第32話 真の刃


 ネイシャ達が見守る中、礼路の目の前に無数の斬撃が放たれた。

 霧雨千閃。その名の通り千に至る斬撃は、雨の如く光り輝き、場違いにも礼路の目にはその一つ一つが宝石のように輝いて見えた。


「……」


 一秒にも満たない刹那の時、礼路の中には様々な感情が生まれ、彼の中を駆け巡っていた。


 その感情は驚愕であり、賞賛であり、憐憫であり、憤怒であった。


 今シグレが放ったこの無数の斬撃。その一筋一筋が、彼女の何年もの研磨によって作られたことを、礼路もよく分かっている。だからこそ、その凶悪な技がとても煌めいて見えたのだ。故に、彼はその圧倒的な力に驚愕した。


 次いで浮かんだのが、ソレを成し遂げたシグレという一人の女に対する、圧倒的な賛辞。きっとその過程で、何度も諦めようとしたのだろう。血反吐を吐きながら、途方もない修業を重ねた結果、彼女は今の実力を身に付けた。たった一人の少年を守るために。その精神、信念。きっと常人では理解できない領域なのだろう。そんなことを思い、故に彼は理解の前にただ賞賛を送った。


 その次に、礼路はその輝かしい信念を曲げてしまったシグレに憐憫の感情を抱いた。一体何が彼女をあそこまで歪めてしまったのか。きっと大きな絶望を味わったのだろう。圧倒的な力に押しつぶされたのか、余程信頼していた者に裏切られたのか。それも礼路には分からない。ただ一つ、歪んでしまった目の前の彼女を、ただ憐れんだ。


 そして最後。


「ッ……」


 それら全てを含め、今の彼女を作り上げてしまったこの世界、人、勇者という存在、聖拳という力を受けた自分。その全てに怒りを覚えた。自分の救わなくてはならない世界は、こうまで理不尽が当たり前の世界なのか、と。


 故に、彼は右腕に力を込める。

 圧倒的な刃を前に、目を見開き凝視する。


「……聖拳の防御に頼るな」


 自分に言い聞かせるように呟き、それ以外の無駄な動作を一切しない。慌てふためく様子すら見せなかった。


「目を凝らせ、一つも見逃すな。俺が見極めるんだ」


 シグレという女を、勇者の力に振り回される者達を、おかしくなってしまった世界を。

 そう思い、歯を喰いしばってさらに目に力を込めた。


 その瞬間、彼の目に異様な変化が訪れた。


「……なんだ、これ」


 思わず声を漏らし、再び斬撃を凝視する礼路。

 彼の目には、先程まで自分の命を刈り取ろうとしていた斬撃の全てが、全くの無害な代物に見えた。

 幻、というワケでもない。空を切り、地面や草を切り刻み始めているソレは、明らかに殺傷能力がある。しかし、礼路には安全に見えてしまった。ソレは何故か?


「……あの感覚が、ない?」


 そう、言うなれば殺意、敵意の類。受けているこちらを力ずくで抑え込み、一切の反抗を許さない程の。

 それは礼路が王都にて、多くの勇者に向けられたドス黒い意思。そして今シグレが向けていた殺意であった。目の前の斬撃からは、それらが一切感じられないのである。


「……」


 再び口を閉じる礼路。彼は手に力を込めたまま、両腕を下げて目を閉じた。

 その瞬間、礼路を切り刻むように見えた斬撃が、勢いよく彼の近くを通り過ぎていった。

 上を、右を、下を、左を。縦横無尽にる斬撃が、器用に礼路のみを傷つけずに進んでいく。

 そのことを気にすることもなく、礼路は目を閉じたまま辺りに集中する。千にも及ぶ「嘘」の凶刃。その後に迫ってくるであろう「本当」の刃を見つけるために。


「あの時……王都で嫌ってほど感じたヤツだ……あの黒い感情を見つけろ……!」


 焦らず、しかし急いで。そんな矛盾を覚悟したうえで、礼路は必死に探す。

 集中力が極限の域に達する中、礼路の耳に辺りで響く斬撃の轟音が少なくなっていった。

 一本、また一本と少なくなっていく音は、礼路の感覚を静かな闇に落とし、精神を研ぎ澄ませていく。


 そして最後の一本の気配が完全に消えた瞬間、礼路は自分の頭上から鋭い殺気を感じ取った。


「上だッ!」


 力強く吠え、礼路は右手を握りしめたまま上を見上げた。そしてその先には、遥か上空から彼の脳天を突き刺そうと刀を構える、シグレの姿があった。


「……」


 シグレは礼路と視線が合ったほんの一瞬、僅かに目を見開く。恐らく、自分の居場所を感づかれることすらないと思っていたのだろう。

 しかし、その事実は彼女の中で大きな変化にはならない。たとえ自分が何処にいるかが分かったとしても、そのまま息の根を止めてしまえばいいだけのこと。彼女はそう考えていた。


 そして礼路にも、シグレがそう考えていることを察していた。故に、彼女の動きが全く揺らがない事を不思議にも思わず、次の行動に出た。


「豪拳ッ……!」


 目の前の全てを拭く飛ばす豪拳の魔法陣を、礼路は右腕ではなく、左腕に発生させた。


 なぜ、彼はそのような行動をとったのか?

