419話 水精演義

 火理王退位。

 

 その知らせが届いたのは、僕と演が魂を繋いだ次の日だった。

 

 火理王さまは、自らの理力を解放して寒さを凌ぎ、火の王館を守ったそうだ。命に別状はないものの、限界まで力を消耗したため、もう自分の足で歩くことは出来ないらしい。

  

「火精から恨みをかっていそうだ」

「あぁ。それは大丈夫やで」

 

 漕さんは僕の机の上に座って足をブラブラさせている。インクのツボが心配だ。

 

「火理皇上がな。水の王館が全ての害を引き受けたんやから、火の王館はその副産物くらい耐えろ。水の王館に協力できへん奴は出てけ、的な格好良いこと言いはったんやわ」

 

 火理王さまは水の王館を恨むのではなく、感謝しろと言ってくれたわけか。

 

「それでひょうも火力提供のために、火の王館に戻されたわ」

「颷さんは大丈夫?」

「せやね。普通は理王交代で御役御免なんやけど、颷は寿命が来るまで火付役をやらされるらしいわ。一生、足枷をしたままでな」

 

 颷さんの片足には、罪人の証としてタングステンの足枷が付けられた。タングステンの融点は高く、颷さんの体温では融けないそうだ。火理王の命に逆らった場合、足が締め付けられる仕組みだ。

 

 本来、火が有利なはずの金に戒められる日々。 

 それを死ぬまで。

 それが同族を傷つけた颷さんへの罰だ。


「雫さま、新火理王の戴冠式が明後日に執り行われます。雫さまも出席のご予定です」

「うん」

 

 義甥おいの即位を忘れるはずがない。


 即位したからといってよそよそしくされることはないと思う。でも気安く会いに行くのは難しくなるだろう。


 式がまだというだけで、彼はもう火理王だ。しかもこの状況では太子が決まっていないはずだ。忙しくなるに違いない。


「ちょっとー、その次の日が自分の魂繋式だってこと忘れてないでしょうね」

 

 添さんの声に皆がそちらを向いた。

 

 部屋の端の日が当たらないところに、演と添さんがくっついている。演は白い布を全身に巻きつけていて、髪の黒さが際立っていた。


「御上。ちょっと腕上げてもらえます?」

 

 演は添さんの言うままに腕を上げたり、後ろを向いたりと忙しい。


「なぁ、添たちは何してるん?」

「御上の婚礼衣装を作っているのですよ」

「それなら木の王館に頼めばええやないの?」


 添さんも裁縫は得意だけど、木精に頼む仕事でもある。しかも木の王館は今、再生された木精で活気に溢れていた。

 

「これ、瀑布なのよ」

「あぁ、そうなんや」

 

 漕さんは納得したように頷いた。

 

 瀑布は高位の水精にしか扱えない生地だそうだ。木精が長時間、瀑布に触れると手がもげるらしい。恐ろしくて頼めるわけがない。ちなみに低位の水精が触ると布の一部になり、金精と土精が扱うと身が削られ、火精は言わずもがな……。


「そないに御上のこと巻き巻きしたら木乃伊マミーかと思うわ」

木乃伊マミーといえば、その後、暮たちはどうなったのですか?」

  

 いつと暮さんは木の王館へ戻した。ただ、いつに関しては前と少しだけ事情が異なる。

 

「水理王の助命に尽力した功績で、扱いは捕虜から客人くらいになったらしいよ。流石に解放するわけにはいかないけど」

「解放いうたら結局は水の星へ帰るんやろ? そしたらまたエライことが起きるんちゃうの?」

 

 漕さんの言いたいことは分かった。水の星へ渡るためには莫大な力が必要だ。しかもその反動で演がひどい目にあったばかりだ。警戒する気持ちは分かる。

 

「それについては考えがある」

 

 演が白い布を巻きつけたまま会話に参加してきた。

 

「先日、土の王館を訪問して、沌のことを聞いてきた。奴がどうやって行き来していたのか、気になってね」

 

 土の王館へ行ったのは恐らく協力への感謝だろう。水理王本人が自ら赴くことの意味は大きい。でもお礼だけではなく、情報も集めてくる辺りが流石だ。

 

「行き来というと?」

「先々代や雨伯たちの理術を利用したのは別として、沌が来る度に膨大な力が動いていたなら我々も気づくはずだ。だから理力ではない別の力を利用していると思った」


 僕の知らない間に演はしっかり仕事をしていた。


「それで何か分かったん?」

 

 漕さんは僕の机から下りてお腹をさすっていた。まだ傷が痛むのだろう。


「土理の調べでは、カオスが渡ってくるのは特定条件下の新月と満月、いわゆる日食と月食の日だ」


 そういえば、先生たちも精霊界に戻って来たのは満月の日だった。


「じゃあ、月食か日食が起こる日を計算して、その日なら水の星へ渡れるってことですか?」

「しかし、二人同時は流石に厳しいのでは?」

「でもいつとかくれるとか、連れてきてるんやから、出来るんやないか? 雨伯と先々代かて二人や」

 

