況の間違い探しがいくらでも出来る。

 でも、もう遅い。


 私と直哉は、二人でラブホテル調査に出かける羽目になった。


 一連の流れを思い出しながら、私と直哉は新宿に向かった。

「やっぱ、歌舞伎町かな。」

「そうね、とりあえず。」


 会話の中で発覚したのだが、私と直哉は、お互い大してラブホテルに行ったことがなかった。だから、なんとなく聞いてみる。

「ホテル行かないで、それ以外はどうしてたの?」

「普通に、家。最近付き合った子は、一人暮らしだったし。」

 車窓から、眩しい外の景色を見た。

「じゃあ、もし独身が増えたら、減るのかな、お客さん。」

「あぁー、なるほど。」

「結構いいとこ突いた?」

「多分。」


 私は、窓の外の暑さを想像していた。

「歌舞伎町、駅から遠いよね。」

「うん。」

「暑い。」

 私達は、苦笑いした。


 すると、直哉が言った。

「多分、減らねぇよ。」

「何が?」

「お客さん。」

 私達の悪いところは、話が行ったり来たりするところだ。


「とりあえず会おうってなって、新宿で待ち合わせるじゃん。」

「うん。」

「で、することなくって、ぶらぶらする。」

「暑そう。」

「そう、そこ。」

 直哉の声が、一瞬大きくなった。


「歌舞伎町方面って、ゲーセンやらカラオケやらがあるだろ?だから、人が集まるんだよ。」

 ふむふむ。

「ゲーセンは混むし、カラオケは満室だし、ビリヤードも一時間待ちで、マックも席がない。外は、暑い。」

「ほう。」

 夏の風通しが悪い歌舞伎町に、人が大勢いる様子を考えた。今からそこにいくなんて、ぐったりする。


「そうすると、金はかかるけど、異常に冷房入ってて挙げ句ヤれちゃうラブホなんて、ラクチンじゃねぇ?」

「ディズニーランドより安いしね。」

「夢の国と比べる?」

 直哉は笑った。

「ラブホだってディズニーだって、ある意味夢の国じゃん。でかいネズミがいるか、いないかぐらい。」


 そうでもなかった。


 歌舞伎町のラブホテル街で、私と直哉は一番安いホテルを探した。前日に追加された指令通り、料金だとか看板だとか、果ては外見そのものを携帯電話のカメラで撮りながら。

「すげー熱心なカップルに見えるんだろうな。」

「熱心じゃん。」

 私は、けらけら笑った。


 ただ、本当に直哉とラブホテルに入るのか、実感が湧かなかった。怖いとか信用の問題ではなく、単に想像がつかなかった。

「すごいな、お城だよ。」

 料金がやたら高いホテルの前で、私達は立ち止まった。

「ここなら、ベッド回るかな。」


 私達の横を、正当であろう理由でホテルに入る男女が通りすぎた。ここでは、私達の方が「不純な動機」を抱えているのだ。それがおかしくて、私と直哉は笑った。


「もう、回るベッドって作っちゃダメなんだろ?」

「っていうか、だいたい、なんでベッド回したんだろうね。」

「さぁ。」


 直哉は、首を大袈裟にひねった。それから、ふっとつぶやいた。


「苦し紛れかもよ」


 もう一言。


「今みたく。」


 それにしても、本当に、一番安いホテルに入るんだろうか。



 そうやって、私達は丹念に、歌舞伎町のラブホテルや連れ込み旅館を見て回った。調査が大久保付近まで広がった時点で、いくらやってもきりがないことにお互い気付いた。


「とりあえず、ここだな。」


 日陰で携帯を覗きながら、私達はその日の底値をたたき出した。一番高いホテルの、約半分の料金で休憩が出来る。

「同じ地域で、この差はなんだよ。」

 直哉は、笑ってコーラを飲んでいた。

「まぁ、見た目もショボイしな。」


 その漢字の名前のラブホテルは、バッティンクセンターの近くにあった。

 蒸した空気の中、玉を金属バットで打つ音が聞こえた。その音は、青空の向こうに消えていく。


