417話 旧敵の時

「父上が、水太子を庇って……落命して、夫が水太子、に盗られて、絶対に、水太子を、水太子という地位を、許さないと思ってた。けど、今は、そう、思わない」

 

 添さんからは強い決意が感じ取れた。息切れしながらも捲し立てた。


「父上が守ったものを私が恨むなんておかしい。父上が繋いだみちを私も繋ぎたい!」

 

 添さんは少し前まで父上のことを語らなかった。けど、ここまで至るにはかなりの葛藤があったはずだ。

 

 ありがたいとは思うけど、今の添さんに手伝ってもらえることはない。あるとしたら……。

 

「僕に従ってくれるなら、ひとつ頼まれてくれる?」

「……変なことじゃなければね」

 

 添さんには、何を頼まれるのかという期待と不安が入り交じっていた。


「旗を立ててきて。理王の婚姻の旗を」

 

 添さんは驚きで一度足を止めた。あったいう間に僕との距離があいてしまい、慌てて追いかけてきた。

 

「魂繋は失敗したんじゃないの? 真名が違ったんじゃなくて?」

 

 なるほど、真名を間違えて失敗したと思われていたのようだ。ハビーさんのことやたくさんの魂のことは説明が難しいから後だ。

 

「違うよ。真名はあってる。でも色々あってまだ魂繋まで行き着いていないだけだ。今度こそ、魂繋をする」

「……本当ね? 旗を立てたら、全世界に知らせることになるのよ。水理王が魂繋したって。やっぱり出来ませんでした、なんてことになったら、御上も淼さまも赤っ恥よ」

 

 後には引けない。引かない。

 

「恥どころか……信用を失って、皆従わなくなるわ」

「いいよ。失敗はしない」


 もし、いつと暮さんに協力してもらえなかったとしたら。または魂の熟成がうまくいかなかったとしたら。

 

 今度は強引に魂繋をするつもりだ。僕のからだが壊れてしまったら……演と一緒に逝くのも悪くない。でもそうならないことを願う。

 

「分かった。行ってきます」

 

 言い切った僕に何を言っても無駄だと思ったのか、添さんは足を止めて別の方向に走り出した。


のべる、着いたよ」

 

 謁見の間に着いた。両手が塞がっているので背中で扉を押した。体重をかけて、やっと出来た隙間に挟まらないよう滑り込む。


 扉が閉まるのを待って中へ進んだ。玉座から距離をとったまま正面に立った。演を片手で支えながら、一番上の装束を脱いだ。

 

 行儀は悪いけど足でそれを床に広げる。その上にのべるを横たえた。

 

 いつだったか。演が僕を抱えるか、僕が演を抱えるか、そんな話をして笑いあったことがあった。

 

 僕が大きくなってしまって、もう自分では抱えられないと演は言った。何かあったら僕が演を抱えると答えたけど、その言葉通り僕が演を抱えることになってしまった。演が僕を担いでくれたのが遠い昔のような気がする。

 

 謁見の間に少し風が入ってきた。


「来た、水太子」


 重い音を鳴らしながら扉が閉まった。全身を布に巻かれた木乃伊マミーが、謁見の間に入ってくる。

 

くれるさん、来てくれてありがとう」

「あと、連れる、来た」

 

 腕から伸びた布の先にいつが巻き付いていた。久しぶりに見るいつはやはり少しやつれていて……でもどこか満足そうに見えた。

 

「自由になったのか?」

「この状態が自由に見えるならね」

 

 逸はジャラッと音をさせながら両手首を持ち上げた。金属の鎖が巻き付けてあった。とても重そうだ。

 

 二の腕は胴に巻き付けてあって、両手には鎖。物理的には自由に程遠かった。

 

カオスから自由になったのか、という意味だ」

「分かってるわよ、わざと言ったのよ」

 

 いつが鼻で笑った。でもすぐに真顔になった。暮さんに引っ張られて、僕に近寄った結果、 横たわった人影が見えたのだろう。視線が床をむいていた。


「まぁお陰さまで。解放はされたわ。右腕が切り離されたでしょ? 新しい腕は私に関わりのない部位だから、自由と言えば自由ね。真名も帰ってきたし」

 

 いつカオスに名前を上書きされていたようだ。右腕が切り離されたことで、支配から逃れたようだ。

 

