第34話 咎の持ち主


 困惑しながらも歩き出した礼路達。

 そこから徒歩だと数日もかかるであろう森の中に、シグレは転移された。


「……」


 彼女の顔に驚愕の色は無く、むしろ転移されたことを必然であると感じているようにも見えた。

 彼女は自分がどこにいるか確認するそぶりも見せず、真っ直ぐと前へ進んで行く。


「……ふぅ」


 風により木々がザワザワと揺れ、シグレはその中で小さく息を吐いた。

 静かな森の中、小鳥や獣の鳴き声は一切聞こえない。しかし、木々の中には美味しそうに熟れた実の成った木も存在した。

 なのに、動物の気配は一切しない。


「……」


 それは何故か。

 それらの食物を投げ捨てでも、その場を逃げなければならない存在がすぐ近くにいるからだ。

 シグレももちろん、その異変に気付いている。

 しかし、彼女はそのまま足を止めなかった。

 

 シグレが歩き続けていると、辺りの木と比べて異常なほど大きな木が見えた。

 樹齢何年か。考える事すら馬鹿らしいほどに、その大樹は天を貫かんほどに巨大であった。

 シグレはその木を無視し、根を踏みつけて通り過ぎようとした。

 その時だ。


「真っ直ぐ来てくれたのね、シグレ。てっきり逃げるものかと思ったわ」


 シグレは何処からか聞こえてきた声に足を止め、眉間に皺を寄せた。

 彼女が上空を見上げると、そこには年端もいかない少女が一人。巨木の枝に座り、シグレを微笑みながら見つめていた。

 少女は村人が着ているような簡素な服を身に纏い、首に星のような形をしたペンダントをぶら下げている。それ以外の装飾品は一切身に付けていない。


「……貴殿こそ、直接出て来るものかと思ったが……案外臆病なのか?」

「あら、慎重と言って欲しいわ。私の顔は美穂ちゃんに知られちゃってるし、変に疑われちゃ嫌だもの」


 コロコロと笑う少女はヒラリと前に飛ぶと、ゆっくり地面に着地した。地面に付く程長く伸ばした金髪をなびかせ、少女はシグレを凝視する。

 シグレはその動作を見ただけで、腰にある剣を抜きそうになった。ゾワリと総毛立ち、目の前の可憐な少女を見て冷や汗を流す。


「さて、シグレ。約束とはずいぶん違う結果になったようだけれど……なんで、聖拳様を連れて来なかったの?」


 子供のようにおどけた顔をして話す少女。

 何も知らない者ならば、別になんとも思わない光景。しかし、シグレは密かに右手を自由にし、臨戦態勢になった。

 シグレを知る者なら、彼女は小さな少女に責められる程度で動揺しないと思うだろう。

 だが逆に少女を知る者は、今のシグレの様子に納得せざるを得なかっただろう。


 それは目の前の少女が、シグレ達聖勇者の頂点に立つ者であるがゆえに。


 目の前の少女、神託の勇者エマは微笑を絶やさずシグレに問い続ける。その姿は万物に愛を与える聖母のように見え、全てを喰らう悪鬼のようにも見えた。


「ねぇ答えて、シグレ。なんであの人を連れてきてくれなかったの?」

「……」

「あの人を連れてくる。それだけが貴方に手を貸す条件だったのに……答えなさい、シグレ」


 少女は問いただしながら歩み寄る。そして動かないシグレの耳元まで近寄ると、囁くように言葉を発した。


「……まさか、今更戻れると思ったのかな?」

「ッ!!」


 途端、シグレは剣を引き抜き、目の前の少女に突きつけた。その顔は礼路達も見なかったほどに、敵意に染まっている。

