あれから一年経ったんだ、それでも

鈴木怜

あれから一年経ったんだ、それでも

 カタリィ・ノヴェルが昼寝を終えて瞼を開けるとそこには雲一つない空が広がっていた。


「起きたか、カタリ」


 カタリが左に顔を傾けると、フクロウのようなトリが右の翼で器用にペンを持ちながら左の手で押さえたメモ帳に何かを書きつけているのが見えた。


「おはようございます。トリさん」

「いい加減その名前はやめてくれたまえよ。わたしにはトリストラムというれっきとした名前がある」


 トリがそんな名前を名乗ったことはカタリの記憶には無い。おそらく鳥頭なので適当な記憶と絡まっているのだろう。


「はいはい。で、トリさん」

「…………」

「トリさん」

「…………」

「……トリストラムさん」

「なんだねカタリよ」

「結局、世界中の人々を救うという『至高の一篇』はどこにあるんでしょうね。詠目をトリストラムさんにいただいてからの一年間、『至高の一篇』を知ったのは半年前くらいでしょうか。その前もその後も、どれだけの人々を救ってきても、まったく手がかりがつかめていませんよ」

「なんだそんなことか」


 トリ――トリストラムが、ペンを置いた。そしてわざとらしく咳払いをする。


「それには『至高の一篇』がどのようなものかを定義しなくてはならない。例えば、世界中の、世界とはどこまでを指すのか。例えば、救うの、救うとはどのようなものなのか。そして、ひとりひとりに対してそれは救うことが可能なのか。それだけではない。そもそもの話、ひとりひとりの文章の好みが違うのだから救いのアプローチも変わってくるだろう。そして至高とは? 一篇とは? その答えが出ることは無いだろう。まあつまりは、わたしとしては『至高の一篇』なんてものは否定的だよ」

「そんな……」

「そう悲観するな。至高の一篇なんてものがあればお前の役目は無くなるだろうよ」


 活字だけのよりも、漫画やアニメの方が良い。なんて人もいるんだからな。トリストラムはそう言った。カタリの目が逸れる。それをトリストラムは見逃さない。が、特に咎めることもしない。


「ただ、カタリ。お前が作ってきた一篇たちは『至高の一篇』よりも優れているのではないかね?」

「え?」

「誰にも等しくつながるものはそれこそ数式か、もしくは『至高の一篇』ぐらいのものだろう。だが、お前の作ってきた一篇は必要としている人に届く。だとしたらそれは『至高の一篇』よりも深く深くその人にとどくのではないだろうか」

「そうでしょうか」

「そうだ。だから誇っていいぞ、カタリ」


 トリストラムが右の翼を高く掲げた。


「少なくともそうやってお前は人々を救ってきたじゃないか。だったらそれでいいのさ」

 どことなくぶっきらぼうだが、それでいて優しさを感じる声色に、カタリの口元がゆるむ。

「分かりました」


 その返事にトリストラムが不敵に笑い――カタリにはそう見えた――何かを思い出したようにメモ帳をカタリに預けた。


「ではそろそろ行こうか。次の人が待っているだろう」

「はい、分かりました。トリストラムさん」

「……わたしは、そんな名前だったろうか」

「やっぱり記憶が飛んでるんですね。ほら、はやく行きますよ」


 カタリが体を起こした。そのまま立ち上がる。トリもカタリの頭に乗る。


「ではカタリ、行くぞ」

「はい!」

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あれから一年経ったんだ、それでも 鈴木怜 @Day_of_Pleasure

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