第33話 栄光を掲げる


 一直線に落とされたシグレは、悲鳴やうめき声の類を一切上げることなく、ドゴンと鈍い音をたてて地面に叩きつけられた。

 辺りには地鳴りが生じ、草原はシグレを中心にして波打つように揺れた。


「即撃……」


 次いで勢いよく落ちてきた礼路は、足がつく直前で地面に即撃を放ち、その勢いを相殺して着地した。

 礼路はそのままシグレが落下した方向を見るが、砂煙のせいで彼女の姿を確認できない。


「ッ、雨が……」


 シグレの安否は確認できない。しかし彼女の力の象徴である雨が止み、雲の隙間から太陽の光が射しこんできた所を見て、礼路は自身の勝利を確信した。


「親友が勝ったッ!」


 そんな彼のもとに駆け寄る姿が四つ。もちろん、礼路を見守り続けていたネイシャ達である。彼女たちはウールの言葉を皮切りに、勢いよく飛び出して行った。

 その顔には安堵、喜び、そして少しばかりの怒りが入っていた。


「レイジッ!」

「れいちゃん!」


 ネイシャと美穂は礼路の名を呼び、その安否を確認する。礼路はそんな彼女たちに、自身の勝利と、体に異常がない事を教えるため、笑いながら片手でガッツポーズをしてみせた。


「ハハ、なんとか勝てたかな」

「うん、見事な一撃だったよ親友」

「よくやったし聖拳、スカッとしたし!」


 喜びの言葉を言いあうウール達。しかし、ネイシャと美穂は言葉を続けることが出来ない。いろんな感情があるせいで、どんな事を言ったらいいか分からず、ただ礼路の姿を見つめることしか出来ないでいる。

 そんな二人に気付いた礼路は、二人の前に立つと腰に手を当て、優しく微笑んだ。


「……ありがとうな、二人とも。心配してくれて」

「……」

「れいちゃん……」


 簡素な言葉であったが、二人にはそれで充分であった。ネイシャ達は泣きそうになるのを堪えながら、それぞれの言葉を口にした。


「まったく、アンタはずっと心配させて……よくやったわねレイジ」

「れいちゃん、かっこよかった」


 礼路は満面の笑みを浮かべ、二人の賛辞を素直に受け止めた。


 そんな時だ。

 辺りの砂煙がなくなっていき、その中から一つの影が現れたのは。


「……」

「ッ!?シグレ……さん……!」


 そこには、多少服を汚してはいるものの、あまりダメージは受けていない様に見えるシグレがいた。

 ネイシャ達は各々の武器を構えるが、礼路は手を彼女たちの前に出して止めた。


「……ここまでか」


 シグレは無表情で礼路達を見つめながら、手に持っていた剣を鞘に納める。

 その様子から、礼路達は彼女にもう争うつもりがない事を察して警戒を解いた。


 そんな礼路達がいる場所とは別の方向、正確にはネイシャ達が先程までいた場所から、シュウがシグレの下へ駆け寄った。


「シグレ様ッ!!」


 自分の主の名を叫び、付き人のシュウはシグレのもとへ辿り着く。

 シグレは少しだけ彼を見たが、すぐに礼路の方へ視線を戻した。


「一つ、聞きたいことがある」

「……なんだよ?」

「あの時、なぜ技を使わなかった?」


 シグレの言葉を聞いて、礼路は少しだけ目を細めた。シグレが抱いた疑問に、心当たりがあったからだ。


「私の背後をとった瞬間、貴様は生殺与奪の全てを掴んでいた。それこそ、王都で見せたあの衝撃を放てば、再起不能にもできただろうに」

「……」

「答えよ聖拳。なぜ完全な一撃ではなく、生半可な殴打で済ませたのだ?」


 真っ直ぐに見つめてくるシグレに対し、礼路は彼女に背を向けて、遥か地平の先を見た。


「アンタの言う通り、俺は……聖拳は来るのが遅すぎたのかもしれない。救えなかったものも、たくさんあったのかもしれない」

「……そうであろうな」

「でも、だからって全部投げ出すつもりはない」


 キッパリと、シグレに向かって礼路はそう言った。

 