 男三人で結論の出ない話をしていると、添さんが咳払いをした。

 

「出来るわよ、多分。惑星食の日と重なれば」

「「「惑星食?」」」

 

 野太い声がハモった。添さんが眉をひそめている。演は頭から布を被せられて顔が見えない。でも笑っているみたいだった。

 

「人間の資料を調べてたら、そういう記述が出てきたのよ。精霊が水の星から大量に渡ってきたのも月食と惑星食が重なった日だったみたいよ。その理屈なら複数人で渡るのは可能よ」

 

 添さんは優秀だ。僕の書記官に留めておくのが勿体ない。


「添さん、惑星食と重なる日を計算できる?」

「義父上の日記から、水の星と精霊界の時間のズレを考慮して、一応計算したんだけど……つい最近、終わったばかりみたい。次は三、四百年先らしいわ」


 終わったばかりとは残念だ。仮に理王会議で自由が認められたとしても安全に帰すことはできない……か。

 

「頻繁にあるんやね」

「それを火精の前で言わないことですよ、漕」

「分かっとるわ! 伊達に火精と魂繋してへんわ」

 

 漕さんが潟を小突いた。なんだかんだ仲が良くて何よりだ。

 

「それでカオスは? その時、一緒に送り返すの?」

 

 添さんがこちらを見もせずに言った。瀑布の端を掴み、大胆にハサミを入れている。添さんが優秀なのは認めるけれど、演の肌を傷つけないか心配だ。

 

「あぁ、カオスは雫の配下にする方向で動いている」

 

 演の言葉に僕を除いた全員が固まった。まだ理王や王太子と一部の最重臣しか知らないことだ。


「し、雫さま? 冗談ですよね?」

「いや、本当だよ」

「雫の希望でね。土の王館も手に余るから引き取ってもらえるなら良いと。理王会議で正式に議題に上げる」

 

 潟は絶句している。添さんも瀑布を扱う手を止めてしまった。


「坊っちゃん、カオスやで? あの沌やで? 御上と結ばれたからって頭おかしなってへん?」

「なってないよ。沌も忠誠を約束するって」

「……それを信じんのかい」

 

 添さんだけは何も言わず、作業に戻っていった。僕のことを信用してくれている証拠だ。

 

「な、ぜです」

「内緒」


 沌が僕に従おうとする理由。それは単純だ。

 僕の中に雲泥子ウンディーネがいるから。

 

 ハビーさんの魂は熟成されて、世界の理力として放出されるはずだった。でも演のからだを最後まで守るため、いつと暮さんの理術にギリギリまで抵抗していたらしい。その結果、熟成に乗り遅れたそうだ。

 

 その状態で僕たちが魂繋したため、理力を交換した際に、再び僕のからだに入ってきてしまったのだ。

 

 ハビーさんは魂繋のあと、一度だけ僕に接触してきた。ハビーさんひとりの魂なら僕でも抱えきれる。だから心配ないと言ったのだけど、ハビーさんはそうではなかった。

 

 ハビーさんは自分のせいで娘の精霊生じんせいが狂ったことを悔いていた。だから今後、二度と関わることはないと宣言し、僕の中で自然に魂が熟成されるのを待つと言った。 

 

 ちなみにハビーさんと接触している僅かな時間、僕は気絶していたらしい。疲れが出たのだろうと皆を心配させてしまった。目覚めたら演が僕の手をしっかり握っていた。

 

 睡眠を必要としない僕が、今後ハビーさんと接触する可能性は極めて低い。本当に二度と会うことはないかもしれない。

 

 ハビーさんについて、カオスには正直に話した。

 

 雲泥子ウンディーネの魂が生きているのだから、世界の時を戻しても意味がなかった、とカオスは自嘲の笑みを浮かべていた。

 

 以前、僕は演が目覚めたら監視付で雲泥子の魂を探しに行けるよう進言もらうと告げた。でも雲泥子の魂は僕の中だ。探しに行く必要もないけど、手にも入らない。

 

 その上で沌は僕との契約を望んだ。


「あのカオスを手懐けたんだ。私の婿殿はやり手だろ?」

「はいはい。その惚気は何度も聞きました。はい、下向いて」

 

 演と添さんが軽口を叩き合っている。この二人も仲が良くて微笑ましい。


「確かにカオスを手懐けた雫さまに敵うものはいません」

「潟までおかしくなっとるやないか……」


 手懐けたという表現が正しいかどうかは別として、僕の力ではない。ハビーさんのおかげだ。

 

 沌のしたことは絶対に許されることではない。罪状をあげればキリがない。先生も沌のせいで亡くなった。許されることなど何一つない。


 だからこそ、カオスには生きてもらわなければならない。

 

 死んでも愛する者に会えない、というもどかしい世界で苦しみながら生きて、永遠に償いきれない罪を背負う生を歩ませるつもりだ。

 

