最終話 滴の継承

「記憶持ち?」

「はい。そのような事例が」

 

 沌との戦いから数年後。

 精霊界にまた異常な事態が起き始めていた。


「つまり、本人ではない記憶を持っているということか?」

「そのようです。まだ生まれて三年目の水脈が流没闘争について語りだしたそうです。心配した両親から王館に救済の申請が」

 

 僕でさえ、記憶にほとんどない流没闘争を三歳の精霊が知っているはずがない。

 

「記録を読んだとか、誰かに聞いたとかではなくって?」

 

 僕の言葉に潟は首を振った。

 

「土精の中には先代の土師クリエイターを知る者も生まれているそうです」

「夢でも見たんじゃないか?」

 

 演が頬杖を付きながら、潟に尋ねた。信じがたい話だけど、それはないだろう。


「ひとりならその可能性もございますが、各王館、数十人規模で報告が上がっているそうです」

「数十人か、多いな」

「何か共通点はあるの?」

 

 添さんが僕と演の机を回って、手際よくお茶を出していった。


「そうですね、しいて言えば……。比較的最近亡くなった高位精霊の記憶持つ者が多いというところでしょう」 

「……となると」

 

 演が茶器に手をつけた。一口啜って間をおき、僕と潟の注目を集めた。

 

「亡くなってから魂が理力に還元される前に押し出されてしまった……か」

「世界の理力から練られる魂が再構成を待たずに生まれてしまった、ということになるのか」

 

 演の中に留まっていた魂が一気に熟成され、世界の理力に還っていった。一方、高位精霊をはじめとした理力の強い者は還元されるのに時間がかかる。あとから還った理力に押し出される形で、生まれてきたのかもしれない。

 

「被害は? 本人に関わりのない恨みがあるとか、領域を主張しているとか」

「それは今のところ報告されていません」

 

 実害はなしか。それならば対策を講じる必要は今のところない。


「様子見だな」

「今後、害が出なければ良いけど……」

 

 静観するしかない。何が起こるか分からないけど、何も起こらないかもしれない。

 

「害といえば、カオスは大丈夫か?」

 

 演が唐突に尋ねてきた。沌が僕の配下になって数年、大きな問題も起こさず、僕からの命令をこなしている。

 

「今のところ問題は起こしてないよ」

 

 沌に命じたのは変わってしまった地形の把握だ。ついでに世界の地図を修正させている。敵だった者に地形を熟知させるのはどうかとも思ったこともあったけど、今更だ。沌がその気になれば自分で勝手に調べるだろう。

 

「そうか。なら良いが、放っておきすぎるのもどうかと思うよ」

 

 本当ならば水太子の視察に伴うのが最善だ。けれど、すけが沌を怖がって仕事にならなかった。


 仕方がないので、沌には混凝土コンクリート製の手枷をつけた。その状態で精霊界を飛び回っている。かなり目立つだろう。

 

「暮さんが木乃伊マミーを御役御免になったので、金字塔ピラミッドの空いた監視枠に沌を入れてもらったよ」 

「なるほど。抜かりなしか」

 

 竹伯・やしきさんが正式に木訥アートレスの地位に復帰した。そのため暮さんは御役の地位から下りることとなった。

 

 三、四百年後。月食と惑星食が重なる日に二人を解放することを見越しての判断だろう。 

 

 いつくれるさんはそれまで地獄タルタロス預かりとなった。あそこには黄龍の他に二人の母親がいる。

 

 滞在にはちょうどいい場所だと思う。


 話に区切りがついたとき、執務室に控えめなノックが響いた。

 

「入れ」

 

 許可を得て扉を開けたのは雨伯よりも小さな人型だ。真っ黒で鋭い眼光はからだの大きさに似合っていなかった。

 

「ちちうえ」

「タタ。どうした? こっちにおいで」

 

 肩口で揃えた真っ黒な髪を揺らしながら、息子が執務室に飛び込んできた。

 

「ちちうえ、今日はエッケンお休み?」

 

 息子が膝に抱きついてきた。上目遣いに僕を見る姿が可愛すぎて逆上せそうだ。

 

「お休みじゃないよ。これから行くんだよ」

 

 即位して間もないこともあり、謁見を求めて来る精霊は多い。皆、しっかり手順を踏んでくるので断るのが難しい。

 