「まだ救えるものがある。きっとある。だからアンタにもまた、頑張ってほしいって思ったんだよ」


 拳を握りしめ、自分の気持ちを話す礼路。拳は眩い光を放ち、彼の思いがどれほど強いかを表していた。

 ネイシャ達は何も言わない。礼路の決意、覚悟。それを受け止め、無言をもって肯定していたのである。


「……シグレ様」


 そんな時、ふとシュウが口を開いた。

 シグレが再び彼を見る。彼は不安や怯えもあったが、何かを決意したかのような強い意思が感じられる顔をしている。


「もう一度だなんて……軽々しく言えない事は、重々承知しています」

「……」

「それでも、もう一度だけ、掲げてみましょう。貴方の抱いた栄光を……誰も奪われることのない、優しい世界を……」


 身に纏うボロ布を握りしめ、震える声で訴えかけるシュウ。感情が臨界点を超えたのか、目からは大粒の涙が流れ始めていた。

 そんなシュウの声を聞き、礼路はシグレに話しかける。


「栄光を掲げるってことは……勇者にとっての義務だ」

「……義務、だと?」

「そうだ。勇者を勇者たらしめる……どんな思いを持って、どんなことをしたいのか。他者に示して、自分も見失わないようにするモノ。それが栄光なんだって思う。単純なモノだって構わない。でも、栄光を掲げないってことは、そもそも勇者であることを否定している」

「……」

「掲げてみろよ、シュウのためにも。そんで頑張って、もっと上に行って、世界を少しでも変えれれば……聖拳だって、アンタに輝くかもしれない」


 そう言って、礼路は前へ歩き出した。

ネイシャ達も、彼に続いて歩き始める。


「じゃあな、シグレさん。シュウのこと、大切にしてくれよ」

「……」


 シグレは礼路達の後姿を無言で見つめながら、少しだけ目を閉じる。


「シグレ様?」


 そんなシグレに気付き、シュウは彼女の顔を見つめる。


 そして開かれたシグレの目がシュウを捉えた瞬間、彼女はシュウの不意を付き、その腹を思いっきり殴りつけた。


「ガッ……!?」

「ッ!?アンタ、何やってんだ!?」


 シュウの悲鳴に気付き、思わず振り返る礼路達。

 しかしシグレは何事も無いかのようにシュウを抱きかかえると、礼路に近寄ってシュウを差し出した。


「連れていけ」


 ただそれだけを言うと、シグレは礼路がシュウの体をしっかりと支えたことを確認し、別の方向へ体を向ける。

 その先には、鬱蒼と茂る森が遠くに見えた。


「ソレはもう私には必要ない。目が覚めたら解雇だと言っておけ」

「アンタ、何を勝手に……!」

「勝手も何も、雇ったのは私だ。解雇するのも必然、私の勝手だろう?」


 当然のようにそう言ってのけ、シグレは無表情のまま足を前へ向ける。

 その動作に一切の迷いは無い。


「コイツが、シュウがどれだけアンタの事を思って一緒にいたのか、分かってんのか!?」

「……知ったことではない。私はもう、己の栄光を捨てた身だ。それが私に従う理由もないだろう」

「……アンタは、もう戻れないのかよ」

「何を当たり前のことを。ではな、聖拳」


 それだけ言って、シグレは数歩前へ歩く。

 礼路は彼女を止めるために前へ出て、その肩を掴もうとした。


「ま、待てよ――」


 シュウを支えている腕とは逆の手を伸ばし、シグレを捕まえようとする礼路。

 しかし、あと少しでシグレの肩を掴めたという所で、彼女の体に淡い光が発生する。


 そして礼路が驚く間もなく、彼女はその姿を消してしまった。

 何の比喩でもなく、本当にシグレが姿を消したのだ。一切の痕跡を残さず、一瞬のうちに。


「なっ……!?」


 唐突の出来事に驚く礼路。ウール達も彼女が何処に行ってしまったのか、そう思い辺りをキョロキョロと探していた。

 しかし、彼らはどれだけ探せど、シグレの姿を見つけられなかった。


 一体彼女は何処へ行ってしまったのか?