「失礼します。追加の糸を持ってきました」

「祝電もお届けに上がりました。温岡ぬくおか湖内こうちの両伯。それに東の金精・銅鏡伯から贈り物です」

「ああ、泥、汢ありがとう」

 

 泥が糸を、汢が箱を持って執務室に入ってきた。ここ数日は金太子の外出予定もなく、二人とも添さんの手足になっていた。


「ちょっと、これ銀糸じゃない!」

「ええ。御上の髪色なら鋼糸よりも銀糸の方が合うと金の王館から……」

「余計な気を回さなくていいのよ! 御上の髪色は変わったの!」

 

 泥と汢は、やってしまった、という顔をしていた。

 

「もう仕方ないわね。私が一緒に行くわ。そうだ、潟。木の王館へ行ってみてくれる? 淼さまの魂繋衣装がどこまで出来たか確認してきてちょうだい」

 

 僕の衣装は瀑布ではないので、木の王館に頼んであるそうだ。全部、添さんに任せてしまったので、自分のことなのに詳細が分かっていない。

 

「あと漕。暇なんだったら土の王館へ行って黒曜石を貰ってきてよ。御上の今まで装飾品だと合わないのよ」

「添。うち、怪我人なんやけど」

「御上は今の内に休んでてください」

「え、無視なん?」

 

 添さんが潟と漕さんを執務室から追い出した。添さん自身は演を瀑布から解放すると、泥と汢を伴って出ていった。

 

 急にのべると二人になった。

 

「あの……お茶でも入れましょうか?」

「いや、いらな……あ、待て。やっぱり貰う」


 演の分と僕の分。二人分の茶器を手にした。お茶の入れ方はからだが覚えている。


 蒸らし終えて戻ると、演はソファに足を投げ出していた。意外と採寸が疲れたのだろう。

  

「お待たせしました」

「ありがとう。雫も座って」

 

 演の正面に座った。

 

 脚の短い卓にお茶と焼き菓子を並べる。

 

 一旦卓上に置いた茶器を手に取ると、演が真剣な顔で僕を見ていた。

 

「雫」

「はい、何ですか?」

「真面目な話なんだけど……」

 

 演はお茶に手をつけようとしない。演の真剣な様子に僕も茶器を置いた。

 

「どうしました?」

「ずっと考えていたんだ……」

「はい」

「……子は何人欲しい?」

「もう次代の話ですか!?」

 

 まだ魂繋してから数日しか経っていない。もうちょっと新婚気分を味わいたいというか……。

  

「今すぐではないよ。将来的に、の話」

「あぁ、将来」

 

 将来、か。演が側にいてくれる未来が信じられなくて、想像できなくて、嬉しくて。

 

 そこに子までいたら……。 

 

「…………幸せすぎる」

「雫、帰っておいで」

 

 演が呆れたように笑っている。顔がニヤけている自覚があった。でも隠しはしない。

 

 僕の良いところも悪いところも、出来るところも至らないところも、全部見せてしまおう。演は僕のすべてを受け入れてくれる。

 

「雫」

「はい」


 演が腕を伸ばして僕の片手を掴んだ。冷たい両手で挟むように僕の手を包む。


「水精・雫、みちつないでくれるか? 私と共に」

 

 演の真剣な眼差しが僕を捉える。その瞳は漆黒で息をするのも忘れそうなくらい澄んで見えた。 

 

 少しだけ力を込めて、握り返した手を引いた。

 

 演のからだが僕に近づく。演の黒い瞳に僕の姿が映っている。

 

 どちらからともなく顔を傾け、目を瞑った。互いの息が触れ合う。

 

「雫さま! 唇は少し開いておっ……ふぶっぅ」

「バカバカバカバカッ! 邪魔すんじゃないわよ!」

「あーあー、不粋やわぁ。潟」

「私は何も見ておりません」

「私は何も聞いておりません」

 

 出ていったはずの五人が雪崩れこんできた。ずっと廊下から覗いていたらしい。

 

 急に恥ずかしくなって演の手を放した。咳払いをして演から離れようとすると、演が自由になった手で僕の胸倉を掴んできた。

 

 怒らせたのか、と焦った時には演の唇が僕の唇に重なっていた。

 

 何が起こったのか分からないまま演の顔が僕から離れた。

 

「どうだ」

「お……お見事です、御上」


 演に笑顔で睨まれ、今度こそ五人とも去っていった。バタバタと走り去る音と誰かが転ぶ音が聞こえた。内容は聞こえないけど、文句を言い合っているみたいだった。

 

「……賑やかだな」

「そうですね」


 そういった演の顔は、決して賑やかさを嫌ってはいなかった。もう、独りにはしない。ずっと一緒だ。長い孤独の寂しさを僕が癒やそう。

 

「僕が貴女を幸せにする」

「それは違う。一緒に幸せにならなければダメだ」

「そうですね」

  

 この幸せを一緒ともに。


「水精・演、義をつなぎましょう。僕と共に」

 

 傾き始めた太陽が、ひとつになった影を柔らかく照らし始めていた。

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