「そうか」

「真名はいつよ」

 

 聞いていないのに名乗ったということは、免の字が付いた前の名が嫌だったのだろう。日の字が付いた名は暮さんの元の名であるばんに繋がって、姉弟だということを改めて認識させられた。

 

「水太子、用、ある?」

 

 暮さんを放置していた。細い布をブラブラさせて暇そうにしていた。

 

「実は二人に頼みがある」

 

 場所を空けて演の姿を見せた。暮さんの顔は布で見えないので反応が分からない。いつは表情を変えなかったけど、剥き出しの肩を少しだけ竦ませた。


「水理王のからだに滞留している魂のときを進めてほしい」

「魂のとき、同じ? さっきと」

 

 暮さんが聞き返してきた。さっきというのはいつの話か、少し考えてしまった。 

 

「違うわ、逆よ。さっきは理力から魂に戻す作業。今度は魂を理力にする作業よ」

「おー、すごい。姉上、似てる精霊ひと


 姉上に似てる精霊と言われ、いつは複雑そうな顔をしていた。

 

「要は魂を熟成させてほしいってことでしょう? そんなことをしたら水理王が世界の理力に還るわよ? 良いの?」


 話が早い。せきには何も伝えていないのにいつが分かっているのは、沌も同じことをしていたからだろうか。

 

 いつに事の次第を伝えた。

 

 原子力から得た水の理力のせいで、演の理力が膨れ上がっていること。

 その負担を減らすために僕が魂繋しようとしていること。

 でも僕のからだが持たなくて魂繋出来ないこと。

 そのために、まず演のからだにいる大量の魂を理力に還そうとしていること。

 そして、演の魂は隔離してあるから問題ないことと。

 

 概ねのことは伝えた。告げなかったのは演の魂がどこにあるか、ということだ。流石にいつの全てを信用できるわけではない。必要ないことは言わなかった。


 いつは黙って聞いていた。暮さんは聞いているのかどうか分からなかった。布の下で欠伸でもしているかもしれない。


「分かった、良いわよ」

「やってくれるのか?」

 

 ここまで話してはみたけど、断られることも少し考えていた。


 僕がいつを信用しきっていないのと同様、いつの方も僕を信用していないだろう。信用していない者の頼みなど聞いてくれない可能性もあった。

 

 それがあっさり承諾するとはどういうわけだろう。

  

「水理王には口をきいてもらう約束をしてるものね」

 

 なるほど。暮さんのことか。


 暮さんを返してくれるのか、といつが聞いたとき、演は言っていた。世界が崩壊しなければ、名も含めて解放するように、理王会議で進言するといつに明言した。

 

 あくまでも進言だ。だから必ず解放出来るわけではないけど、いつとしては可能性に掛けたいのだろう。

 

「でも、約束してほしい。仮にそれで水理王が助からなくても、くれるを……ばんを解放してもらうわ」

「その約束はできない。僕には決められない。……でも他の理王方へお願いはしてみる」

 

 いつの願いの中に自分の解放が入っていない。本当に暮さんが大切なのだろう。

 

 でも暮さんはいつのことを覚えていない。時のことは『姉上に似ている精霊』という認識だ。いつが発言すると、首が動いて彼女を見ているような気がするけど、それは単に会話の流れを見ているだけだ。

 

 いつは自分のことを覚えていない弟を自由にして……それで満足なのだろうか。

 

「今はそれでいいわ。でも認めてもらうまで交渉してもらうわよ」

「努力するよ」

 

 いつはどうするのかとは聞けなかった。姉弟きょうだいでこのまま精霊界で暮せばいいのに、と思ったけどそれも言えなかった。 

 

「さぁ、さっさと離れて。じゃないと巻き添え食うわよ」

 

 一緒に熟成されたくなければ離れろという警告だ。どこまで離れようか迷って玉座まで離れた。いつもの場所に立つと、不思議と安心感がある。

 

 けれど演は隣にいない。離れたことで演のからだが余計に小さく見えた。

 

 あの小柄なからだの中に、千以上の魂を抱えて過ごしていたなど、誰が想像できるだろう。その中にハビーさんもいる。ハビーさんともここでお別れだ。

 

 演のからだを挟んでいつと暮さんが向かい合う。

 

 謁見の間が闇に包まれた。

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