 礼路はシグレの居場所を探しているうちに、どうやって彼女の攻撃を避けるかではなく、どうやって先手を叩き込むかのみを考えていた。闇雲に逃げても、シグレの刃はいずれ自分の身を引き裂き、死をもたらす。その事実を、痛い程によく分かっていたために。

 そうやって考え続けた結果、彼が考えた戦法は実に彼らしいモノであった。


 つまりは、目には目を。高速には高速を。

 シグレの目にも追いつけない程のスピードで彼女の背後にまわり、一撃を叩き込むことこそが勝利への最大条件であると彼は考えたのだ。

 それ故の、衝撃が吸収されない左腕による豪拳。王都での逃亡劇にて見せた、本来敵を殲滅するはずの技を悪用した力技である。


「オラァッ!」


 思いっきり振りかぶり、下方に叩きつけられた左手から、強烈な衝撃波が放たれる。それと同時に、礼路の体は勢いよく上空へと放たれた。


「ッ!?」


 瞬時、シグレは思わず剣の構えを変えた。頭上で柄を両手で構え、刃先を下へ向けていた姿勢から、居合斬りをするかのように剣を後ろへ回す。それは勢いよく自分へ迫りくる礼路の姿を見たが故の、合理的な行動であった。

 つまりは、怯える獣を狩る方法から、迫りくる猛獣を切り捨てる方法に。来るのなら来るで、それ相応のやり方で斬り払ってしまえばいい。それが彼女の考えであった。


 ハッキリ言えば、ここで見せた礼路の接近は、到底高速には程遠いスピードであった。

 そもそもを言えば、王都にて放った豪拳による移動も速くはあったが、アキの目でも視認できるくらいのスピードでしかなかったのだ。その程度のスピードで、シグレを出し抜くなど到底不可能。礼路もそれは重々承知している。


「即撃ッ!!」


 故にシグレの目の前で新たに放たれたのは、更なるスピードの上乗せ。礼路が考えた最後の戦法は、この一言であった。スピードが足りないのなら、更なるスピードを放つ。

 ここで必要なのは、スピードともう一つ。瞬発力であった。ただ速いだけなのなら、到達するまでに見抜かれる必要がある。彼女の剣のリーチに届くその少し前、その刹那にこそ放つべき上乗せ。それに彼が採用したのが、聖拳の技の中でも無類の瞬発力を持つ即撃であった。


 結果は成功。礼路は即撃の瞬発力により、見事シグレの背後に回ることが出来た。

 ちょうど彼女の後ろに到達した瞬間、彼は逆向きに即撃を放ち、そのスピードを相殺して動きを止めた。


「……捧げるぞ、この一撃を。アンタに」

「……」


 もちろん、シグレを出し抜くという偉業には様々な奇跡が存在したのだろう。

 例えば、シグレが攻めて来る方法。彼女が後の攻撃を考えたりせず、最初の千の刃にて礼路を殺そうとしていれば、彼は為す術は無かったのかもしれない。

 例えば、シグレの今の状態。研磨から身を放し、好きに数年を生き続けた今の彼女は、全盛の頃より実力が少しばかり劣っている。故に、彼女は即撃による瞬発を見抜けなかった。


 他にも挙げれば、キリが無い程の奇跡があったのだろう。だが、ただ一つ。対雨の勇者という途方もない死線を迎え、桜山礼路という男は、その身を遥かな高みへ導くことに成功した。

 そして、そんな彼を祝福するかのように、聖拳はその身を激しく光り輝かせた。


「勇者になんかじゃない。世界にでもない。たった一人、守り続けた本当のアンタにッ!!」


 後ろを向き、シグレはその輝きを見て思考を停止させる。その輝きは、彼女の表情から少しばかり「毒」を抜き落とした。


「……見事」


 故に口から出たのは、最大の賛辞。微笑みもせず、睨みもせず。無表情のまま、その言葉のみを呟いた。


 その瞬間、礼路はシグレの背中に渾身の一撃を叩き込み、彼女を地面へ叩き落とした。

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