 シグレはそのまま少女から距離をとると、剣を構えて臨戦態勢に入った。


「……神託の。私はもう、貴様の言いなりにはならない」

「言いなり……何の事かな。私はただ、貴方にこの世界の本当の姿を見せてあげただけだよ?」

「貴様がそう言うのなら、この世界ではそう認識されるのだろうな。だが、もう私は惑わされん。貴様より強い輝きを、私はこの目に映すことが出来た」


 ギリッと剣を握りしめ、目の前の聖勇者筆頭を睨み付けるシグレ。

 その目には、ほんの少しではあるが輝きが宿っていた。

 そんな彼女を見て、エマはふぅとため息をつく。まるで、我儘を言い続ける子供を見ているかのように。


「……痛い事、辛い事、悲しい事。その全てを教えてあげたというのに、また一から教えて欲しいのね」

「必要ない。この身は既に天上へ至るべきでなく、悪徳に穢れきった。もうこの身に残すべきものは一切ない。命すら……捨て去るに迷いはないッ!」


 シグレは途端、内に秘めていた殺気を解放した。その重さは尋常ではなく、本来無い筈の質量すらも感じさせるほど、濃厚で凶悪なモノであった。

 

 しかし、怒涛に溢れる殺気の圧を前にしても、エマは涼しげな顔をしていた。

 その様子を見て、シグレは忌々しげにエマを睨み、その目をさらに鋭くさせる。その目からは、なんの躊躇いも感じさせない。


「かつて貴様の栄光を聞いた時、私は全身が凍りつく思いをした」

「ふぅん……」

「なぜかは分からん。貴様の栄光が成された後、世界がどうなるか予想もつかない。しかし、ソレは決して、世界をより良きモノにはしない。それだけは本能で理解できたッ!」

「……」

「故に、貴様はここで倒す。倒さねばならぬッ……血の河を築くがいい、霧雨千閃ッ!!」


 直後、エマの眼前に「本物の」斬撃が放たれた。

 辺りの木々をなぎ倒す、怒涛の勢いで迫りくる斬撃は、一直線にエマへ向きその身を切り刻もうとする。

 威力、速度、範囲。その全てが礼路に放たれたモノよりも上であった。


 圧倒的なプレッシャー。ザリザリと響く轟音。

 常人ならば目を閉じ、恐れ怯えるのがやっとな凄まじい剣技。

 そんな千の刃を見ても、エマは微笑んだままであった。


「その余裕も、これで終わりだ。死ぬがいい、神託の」

「……」


 そしてシグレの霧雨千閃はエマへ届き、その身を容赦なく切り刻んだ。

 あらゆる角度から刻まれたエマの体は、かろうじて人の形を保ってはいるが、安否を確認するまでもないほどにズタズタな状態になっている。


「はぁっ……はぁっ……」


 己の全力をもって技を放ったシグレは、刀を地面へ突き刺して杖代わりにし、荒く息をする。

 目の前の化け物を仕留めた。その呆気なさに戸惑いを感じながら、本当に死亡したのかを確認するためにエマへ近寄る。


「……」


 あらゆる所を刻まれたエマは、おぼろげに瞳を開いたまま一切動かない。噴き出した血によって服は赤く染まっており、その様子からも彼女は既にこと切れているように感じられた。


「……終わった……のか……?」


 かつて自分を貶めた神託の勇者。彼女が完全に死んでいることを確認しながらも、シグレはその事実をまだ信じられない。

 シグレはもともと、相打ちとなる覚悟をした上でこの場に来た。エマがどれほど恐ろしく、すさまじい力を持っているかを知っているが故に。


「本当に……」

 

