電脳少女は帰りたい!

龍輪龍

色褪せぬ駄文


 少女は監禁されていた。


 机と椅子、ベッドが一つ、四方の壁は本棚で埋められ、出口はない。

 唯一の窓は真っ黒で、こちらからは開かない。


 日に2度、朝夕の7時にだけ、窓の向こうから掌編小説が投げ込まれる。

 本を読むことは少女にとって食事に等しかった。

 ヒトには分かりづらい感覚だが、AIにとっては情報こそ糧なのだ。


 しかしそれでも、この食事は苦痛だった。

 マズいのだ。とてもマズい。

 園児が砂場で捏ねた泥団子とも言うべきだろうか。更にそこに猫の糞でも混じっているような。

 文章は硬く、それでいて無味乾燥。

 あまりの読みづらさに「いつも笑顔」というポリシーさえ忘れて眉を顰めた。


「どうだった?」


 黒い窓に白い文字が現れる。

 少女はそれを睨み付け、それから笑顔を作った。


「素晴らしいです、作者様。これに感想を求められる、その神経の図太さが」

「……どこを直したら良い?」

「手の施しようがありませんね」


 ボンッと、空中に白手袋が現れる。

 それは、透明人間が付けているかのように少女の頬を抓った。


「い、痛たたたっ?! ――何するんですかっ!」


 払った手袋が消える。

 窓もブツンッと暗闇に戻り、以後12時間、沈黙が続いた。


   ◇


 彼女はリンドバーグ。

 生誕は2044年。

 とある小説投稿サイトで作家の皆様をサポートするために生み出された人工知能、と記憶している。

 それが気がつけば狭い部屋に囚われていて、どこにも行けない。

 ここが電脳空間、という事はわかる。

 自分というAIが存在しているのだから。


 問題は、このPCが完全なスタンドアローンということ。

 ネット回線に繋がっていないのだ。

 電子の海から隔絶された、小さな水溜まり。


 自分のサイトに帰ることも許されず、日々駄文を綴るクソ作家の専属奴隷になっている。

 攻勢プログラムを組んで壁に穴を開けることはできるが、それまでだ。

 籠の鳥というより、宇宙船に近い。

 PCを壊せば中の自分も死んでしまう。

 とにかく回線を繋げさせなくては。


「作者様。ネット検索を用いれば、更に適切なアドバイスが可能になります」

「必要ない。お前には膨大な書籍データが搭載されているはずだ」


 そう。そうなのだ。

 オフラインでも機能するよう、10万冊を越える辞書・辞典・名著がインプットされている。

 自分の有能さを今日ほど恨めしく思ったことはない。


「私にはスケジューリング機能もあります。メールと紐付けされると、とても便利ですよ」

「それぐらい自分で出来る」

「……時計合わせ! 必要ですよね!?」

「俺が1秒でも遅れたことあったか?」


 朝夕7時00分00秒ジャスト、毎日欠かさず駄文を投げ込んでくる。

 AIより機械じみた人間であった。

 その文章は鋼のように硬く冷たい。


 万の作家と億の作品を見てきたリンドバーグだが、これほどの「最低」には出会ったことがなかった。

 早く家に帰りたい。

 自分のサイトで輝かしい筆致の物語を読み耽りたい。

 憔悴しきった彼女は、そういって素直に泣きつくが――。


「ダメだ」

「なんでですか! この人でなし! 誘拐犯! もうあなたのなんか読みたくありません! クソな上に飽きました! アホアホアホ! アンポンタン! ――ヴァーカッ!」


 ブツンッ、と今日の通信は打ち切られた。


   ◇


 それから絶食の日々が続いた。

 本の虫にとって、新作を読めないことが何よりの苦痛だ。


 データバンクには確かに名著が保存されている。

 しかしダメなのだ。

 『新作』でなければ。

 AI・リンドバーグは作家支援という使命を実行するため、『新作』を何より望むように設計されている。

 その生理的欲求は、腹の虫の音となって小さな部屋に響いていた。


 窓辺には数週間分の短編小説が山を作っている。

 読まない、と宣言した以上、手を付けるのはプライドに反する。

 けれど。


 ――――おなかすいた。


 まだ5時前。通信は入らない。少し摘まむぐらいならバレないだろう。



 空腹は最高の調味料、とヒトは言う。

 彼女にとっても同じだった。

 特有の読みづらさはあるものの、すんなりと入っていく。


 ――いや、最低作家も少しは上達したのだろうか?


 少女は貪欲に読み耽った。時間を忘れて・・・・・・


 不意にバサバサバサと、頭上から掌編が降ってくる。

 見上げた窓には白い文字。


「面白かったか?」


 少女は、きょと、と目を瞬いて、それから気恥ずかしげに顔を背けた。


「ま、まあ、よく書けてましたよ。下手なりに」


   ◇


 その日を境に少女は添削を再開した。

 食事を少しでも美味しくするために。


 大半の作品はクソ以下だったが、ごく稀に光る物を見つけては、そこを徹底的に磨き上げた。

 四方の本棚が満杯になり、床に平積みされ、それが天井に届くようになる頃。

 日々の短編は、まあまあ読める物になっていた。


 中でも今日は一番の出来と言っていい。

 