「そっかー……」

「太子不在のこの状況では、しばらく謁見三昧になりそうですね」

 

 魂が抜けたことで演の理力は弱くなった。とはいえ元々強い上に原子力に強められたせいで、一般的な伯位よりは断然強い。

 

 でも演にしてみれば、急に理力が弱くなってしまったことに変わりはない。

 

 これを期に水理王の位を僕に譲った。


 ただ、火の王館同様、急なことだったので太子を決める余裕はなかった。

 

「王太子選考会を開くなら滴さまのご成長を待ちたいですね。ね、したたさま?」

 

 潟が屈んで滴の顔を覗き込んだ。滴は何が面白いのか、潟の耳を引っ張って戯れている。


「イタタタ、ところでしたたさま。その袋は何ですか?」 

 

 僕の息子は自分のからだの何倍もある白い袋を引きずっていた。

  

「潟、見て! クセモノを捕まえたよ!」

「……滴さま、それは曲者ではなくて、土太子ですね」

 

 滴が袋に突っ込んで髪を掴み、引きずり出した顔は紛れもなくぎょうさんの顔だった。耳に飾られた石が砕けていて、顔色は真っ青だった。

 

「クセモノじゃないの? 刀持ってるよ」

「タタ。それは私の水晶刀だ。磨きに出してたから届けに来たんだろう」

「母さま」

 

 息子は母親の姿を認めると、土太子から手を放し、演の膝に飛び込んでいった。ゴンッと鈍い音を立てて垚さんの頭が床に落ちた。

 

のべる、いつの間に土の王館に預けたの?」

「雫に引き継ごうと思って、内緒にしておいたんだ」

 

 演は水晶刀を使いこなせなくなってしまった。普通の刀としては使えるけれど、浄化やその他の作用がはたらかなくなった。

  

 代わりに僕が使えるようになったので、恐らくハビーさんのせいだ。演は水晶刀を僕に譲ってくれるつもりらしい。


「母さま、本当にクセモノではないのですか?」

 

 したたのべるを見上げた。その手にはいつの間にか菓子が握られている。

 

「タタ。垚には何度も会ってるだろう?」

「でも偽物かも」

  

 滴は幼児に似つかわしくない警戒心をあらわにした。眉間に皺まで寄せている。でも可愛い。そんな顔をしても可愛いなんて、流石、我が子だ。


「確かに、太子が自ら届けに来るのは不思議ですね」

 

 潟が水晶刀を拾い上げた。刀だけ拾って土太子を介抱しないのは、いかがなものか。

 

「ちちうえと母さまのお部屋を覗こうとしてたよ?」

「…………それは曲者ですね。今すぐ沈めてしまいましょう、ええもう今すぐに」

「やめなさい、二人とも」

 

 土太子をソファに休ませて、添さんを土の王館へ向かわせた。謝罪をしようにも、ひとまず誰かに迎えに来てもらわないと困る。


「タタ。どうやって仕留めたんだ?」

「いや、演……仕留めるって」

 

 演は息子を膝に乗せてご満悦だ。僕も仲間に入りたい。


「ちちうえと母さまのお部屋をそーっと開けようとしてたから、『氷風雪乱射ブリザード』で囲ってから、『大気氷結ダイヤモンドダスト』で動けなくして、『流波射谷斬リヴァイアサン』で飲み込んだんです」

 

 こっわ。

 全部上級以上の理術だ。誰だ、教えたのは。


「惜しかったな。『水の箱』に閉じ込めてから、『大気氷結ダイヤモンドダスト』を放てば『流波射谷リヴァイアサン』の無駄打ちをせずに済んだのに」

 

 演の解説はどこかズレていた。


「次はそうします!」

「期待している」

「はい! 敬泣湖けいきゅうこしたた、ご期待は裏切りません!」

 

 格好良いぞ、滴。

 でも、その期待が土太子相手なら裏切ってほしい。

 

「タタ。おいで」

 

 演の膝から息子を回収した。片手で抱きかかえて目線を合わせる。

 

「タタ。相手が敵かどうか、ちゃんと確認してから戦いを挑まないとダメだ。これで土の王館が怒ったらどうするんだ?」

「クセモノと間違えてごめんなさい、を言いに行きます」

 