 確認に確認を重ねるため、シグレは今一度エマの顔を覗き込んだ。


 その時だ。


「ふふ、やっぱりすごいなぁ」

「ッ!!?」


 反射的に後ろへ飛び下がり、剣を構えるシグレ。滝のように汗を流し、恐怖で顔を歪ませていた。その手は震え、剣がカタカタと音をたてていた。


「やはり……至らぬか……」

「えぇ全然。でも、大したものだね」


 何事も無かったかのように平然と立ち上がったエマは、三日月のように口を歪ませてシグレを見つめる。

 その体からは神気のように神々しく、瘴気のようにおぞましいオーラを漂わせていた。


 明らかなノーダメージ。そんな印象を感じさせるほど、血まみれの彼女は楽しそうに笑っていた。


「貴方が私に刃を向けたあの日。私、少し後悔していたの」

「なにを……」

「貴方が何年もかけて身に付けた技。その輝きを見ないで、一方的に虐めちゃったから。折角なら全部見たうえで、倒してあげるべきだったかなぁって……」


 でも、と。

 エマは指をパチンと鳴らし、その笑みを消す。

 途端眩い輝きがエマを包み込み、シグレから視界を奪った。


「前に言ったよね。女神様への反逆は、一回だけだって」


 光が晴れた後、シグレが見たのは聖勇者の鎧を身に纏った神託の勇者であった。

 その圧倒的な存在感を前に、シグレの心臓が五月蠅い程に鳴り続ける。


 その姿は、かつて彼女が目にした絶望そのものであった。


「避けることすら……しないとは……」

「あら、心外ね。回避なんて、弱者の常套手段じゃない。どれだけのダメージが、どの箇所に与えられるのか。最初から分かっていれば、目を閉じて怯える必要すらないわ」


 最初にその鎧を見た時から、シグレはその圧倒的な実力差を感じていた。自分たちが与えられた鎧。それらとは比べ物にならない程にエマの鎧は異質であった。

 漂う雰囲気、放たれる威圧感。その全てが神の領域であると感じられたのである。


 聖勇者の鎧とは、あそこまで神々しいモノであったか?

 聖勇者の鎧とは、あそこまで他者に絶望を感じさせるものだったか?


 あれではまるで、本物の女神のようではないか。

 当時の彼女はそう思い、膝を屈してしまったのだ。


「色々あったけど、貴方の使命はもうおしまい。その力を次の子に継承させるためにも、ここで死になさい」


 そう言うと、エマはその手に光を宿し、瞬きも許さぬほどのスピードでシグレに叩きつけた。避けるべきか、剣で弾くべきか。そう考える暇もなく、光はシグレの身に着弾した。

 その瞬間、シグレの体に形容のできない痛みが走った。


 打撲、裂傷、火傷。

 ありとあらゆる痛みに似ているようで、その全てに当てはまらない苦痛そのものが彼女の体を駆け巡り、絶叫を上げる間もなくその場に倒れ伏した。


「ぐ……ァ……!?」


 ズシャっと倒れると同時に膨大な量の血を流し、体中から力が抜けていくことを感じたシグレ。

何が起きたのかも理解できない彼女に、エマは笑顔で近づいていった。


「知ってるかな、シグレ?この森には恐ろしい魔物がいるそうよ。女神様の力を持ってしても全滅させられない。あの悍ましい化け物達が」


 軽くステップを踏みながら、血の海に沈むシグレの周りを歩くエマ。

 対するシグレは顔を上げるもできず、身動きの一切が出来ないでいた。


「貴方の断罪は、化け物達に任せようと思うわ。倒すべき魔物に倒される。貴方に相応しい最後でしょう?」

「……」

「ふふ、もう声も出ないですか?それも良いでしょう。ではさようなら、雨の勇者シグレ」

「……」

「あぁ、それにしても。どうやって聖拳様とお会いしようかしら。こちらの正体を隠したまま、気取られないように。もうっ、また一から考え直さないと……」


 既にシグレへの興味を無くしたのだろう。エマは全く別の事を呟きながら、蜃気楼のように体を歪ませていく。

 そのまま霞のように姿を消すと、辺りに漂っていた異常な雰囲気もなくなり、静かな森に戻った。


「ぐ……」


 エマが消えたことを察したシグレは、小さく息を漏らす。

 指先すらピクリとも動かず、己の死が近い事を察して小さく笑った。


「……この罪も……咎も……全て……私の物だ……」


 その顔には先程までの険しさは消えており、かつて夢を持って研磨を重ねていた彼女が蘇っていた。


「背負わせて……やるものか……お前……なんぞに……」


 意識を失いそうになったその時、彼女は近くから枝を折るような音を聞いた。

 同時に、豚のような荒い息遣いが、彼女を周辺から聞こえてくる。


 魔物。

 その存在を思い出し、彼女は最後の力を絞って空を見上げる。

 木々の隙間からのぞかせる空には、力強く飛んでいる二羽の鳥が見えた。


「……ごめんね、シュウ」


 そう呟き、彼女は顔を地面に落とす。

 意識を落としたと同時に、シグレという聖勇者の人生は幕を閉じた。

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世界はセイケンを求めてる! ツム太郎 @tumutarou1211

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