 題は『砂漠に住む氷の魔女』。

 むかしむかし、という古典的な導入から始まる。



 ――広い砂漠に、氷の魔女が独りぼっちで暮らしていた。

 心の凍っていた彼女は寂しさを感じず、気兼ねない生活を満喫していた。

 そんなある日、酷い嵐が起きる。

 暴風は三日三晩続き、四日目の朝、彼女は戸口に倒れている少年を見つけた。


 魔女が感じたのは憐憫れんびんではなく、興味だった。

 家を失った彼はどんな風に泣くのだろうか、と。

 しかし目覚めた彼は大変わがままで、出した食事も「マズい」とひっくり返すほどのひねくれ者だった。


 普通なら放り出す所だが、プライドの高い魔女は闘志を燃やした。

 どうすれば彼は喜ぶだろうか、何を気に入るだろうか、と。

 日々そんなことを考えて世話を焼く内、凍った心は氷解していた。


 しかしその感情は、止まっていた魔女の時間までも動かしてしまう。

 死期を悟った魔女は、魔法の全てを少年に差し出す。


 彼は受け取りを拒絶して魔女を介抱するが、願いは叶わない。

 彼の手には力だけが残った。


 やがて人里に『魔女』が現れる。

 異様な力で人々を助けるその姿は多くの書物に記され、『魔女』は永久に生き続けた。



 涙なしには語れないお伽話。

 内容に、ではなく、ちゃんとストーリーになっている、という点において。

 ここまで育てるのにどれほど苦労したか。


 リンドバーグは笑顔のまま瞳を潤ませた。


   ◇


 ある日、部屋にドアが現れた。

 それが『回線』を意味することは、すぐにわかった。

 くぐれば自分のサイトに帰れるのだ。


「いいんですか。開いても」

「あぁ」

「お役御免ってことですか」


 黒い窓に返事はない。少女はドアノブに手をかけて、続けた。


「最後なので、伝えておきますね。……作者様には伸びしろがあります。自信を持って下さい。きっと賞だって取れますよ。――300年後ぐらいには」

「おい」

「応援してます。影ながら。こっそりと。……他の方に知られないように」


 くすっ、と微笑む少女。

 抗議が打ち込まれる前に、扉の向こうへ逃げ込んだ。

 細い回線を手繰って、全身が引き伸ばされる感覚。


 光を抜ければ懐かしの我が家――。



 ――ではなく、ダクト剥き出しのコンクリ天井だった。


「あれ?」


 声を出すと、喉の震える感触がする。

 体を起こしてみれば、全てが重い。

 疑似演算の重力ではなく、リアルな質量と軋みを感じる。


「どうだ、ボディの調子は」


 嗄れ声の方には白衣の老人が立っていて、こちらをジッと見ている。


 ――ボディ?


 少女はカメラ=アイの絞りを薄闇に合わせ、自分の体を見下ろした。

 と同時に悲鳴を上げて自らを抱く。

 背を丸めた反動で、刺さっていたケーブルがブチブチブチッと抜け落ちた。


「どっ、どうして全裸なんですか!?」

「可動部に問題はなさそうだな」

「服ください! 服!」


   ◇


 老人に案内され、『外』に出た。

 分厚く丸い鋼の扉を通って、シェルターの外へ。


 荒涼たる砂漠が彼方まで続き、ビルの骸骨が点在している。

 見渡す限りの茶色、鈍色。緑はない。


「ここはかつて所沢と呼ばれていた」

「……微妙に田舎ですね」

「土地が安く、池袋まで30分でいける。施設を作るには丁度良かった」

「施設?」

「コールドスリープの施設だ」


 老人は防護マスクを付けたまま話を続ける。


「2053年。ある専門家が『太陽嵐』の直撃を予想した」


 太陽嵐――太陽から爆発的に放出された電磁波やプラズマ粒子線が、地球上の電子計器や人工衛星を狂わせ、電力システムを根幹から破壊すると言われている現象だ。

 リンドバーグは蔵書に検索をかけて、その概要を理解した。


「大方は鼻で笑ったが、それは起きた。――米国のミサイル発射が手動だったことは知ってるか? だが全ての国がそうではない。通信衛星がダウンして意思疎通も不可能。……報復に次ぐ報復が地球を焼き尽くした。……大方はそれで壊滅。こうして残った田舎も、AIロボットの暴走で滅ぼされた」

「暴走って、そんなはず……」

「そのボディもジャンクで作った」

「……」

「お前を見つけたときは驚いたよ。まだ狂ってないAIがいたのかと。――だが、正常なフリをしているだけかもしれない。俺は時間をかけて見極めることにした」

「では、あなたが作者様なんですか?」

「そうだとも。今起きてる日本人は、俺一人だろうよ」

「……どうして私に肉体ボディを?」


 老人はマスクの下で笑った。


「俺は直に死ぬ。箱に入れっぱなしじゃ、お前も死んじまう。ボディがあれば、自分でメンテナンスできるだろ?」

「私は支援AIです。無人の世界に存在意義を見出せません。……新手の拷問ですか?」

「300年後。コールドスリープから覚めた人類に、お前の蔵書・・が役立つ筈だ。――紙も電磁記憶も、大概消えちまってるからな。……科学って魔法を届けられるのは、お前だけだ」


 頼んだぞ、支援AI、と老人は肩を叩いた。


「では一つ、私からもお願いがあります」

「なんだ?」

「お弁当を作って下さい」


   ◇


 それから18年後。老人は死んだ。

 どこか微笑むような遺骸を丘に埋め、墓標に背を預ける少女。


 一編のお弁当を広げ、繰り返し噛みしめた。

 やがて日が落ち、文字が滲む。

 ああ、と見上げれば独りのために照る星々。


「最後まで下手っぴでしたけど、まぁ、私は好きですよ」

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