 それで済む問題ではないのだけど、滴はそれで許されそうな気がする。土の王館はしたたに甘い。滴がひとりで土の王館へ行くと、帰りにお菓子を山盛り持ち帰ってくる。

 

 聞くところに寄ると、滴が土の王館を訪れる度に肌が潤う、と一部の土精から気に入られているらしい。


「それに、怪我したらどうするんだ?」

「ちちうえが治してくださいます」

「……」

 

 それはそうだけど、そうではない。

 いくらでも治してあげるつもりだけど、そういうことではない。そんな上目遣いで見てもだめだ。

 

「命に関わらない怪我は練習の内、とお祖父さまが仰っていました」

「お祖父さま?」

 

 どっちの?

 

「ちちうえのちちうえです」

「あぁ、僕の父上…………いや、待って。どうやって会えたの」

 

 どちらの祖父にしても簡単に会えるものではない。 

 

「お椅子の後ろから会いに行きました」

「どうやって……」

 

 理王しか開けられないのにどうやって……。

 

「ちちうえと母さまと一緒にご挨拶に行ったときに開け方を見ていたので覚えました」

 

 覚えたとか覚えていないとかいうレベルの話ではない。


「流石はしたたさま。理王になるべくお生まれになったと言っても過言ではこざいません」

「潟、言葉を慎め」

 

 理王の子を太子になどと、滴が身に覚えのない妬みを集めてしまう。でも潟は止めなかった。


「父方の祖父が初代水理王。母方の祖父が大精霊・玄武伯。母方の祖母が最後の雲泥子ウンディーネ。父方の祖母は百の支流を束ねる現役の伯位。そして養祖父に最古参の雨伯。義従兄に火理王。これ以上の人選がございましょうか」

 

 潟の解説を聞いているだけで怖くなってきた。

 うちのこ、怖い。

 

 雲泥子と父上はともかく、何かあれば大精霊と理王。それに数人の伯位を敵に回すことになる。

 

 大精霊玄武伯の下には伯父四人も控えていることを忘れてはいけない。全員が伯位の龍だ。並の伯位では相手にならない。

 

 更にいえば養祖父・雨伯の下にも雷伯はじめ、多くの伯位がいて、全員が滴を雨伯一族と認識している。これがどういうことか、分からない精霊はいない。

 

「戻ったわ」

「あ、添ちゃん」

 

 添さんが土の王館から戻ってきた。滴は添さんの元へ駆け寄る。愛想を振りまくのが上手な子だ。

 

 添さんは笑顔で迎えてはいるものの、少し複雑そうな顔をしていた。小さい子が苦手なようには見えないし、扱いも上手だと思うのだけど、何か抵抗がありそうだった。

 

「ご苦労さま、添さん。何か言ってた?」

「止めるのも聞かずに土太子が水晶刀を届けると言って聞かなかった結果なので、放っておいで構わないそうよ」

 

 土の王館は太子の扱いが雑だった。

 

「ちちうえ、潟と遊んできていいですか?」

「構わないけど……」

 

 僕は構わないけど、謁見に潟も付いてくるはずだ。

 

「滴さま。お父上はこれから謁見でございます。私は警護に当たりますので申し訳ないのですが、ご一緒出来ないのです」

「えー」


 潟と遊ぶと言いながら、添さんに頭を撫でてもらっている。不満げな顔も大して不満げに見えない。


「折角、むすこと遊んでやろうと思ったのじゃが……」

「わぁぁあっ! 滴さま! 添と遊びましょう」

 

 滴が何か言いかけたのを遮って、添さんが息子を抱きかかえた。

 

「タタ、今何と言ったんだ?」


 のべるが水晶刀を撫でながら滴を呼んだ。呼ばれたのは滴のはずなのに、何故か添さんの顔色が悪い。

 

「内緒です、母さま」

「教えてくれないのか?」

 

 演は水晶刀を鞘に納めて、僕に差し出してきた。これを持って謁見に行けということらしい。

 

 鞘から抜いて輝きを確かめる。刃面に息子の顔が映っていた。

 

したたしたたかに生きるのです」

「それは良い。滴は二人の始祖を継承するのだからしたたかに生きるくらいでちょうど良い」

「はい、母さま!」

 

 演に褒められて嬉しそうに目を細めた息子の顔は、大切な誰かに似ている気がした。

 

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