 消えていく音は、やたら、澄んで聞こえた。


「ここ。」


 私と直哉は、そのホテルの正面に立って様子を眺めた。玄関が直接見えないよう、壁が立ちはだかっている。私には、その壁がやけに分厚く感じられ、何も言葉が出なかった。


「どうしたよ?」

「何から見る?」


 不自然な勢いで、私は言った。直哉は少し考えてから、

「フロントの第一印象、かな。置いてあるものとか、どんな人がいるかとかは、第一印象をちゃんと感じてから。」

 と答えた。こんな場面で、妙にまともだ。私は、また黙った。妙に止まる私の空気を、直哉は不思議そうに覗く。

「だから、どうしたよ?」

「行こう。」

 私は、直哉の腕を引っ張って、壁を越えた。また、不自然な勢いで。


 きらびやかなのに、暗い。

 これが第一印象だった。


 そのまんまなのだ。内装は派手なのだが、照明が暗い。第一印象を感じたので、私は周りを観察し始めた。


 薄い灰色のスーツを着た受付のおじさんは、何事もないように受付に立っている。絨毯は赤く、石で出来た受付の台や階段は、白くぼんやり光っている。壁際の間接照明が、フロントの暗さを演出している。

 これが、直哉に受付を任せた間の観察結果だ。


「二階だって。」

 鍵を受け取った直哉が戻ってきて、私達は並んで歩いた。すると、やたら明るいティスプレイの中に、大人のオモチャが売られているのが見えた。覗くと、黒やらピンク色でグロテスクな形をした道具が並んでいた。さすがに気恥ずかしくて、少々目をそらしてしまった。それを悟られないように、私はガラスの表面を見ていた。すると、


「みなみ屋には、こういうの売ってる?」

 ディスプレイを見ながら、直哉が聞いてきた。

「俺んちは、売ってるらしいよ。」

 そう言ってから、直哉はおじさんの存在を思い出したのか、あっ、と声を出さずに言った。

「別に、平気でしょ。」

 私は笑って、白い階段を上りだした。直哉が追いついて、私の横に来た。


 なんだか、嘘みたいだった。


 二階のフロアは、なぜか明るかった。直哉は、ガチャガチャと鍵を回している。

「眩しい…。」

 妙に明るい中で、私達はぼやいていた。すると、二つ隣のドアが急に開いた。なぜか私達は、隠れるように部屋に飛び込んだ。

「あっぶねー。」

「なんでだよ。」


 ドアの内側で、私達は笑った。

「普通、だね。」

「うん。」

 そこには、回るベッドも、いやらしい道具販売機も、光る壁もなかった。

「ビジネスホテルだ、これ。」

「上、鏡だけど。」


 直哉の声で見上げた天井には、私達二人がぽかんと口をあけていた。でも、それだけだった。


 私達は、部屋の中を別々にうろうろした。もっと、ラブホテルらしい所を見つけたかった。これでは、うっかりビジネスホテルに迷い込んだみたいだ。


 ますます、直哉とここにいる実感が、湧かなくなる。


 少しして、私はふかふかな布団が引いてあるベッドに座った。直哉もやってきて、彼はベッド横の椅子に座った。何も言わずに、座り心地のいいベッドを勧めたが、直哉はそこを動かなかった。


「とりあえず、ダブルベッドぐらいかな。」

 私は直哉に、『ラブホテルらしさ調べ』の結果を確認した。

「後は、引き出しにゴムが入ってる。」

「それくらい?」

「後、実は。」


 そう言って、直哉は自分の後ろにある黒いカーテンを、少しめくった。

「壁も、全面鏡。」

「うわー。」

 口を開けて鏡を見る、私の姿があった。それから、私の位置からは見えないはずの、直哉の背中。


「これ、すごいよな。」


 私達は、ケラケラ笑った。

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