 全員が困惑した表情を見せる中、ネイシャだけは別の反応を見せていた。


「……恐らく、転移魔法の一種ね」


 そう呟くネイシャに対し、礼路は焦ったように話しかけた。


「て、転移って……」

「それ以外に説明がつかないわ。でもおかしい。詠唱も無いし、魔法陣も無い。私も同じ条件で転移は出来るけど、視認できない程遠くまでは流石に無理よ。あの勇者が転移魔法を極めてるなんて思えないし……もしかして、他に協力者がいたのかしら?」


 ネイシャの説明を聞いて、礼路はシグレがこの場に現れた時のことを思い出す。


「確かに、最初の時もいきなり現れたんだったな……」

「えぇ。あれも多分、誰かの転移魔法で追ってきたんだと思うわ。私の転移先を探り当てて、ほぼ同位置に転移ができる、凄腕の魔法使いのね。でもそんな奴が王都にいるなんて、聞いたことない……ッ!?」


 ネイシャは何かを思いついたのか、いきなり目を大きく見開いた。口に右手を当て、ブツブツと独り言をつぶやく。

 今までの様子とは打って変わって、余裕が一切見えない様子であった。


「まさか……でもなんで……感づかれたとして……こんな遠まわしな……」

「ね、ネイシャ。いきなりどうしたってんだ?」

「やっぱり……でも可能性が……」


 礼路の言葉も聞こえないのか、額から汗を垂らしながら独り言を続けるネイシャ。

 そんなネイシャに業を煮やした礼路は、彼女の肩を掴んでその視線を強引に合わせた。


「おいっ!しっかりしろネイシャ!」

「ッ……レイジ……」

「一体どうしたんだよ。何か思い出したりしたのか……?」


 不安そうな顔で問いかける礼路を見て、ネイシャは自分がどのような顔をしていたのか気付く。

 彼女は握りしめていた自分の左手を見ると、じっとりと汗で湿っていた。


「……大丈夫よ、問題ないわ」

「いや、そんな顔して問題ないって言われても……」

「大丈夫ったら大丈夫よ。多分、私の思い違いだから。もし本当だったとしたら、既に直接会いに来てるだろうし」


 ネイシャはそう言うと、「ふぅ」と深呼吸をして呼吸を整え、何事も無いかのように歩き出した。


「ど、どこ行くんだネイシャ」

「街よ、近くのね。そもそもそれが目的だったんだから。ほら、アンタ達もついて来なさい。はぐれちゃっても知らないわよ」


 ネイシャは全員に対してそう言うと、少しだけ歩くスピードを速くする。


 一体彼女が何を考えていたのか、礼路達には全く分からない。しかし彼女に答える気が無いのなら、これ以上の詮索は無駄であろう。気にはなるが、仕方がない。

 そう判断した礼路達は無言で視線を合わせると、ネイシャに置いて行かれないように小走りで彼女の後を追った。


「……まさか」


 ただ一人、美穂は歩き出さず、誰にも聞こえない程の声量でそう呟く。

 彼女もネイシャが考えていた人物に心当たりがあるのか、目を細めて考えに耽っていた。


「おーい、何ボケッとしてんだよ美穂。早く来ないと置いてかれるぞー!」


 そんな彼女は、礼路の大声にハッと前方を見る。

 その先で、礼路達は既に走らなければ追いつけない程の距離を進んでいた。


「……すぐ行くよ、れいちゃん!」


 美穂は礼路達に追いつくため、鎖を鎧の中にしまって走り出す。足の傷は痛まないのか、その顔に痛がる様子は見られない。

 確たる証拠もない考えは、いくら考えても仕方がない事。そう思った美穂は、自分の中に生まれた予想と不安を押し殺し、全速力で礼路達の後を追った。


 そんな彼女を確認して、ネイシャや礼路達は再び前を向いて歩き出す。


 聖拳の使い手、礼路。

 水晶の魔女、ネイシャ。

 鎖の勇者、美穂。

 暗闇の勇者、ウール。

 日輪の勇者、アキ。


 それぞれの思いを胸に、彼らは新しい街をめざしてその足を進めていったのであった。

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