408話 魂繋のあと

 寒い。

 

 寒さのせいで目が覚めてしまった。いつ床についたのか覚えていない。眠ったのはいつ以来だろう。久しぶりの睡眠で寒さに起こされるとは、あまり快適な目覚めとは言えない。

 

 布団を手繰り寄せようとして、手が宙でうろつく。虚空を掴むばかりで布の手触りがない。

 

 おかしいと思って目を開いても何も見えない。目を開いても開いたのかどうか怪しい。それほど暗かった。

 

 辺りを見渡しても本当に真っ暗で何も見えない。まるで地獄タルタロスの入り口のようだ。

 

 でもこの肌寒さは、地獄タルタロスというよりも氷之大陸オーケアノスのようだ。

 

 氷之大陸オーケアノス

 

 ……氷之大陸オーケアノス……真名しんな……魂繋たまつな……のべる

 

 芋づる式に情報が繋がっていく。

 

 現実が頭に帰ってきた。

 

 ガバッと起き上がった。自分のからだの下を見る。下敷きにしないように気を付けていたはず……なのに手で探っても、誰もいない。

 

 どこへ行ったんだ?

 

 もしかして、せきそえるさんが連れていったのか?


 そうだとしたらここはどこだ?

 せきが来たのだとしたら、僕ひとりを離れに残しておくとは考えにくい。

 

「潟、いるか?」

 

 返事はない。近くにはいないようだ。

 

 ならばと通信を試みた。潟からは何の応答もなく、僕の声しか聞こえない。水の王館内にいないのかもしれない。使いを頼んだから戻ってきていない可能性もある。

 

「添さん、いませんか!?」

 

 遠くまで聞こえるように声を大きくしてみた。あまり期待はしていなかったけど、やっぱり返事はなかった。

 

 本当にここはどこだ?

  

 今、一番名を呼びたい精霊ひともいない。あの後、どうなったのか。人型には戻れたけど、意識は戻っていなかった。

 

「ベル…………のべる

 

 どうか無事であるようにと、目を閉じて祈るように名を呼んだ。居場所が分からない以上、下手に動くわけにも行かず、無事を祈ることしか出来なかった。

 

 目を閉じて五感を研ぎ澄ませても、寒さの他は何も感じない。風も光もない。本当の闇だ。

 

 本当に地獄タルタロスへ来てしまったのかもしれない。僕は寿命を全うせずに、消えてしまったのか?

 

 そうだとしたら黄龍伯がいていいはずだ。それとも一般的な来訪者に、黄龍伯は面会してくれないのだろうか。

 

 どのくらいそうしていただろうか。しばらくすると、閉じた目蓋にパッと光を感じた。

 

 目を開けると、自然に向いた視線の先に自分の影が出来ていた。前に伸びているということは後ろから光が射し込んでいる。眩しさはない。

 

 誰かが近づいてくる。

 

 潟でも添さんでもない。もちろん、黄龍伯でもない。水精の気配だ。

 

 足音はしない。敵意も感じない。けれど何故か振り向けない。ひどく寝違えたように首を動かすことが出来ない。

 

 からだごと振り向こうとしたら、首だけでなくからだも動かなかった。まずい状況だ。今のところ襲ってくる様子がないのが救いか。


 たくさんの理力が背後から音もなく近づいてくる。それも数えられる量ではない。ざっと百……いや、千はいるだろうか。

 

 頭の中で分析をしていたら、今度はたくさんの理力がひとつに固まった。強力な圧迫感をもたらした後、すぐ背中に温かさを感じた。じんわりとした温かさだ。少し遅れて重さが伝わってきた。誰かが背中にからだを押し当てているようだ。


 次は腰に軽い締め付けを感じた。後ろから両腕が回されている。背中全体に温かさが広がって、冷えたからだが動くようになった。

 

「会いたかった」

 

 慣れ親しんだ声を背中で囁かれ衝撃が走った。硬直から解放された首を振り向かせると、銀色の頭が見えた。頭を僕の背中に押し付けていて顔を見ることが出来ない。

 

 腰の腕をほどき、正面から向き合う。肩を掴んで腰を屈め、髪で隠れた顔を覗き込む。長い銀髪はまっすぐに垂れ、濃い色の瞳は潤いを湛えて僕を見つめてくる。

 

 肩を掴んだ僕の両腕……その内側を通して、僕の首に腕を絡ませてきた。その腕を更に伸ばして僕の髪をそっと撫でる。その手をそのままに、僕の顔のすぐ横に頭を乗せると、長く息を吐き出した。

 

 首に息がかかってくすぐったい。身動みじろぎすると、今度は腕を下ろして僕の背中に手を回してきた。密着したからだは温かくて、とても心地よい。

 

 天の川を思わせる長い銀髪が、眼前に流れている。頭を動かす度に自然な揺れを生み出していて、撫でるようにと誘われているようだった。

 

「会いたかった」

 

 僕の肩に頭を乗せたまま、先程と同じ言葉を繰り返す。温かい息が首にかかった。

 

 肩を掴んだままの両手に少しだけ力を込めた。密着したからだを引き離すと温かさが逃げていった。

 

 濃い色の瞳と視線がぶつかる。しばらく見つめ合っていたら、顔が徐々に近づいてきた。僕の胸に両手をついて支えにし、背伸びをしているようだ。途中から閉じられた目蓋に、濃い瞳は隠されてしまった。

 

 唇に息がかかる。


「誰?」


 ピシリという音がした。多分、空耳だろう。ここにはヒビが入るようなものも、凍り付くものも何もない。

 

 目の前で目蓋が開かれた。何色だか分からない濃い色の瞳に僕が映っている。

 

「そ……」

 

 顔が近いのに、何を言っているのか聞き取れなかった。唇を開け閉めしてはいるけど、声になっているものはほとんどなかった。

 

 目を限界まで見開いて、信じられないものを見るような目で僕を見ている。動揺からか瞳が小刻みに揺れていた。


「僕が呼んだのはのべるです。あなたじゃない」

 

 片方の肩を離し、僕の胸に置かれたままの手を掴んだ。

 

 握った手はとても温かい。かといって熱いというほどではなく、ちょうどいい人肌とでも言えばいいだろうか。生身の魚に触れられるような体温ではないけど、人型には温もりを与えるのに最適だ。

 

 握った手を雑に離すと、放り出された手を僕の頬に添えようとした。その温もりを感じたくなくて、触れられる前に手を払い落とした。

 

 僕にそんなことをされるとは思っていなかったのだろう。行き場をなくした片手を宙に浮かせて呆然としている。

 

 苦笑いが出そうになった。僕ののべるはそんなに間抜けな顔はしない。

 

 もう片方の手が僕の胸に置かれたままだった。それをそっと外させた。触れられたところにまだ温かさが残っている。


のべるの手はもっと冷たいんだ」 

 

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